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フィリピン・ミスチーフ礁と米軍基地問題 -海兵隊がいなくても島は取られないかも- 【短評】
普天間基地問題において、よく聞くのが、【普天間基地が撤退したら、日本は中国に領土である島嶼を占領されてしまう】というものです。
もちろん論者によってニュアンスは違うのですが、その際よく持ち出されるのは、「ミスチーフ環礁」の件です。要するに、フィリピンから、米軍の海軍・空軍基地を撤退させたとたんに、中国がフィリピン近くにあったミスチーフ環礁を占拠したという事件です。日本も二の舞じゃね、という主張のようです。なるほど大変です。
背景には、「1995年まで,南シナ海での衝突は,いずれも中国とヴェトナムによるものだった.だから大半の西側アナリストは,中国政府は南シナ海での軍事行動を,当時,国際社会で孤立状態にあったヴェトナムだけに限定していると思いこんでいたのだった」というのがあるそうで (注1)。
でも、なんだか気になります。米軍撤退がそのまま、中国による環礁占拠につながるのでしょうか。実際、もしこの場所が軍事的要衝なら、アメリカから奪還協力要請を、「スプラトリー諸島は同条約の範囲外であるとして,これを断ら」れてしまうようなことはないはずなのです(同上)。一回検証してみましょう。
Wikipediaには、「1995年に中国は、フィリピン海軍がモンスーン期でパトロールをしていない時に、ここに建築物を建造した」とあります(英語版wiki:"In 1994, the PRC built initial structures on stilts here while the Philippine Navy wasnot patrolling the area due to a monsoon season.") (注2)。ニュースソースとして、Wikipediaは適当ではないかもしれませんが、攻め落とされたとか、そういったことではなく、パトロール中の隙をついて占領した、というのが実情のようです。まさか、そんなのはウソのような気もします。
では、黄岩島での事例を検証してみましょう (「黄岩島 - Wikipedia」を参照)。
「1997 年4月30日、フィリピンの二人の衆議院議員が軍艦に乗って黄岩島に上陸、旗と碑を立てて、中国漁民の妨害と威嚇を行な」い、「1999年6月、フィリピン教育部は新しい地図に黄岩島と南沙諸島を版図へ入れた。8月、フィリピン政府は「南沙諸島はフィリピン領土」である旨の憲法改正によって領土拡張を試み」、「2000 年、フィリピン海軍が中国漁船船長を1名射殺」と、フィリピンは随分、中国に立ち向かっています。これを知ったら、日本の中国嫌いの人たちもさぞかしお喜びのはずです。
少なくとも、フィリピンは2000年くらいまでは、中国に対しては、行動的態度で一応は応対していたようです。となると、「フィリピン海軍がモンスーン期でパトロールをしていない時に」占領したという説も、間抜けなように聞こえますが、フィリピンがすくなくとも2000年当時、中国にある程度まで伍していたということになるわけですから、なんだか本当のように聞こえてしまいます。
ここから推察されるのは、アメリカ海軍云々はそれほど関係ないのであって、ミスチーフ環礁の件は、むしろフィリピン側の対応不足と読むべきなのだろうと思います。実際、この島が奪われたのは、「1995年1月、中国軍がパラワン島沖にあるフィリピンの主要石油埋蔵地から150マイル足らずのスプラトリー諸島にあるミスチーフ環礁からフィリピン漁民を追い払い」 とあるように、艦船同士の衝突等とは関係ない状況で起こったと思われるからです (注3)。
この問題は、米国の撤退のことよりも、フィリピン側の防衛・監視体制の不備が原因です。黄岩島を見ると、おそらく、米軍とフィリピン軍の「引継ぎ」不足こそ原因と見るべきでしょう。米国の基地撤退ももちろん一つの遠因ではありますが、それ以上に、重要な要衝である(はず)の場所に対するフィリピン側の防衛体制の甘さに、最大の要因があるでしょう。
極論を言うなら、現在の中国がしているような、ミスチーフ環礁の「要塞化」ぐらい検討すべきだったのだと思います。本当に取られたくなかったなら、財政難でもそうするべきだったでしょう。もっとも、当時「大半の西側アナリストは,中国政府は南シナ海での軍事行動を,当時,国際社会で孤立状態にあったヴェトナムだけに限定していると思いこんでいた」ようなので、中国に他国が警戒を怠らない(はず)の現今には、ミスチーフ環礁の件は、あまり事例として使えないような気もします。あの時とは違い、みんな中国を警戒している、という違いがあるのです。
ともあれ。教訓は、①米軍基地撤退の際はきちんと期間を設けて軍事的引継ぎをすること、②本当に重要な島嶼は緊密な監視(場合によっては要塞化)が必要であること、です。ミスチーフ環礁の件は、【米軍基地撤退絶対ダメ】という教訓よりも、【撤退する前に準備はキチンとねッ d(・∀・*)】という教訓がふさわしいでしょう。
結論:普天間の問題と、当時のフィリピンでの基地の問題とは、結びつきの薄い問題です。①当時と現在との中国に対する警戒の度合が異なること、②後者の場合、米軍の存在というよりも、フィリピン側の警戒が甘かったのが原因であること、以上2つの理由です。
(注1)項目「中国海軍」『軍事板常見問題&良レス回収機構』様を参照。
(注2)「ミスチーフ礁 - Wikipedia」を参照。
(注3) 「うみのバイブル第3巻」『日本財団図書館』様。
なお、拙稿よりもずっと早く、中国のミスチーフ環礁占領に対する俗説に対して、批判したものが存在します。「安易な「米軍基地撤退後のフィリピン」を真に受ける無知なテレビ評論家たち」(『いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」』様)です。是非、ご参照ください。
(追記) 「本当に重要な島嶼は緊密な監視(場合によっては要塞化)が必要である」と書きましたが、この点をきちんと説明したものとして、「井上孝司の Defense Column~ 日本に CTOL 空母が必要か?」があります。曰く、
2010/10/17 題名含め、改訂
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もちろん論者によってニュアンスは違うのですが、その際よく持ち出されるのは、「ミスチーフ環礁」の件です。要するに、フィリピンから、米軍の海軍・空軍基地を撤退させたとたんに、中国がフィリピン近くにあったミスチーフ環礁を占拠したという事件です。日本も二の舞じゃね、という主張のようです。なるほど大変です。
背景には、「1995年まで,南シナ海での衝突は,いずれも中国とヴェトナムによるものだった.だから大半の西側アナリストは,中国政府は南シナ海での軍事行動を,当時,国際社会で孤立状態にあったヴェトナムだけに限定していると思いこんでいたのだった」というのがあるそうで (注1)。
でも、なんだか気になります。米軍撤退がそのまま、中国による環礁占拠につながるのでしょうか。実際、もしこの場所が軍事的要衝なら、アメリカから奪還協力要請を、「スプラトリー諸島は同条約の範囲外であるとして,これを断ら」れてしまうようなことはないはずなのです(同上)。一回検証してみましょう。
Wikipediaには、「1995年に中国は、フィリピン海軍がモンスーン期でパトロールをしていない時に、ここに建築物を建造した」とあります(英語版wiki:"In 1994, the PRC built initial structures on stilts here while the Philippine Navy wasnot patrolling the area due to a monsoon season.") (注2)。ニュースソースとして、Wikipediaは適当ではないかもしれませんが、攻め落とされたとか、そういったことではなく、パトロール中の隙をついて占領した、というのが実情のようです。まさか、そんなのはウソのような気もします。
では、黄岩島での事例を検証してみましょう (「黄岩島 - Wikipedia」を参照)。
「1997 年4月30日、フィリピンの二人の衆議院議員が軍艦に乗って黄岩島に上陸、旗と碑を立てて、中国漁民の妨害と威嚇を行な」い、「1999年6月、フィリピン教育部は新しい地図に黄岩島と南沙諸島を版図へ入れた。8月、フィリピン政府は「南沙諸島はフィリピン領土」である旨の憲法改正によって領土拡張を試み」、「2000 年、フィリピン海軍が中国漁船船長を1名射殺」と、フィリピンは随分、中国に立ち向かっています。これを知ったら、日本の中国嫌いの人たちもさぞかしお喜びのはずです。
少なくとも、フィリピンは2000年くらいまでは、中国に対しては、行動的態度で一応は応対していたようです。となると、「フィリピン海軍がモンスーン期でパトロールをしていない時に」占領したという説も、間抜けなように聞こえますが、フィリピンがすくなくとも2000年当時、中国にある程度まで伍していたということになるわけですから、なんだか本当のように聞こえてしまいます。
ここから推察されるのは、アメリカ海軍云々はそれほど関係ないのであって、ミスチーフ環礁の件は、むしろフィリピン側の対応不足と読むべきなのだろうと思います。実際、この島が奪われたのは、「1995年1月、中国軍がパラワン島沖にあるフィリピンの主要石油埋蔵地から150マイル足らずのスプラトリー諸島にあるミスチーフ環礁からフィリピン漁民を追い払い」 とあるように、艦船同士の衝突等とは関係ない状況で起こったと思われるからです (注3)。
この問題は、米国の撤退のことよりも、フィリピン側の防衛・監視体制の不備が原因です。黄岩島を見ると、おそらく、米軍とフィリピン軍の「引継ぎ」不足こそ原因と見るべきでしょう。米国の基地撤退ももちろん一つの遠因ではありますが、それ以上に、重要な要衝である(はず)の場所に対するフィリピン側の防衛体制の甘さに、最大の要因があるでしょう。
極論を言うなら、現在の中国がしているような、ミスチーフ環礁の「要塞化」ぐらい検討すべきだったのだと思います。本当に取られたくなかったなら、財政難でもそうするべきだったでしょう。もっとも、当時「大半の西側アナリストは,中国政府は南シナ海での軍事行動を,当時,国際社会で孤立状態にあったヴェトナムだけに限定していると思いこんでいた」ようなので、中国に他国が警戒を怠らない(はず)の現今には、ミスチーフ環礁の件は、あまり事例として使えないような気もします。あの時とは違い、みんな中国を警戒している、という違いがあるのです。
ともあれ。教訓は、①米軍基地撤退の際はきちんと期間を設けて軍事的引継ぎをすること、②本当に重要な島嶼は緊密な監視(場合によっては要塞化)が必要であること、です。ミスチーフ環礁の件は、【米軍基地撤退絶対ダメ】という教訓よりも、【撤退する前に準備はキチンとねッ d(・∀・*)】という教訓がふさわしいでしょう。
結論:普天間の問題と、当時のフィリピンでの基地の問題とは、結びつきの薄い問題です。①当時と現在との中国に対する警戒の度合が異なること、②後者の場合、米軍の存在というよりも、フィリピン側の警戒が甘かったのが原因であること、以上2つの理由です。
(注1)項目「中国海軍」『軍事板常見問題&良レス回収機構』様を参照。
(注2)「ミスチーフ礁 - Wikipedia」を参照。
(注3) 「うみのバイブル第3巻」『日本財団図書館』様。
なお、拙稿よりもずっと早く、中国のミスチーフ環礁占領に対する俗説に対して、批判したものが存在します。「安易な「米軍基地撤退後のフィリピン」を真に受ける無知なテレビ評論家たち」(『いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」』様)です。是非、ご参照ください。
(追記) 「本当に重要な島嶼は緊密な監視(場合によっては要塞化)が必要である」と書きましたが、この点をきちんと説明したものとして、「井上孝司の Defense Column~ 日本に CTOL 空母が必要か?」があります。曰く、
なお、【普天間基地が撤退したら、日本は中国に領土である島嶼を占領されてしまう】という議論ですが、フィリピンの場合、撤退したのは「米軍の海軍・空軍基地」なんですよね。海兵隊の基地は、じゃあ不要ってことですかね。どうなんでしょ。「尖閣諸島に対する中国の軍事力行使が心配だというのなら、空母なんぞ建造するよりも、九州や沖縄の基地に弾薬やスペアパーツを大量に事前集積しておき、緩急あるときには本土の基地から戦闘機と人員だけ派遣できるようにすればよい。いわゆる「不沈空母」の発想だ。」
2010/10/17 題名含め、改訂
さらに中国にとって日本はフィリピンよりはるかに邪魔。
おまけに言うなら日本には九条があるので仮に中国が何か行動した場合に対抗するのが難しい。
当然中国の支援を受けている朝鮮総連も平和を名目にいろいろな運動を起こすだろう。中国がその程度のことすらやらないと思っているならあんたの知能が低いと考えざるを得ない。
米軍の存在が気に入らないのは同感だが、米軍を撤退させるには条件が足りなすぎるよ。
最低でも憲法改正と朝鮮総連の解体、幹部の国外追放、在日中国人の行動の把握程度は必要。