ペリフェリア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/07 01:31 UTC 版)
ペリフェリア(フランス語: Périphéria)は、フランスとスイスに本拠地を持つ映画製作会社である。スイス在住のふたりの映画監督ジャン=リュック・ゴダールとアンヌ=マリー・ミエヴィルが設立、経営していることで知られる。
来歴・概要
1989年から『ゴダールの映画史』の長大な作業に取り組むべく、「JLGフィルム」社が同作以外の一切の製作業務を停止したことから、翌1990年、ゴダールとミエヴィルによって設立、運営が開始された。設立第一作はゴダール監督の『ヌーヴェルヴァーグ』である。主演にゴダール映画初登場のアラン・ドロン、プロデューサーに『勝手に逃げろ/人生』以来、ゴダールのスターキャスティング映画に欠かせないアラン・サルド、撮影監督には『勝手に逃げろ/人生』以来10年ぶりのウィリアム・リュプチャンスキー。つづいて翌1991年、『アルファヴィル』(1965年)以来26年ぶりにエディ・コンスタンティーヌを主演に迎え、ロベルト・ロッセリーニ監督の『ドイツ零年』(1948年)を更新する戯画としての『新ドイツ零年』をゴダールの新作として製作。本作には、ヴィム・ヴェンダースの初期作に欠かせないドイツ人俳優ハンス・ツィシュラーが助演するほか、映画監督のロマン・グーピルとともにプロダクション・マネージャーとしても参加しており、ゴダールの古くからの盟友アンドレ・S・ラバルトも出演している。
1992年、「ペリフェリア」社は、ドイツで活動するストローブ=ユイレの新作『アンティゴネー』の共同製作に参加する。ジャン=マリ・ストローブもダニエル・ユイレも、ゴダールとはヌーヴェルヴァーグ以前、パリでのシネフィル時代からの旧知である。ジャック・リヴェット監督の『王手飛車取り』(1956年)に助監督としてつきもしたストローブが1958年のアルジェリア戦争への徴兵忌避のため亡命して以来、ふたりのキャリアはドイツで築かれた。その一貫した共同演出のスタイルは、絶えず「ゴダール=ミエヴィル」に刺激を与えつづけていたのだ。また、1995年には、『カイエ・デュ・シネマ』誌時代からのゴダールの旧知ジャン・ドゥーシェの教え子グザヴィエ・ボーヴォワ監督の第二作の共同製作に参加する。同作にはドゥーシェも『カイエ』元編集長のパスカル・ボニゼール監督も、ゴダールの『勝手にしやがれ』にも出演したジャン=ルイ・リシャールも出演している。
図ってか図らずもか、ヌーヴェルヴァーグあるいはそれ以前のパリの記憶に満ちた人脈との映画を、1990年代前半の「ペリフェリア」社は製作した。サラエヴォでの政治情勢に傾倒していくゴダールが撮った、たった2分の短篇に『たたえられよ、サラエヴォ』(Je vous salue, Sarajevo, 1993年)と命名する背景には、もっともヌーヴェルヴァーグらしいプロデューサーであったラウール・レヴィの存在がある。『ヌーヴェルヴァーグ』に主演したアラン・ドロンは、みずから製作・主演の映画『ボルサリーノ』(1969年)を自殺したレヴィに捧げ、『新ドイツ零年』に主演したエディ・コンスタンティーヌはレヴィが監督業に乗り出した第一作『二人の殺し屋』( Je vous salue, mafia !)に主演しているが、『Je vous salue, Sarajevo』は『Je vous salue, Marie』に続いてレヴィの遺した作品からタイトルを頂いたのである。
1990年代後半以降の「ペリフェリア」社は、ゴダール、ミエヴィルのソロ監督作、共同監督作を淡々とコンスタントに製作している。フランスとスイスの資本を利用しての合作を積極的に進め、アラン・サルド、ルース・ウォルドバーガーとの共同製作も軌道に乗っている。輪郭線、郊外などを意味する「ペリフェリア」の名にふさわしく、映画都市パリからもハリウッドからも遠く離れて、レマン湖畔の小村ロールに工房を構えるゴダール=ミエヴィルの現在の映画製作のスタイルがこの会社にはある。
フィルモグラフィー
- 監督クレジットのないものはゴダール監督作品、共同製作クレジットのないものは単独製作。
- 『ヌーヴェルヴァーグ』 Nouvelle vague (1990) 仏スイス合作、サラ・フィルム、カナル・プリュス、ヴェガ・フィルム,アンテーヌ2、テレヴィジョン・スイス=ロマンド、CNC、アンヴェスティマージュの共同製作
- 『新ドイツ零年』 Allemagne 90 neuf zéro (1991) 仏独合作、アンテーヌ2、ブレインストーム・プロダクション、ゴーモンとの共同製作
- 『アンティゴネー』 Die Antigone des Sophokles nach der Hölderlinschen Übertragung für die Bühne bearbeitet von Brecht 1948 (Suhrkamp Verlag) (1992) 監督ジャン=マリー・ストローブ/ダニエル・ユイレ 独仏合作、レジーナ・ツィグラー・フィルムプロデュクツィオン、ピエール・グリーズ・プロデュクション、HR、CNC、ストローブ=ユイレ社との共同製作
- 『たたえられよ、サラエヴォ』 Je vous salue, Sarajevo ビデオ映画 (1993)
- 『ゴダールの決別』 Hélas pour moi (1993) 仏スイス合作、レ・フィルム・アラン・サルド、テレヴィジョン・スイス=ロマンド、ヴェガ・フィルムとの共同製作
- 『フランス映画の2×50年』 Deux fois cinquante ans de cinéma français 1995年 監督アンヌ=マリー・ミエヴィル 仏英スイス合作、BFI、ラ・セット=ARTEとの共同製作(Peripheria Vega Film AG名義)
- N'oublie pas que tu vas mourir (1995) 監督グザヴィエ・ボーヴォワ 仏スイス合作、AFCL、ラ・セット・シネマ、ホワイ・ノット・プロデュクションとの共同製作
- 『フォー・エヴァー・モーツアルト』 For Ever Mozart (1996) 製作アラン・サルド、ルース・ウォルドバーガー 仏スイス合作、アッヴェントゥラ・フィルム、カナル・プリュス、ローヌ=アルプ欧州映画センター、CNC、DFI、ユーリマージュ、フランス2、ローヌ=アルプ・フィルム、テレヴィジョン・スイス=ロマンド、ヴェガ・フィルムとの共同製作(Peripheria Vega Film AG名義)
- 『わたしたちはみんなまだここにいる』 Nous sommes tous encore ici 1997年 監督アンヌ=マリー・ミエヴィル 仏スイス合作、レ・フィルム・デュ・ローザンジュ、ヴェガ・フィルム、レ・フィルム・アラン・サルド、カナル・プリュス、テレヴィジョン・スイス=ロマンドとの共同製作
- 『そして愛に至る』 Après la réconciliation 2000年 共同監督アンヌ=マリー・ミエヴィル 仏スイス合作、アッヴェントゥラ・フィルム、カナル・プリュス、CNC、DFI、フォンダシオン・ヴォードワーズ(ヴォー州基金)、テレヴィジョン・スイス=ロマンド、ヴェガ・フィルムとの共同製作
- 『愛の世紀』 Éloge de l'amour 2001年 製作アラン・サルド、ルース・ウォルドバーガー 仏スイス合作、アッヴェントゥラ・フィルム、カナル・プリュス、レ・フィルム・アラン・サルド、テレヴィジョン・スイス=ロマンド、ヴェガ・フィルム、ARTEフランス・シネマとの共同製作
- 『自由と祖国』 Liberté et patrie ビデオ映画 2002年 共同監督アンヌ=マリー・ミエヴィル スイスの映画、ヴェガ・フィルムとの共同製作
- 『アワー・ミュージック』 Notre musique 2004年 仏スイス合作、アッヴェントゥラ・フィルム、レ・フィルム・アラン・サルド、フランス3、カナル・プリュス、テレヴィジョン・スイス=ロマンド、ヴェガ・フィルムとの共同製作
関連項目
- AJYMフィルム - クロード・シャブロルの製作会社
- レ・フィルム・デュ・キャロッス - フランソワ・トリュフォーの製作会社
- レ・フィルム・デュ・ローザンジュ - エリック・ロメールとバルベ・シュレデールの創業した製作会社
- アヌーシュカ・フィルム - ゴダールとアンナ・カリーナが設立した製作会社
- ジガ・ヴェルトフ集団 - ゴダールとジャン=ピエール・ゴランが中心になって活動した映画作家集団
- ソニマージュ - ゴダールとミエヴィルが設立した製作会社
- JLGフィルム - ゴダールが設立した製作会社
外部リンク
- Périphéria, Peripheria - IMDb (英語)
- Peripheria Vega Film AG - IMDb (英語)
ペリフェリア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 06:05 UTC 版)
「ギリシャの地方行政区画」の記事における「ペリフェリア」の解説
ペリフェリア(περιφέρεια / periféria、複数形: ペリフェリエス περιφέρειες / periféries ; 英: region) は、ギリシャの広域自治体である。日本語では「地方」と訳されるほか、「広域行政地域」や「地域」、「州」が用いられることがある。 ペリフェリア知事(περιφερειάρχης / periferiarchis)とペリフェリア議会(περιφερειακό συμβούλιο / periferiako symvoulio)は、通常5年ごとに選挙を行う。 ペリフェリアは13(本土に9、島嶼部に4)あり、これは「カリクラティス改革」前と変わっていない。下表の番号は、右の地図の番号(英語表記アルファベット順)と一致している。また「綴り」の欄のギリシャ文字表記はギリシャ語版ウィキペディアの当該項目にリンクしている。人口は2001年国勢調査による。 行政区名綴り州都面積 (Km²)人口1 アッティカ(アッティキ) ΑττικήAttikí アテネ 3,808 3,761,810 2 チュウオウギリシャ中央ギリシャ Στερεά ΕλλάδαStereá Elláda ラミア 15,549 605,254 3 チュウオウマケドニア Kentriki Makedonia中央マケドニア Κεντρική ΜακεδονίαKentrikí Makedonía テッサロニキ 18,811 1,872,370 4 クレタ(クリティ) ΚρήτηKríti イラクリオン 8,336 601,131 5 ヒガシマケドニア東マケドニア・トラキア Ανατολική Μακεδονία και ΘράκηAnatolikí Makedonía kai Thráki コモティニ 14,157 611,067 6 イピロス ΉπειροςÍpiros ヨアニナ 9,203 353,820 7 イオニア諸島 Ιόνια νησιάIónia nisiá ケルキラ 2,307 212,984 8 キタエーゲ北エーゲ Βόρειο ΑιγαίοVório Egéo ミティリーニ 3,836 206,016 9 ペロポネソス(ペロポニソス) ΠελοπόννησοςPelopónnisos トリポリ 15,490 638,942 10 ミナミエーゲ南エーゲ Νότιο ΑιγαίοNótio Egéo エルムポリ 5,286 302,686 11 テッサリア ΘεσσαλίαThessalía ラリサ 14,037 753,848 12 ニシギリシャ西ギリシャ Δυτική ΕλλάδαDitikí Elláda パトラ 11,350 740,351 13 ニシマケドニア西マケドニア Δυτική ΜακεδονίαDitikí Makedonía コザニ 9,451 301,539
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