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February 15, 2006

囲まれているのはそっちだろう。-----今井ブログの出来事を見て。

唐突な話から入る。

今年は雪がひどかったが、そのひときわ激しいときに、スキーに行った。スキー場にある、セミビュッフェ形式のレストランは食事を待つスキー客で、ごったがえしていた。そのうち異変に気がついた。いくらなんでも遅すぎる。いつまで待っても列が進まない。不思議に思って前のほうを見ると、スタッフがほとんどいない。アルバイトも当日ゲレンデまで上ってくることが出来なかったのかもしれない。100人近くいる客への食事の対応を、ほとんど1人の女の子がやっている。さばききれないのは明らかだ。かなり大変なことになってきている。彼女は熟練者のようだが、それでも追いつくものではない。動きの悪い新人風の男の子に苛立たしげに指示を飛ばすが、不慣れなようで彼はあまり役に立たない。客の列がざわつき始めた。これではいつになったら食べられるかわからない。
これは誰かがそのうち文句を言うかと思ったが、意外なことに、誰も文句を言うものはいない。みな、ただ気の毒そうに1人で奮闘する女の子を眺めて、じっと進まない列に並んでいる。
見たところは気の短そうなあんちゃんも多く、すぐにキレる最近の若者というイメージとはちょっと違う。へーと思った。

若年層の正社員採用がほとんどない世の中である。もしかしたら、同じような経験をしたことがあるのかもしれない。じっとトレイを持ったまま辛抱強く待っている若者の集団に「みんな意外に優しいなあ」などと思ってしまった。

日本人は優しいのではないか、と思うことがよくある。それに辛抱強い。大したものだと思うのは、ハプニングがあったときにも、そう簡単に声を荒げることはない。もちろん例外はいるが。多くの場合、辛抱強く待ち、時にはそのトラブルの主に何とか手を貸せないものかと思案していたりする。外国人がみな優しくないなどと言う気は毛頭ないが、老若問わず、耐えて方向を探る国民性なのだろうなあと思う。もちろんこれも良し悪しなのだが。

さて、しかし。しかしである。話は甘いままでは終わらない。

互いに顔が見え、年がわかり、互いの困難が見える範囲で優しい国民性も、匿名になったとき優しいままでいるとは限らないようだ。以前に狂言の「月見座頭」について書いたことがあるが、昨日まで優しかった良識ある人々も、匿名の暗闇の前では姿を一変させるのだろうか。

イラク人質事件の人質の1人で、日本中を「騒がせた」今井紀明君のブログ「今井紀明の日常と考え事」がひどいことになっていると聞いた。人質事件の際に彼に寄せられたほとんどが匿名の、ほとんどが誹謗中傷に属す手紙を、彼がブログで公開したことが発端である。たちまち名前のない数千人が(と見える)押し寄せて、またぞろあの時の話を蒸し返して彼をこっぴどくなじり倒した。
中傷の手紙は当時のものだが、それに刺激されて押し寄せている者たちの言っていることは、ほとんどあの時と変わらない。いわく「自作自演」。いわく「目が気持ち悪い」。いわく「税金泥棒。金を返せ」。いわく「政府と小泉首相に謝れ」。さらには、無名とは言え手紙の持ち主にことわらずに公開したことは著作権侵害ではないかとか、死ねとか出て行けとか、まあ云々云々。

彼らの行動が軽率であったことには、ほとんどの人は賛成するだろう。混乱したとは言え、あの状況で早期に家族が自衛隊撤退要求をしたことも、まずかった。特定の党派と結びつけられ、よくもまあこれだけ人をなじれるものだというくらい、今井君たちはリンチ状態にあった。公開された手紙は十数通であり、あの当時を知るものには目新しい内容はないが、それにしても、こうした手紙やハガキが、おびただしい数来るのだろう。当事者になった者の恐怖はいかばかりかと思う。

はっきり言って、これらの者たちは、もしも中国に生まれていれば街頭で日本大使館に石をなげていたであろうし、イラクに生まれていれば星条旗を焼いて踏みにじっていただろう。しかし日常は心優しき父であり、息子であり娘かもしれないのであって、その者たちが匿名の暗闇の中でここまで下劣に変身することは、やれやれこの世と言うものはと思う。思うが、真っ向から批判をする気にもならないような馬鹿手紙が多く、ちょっと普通なものが混ざっていると、必要以上にまともに見えるから不思議だ。

こんなレベルの低い汚物のような手紙をよこす連中とはなからまともに話そうというのは、中年に言わせれば時間の無駄。微笑してうまいものでも食べに行ったほうがいい。それなのに今井君は、BigBangよりはまだ若くて真っ直ぐなので、おそらくこれらの者たちをも「捨てて」いないのだろう。見ていて痛々しいものを、感じる。

いくつか触れる。

匿名の手紙を公開したこと。確かに作者がわからないからといって、著作権は発生していないわけではないだろう。しかし、作者を特定できないということは、今井君の行為でいささかの「損害」を蒙ったとしても、その人間を特定することもできないということである。誰かがこの公開によって名誉を傷つけられたと(ちゃんちゃらおかしいんだけどね、そんな言い分も)訴えでても、それが正しく彼の手紙であることを立証する責任が生じるであろう。
あれほどひどい手紙をよこした段階で、厳密には脅迫罪の疑いがあるわけで、もしも作者の特定が出来るのならば、著作権侵害はそっちでやりなさい。その代わりこちらはあなたを脅迫罪で告訴しますよという対抗手段があるだろう。もっとも実際には多くがクソのような手紙だ。私が書きましたなどと名乗り出る者にも、恥にこそなれ、何の実益もないであろうから、この「著作権侵害」は法廷に持ち込めるような代物ではない。それが侵害ですよといわれればそうであろうが、じゃあ両方の罪を比較考量しましょうかね。やりますか?というのが、こずるい私の考えることである。

彼らの主張の多くに書かれているのが「税金泥棒。金払え」である。そういう文句を言う奴に限って大して税金を払っていないことが多いのだが(笑)まあそれは別として。海外で危険に巻き込まれた日本人に、多少のあるいはある程度の落ち度があったとしても、彼を救うために政府が動くのは当然のことである。第一、その政府が動いたコストを負担しろと言うけれど、それを税金で普段から払っているわけである。保険会社から保険金を受け取った契約者が、他の契約者から、その分を補填しろなどと言われるか。国民が「落度」を露呈するたびに行政府がその国民に、税金に関わる「コスト」をいったいどういう論理で請求できるというのか。仮に今井君が「わかったよ。それなら1千万も払うことにするよ。」と言えば、彼の者たちは満足か。(君らには1円も入らんよ。わかっていると思うけれど)もっと言えばそんな金の受け取り口もシステムもこの国にはない。歳入として受け取れるルートも合理性もない。世界最大級の財政規模を抱えるこの国の国民として、大きな気持ちになるのは結構だけれど、それはあなたの金ではない。公共の金を損害補填しなければならないのは、悪意の犯罪者だけである。今井君たちには当てはまらない。真面目に書いていても馬鹿馬鹿しいが、もしかしたら本気で税金返せなどと思っているのか。こんなことがわからない人達にはほとほと絶望感すら感じる。

もう一つの彼らのポイントは、「多数」を装うことである。一人がいくつもの名前を使い分けたりすることは当たり前。2言目には「日本人はみんなそう思っている」「みんなそう言ってる」である。この世界には正義の立証に関して「多くの人がそう思っているから正しい」と思いたい人々が存在し、自分は多数であると根拠もなく宣言して相手に圧力をかける。実は多数であることなどは、正義の立証に関して、何の圧力にもならないわけであって、今井君に言いたいことがあるなら、ひとりの人間として言いたいことを言えばいいのである。政府に対して、あるいは日本国民に対して謝罪していないと言うけれど(僕は、彼らは何度も謝罪はしたと記憶しているが、小泉首相ごめんなさいと土下座でもすれば満足か)謝り方が悪いの何のというなら、それは価値観の問題であるとしか言えない話である。

同じ理屈で我らは、近隣より謝り方が悪いと戦後何十年も言われ続けているわけであり、そこでは言いがかりだのふざけるなだのと、聞く耳も持たず軽率にわめくほとんど同じ層が(推定)、今度は人には謝り方が足りないなどと説教するのはいかがなものか。謝ろうと謝らなかろうと、それは今井君たちの人生観であり、価値観だ。あなたと違うだけである。そういう今井君に(そうだったとして、である)絶望するなら立ち去るもよし、諭すのもよし。少なくとも彼にその耳が開かれていないようには見えないのだから、議論すれば良いではないか。もしも議論になるなら、であるが。

ただ、一つ彼に言いたいことは、畢竟この世界に生きて身を通すのは、こうした者どもとの闘いなのであり、目新しいことではない。脅迫ハガキやメールなど邪魔になるなら、来る側から火にでも投げ込んで燃やしてやればいいのである。人生はどんな暴虐にも懇切に対応していけるほど長くはない。一方で耳を貸すべき批判もたくさんあるだろう。願わくば彼にはそうした批判に耳を傾けて欲しいのであり、石を投げる意味も相手も理由も見えない者どもに、あなたが誠実に対応する義務はない。そういう取捨選択もこの世を生きる闘いのプログラムには、あらかじめ組み込まれていると思うし、それを淡々とこなしていかなければ、あなたの負った大いなる蹉跌も十分に生きないであろう。粛々と闘えばいい。それだけのことである。そして、闘いは慎重にね。準備万端整えて。幸いあなたにはまだまだ長い時間があるのだから。

今は取り囲まれているように思うかもしれないが、彼らの周囲には彼らを遥かに超える数の目がある。黙って、しかし彼らの無残を厳しく見つめて立っている人々は決して少なくない。

感じ取る者は感じ取っている。
見つめられているのは彼らの愚かさであり、囲まれているのは彼らのほうなのである。

【参考記事】
「月見座頭」-------青く冷たい空間と人の二面性
最後に詫びて死んだ青年---香田証生さんの死は軽くない

【参考リンク】
今井紀明氏のこと(たゆたえど沈まず)
今井紀明氏の手紙公開について(人生とんぼ返り)
今井紀明氏のブログ炎上についての一考察~「村八分的な言論封印は健全ではない(木走日記)

 

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Comments

お久しぶりです。結局あそこはああいうことになりまして…。>< ご挨拶もせずにまたもやいきなりですみませんでした。
税金の無駄遣いという点で言えば、確かに今井さんたちに税金がかかったのだと思うけど…
それよりも、もっと別な事に目を向けた方がなんて思います。特別会計とか。。
スイマセン、話がずれてますね 笑
まあ、覚悟がなかったという点では、軽率だったのだろうと思いますけど。

こんにちは。きっと何かを探しておられるのですよね。今。で、迷っている。自分に好きなだけ迷わせてあげるのもいいと思いますよ。すとんと変わるときがあると思います。

こんにちわ。
エントリを読んで、気持ちに不思議な変化が起きたので書こうかなと思いました。

バッシングが起きた時、わたしは彼らが彼ら自身(=「自分のなかの今井紀明」)へ攻撃をしているように見えてしかたがなく、その意味することに思いを馳せた時に、なにかぞっとして、その先を考えることを止めた記憶があります。

そんなこんなできたわけなんですが
BIGBANさんのエントリの前半と
「月見座頭」をよんで
なにかがずっとひっかかっていて、何故かふと思ったんです。

本当はみんな、同じように行動したいのかもしれないと。
その上、どこかで、「撤退っていうのも、無責任じゃないか」「でも侵略してるようなもんじゃないか」という、矛盾した縛りが心のどこかにあり(勿論、「理解」するにはあまりに情報が少なく、フィルターもかかるし・・)、でも「行くことなんてそうそう簡単にはできない」。

その潜在的な葛藤にあの特殊な状況が火をつけたのかなって、ふと・・。

善意がベースになって、表層がねじれる。とでもいうのかな・・。
愛憎なんたらというか・・

うまくまとまらないんですが、ともかく、今井氏のあの対話への欲求には
わたしにはとても沁みるものがありました。

もしも批判の側も、受ける側も
善意がベースになっているのであれば
きっと何がしかを彼に残していくと思うから。。

このエントリからうけた影響で
なんとなく救われたような気持ちに、勝手になっています。

ああ、長くなりました。
駄文失礼します。
ではでは。 


ご無沙汰しています。

>本当はみんな、同じように行動したいのかもしれないと。
その上、どこかで、「撤退っていうのも、無責任じゃないか」「でも侵略してるようなもんじゃないか」という、矛盾した縛りが心のどこかにあり(勿論、「理解」するにはあまりに情報が少なく、フィルターもかかるし・・)、でも「行くことなんてそうそう簡単にはできない」

そう読みますか。多くのコメントスクラムもしくはコメント者を一括りにすることはできませんが、そういう人も確かにいるかもしれませんね。ですが、そういう引っ掛かりがあれば、必ずコメントの断片に、その気持ちは出るのではないでしょうか。

残念ながら、そういった逡巡すら全く感じられない人たちもたくさんいるように思います。

今井君は非常に不器用だけれど、根底にある彼の気持ちをつぶしてはだめだと思います。問題は方法論であり、その方法論ではいくら批判もされていいけれど、人間性の基本の部分で彼は何の瑕疵もない。そう思います。それをごっちゃにしてはね。


この状況を見た多くの人の口から
BIGBANさんと同様の言葉が漏れている光景、多々見ました。

囲まれている・・だから私にとってBIGBANさんのエントリは、とても説得力のあるエントリです。

というか、正直に書けば
心境の変化があったとはいえ
わたしにもまだ、静かな怒りのような気持ちはあるんです。


>人間性の基本の部分で彼は何の瑕疵もない

>根底にある彼の気持ちをつぶしてはだめだと

とても強く、同感です。

方法論・・・それに関する批判のいくつかには
彼が負わねばいけない多くの荷や傷のせいで
心がおいつかずにできなかったであろう事も
多いのではと、感じています。

だから、今井さんにはあったこともないのに、なんだか心配・・・。
ただ、当事者以外には非常に理解しづらいであろうその状態を
奇跡的に打ち破って書いたように思えた
「イラクに行った理由、それを考えました」
なんだかすごく、胸に残りました。
あれを読んで、彼の対話の先を、彼の選択として
信じて待ちたいと思わされました。

そして
到底許せない・・と、まだ時々思えてしまう、
きっと私と歳がそこまで遠くはないであろう、
彼らの事も。

やっぱり、甘いかな私・・。

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