デュフェイ (Dufay, Charles Francois Cisternay)
デュフェイという人は
フランスの名家に生まれる。軍や教会の上層部につながりを持つ父にフランス科学アカデミー専任化学者の職を用意してもら う。職に就くなりすばらしい能力を発揮した。1732年、王室植物園の監督官に就任する。
デュフェイの主な経歴
1733年、金属にも摩擦電気が発生することを発見する。グレイの実験を耳にして自分でも実験を行ったところ、摩擦によって電気を帯びる物質は琥珀やガラスなどのいわゆる絶縁体のみにあらず、金属のような導体にも摩擦電気が発生することを発見した。 金属の場合は摩擦電気を発生させても導体であるがため電気が逃げてしまう。そこで、絶縁の柄をつけた金属棒を摩擦し帯電を確認した。 帯電する物質とそうでない物質はギルバートによって分類されていたがデュフェイのこの実験によって修正された。
1734年、二種電気説の提唱。摩擦の実験を続けるうちに2種類の電気があることに気づく。琥珀を摩擦した場合の電気とガラスを摩擦した場合の電気であり、前者を樹脂電気、後者をガラス電気と命名し、 同種電気は反発し、異種は引き付けあうという仮説を発表する。 これら2種の電気による反発、吸収の実験を繰り返すうちにデュフェイは次のように考えるようになる。 「絶縁体の中ではいたるところに2種の電気流体が等量で存在しており、お互いが自由に動くことができない。 導体では2種の電気がいずれも自由に動くことができる。帯電とは摩擦によって2つの電気が分離する現象である。」
ギルバートがエレクトリックという言葉を使ってから100年以上の時を経て、ようやくここまでたどりついた。 デュフェイのこの考えはシーマーにつながっていく。 この反発、吸収の実験にデュフェイは金箔を使っており、すでに検電器の原理に入っていた。 後にフランクリンによって樹脂電気は陽電気に、ガラス電気は陰電気に改名されることになる。
デュフェイ
シャルル・フランソワ・デュ・フェ
(デュフェイ から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/20 07:58 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。2012年4月) ( |
シャルル・フランソワ・デュ・フェ(Charles François de Cisternay du Fay、1698年9月14日 – 1739年7月16日[要出典])はフランスの化学者である。パリ植物園の監督官を務めた。電気に2つの極性があることを提唱したことで知られる。
パリに軍人の家系に生まれた。1729年にロンドン王立協会のフェローに選出された[1]。1732年にパリ植物園の監督官に任じられた。1733年に、封ろうもガラス棒も摩擦すれば帯電するが、これらが別の電気(électricité résineuse:樹脂電気とélectricité vitreuse:ガラス電気)であることを主張した。導体と絶縁体の違いについて述べ、同極に帯電した物体が反発し合い、異極に帯電した物体が引き合うことを発見した。たとえばスティーヴン・グレイのように物体の電気的性質がその色に関係するというような、帯電に関する誤解をといた。デュ・フェの観察結果は1733年12月に報告され、翌年の王立協会のフィロソフィカル・トランザクションズで刊行された。
出典
- ^ "Fay; Charles Francois de Cisternay Du (1698 - 1739)". Record (英語). The Royal Society. 2012年4月1日閲覧。
外部リンク
- Two Kinds of Electrical Fluid: Vitreous and Resinous, du Fay 1733
固有名詞の分類
- デュフェイのページへのリンク