中野氏
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- 中野氏 (中野造) - 中野造の一族。百済国人の杵率答他斯智の氏族。
- 中野氏 (陸奥国四戸氏) – 陸奥国の南部藩、南部氏氏族で、南部一族・四戸氏の分流。拝領地 三戸郡中野村
- 中野氏 (陸奥国九戸氏) – 陸奥国の南部藩、南部氏氏族で、南部一族・九戸氏出身の中野康実を祖とする。拝領地 岩手郡東西中野村
- 中野氏 (出羽国) – 出羽国の戦国大名、最上氏氏族。
- 中野氏 (武蔵七党) – 武蔵国の豪族。武蔵七党の流れを汲む。
- 中野氏 (江戸氏族) – 武蔵国の江戸氏氏族。江戸氏十八支流のひとつとされる。拝領地 武蔵国多摩郡中野村
- 中野氏 (信濃国) - 信濃国の豪族。市河家文書も参照。
- 中野氏 (上野国) - 上野国の豪族。中野城 (上野国)も参照。
- 中野氏 (遠江国) - 遠江国の国人・井伊氏の支流。
- 中野氏 (尾張国) - 尾張国の一族。小豆坂七本槍の一人である中野一安(重吉)などがいる。
中野氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/05 05:24 UTC 版)
九戸政実の弟・高田吉兵衛康実が岩手郡東西中野村(現在の盛岡市中野)を南部信直より賜わり、これによって中野修理に改めた。しかし信直の子で南部氏27代・南部利直と不和になって毒殺されたとも、九戸落城で浪人した従弟・九戸連伊と歓談中に口論となり殺害された後、連伊は康実の息子に討ち取られた、とも言われている。連伊の弟・九戸伊実は落城時浪人したが、葛西大崎一揆に参加し蒲生氏との戦いで戦死した(『奥南落穂集』)。 その後も中野氏は八戸氏、北氏と共に南部家中で代々家老を務める「御三家」の一つとして続いた。6代当主の中野光康(吉兵衛)は、享保10年に18歳で藩主となった南部利視の後見人となった。文政元年(1818年)には南部藩の家格昇進を祝って八戸氏、北氏、南氏、東氏と共に嫡子嫡孫まで南部の称号を許された。
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