八幡神社 (奈良市東九条町)
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八幡神社(はちまんじんじゃ)は、奈良県奈良市東九条(とうくじょう)町にある神社。旧社格は村社。大安寺の旧境内に鎮座し、もと同寺の鎮守神として大安寺八幡宮と称された。また、山城国男山の石清水八幡宮の元宮であるとの伝承を持つことから元石清水八幡宮と称し、或いは辰市(たつのいち)4箇郷の氏神とされたことから[1]、郷社石清水八幡神社や辰市八幡宮等とも称された。
- ^ 辰市4箇郷は、八条郷(現八条町)、東九条郷(現東九条町)、西九条(さいくじょう)郷(現西九条町)、辰市郷(現杏(からもも)町一帯)の4郷(『角川日本地名大辞典』)。
- ^ 『七大寺巡礼私記』は大江親通著。
- ^ 『角川日本地名大辞典』。
- ^ 『七大寺日記』は作者不明。『続群書類従』所収、釈家部巻第792。
- ^ a b c d e f g h 『奈良市史 社寺編』。
- ^ 『大乗院寺社雑事記』明応元年 (1492年) 8月28日条。同記は興福寺大乗院の門跡、尋尊の長禄3年 (1459年) から永正5年 (1508年) の50年間にかけての日記(1部門嗣である経尋のものを含む)。
- ^ 『大乗院寺社雑事記』同年5月19日条。
- ^ 『奈良県の地名』。
- ^ 『朝野群載』巻第16仏事上、天永4年4月日付「興福寺大衆牒」、及び同月18日付「石清水八幡宮護国寺牒」。
- ^ 『多聞院日記』文明10年 (1478年) 8月14日条に、舞殿に敷く薄縁(うすべり)の配分を廻って八条郷と東九条郷で相論が生じ、闘争に発展しそうであったために予定されていた猿楽を省いたとの記録がある。
- ^ a b c d e 『奈良市史 民俗編』。
- ^ 左座は仲野、武野、市川姓の家、右座は坂井、大西姓の家(『奈良市史 民俗編』、『奈良県史 民俗(上)』)。
- ^ a b 『奈良県史 民俗(上)』。
- 1 八幡神社 (奈良市東九条町)とは
- 2 八幡神社 (奈良市東九条町)の概要
- 3 祭神
- 4 境内
元石清水八幡宮
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「八幡神社 (奈良市東九条町)」の記事における「元石清水八幡宮」の解説
当神社が石清水八幡宮(男山八幡宮)の元宮であるとの伝承については、『七大寺日記』も石清水の井が現存することを以て「八幡石清水之根本(石清水八幡宮の根本)」であると述べているが、対する男山八幡宮はこれを否認しており、例えば天永4年(1113年)4月22日に南都七大寺が共謀してそれぞれの鎮守神の神輿を舁いで上洛、嗷訴に及ぶに際しては、興福寺の衆徒が男山八幡宮に対して元宮である大安寺八幡に従い神宝を具して参加するよう要求したところ、男山八幡宮は逆に男山から勧請したのが大安寺八幡宮であると反論し、従って嗷訴への参加を乞われる謂われは無いとこれを拒否している。また、京都府乙訓郡大山崎町にある離宮八幡宮は、男山八幡宮が創建される前年の貞観元年(859年)に創建されたとし、翌貞観2年(860年)に離宮八幡宮(当時の名称は「石清水八幡宮」)から淀川の対岸にある男山に八幡神が遷宮され、男山八幡宮が建立されたとしている。石清水八幡宮(男山八幡宮)創建の由来は様々あり、良くわからないのが実情である。
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