キハ3
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1930年(昭和5年)に佐久鉄道のキハホニ56として日本車輌製造で製造された気動車。その後買収国有化を経て三岐鉄道キハ6となり、1959年(昭和34年)12月に別府鉄道に入線した。この車両もバケットカーとして注目され、廃止時まで使用された。現在はキホハニ56に復元のうえ、長野県佐久市の成知公園に保存されている。
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キハ3
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1954年6月汽車製造会社東京製作所製の機械式ディーゼル動車。汽車製造製としては戦後唯一の私鉄向け762mm軌間用気動車である。エンジンとしていすゞDA45を搭載し、1台車2軸駆動で、第1動軸と第2動軸はチェーンで結ばれている。前身は遠州鉄道奥山線キハ1803で、1964年11月1日の同線廃止後譲受し、塗装を変更の上で切抜文字の車番の上3桁に当たる「180」の部分を塗りつぶし、そのすぐ上に「キハ」の文字を書き込んだ。またヘッドライトを自動車用の小型の物に換装、連結器も奥山線時代の自動連結器から朝顔形連結器に換装した。尾小屋での竣工後しばらくはDA45搭載のままで使用されていたが、これも床中央部を大きく持ち上げて民生デイゼルUD3に機関を換装している。これに伴い、前面下部両側にあったラジエーターを床下のエンジンの隣に移設している。廃線後は石川県立尾小屋鉱山資料館改め小松市立ポッポ汽車展示館で動態保存されており、車番は片側の前面と側面のみ遠鉄時代の1803に戻されている。2012年には、遠州鉄道発足70周年記念事業として2年間限定で塗装を奥山線時代のマルーン1色に変更しており、前面はヘッドライトを大型の物に交換し自動連結器の解放てこやラジエーターのグリルを復元。車内も塗装を晩年のクリーム色から奥山線時代の青緑色に変更、青いビニールの座席モケットを外し奥山線時代の緑のビロード地のモケットに復元した。2015年には再度塗装が変更され、屋根上のベンチレーターやヘッドライトステーは残し、運転台上の「キハ3」の表記がない1970年ごろの状態を再現している。この塗装も1年間限定で、その後はベンチレーターやヘッドライトステーを撤去して尾小屋鉄道時代末期の姿へ復元する予定である。
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