辺野古の未来への予感
この膨大な不条理。新しい形のファッショがこの2018年の世の中にまかり通ろうとしている。俺は辺野古は無理だと思っている。基地はできない。地盤のせいなのか、選挙で自民が大敗するのか、それ以外の要因なのか。それは知らない。けれど辺野古は無理だと思っているのだ。それは世界に対する楽観かもしれないし、もしかしたら甘さかもしれない。けれどこの感覚は予感としか思えない。どこかで膨大なエネルギーのひずみで巻き返されると思っている。巻き返さなければいけない。
本田美奈子: アメイジング・グレイス (DVD付)
移動途中の銀座線の車内の空間がふいに色相を変え、彼女の声が響き渡る。あのころはぎりぎりまで、何か折れてしまいそうな繊細さと痛々しさすらあった、振り絞るような彼女の声は、いつの間にか少し穏やかな丸みを帯びた大人の女性の歌声に変わっていた。僕は長い間、この歌声を忘れていた。
生きる者は死んだ者に煩わされてはならない。
そんな言葉は嘘だ。
僕はあなたの「ミス・サイゴン」を生涯忘れない。
本田美奈子の死-----僕は「ミス・サイゴン」を忘れない
(★★★★★)
レニ・リーフェンシュタール: Triumph of the Will / (意志の勝利)
ナチズムの強烈な存在感と、貫かれた徹底した様式美である。ナチズムの善悪について考える余裕もなく、観客はレニの卓越した、しかも隙のない演出手法に息を飲む。記事はこちら。
(★★★★★)
西 加奈子: さくら
さくらという雑種の犬と、ある家族の苦難の、そして再生の物語。なぜだろう。人間の悲しいところや柔らかいところが、くっきりと浮かび上がる。後半の泣かせパワーはセカチュウの比じゃないよ。記事はこちら。
(★★★★★)
ロバートキャパ: キャパ・イン・ラブ・アンド・ウォー
20世紀を駆け抜けた世界でもっとも有名な報道写真家、ロバート・キャパの半生を、写真、ニュース映像、日記、著名人のインタビューなどで構成したドキュメンタリー。キャパの知られざる素顔や恋愛観、人生観に触れながら彼のメッセージが伝わってくる。
素晴らしいドキュメンタリーです。
サイト関連記事は
ロバートキャパのこと---キャパ・イン・カラー (★★★★★)
柳田 邦男: 犠牲(サクリファイス)―わが息子・脳死の11日
ぎりぎりの家族状況の中で自死した息子への想い。脳死や臓器移植へのアプローチは鬼気迫る。タイトルはタルコフスキーの映画「サクリファイス」から。 (★★★★★)
こうの 史代: 夕凪の街桜の国
原爆体験を伝えていくということの、新しい世代としての一つの形を示し、そのことが希望を示していると思う。物語の悲しみの深さにも関わらず。
サイトでの関連記事は
「夕凪の街 桜の国」----穏やかでスローな悲しみ
「非人道的」とはどういうことなのか。批判の限界(1)-(4) (★★★★★)
この膨大な不条理。新しい形のファッショがこの2018年の世の中にまかり通ろうとしている。俺は辺野古は無理だと思っている。基地はできない。地盤のせいなのか、選挙で自民が大敗するのか、それ以外の要因なのか。それは知らない。けれど辺野古は無理だと思っているのだ。それは世界に対する楽観かもしれないし、もしかしたら甘さかもしれない。けれどこの感覚は予感としか思えない。どこかで膨大なエネルギーのひずみで巻き返されると思っている。巻き返さなければいけない。
日本の農村の一部では、中国人の技能実習生の労働力がなければ、収穫作業もままならなくなっている。そのことを自分は、農家に嫁いだ親戚の者から聞いた。それは明らかに技能実習生なのだが、その地域ではただの労働力としての「中国人」である。収穫の季節には多くの中国人実習生が大量に地域にやってくる。
「中国人が逃げないようにするのが大変なの」
と彼女は当然の悩みのように言っていた。それがその辺りの地域での共通の悩みなのだそうだ。それほど彼らはよく逃げてしまう。
彼らを仕切っているのは同じ中国人の声が大きい女性であり、各農家に人を割り当てる。農家は「クライアント」だから腰が低いが、同じ同胞の実習生には極めて高圧的に当たるのだそうだ。
親族の嫁ぎ先には2人の中国人実習生が来ていたが、「逃げられたら大変だ」とそればかり口にしている彼女にとって、実習生は単なる労働力であり「中国人」でしかない。2人は畑から歩いて1時間ほどかかるところに貧弱なアパートの一室をあてがわれていたが、自転車も買えないため朝早く起きて徒歩で畑に通ってくるのだという話を聞いた。
雨の日は基本的に作業はないが、途中でやむ時もあるので、そんな日でもそれこそびしょ濡れになって朝早く歩いてやってくるのだそうだ。
それでも終始、彼女は彼らの人としての苦悩を想像するよりも、そうした待遇が原因で「逃げられたら大変だ」とそればかり口にするのだ。彼女の夫も「甘やかしたらあいつらはどこまでもサボるから厳しくしなければならないけど、逃げられたら困るし」と口にしているという。
その話の最初から最後まで、「実習生」という言葉は使わなかったので、この話を聞いた時僕も彼女の語り口を不快に思いながらも、実習生ではなく「中国人」と理解し、ああ地方の農家の労働力とはそういうものなのかと思ってしまっていた。
けれど。
それは「すぐ逃げる中国人」ではなく、外国人実習生のことだったのだ。それ以外に現在日本の農家が外国人労働力を組織的に利用する道は僕の知る限りないからだ。ピンときていなかった自分の限界である。
国会で野党が調べたところではこの3年間で69名の外国人実習生が亡くなっているそうだ。その話を聞いた時、僕は大雨の中でも畑まで1時間も歩いてびしょ濡れになって通うあの2人の中国人の若者の話。そして「逃さないようにしないと」と当然のことのように笑いながら語っていた、おそらく日本の田舎のどこにでもいるであろう彼女のことを思い出した。
病は、こんな話をせせら笑って聞く自民党だけではない。我らの隅々に染み込んでいる。
●参考
農業分野における外国人の受入れについて(農林水産省)
今日新宿で観てきた。
「タクシードライバー」というタイトルの軽さと、前半のコミカルなトーンに騙されると、後半で途轍もなく、凄まじく打ちのめされる映画。
南北会談が話題の韓国だけれど、自分たちが大学生の時は、岩波の「韓国からの手紙」が作者不詳で話題になり、とにかく軍政の「暗い国」であり、圧政国家であり、中の様子が今のように伝わってこなかった。光州事件はそんな最中の1980年。中国の天安門事件とも重なる、自国軍による民衆の大虐殺である。韓国はそんな時代を経て、今に至っており、戦いの地獄を日本より遥かに知っている。
自国の軍が銃を国民に対して水平乱射してくる地獄を中国もロシアも韓国も知っているが、幸いにして日本は知らない。もちろん自分も知らない。その甘さが、今日の政権の跋扈を許す甘さにもつながっているのだろうなと思う。
秀作。
今後の板門店はどうなるんだろう。今日はまた体の半分しか「敵」に見せないあの屈強の韓国軍兵士が復活しているんだろうか。
たとえそうであっても、昨日までの板門店と今日からのそれは全く意味が違うだろう。
かつて(2005年だった)ガチガチに緊張している板門店を自分の目で見に行っておいて、今は良かったなと思う。あの時の板門店の空気はおそらく今後は帰ってこない可能性があるからだ。
あの青い境界線の建物も統一記念館も平和の家も、大成洞も、そしてあの幅15cm程度の軍事境界線も、間近で見た北朝鮮兵士も記憶の中に、その時の空気の匂いと共にあって、その場所で今回のことが繰り広げられたということが、今回の出来事を、より自分の側に引き寄せている。
世界全体を自分の側に引き寄せるなんて到底無理なのだけれど、自分の根源にあるのは表現し難いそうした「引き寄せたい」気持ちなのだと思う。で、それは何なのかきっと最後までわからないまま死ぬのだろうな。
書くことや、写真を撮ることの意味に似ていると言ったら、この時代だと少しは共感できる人もいるのかな。形を変えたライフログのようなもの。と言ってしまえば。
【板門店へ行った】
http://app.m-cocolog.jp/t/typecast/26615/28156/category/4822002
流石にちょっとウルっときた。板門店にこんな光景を見ることになるとは。
一度金正恩が単独で軍事境界線を越えてから、文在寅大統領を誘って2人で北側へ。改めて北から2人で一緒に境界を超えた。
今日の笑顔にまでたどり着くのにあれだけ狂気のミサイル弾道弾発射を繰り返さなければならなかったのか。そのことの愚かさと悲しさを含めてヒトの世界に泣けてくる。
この数年、国会議事堂の写真を撮る機会が増えた。有楽町銀座から内堀通りを走り、議事堂正面に続く長い道を外れて、三宅坂の方へ抜けて行く道は、何度も何度も通ってきた道で、自分にとっては何の不可思議もない日常だった。
この正門に続く長い道を車ではなく自分の足で歩いて見るとまったく違う風景があることに気がついたのは311の後の話だ。
この道がこんなに長く長く、そして遠い道だとは気がつかなかった。
明日は投票日。
まあ自分はやはりネット上の異変には目をつぶれないのだけれど、いま立憲民主党のツイッターアカウントに起きている「異常事態」の意味を考えるに、ここ1週間ほどの政変だけでは説明ができないものがあるように思う。
つまりどうしても6年前の原発事故、当時の枝野官房長官に連呼された「枝野寝ろ」を思い起こさざるを得ないのだ。自分だけではないだろう。
あの時、枝野氏は毎日毎日テレビに登場し、今思えば「事実ではないこと」を何度も何度も喋っていた。つまり本人が意図したかどうかは別として「嘘」をつき続けていたわけだ。
一時は腹立たしかったが、それから何年も経ってじわじわと思えてきたことがある。それは、あの時のあの立場にいたら、誰に一体他の何ができたのかということだ。未曾有の大事故、日本国の存亡の危機と言っても差し障りない事態に、この人は耐えた。ベストではないかもしれないが耐え切った。それは事実だし、そして決して卑怯ではなかった。
腹の立つこともたくさんあったが、あれから6年経って、あの時のネットにあふれた「枝野寝ろ」の意味を、実はみんな胸の奥で考え続けていたのではないかと思う。それが今回の政変で皆の中で蘇ったとすれば。
不十分であったかもしれないが、この人はベストを尽くした。そして逃げなかった。そのことがこの歳月の中で皆の中で熟成したのだとすれば。
これは夢想かもしれずまた政治の嵐の中で裏切られるかもしれないが、少なくとも自分には今そんな風に思えている。
自分の知る限りのこれまでの情報を総合しても、アウンサンスーチー氏の取るべき選択肢は極めて困難で難解を極めると思う。人間性として今更安穏を求めるために人道的支援を見送れる人物とは思えないが、そのバーターとして自らのこれまで推し進めた民主化の路が、再び軍部の台頭を許し、ミャンマーの時計を数十年巻き戻すことになっては、元も子もないと思うはずだ。だからと言ってロヒンギャを絶滅まで追い込むのを手をこまねいて見ているわけにはいかない。本人は苦渋の中にあると推測する。
そもそもアウンサンスーチー氏がミャンマーを統括しているなどと我々は希望的幻想の中にいなかったか。それほどあの国は甘くない。
日常の安穏の中で暮らし、遠くから聞こえる断片的情報で断を下すのは軽率にすぎるが、かといってあの30万人にも及ぶ人たちをどうするのか。考えるとため息が出る。ミャンマーの物語は簡単に終わらなかったと思う。
#ちなみにアウンサンスーチー氏の名前は姓と名ではありませんから切れません(確かミャンマーは姓がなかったはず)
昨日が対日戦勝記念日の台湾にいて実際どうですかって友人に聞かれたのだけれど、そうか中華民国では9/2だったりするのかなと。やっと調べたらポツダム宣言調印のこの日が台湾では戦勝記念日なんですね。知りませんでした。ごめんなさい。
この春まで一緒に働いていた台湾からのスタッフTさんは、僕らへの気遣いもあったかも知れないけれど、「どんなに台湾の人が日本のことを好きか」毎回テーマを変えて週に一度熱くプレゼンしてくれていた(日本人の方がぽかんとしてたよ)ので、そんなこと考えたこともなかった。
そもそも日本って台湾と戦っていたっけ?。あれは大陸にいた時の中華民国だろとか。訳わからない都合の良い?ねじれが自分の中にもある。
で当然にそんなことで不快なことは一切ないです。台湾だけではない。自分は韓国にも何回か行ってるけどそんな不快な経験は一度もない。
海外で露骨に差別されて悔しかったのは圧倒的にむしろヨーロッパで、今は知らないけど、常にレストランで端の席に通され、なぜなのか理由を教えろと噛みついたことがあったっけ。
個人の経験をベースにこうした大雑把な推論をしてはいけないのはよく承知しているけれど、どこに行っても優しくしてくれる台北の人たちを(ソウルも釜山も大連も上海も)見ていて、いま深刻な敵対関係にある某国のことも思って、切なくなる。
小池都知事の言う「哀悼の言葉は震災で亡くなった全ての人に哀悼を捧げるのであり特定の民族に捧げるものではない」というような論理で「そのこと」に触れないのなら、アウシュビッツの大虐殺も広島長崎への原爆投下も相対化され平準化されてないことにされていく。美はディテールに宿ると言った人がいるが、歴史の真実もまたディテールの蓄積にしかないのではないかと思う。
小学生の恐ろしい作文
寿小 学年不明 男子
(略)僕はねえさんと弟といもおとをつれて、山ににげたが、だんだん日がくれて.米をはないためおなかがすいてきたが、たべるものがないから、そこにあったとんもろこしをおり、それをなまでたべていたが、夜となると、あちらでもこちらでも朝鮮さわぎとなってきたから、僕が竹やりをもってまわりをかこっていると、むこうでは朝鮮人をころして万歳々々とさけんでいる。そおすると、又むこうで、朝鮮人が行ママたぞと云うと、「ずどん」と一ばつうったから、僕はおどろいて、一正ママけんめい又まわりをまもっていると、すぐまいに朝鮮人がいたと云うを、みんなは「はあー」とさけんで、たちまち朝鮮人をやすけ、僕は人ママあんしん。遠をみるとまたどんどんもえているが、まもなくけいた。(略)
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