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英語圏のガイドブックにおけるグアムの記述の「正しさ」 山口誠『グアムと日本人』(2)
タモン湾のビーチには、日本軍が玉砕したトーチカ(防御陣地)の跡があります。これは、太平洋戦争における日本軍とアメリカ軍との対決の痕跡です。(トーチカの写真と説明としては、「戦争と楽園」(『城戸朱理のブログ』様))を、参照すべきです。)現在、リゾート・ホテルが建ち並ぶタモン湾のビーチに点在する黒い「石の小山」は、そこで日本兵が玉砕したトーチカの跡であり、それは「大宮島」の生々しい記憶である。 (20頁)
1941年に真珠湾攻撃からすぐ日本軍は軍事的要衝・グアム島を攻撃し、やがて占領します。1944年にアメリカ軍が奪還するまで、グアム島は「大宮島」と呼ばれました。実はグアムは、敵に占領された唯一の米国領土です。そして奪還後グアム島は、日本への爆撃の拠点となります。現在でもグアム基地は、アメリカの軍事的要衝として機能しています。
ビーチに点在するこの「石の小山」は、まさに、日米の戦いを象徴する存在です。しかし、これが何であるのか、観光客の中で知る人はほとんどいないでしょう。「大宮島」と「南の楽園」とを結ぶ記憶の回路は、未だに乏しいのが現状です。
ちなみに、タモン湾の日本軍のトーチカと、今ある挙式用の「日本人のための教会」には共通点があるそうです。どちらも、「眺めが良いポイントを好む」といいます。ゆえに双方は互いに、近い場所にあります。見晴らしのよさという点が、この相容れない二つの存在を結び付けています。
■横井庄一氏のグアム新婚旅行■
横井夫妻とは、横井庄一氏とその妻・美保子さんを指します。横井夫妻の新婚旅行は、日本人観光客の増加を期待した観光関係者たちによる、グアム観光キャンペーンだった。 (40頁)
横井庄一氏は1941年に太平洋戦争のため再召集され、44年にグアム島(当時、大宮島)の歩兵連来の伍長として配属されます。グアムで戦死した事になっていましたが、実はグアムに残って戦っていました。日本の降伏を知らぬまま、ジャングルで生活することとなります(仲間と一緒にいましたが、仲間割れしたり、亡くなったりしたようです)。派遣から28年後の1972年、地元の猟師が発見し、帰還します。その後に、横井さんは美保子さんと結婚し、新婚旅行にグアムへ行ったのです。
この旅行の費用は、グアム観光関連の企業が支払いました。さらに夫妻へのギャランティーも発生したといいます。まさに、横井夫妻の新婚旅行は、タイアップによる観光PRそのものだったわけです。当時既に起きていたグアムへの新婚旅行ブームのさ中に、横井夫妻はいました。
ただし、横井氏も単純にこのPRの看板になっていたのではありませんでした。本書によると、旅行中のスケジュールに、グアムの亡き戦友たちの墓参りをする予定が入っていなかったため、横井氏は抗議したといいます。
■本書をガイドブックとともに携帯すべき理由■
日本語で書かれたガイドブックでは、グアム島の歴史が徐々に削除されていく一方、ますます商業的観光に即したものになっていきました。これが資本主義の持つ必然だ、というふうに本書を途中まで読んでいたのですが、実は海外のガイドブックは違うということが、本書の終わりごろに書いてあります。グアム現地で流通しているガイドブックや英語圏で出版され世界中で流通しているガイドブックでは、様相は全く異なる。 (150頁)
地元のものは無論のこと、英語圏で流通しているガイドブックには、きちんとグアムの歴史を記入してあるのです。グアム島の当事者たちが、英語圏のガイドブックを読むという可能性があるのに対し、日本語でのガイドブックを読む可能性が低い、という事情もあるでしょう。
また、次のようにも考えられます。グアム島の観光客の大半が日本人です。英語圏の人々がグアム島のガイドブックを見るのは、比較的少数であって、グアムに対して非商業的興味(例えば学術的・学習的興味)をもっているためではないか。対して、日本人がガイドブックを見るのは、大多数ゆえに、商業・観光的な興味があるからではないか。このような、人数と興味の違いが原因とも考えられます。しかし、
日本語で書かれたガイドブックに関するこのような記述を見ると、さすがに弁護しきれません。これは、観光する人間に対する裏切りそのものでもあります。こんな【情けない】日本語のガイドブックだからこそ、グアム旅行の際は本書も携帯していただきたいのです。(なお著者は、有料のタモン湾近辺のビーチよりも、レンタカーを借りて無料の公共ビーチを訪れる方がいいとの見解です。)カタログ型ガイドブックは無料の公共ビーチよりも有料のプライベート・ビーチを大きく紹介し、また前者を否定的に描写することで、グアムの商品化を積極的に推進している (144頁)
(追記) 本書は、グアムの具体的なことも書いています。例えば、グアムのタモン湾は、さんご礁が浜辺近くまで迫っているので、靴を履いて泳がないと足を切る、ということが書かれています。もっと早く読んどけばよかったです。
(了)
グアムでポリネシアンダンスという不可思議 山口誠『グアムと日本人』(1)
■日本人が知らないもう一つのグアム■
タモン湾とは、グアム島中部の湾で、日本人観光客のほとんどは、この周辺を観光します。その外には、ほとんどの人は出ません。ここで、停電も断水も起こらないのは、この場所が島経済にとって重要な場所だからです。タモン湾のホテル地区には、停電も断水もない。島経済の約七割を稼ぎ出す同地区だけは優先的にインフラが整備されている (p,iii)
島の他の場所、つまり一般の島民の暮らす場所は、どうなのでしょうか。グアム島の他の場所、日本人観光客が訪れない場所では、断水がよく起こります。特に日本の観光客がやってくるシーズンには、頻発します。観光客の泊まるホテルが、水を奪い、水道から水が出でなくなるのです。
また、台風などの影響でインフラがストップするという影響もあります。死者が出たケースもあります。しかしグアム行政は、金を落とす日本人観光客のために、タモン湾周辺に予算を費やすばかりで、その分、それ以外の地域に還元されないままになっているのが現実です。これを「搾取」と表現するのはいいすぎでしょうか。
人的なものも含むインフラ不足によって、島から人は逃げ出しています。例えば、高齢者たちは、不十分な医療しかない島を出て、フィリピンやアメリカ本土へ移り住まざるをえないそうです。グアム島は、人が死ねない島となっているのです。公立学校の教員に支払う公的資金も、病院を増設する公共政策もなく、電気や水道を供給するインフラさえ自力で整備できないほど貧しい島から、人々が逃げ出している。 (163頁)
さらに、島の経済を支える観光収入も、収入を得ているのは外資の企業であって、多くは海外へ流出します。このような経済形態は、まさに「植民地」といえるでしょう。(注1)タモン湾で日本人観光客が落とす金は、ホテルや免税店を経営する母体企業が存在する海外へと流出してしまうため、グアムを素通りして、現地社会に十分には還元されない。 (160頁)
にもかかわらず、日本の観光客のほとんどは、グアムの現地住民の現状を、知らずに帰国するのです。これは本書の著者自身もそうだったのであり(詳細は本書あとがきを参照)、ここにこうして偉そうにつづる人間もまた同じことです。
日本人の知らない現実のグアムと、日本人がイメージする「南の楽園」グアムとのギャップ。本書は、この二つの回路を組み上げるための書なのです。
■グアムのポリネシアンダンス■
グアムなのにハワイアン音楽にアロハシャツ、そしてハワイ風ビーチ。グアムなのに、グアムとは無関係なタヒチ人によるポリネシアン・ダンス。現地の人にとってはミスマッチだけど、日本人には気づかれない。ここにも両者の認識のギャップがあります。(注2)ハワイアン音楽が流れ、アロハシャツを着た従業員(多くはグアムのチャモロ人ではなくフィリピン人の労働者)が働いていた。日系ホテルは、建築の時に伐採したグアムの椰子林のかわりに、グアムの外から持ち込まれたワイキキ風のビーチ・パラソルとデッキ・チェアを浜辺に置き、ワイキキ風の椰子を道なりに植樹した。 (111頁)
しかも、ホテルで働く従業員の多くは、グアム原住民のチャモロ人ではなく、フィリピン人です。フィリピン人の労働者の他には、他の島の出身者が、ホテルの労働者として雇われます。彼らは、低賃金で雇えるため、経営コストを落とすことができます。この分、日本の旅行者は格安で旅行できる、というわけです(175頁)。
一方、チャモロ人たちは、グアムにある米軍基地で働いています。島の面積のうち3分の1を、アメリカ軍用地が占めています。基地関連の産業からの収入と政府からの補助金は、観光と並んで重要な島の経済基盤となっています。
80年代に基地が縮小したため、観光に比べその位置づけは低くなったものの、現在でも島経済を支える柱であるのは変わりません。実質的に米国の「植民地」であるのに、親米的といわれるのは、こうした経済的恩恵が大きいと思われます。(注3)
(注1) グアム島は、経済的にだけでなく、政治的にも「植民地」といえます。
1950年にやっと、グアム自治法が制定され、グアムは「未編入領域」となります。あくまで、アメリカ合衆国の「準州」であり、大統領選挙の参政権はなく、合衆国議会の下院でも、本会議での議決権はありません。税金を支払っているのに、選挙権がない。「代表なくして課税なし」が、合衆国の独立の原因ではなかったのでしょうか。この辺どういう感覚で、合衆国はこの措置を正当化しているのでしょうか。
(注2) ポリネシアは、「サモア・ツバル・トンガ等を含むエリア」であり、一方、ミクロネシアは「パラオ・ミクロネシア連邦・ナウル・マーシャル諸島・キリバスのギルバート諸島地域と、マリアナ諸島・ウェーク島で Guamはマリアナ諸島の一部」という主張を、「何故かGuam その6(オプション編)」(『welcome to field』様)という記事が、されています。ミクロネシアとポリネシアは、違う地域なのです。
(注3) 「日本からの観光客は、米国の植民地に作られた、日本人向けの仮想リゾート地で楽しんでいることになる。沖縄が微妙に重なって見えるのは私だけか」と、『読書日記』様の2007/11/07付けの記事には、書かれています。この書評は、きちんとまとまっているので必読です。
米国基地と「南の楽園」イメージを売りにする観光という共通点があるのは、事実です。多田治『沖縄イメージの誕生』や『沖縄イメージを旅する』等の著作を読めば、瞭然としています。
しかし、より着目したいのは、沖縄の基地移転問題において、グアム側の基地事情が日本のメディアによって考慮されることがないという点です。同じような構図を問題として抱える二つの島ですが、その立場の違いに、より明敏になる必要があるように思います。
(続く)
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