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October 06, 2024

300万文字



この頃ほとんど更新していないのだけれど、20年くらい書いているブログ記事(つまりここ)の総文字数を見たら250万文字くらいになっていた。おそらく支店的な場所を合わせれば300万文字くらいかな。後に残せるものと残す必要のないものに分けて、残す方をまとめればそれが遺稿になるかな。などとぼんやり考えた。残しても良いものが何文字分くらいあるかわからないけど。

分量だけの話ではないが、単行本の一冊が普通15万文字くらいなのだそうだ。(量で評価するものでは全くないが *2度目)
そうだとするとおよそ20冊分(にすぎない)

ふーん。そんなもんかななどと考える。途中でいわゆるTwitterやFacebookが流星を誇りそちらに書き殴るようになってから何かテーマを決めて書くことはほとんどなくなった。

ちょっと残念なような、いやそんなもんであり、だからと言って人類の歴史に何の関係もないことだな。

まあ考えとくかな。

May 16, 2021

80歳になった時こんな風にしていたいー森山大道「過去はいつも新しく、未来はいつも懐かしい」

森山大道の映画と写真展。渋谷PARCO。予想に反してコロナ的満席。しかも若い人達が多勢来ていて熱気ある会場。

言うまでもなく生きるレジェンドだが、これまで森山さんの肉声を聞いたことはほとんどなかった。想像を遥かに超える素晴らしい映画と写真展だったぜ。以前見見た写真美術館のものよりずっといい。PARCOらしく商業写真やグッズもたくさん。森山さんてこんなに最近はコマーシャルもやってるんだと驚いた。しかしかっこいい80歳。足も背筋も目つきもかっこいい。あとウン十年後にこんな風になれたらいいなと思わせられる。そしてこの映画で描かれたのは、紙の写真集の印刷の凄さ。凄まじさ。そうだよ紙ってこうなんだ。

そうだよ紙ってこうなんだ。印刷所の職人のあの目。造本を行った町口さん。関わる大人がみんなカッコいい。紙が滅びるなんて誰が言ったんだ。

デジタルではどうしようもない、届かないものがここにある。食い入るように見るデジタルネイティブ達の目。すごい写真集だ。これは買わざるを得ないでしょうと久しぶりに大きな写真集を買った。

そしてなんだよあのコンデジのかっこよさ。森山さんのは何だ。Nikonか。COOLPIXか。そうだよやっぱ街の写真はコンデジだろ。一眼じゃないだろ。と安直に染まりコンデジ欲しくなった。調べたらそうか。Nikonはもう国内生産やめたんだっけ。

とにかく森山大道を知ってる人も知らない人にも大オススメの素晴らしい映画と写真展でした。PARCOは30日まで。

#菅田将暉の映画冒頭解説とてもいいです震わせられます



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May 07, 2021

国民投票法改正案成立見込みについて思うこと

国民投票法改正案の議論が出てくるたびに混乱があるようなので整理したいんですが(前回もやったような記憶があります)
もし誤解をしている方がいれば確認して欲しいと思います。(私にも誤解があれば指摘ください)

●国民投票法自体は、安倍内閣の時代に制定されており新しい法律ではありません。元々ある法律です。
(平成19年5月18日「日本国憲法の改正手続に関する法律(憲法改正国民投票法)

●今回、立民が同意した自民党の改正案の内容は、「憲法改正の国民投票の際の投票所を通常の選挙と同じように駅やショッピングセンターに設置できるなどとする」投票機会の拡大でありそれ自体に問題があるとは私は思いません。

●むしろ国民投票法自体の最大の問題は、周知の通り広告の手法や投下量に制限がないことであり、これは改正案ではなく法律自体の問題です。これについて、当然何らかの改正はされるべきだと思いますが、立憲民主党は、今の法律では、テレビ広告の費用に上限がないため、資金力のある政党や政治団体の主張が結果に影響を与えかねず、広告規制も議論すべきだとして時期尚早と主張。これまで改正案にこの点を盛り込むか否かで与野党の綱引きが続き、必要と思われる改正も行われないできました。

●立民が今回同意したのは、直下の自民党の改正案の内容に著しい瑕疵がなく、広告規制を理由にして、改憲阻止のために手続論である国民投票法の改正にまで入口で反対することは、国民の支持が得られないと判断したと思われます。また「施行後3年をめどに法制上の措置を講じる」ことを改正案の付則に盛り込むことには自民党の支持を取りつけました。

●今まで改正案に立民案を盛り込むことを自民党が拒絶していたのに今回応じたのは
(1)とにかくまず改正案を通すことで改憲への国民の機運・話題を盛り上げる(逆効果かもしれない)
(2)広告規制は最大3年の間に盛り込めばいいので、その間に改憲に進むチャンスが生まれる(先のことは先で考えればいい)
ということだと思います。

●立民側では、
→広告規制に関する措置が盛り込まれるまでは改憲の議論に応じることはできない(これで堂々と改憲論議にストップをかけられる)
として、改憲に頑なに反対を通すことへの批判に対処し、持って現政権での改憲を防ぐ判断であると思われます。

●一方で共産党は立民とは異なり、手続き法である国民投票法の改正自体に応じない立場で、やはり現政権の改憲を阻止することにおいて基本的方向性は立民と変わりません。戦略の違いだと思います。

●もちろん、こんなコロナ禍で人の命が明日をしれぬ状況の中で、やることかよという意見には賛同します。こんなことをやっている場合ではありません。他に優先すべきことが山ほどあることは同意です。全くその通りです。

●しかし、危惧されるのは、私たちが今回の改正案の内容を吟味することなしに、いたずらに立民あるいは共産を批判すればするほど、自民党には思う壺であるということです。現在の状況では自公合わせても衆参で2/3の賛成を得ることは極めて困難ですが、これに立民の一部が合流するようなことになれば、たちまち改憲への危機が生まれます。野党分断は自民党の代々のお得意芸であり、改正法への適切な理解や批判なしに野党支持層で分断が起きることを、自分は危惧します。
そして改憲は絶対にさせたくないから手続法であろうがなんであろうが、関わる法律は絶対にいじらせないというのは、絶対護憲の立場からはあり得る立場かもしれませんが、法体系として不十分な法律が放置されているのは、自分としてはどうかと思います。
以上です。

(付1)今回、たった一つだけ、立民の改正案への附則にのみ反対している政党がいます。それは維新です。つくづく彼らはどうしようもないと私は思います。ある意味自民党以下です。

(付2)一方で立憲民主党は今回の行動に関して十分に国民の理解を得られていないことは重く受け止めるべきです。立民の関係者の方がおられたら、コミュニケーションや情報発信力をもっと高めて欲しいと思います。

March 21, 2021

あの日のツイート(2)2011年3月12日(土)<メルトダウン・1号機水素爆発> 

(2)2011年3月12日(土)

アラブ革命関係で現地の人と知己になっていた人は自分を含めて多かった。事実上の撤収宣言だ。日本人は。

非常時の連絡のために、これをきっかけにSNSを始めた人たちは結構いたと思う。

海底ケーブルの断絶。これ、もう忘れていたのだけれど、電話が交信できなかった理由とされた。

とにかく繋がらなかったね。電話。

今だとクラウドで難を避けるところだけれど、オンプレで動かしているとこうした状況になる。

●午前2時過ぎ頃から。原発の深刻な状況がわかってきた

もちろん「圧力容器」などと言われても何のことかわからない。停止したのになぜ危険な状況になっているのかもわからなかった。

午前2時すぎ。ことの深刻さが自分にもようやく伝わってきて眠れなくなってきた。東京と福島第一原発の距離について考えたが、そんなことをしても何もわからない。浜通りの皆さんがこの頃から大変なことになっていることももちろんわからなかった。

●米軍の支援
もちろんこの頃原発では、全電源を喪失して冷却ができなくなっていた。自分のツイートには電源のことは出てこない。

TSUTAYAが馬鹿なことを言って炎上していた。

慄然とした。この時初めて「南相馬市」を知った。

午前2時46分。ついに放射能漏れの可能性についてニュースが流れた。

午前3時30分頃に内部の水蒸気を外に流すと報道(ベント)。「微量の」とか「人体に影響ない」とかよく言うよと今は思う。実際にはベントは大幅に遅れた。

米軍の危機感

こんな話もあった

12日の朝になってようやく義父母と連絡が取れた。会津は地震、放射能共にほとんど被害はなかった。

支援や救援要求を含む様々な情報が大量に流れていた。ハッシュタグで整理の動きが進んだ。

数字はどんどん跳ね上がった。

●原発メルトダウンの報道 午後2時18分。
もちろんメルトダウンはもっと早くから進行していた。この後メルトダウンは「炉心溶融」と言い換えられる。

セシウム?何だそれは。やばいのか?

自己逡巡。原発も放射能もわからない素人がみだらに情報を拡散するなの声が強くなっていた。

●1号機水素爆発

この時、すでに午後4時58分。

冷却もできないのに核分裂反応が簡単に止まるわけがない。今ならわかる。

まあ格納容器が吹っ飛んだとしたら、東日本は壊滅だった。そんな発表はできるわけがない。格納容器の無事を確認するまでに1時間半かかったのだろう。

●以下2つのツイートは、Twilogには残っているがTwitterからは消されている。僕が自分で消したと思われる。理由はわからない。あまりのことに動転して拡散自体に自信がなかったか、インパクトが強過ぎてどうしたらいいかわからなかったのか。NHKも考えられうる限りで最高度の緊急事態を伝えようとしている。後からわかることだが、この時、東京でもとんでもなく線量が上がっている。

【緊急】福島第一原発。外にいる人は直ぐに建物に入ること。窓を閉める。換気扇を止める。絶対に外に出ない。(NHK)緊急事態だと思います。
posted at 17:16:44

【緊急事態】福島県によれば第一原発で一時間に一年分に相当する放射能が検出された。致死量に相当する放射能漏れです。大至急近くの方は家屋に入って下さい。(NHK)
posted at 17:31:47

まだ建物の状況を確認している(恐ろしい)

ナシだなどと言われてもね(苦笑 by 今の自分)

避難区域が半径20kmに拡大。

●ようやく格納容器の無事を発表。午後8時55分。相変わらず自分はよく事態を理解していない。

いい加減なNHKの報道。

いい加減な政府の発表。

それは合っていた。

としか言いようがなかった。

初めて「被ばく」という言葉を聞いた。

 

 

としか言いようがなかった。

とてつもない数字に震えた。津波被害の規模の凄まじさはやはりこの頃まで東京にはほとんど届いていなかったと思う。

 

あの日のツイート(1)2011年3月11日(金)地震・徒歩帰宅・原発事故第1報 

あの東日本大震災から丸10年になる。震災のことをブログに書くこともめっきり少なくなった。忘れてはいないが、時はまさに新型コロナ禍の真っ只中。人にはなぜこうして次々と試練が訪れるのか。いやお前などが試練などと言うのはおこがましいと言う心の声ももちろん聞こえている。

それでも気になっていることがある。あの日。2011年3月11日に自分は何がわかっていて、何がわかっていなかったのかということ。その時の自分を10年後の今伝えてくれているものがある。ツイートである。

Twilogに残っているあの日の自分のツイートは、あの時どの段階で何が自分に伝わっていて、何がわかっていなかったのか。何がどう報道されていて、何が報道されていなかった(あるいは自分に届いていなかったのか)のか、刻一刻と変わる報道のブレと自分の無知。本能と恐怖と不安と楽観。そして愚かさを伝えてくれている。

あの数日の、日本人全てにとって悪夢のような日々。刻一刻と進んでいった事態の緊迫感の幾ばくかを伝えてくれていると思う。10年を期に、整理してみようと思う。

(1)2011年3月11日(金)

3月11日の夜は全国かなりの地域で晴れ渡っていた。覚えてはいたがNHK「あの日の星空」という番組を見て、改めてあの3月11日の澄んだ夜空を思い出した。

あの夜、自分は西新宿の職場から世田谷の自宅まで3時間以上かかって歩いて帰った。東京なので星は流石にあまり見えなかったが、月が煌々と見えていたことはツイートからもわかる。異常な事態なのになぜかあまり不安はなかった。あの夜はなんとも言えない不思議な昂揚感にも包まれていたと思う。現実を考えたくなかっただけかもしれないし、本当に何が起きていたのかはまだ知らなかったせいもあるだろう。

津波が起きたことは直後のテレビ報道で知っていたが現実感がなかった。その後、夜中近くまでのほとんどの時間が帰宅途中であったため、そもそも東北で何がどんな風に起きているのかはわかっていなかったから、深刻度もわからなかった。

原発のことを知るのも家について夜中近くになってからだ。道すがら写真をたくさん撮ったのに、当時Twitterからリンクしていたplixiが今はもうないこともあり、なぜか残っていない。それでもスマホの中に残っていても良さそうなものなのに、この年の写真はこの夜に限らずほとんど残っていない。不思議だし残念だ。

調べたらあの夜の月齢は6.3だった。


●東日本大震災発生 2011年(平成23年)3月11日(金曜)14時46分18.1秒(日本時間)

その時には西新宿のオフィスにいた。ちょうどあるネットメディアの取材が来ていて、会議室でカメラでインタビューを受けている最中に世界が揺れ始めた。だからその時の自分の狼狽した瞬間の映像はどこかに残っているかもしれないが見たことはない。(当然その企画はボツになり僕の映像が公開されることもなかった)

地震発生から最初のツイートまで30分かかっている。この間に家族や友人の安否を確認していたと思う。

●地震後最初のツイート 3月11日 15:11 PM

ようやくつけたテレビに映ったのは10mを超える津波警報と、仙台平野を覆っていく信じられないような勢いの津波だったと思う。ビニールハウスが飲まれていく光景を茫然と眺めていたが現実味がなかった。そのツイートはない。取材に来られた女性が映像を見て叫んでいたことを覚えている。

●この時の国連の動きは本当に早かった。

 

●自宅へ

おそらく18:00頃にオフィスを出てしばらく中野坂上のカフェで(オープンしていた!)しばらく、家人の迎えの車を待っていたと思う。彼女は娘をピックアップすることに成功して、その後こちらに来ようとしたが、当然の大渋滞で断念した。それで家に向かって歩き始めた。せいぜい8kmくらいの距離だから2時間歩けば着くとこの時は思っていた。

●帰路

 

 

 

 

月のことは書いているが、きっと星はあまり見えなかったのだろう。道すがらツイートしながら、各地の友人と会話ができたことが精神的には救いになった。

この時点では通話もメールもできなかった。SNS(Twitter)は生きていた。Facebookは確認していない。固定電話の件は誰かから聞いたのだと思う。SNSをやっていない人への連絡経路が閉ざされていた。


地震発生時の取材もアラブ革命に関するSNS上の動きがテーマだった。一瞬にして他国に対するリアクションは閉ざされ、自分たちは自分たちの国ために優先して動かなければならないことを知らされた。

#playforjapan のタグが立ち上がり、世界各国から日本へのメッセージが届いていた。

スマホで道を確認している若い世代と違って、高齢者は歩き始めると意外と方向がわからない。あちこちでスマホを持つ若い世代に道を尋ねる高齢者が目についた。(余談だがこの時はiPhone4の時代。前年の6月に発売されている)


想定外だったのは、コンビニのトイレの長蛇の列。30分以上並んだが、皆混乱もなく整然としていた。声を荒げる人も見なかった。何ていうか、人に絡むより発生している状況のアンリアルに圧倒されている感じもあった。


「帰宅難民」になっていることを知った人からTwitterで何件も労いの言葉をいただいた。本当に。こんなことは大したことではない。


今思えば間抜けなセリフ。この大地震をまだ「普通の地震」だと思っている。巨大な岩盤が動いたのだというリアリティが自分にない。

 

本棚の本がごそっと落ちたくらいで結果的には(あの当時としては)大したことはなかった。

 

●帰宅
結局3時間半ほど歩いたことになる。


大した写真ではないが、これもPlixiにアップしたのでその後同サイトの閉鎖で見られなくなってしまった。

家に帰ると、娘の友人から連絡が入り、彼女と2人でデートの帰りに近くで動けなくなっているというので、車を動かしてピックアップに向かった。普段なら15分くらいの道が1時間くらいかかったと思う。やっと2人を連れ帰り、その夜は家に泊めることにした。リビングで雑魚寝の準備をして自分の部屋に上がって接したのが原発のニュースだった。

●原発事故第一報

9:59PM おそらくTwitterで得たニュースだと思う。これが自分にとっての最初の原発事故ツイートとなった。まさかこれがあんな大事故になるとはもちろん想像していなかった。

 

あの日のツイート(2)2011年3月12日(土)<メルトダウン・1号機水素爆発>へ

 

February 07, 2021

挙手の地下茎

香港やミャンマーで命の危険を引き受けながら戦っている人達のことを思えば日本は確かに平和である。突然玄関に軍人が立ち連行することもない。権力欲しかない愚かな老人の世迷言に何をそんなにと考えている人もいると思う。もっと重要なことはあるだろうと。


しかし国にはそれぞれの戦い方があり、その国の局面があるのだと思う。この国にもかつては発言すれば憲兵が、特高が玄関に立つ時代があった。ひとつの非合理はきっと深いところで地下茎のように非道の数々に繋がっていると思っている。命がかかっていないからと言って生易しいものだとは思わない。ここは絶対に譲ってはならないと思う局面はひとつひとつ潰さないと、大きな非道の台頭を許す。というよりもう許している。


端的にはあのような者のために、多くの人が死んでいる。多くの女性が、いや多くの男女が死んでいるのだ。


ひとりの愚かな老人すら追い出すことすらできないことの地下茎は、結果として最後は自分達全員の命を脅かしているのだと思う。女性の命だけではない。我々全員の命だ。これが大げさな表現ではないことは、コロナ禍の只中にいる自分達には十分理解できているはずだ。


遠い未来にもしかしたら軍人があなたの家の玄関に立つかもしれない。立たないかもしれない。それはわからないが、今行うべきことはそれに遠く繋がると思われる地下茎を片端から断つことだ。それはモノを言わせない不合理を断ち切ることである。


もちろん現場ではそれほど簡単なことではないのだろう。それは理解できないことではないが、それぞれの現場で、挙手を行おう。モノを言おう。国に希望の1つの基準があるとすれば、挙手をして(銃を持ってではない)立ちはだかる人がどれだけいて、その背中をどれだけの人が逃げずに支えてくれるかなのだろうと思う。


あの愚かな老人の向こうに地下茎の先に非道があり、最後は私達の命が全て繋がっている。自分達は皆、それがよくわかっているはずだ。

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January 01, 2020

理不尽と戦う全ての皆様に幸がありますよう

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今日も明日も同じように太陽が東から昇る系内第三惑星ではありますが、本年は大変にお世話になりました。
期せずして喪中につき新年のご挨拶は形式上省かせていただきますが、そして来年は戌年でもトナカイ年でもありませんが幸福な生き物目線から、新年に向けてエリアによらずこの世の全ての人と生き物の世界の幸福、そして中でも理不尽と戦う全ての皆様に幸がありますよう心より祈らせていただきます。

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ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性ぐらい
自分で守れ
ばかものよ

-茨木のり子

October 19, 2019

ヒューマニズムの問題ではあるが「不合理」の問題でもある。

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人はみな「おんなじいのち」と、声を大にして言い続けなければならない社会…。台東区のホームレス受け入れ拒否に思う。 


これはヒューマニズムの問題であるかもしれないが、同時に独特のこの国の「不合理」の問題でもある。それも謎の。

ワイドショーでニヤニヤ出演者が笑っている場面はもちろんのこと、街頭インタビューでもなぜか人は笑う。
おそらく正常化バイアスが働いているのだろうけれど、実社会でもこういうことはよくある。明らかに笑う場面ではないのに笑っている人に対しては「なぜ笑うんですか?」と言うようにしているが当然場の空気は悪くなる。
けれど場の空気が悪くなることを気にして、時には命さえ後回しにするのはこの国(だけとは言わないが顕著で特有の)の病だ。

台東区の件も、ここでこの人たちを断れば命に関わるかもしれないという想像力が区の職員に働かなかったのかもしれない。「ちょっとお待ちください。住所のない方でも入っていただけるかどうか確認します」とか、「ここはちょっと難しいんですがこの場所に行ってください。(ここに連絡して下さい)などの動きとフォローをした人もいなかったのだろうか。

海外へこの件は発信されて(日本人の想像を超えて)大きなニュースになっているけれど、自分たちの日常にもこれに類した場面はないだろうかと胸に手を当てる必要があると感じる。


October 03, 2019

外国人を怖がりすぎるのはやめよう。

昨日、久しぶりに夜の赤坂の繁華街を歩いたら、なんだか様子が違う。パブは外国人しかいないし、通りも半分くらいが白色系外国人。
やはりラグビーW杯の影響かなと思いながら、馴染みのコーヒ販売店に行ったら、いつもはシャイで人とあまり目も合わさない店員のお兄さんが、なんかモゴモゴと言った。よく聞こえない。

「なんですか?」

と顔を近づけると

「・・・歌舞伎町みたいになっちゃったんです。・・・結構ガラが悪くなっちゃって・・ほんと気をつけてください」

あーと思って「外国の人が増えて?」と言ったら、

「そうです。昨夜も2時頃までえらい騒ぎで。。。」

と心底怖そうにしている。
 
確かに体が大きく声の大きな外国人たちは歩いているだけでちょっと日本人には怖いし、彼ら、声も大きいし、ふざけかたも迫力がある。なんか動きも豪快でさ。
でもだからと言って格段に「ガラが悪い」訳ではないと思う。ああやって暮らしてるんだろ。お国でも。
そんなこと言ったら赤坂の元からいる日本人やチャイナ系の地回りの人たちだって結構怖いぜ。別の意味で。
(そもそも俺にとっては歌舞伎町も赤坂も元からあまり変わらないしな)
 
何かが日本社会におきているんだなあと思う。こんな国際化が進んだと言われる世界にあっても、日本人はまた世界に出会い始めているように思う。こんな現代にあっても、島国はやはりモゴモゴと物を言うはっきりしない人たちで暮らしてきた場所なのだ。日本人ってやはり静かなほうなんだよね。
 
良いものはいいし悪いものは悪い。怒ると大声で抗議する。言うことははっきり言う。それが彼らにあっては当たり前なのだよ。過剰に怖がるのはやめよう。きっとあっちはあっちで日本人何考えてるかさっぱりわからなくて「コワイ!」って思ってるぜ。きっと。思ってる。

August 17, 2019

ライオンキングの凄まじいバーチャル動物達ーコンピュータはどこまで行くんだろう

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演技達者な動物たちかよと思うまでの凄まじいCG。物語より超絶リアル映像が気になって、何だか凄いところに人類は来ているなと思ってしまい、一体どうなっているんだろう。モーションピクチャーからの類推ディープフェイクみたいな感じで動かしちゃうのかしらとか乏しい知識であれこれ想像するが当然わからない。映画終了後のクレジットをガン睨みしていたが当然機材とかわからない。

もはやCGというよりも、バーチャルワールドの創造に近い。DNA解析終わったコンピュータはどこまで行くんだろう。そのうちこれも量子とかで動かす時代が来るのだろうか。いやいっそ遺伝子組み換えと連動させて実在のフェイク動物による実写とか。(暴走中

色々調べたけどまだ制作方法とかオープンになってないみたいね。

#そう言えばジャングル大帝との訴訟問題なかったかどうなったんだっけとかここで一気に古い話

July 19, 2019

京アニのこと-憎悪の増幅システム

京都アニメーションの発祥は虫プロの仕事を受けていた主婦のグループだったということを知り、リボンの騎士やワンダースリーが、ジブリの請仕事を経てけいおんや涼宮ハルヒに連なっていたのかとぼっと考えた。

にしてもこの残忍な事件。虫プロはある意味で手塚治虫の作った地獄だったと思うけれど、もちろんこんなことは起きなかった。

発言の自由を与えたはずのSNSには、一方で憎悪の増幅システムが至る所に備えられていて、微細な恨みが途轍もない暴力に育っていく。トランプのツイートなど暴力そのものだ。

この事件の原因や意味について考えることは至る所でなされると思うけれど、およそコミュニケーションの発展は平和とは真逆の暴力性なしにはなされないのだろうか。そんなことを考えている。

なんの罪でこんな酷い死に方をしなければならないのか。

June 17, 2019

香港200万人のデモに関して-なぜ街に出る

香港で街頭に出た200万人の全ての人に、中国に拘束される明日の危機が迫っているわけではないだろう。

法案が廃止されても自身への直接的脅威が直ちに及ぶ人は僅か。大人しくさえしていれば明日も繁栄の香港で暮らしていられる。それでも人々は街に出た。

では街頭に出ることのデメリットは何だろう。山ほどある。逮捕の危険。怪我の危険。時には死の危険。収入を減らす危険。出世の道が絶たれる危険。社会が麻痺することによる失業の危険。

こうしてあげていくと、デモに参加することは自己へのリスクばかりが多く、反面、直接的に自己のメリットに繋がる人はごく僅かだ。それでも人々は街に出た。

それはなぜなのか。ヒロイックな視点ではなく、本当になぜなのか考えるべきだと思う。日本人は大半が受ける不利益に目を瞑り、集団の中での僅かな「色目」に気を使いデモに出ない。

デモで交通が麻痺するって?香港の人たちに聞かせたい。

現世の表面的な自己利益を優先するあまり動こうとしても足が動かない。自分自身と我らが同胞に問いかける。

本当に200万人はなぜ街に出たのか?
自分たちに見えていないものは何なのか?

May 26, 2019

【ターミネーターシリーズを観てきた人だけに提供する新情報】ワーウェイの孤立化を阻止せよ。 -ターミネーターもう1つの新作

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「ターミネーター ・ニューフェイト」の公開が間近に迫り話題を呼んでいますが、水面下ではさらにもう1つの新作「ターミネーター・チャイナリボリューション」の企画も進んでいるという極秘情報を入手しました。

舞台は20xx年。何度目かのタイムワープを繰り返すうちに反乱軍はスカイネットの本当の起源は2019年に当時の大統領トランプの米国大統領令により、世界のあらゆる規格から追い出された中国のIT企業、ワーウェイにあることを突き止めます。

反乱軍はこの大統領令がワーウェイとその後ろ盾である中国を追い詰め、巨大な反人類ネットワークの構築に繋がり、ワーウェイを手負いの犬として凶暴化させ米国のIT産業への復讐へ、そしてやがては人類の根源を脅かす巨大なスカイネットの起源につながったと見て、ターミネーターT-CHINAを送り込み、大統領を暗殺し、大統領令を阻止しようと試みます。

つまりワーウェイの孤立化を阻止することが人類の未来に対して重要な意味を持つのです。

なお「ターミネーター・チャイナリボリューション」の制作に関わることに関してジェームスキャメロンは一切コメントしていません。またこの情報の入手先についてはここでは明かせませんので悪しからず。

May 02, 2019

紙の本が残るための条件と悲しいDAYS JAPAN



連休は相変わらず大量の「紙の本」との格闘が不本意にも続いている。とりあえず処分するのは1000冊目安だけど残余の山がまだまだ手強い。
こうして片付けながら考えていると紙の本として残っていくものの条件が幾つか見えてくる。逆に言えばこれらの条件外のものは電子書籍で良いと思える。むしろ電子書籍がよい。

こうして見るとレイヤーは違うが古書の存在意義と(当たり前だが)重なってくる。(が、微妙にそれと違う要素もある)あと、最近は雑誌をほとんど買わなくなっているので勢いあるものは古い雑誌ばかりだな。特集本位で残している。

(紙でありながら笑 残すもの)
●大判を必要とする美術本、画集、図録
●古い時代に出版され今後デジタル化される見込みのない本
●存在自体が稀少である本、印刷装丁含めて全体が作品となっている本
●個人の思い入れ?(誰かにもらったとかメッセージ入っているとか)


それとは別の話だけどDAYS JAPANなんか全部捨ててやると思っていたがよい特集も多くあり手を止めてしまう。悲しい話だ。

April 29, 2019

蔵書の大整理-脳内のスキャン

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何十年ぶりかの引越しを控え、蔵書の大整理をしている。目標は2/3の処分。古書店にまとめて送ってしまい、買い取ってもらうことにする。

滅多にできない断捨離のチャンス。自分の大量の積ん読も、伯母から引き継いだ大量の本も、今後読む可能性がないもの、読み返すこともないもの、資料としての価値もないものなど、このまたとない機会に大整理することにした。

自分が判定していく基準を見ているとなかなか興味深い。作家によっては全滅の作家と(特定するとナニだから名前は書かないが)、作品によって残す作家、全て残す作家、ほぼ全滅の半端に古いIT関連本、資料として残したいのは古いコンピュータ本やサイバーパンク、宗教テロ関連、風俗関連にサブカル系などなど。思い切り古典になってしまうと意外となかなか捨てられない。初読では大して面白くなかったが、読み返しのために置いておきたい本などなど。もちろん東日本大震災や原発関連は全て残す。

自分がいま何にこだわって生きていて、何についてこだわっていないかよくわかる。脳がスキャンされる。

 

基本的にコレクターではありたくない。今後買う本は出来うる限り電子書籍として、自分がいなくなると同時に消えて構わない。そう思っている自分にとってそれでも今残したい紙の本とは何なのか。諸々思う。考える。

March 03, 2019

「グリーンブック」-地獄のような60年代の南部をエンターテイメントにしている



よくこんな難しいテーマを映画にできたなと思う。白人と黒人のロードムービーということでお決まりのラインかなと思ったけれど、細かなひねりが各所に効いている。その上ここでこれまで被せてくるのかとか。何よりこんな見ようによっては救いのないシリアスなテーマをエンターテインメントにして楽しさまで演出しているのが凄い。

人は必ず誰かに救われるものであり、一方的な依存関係はないんだというところの表現もいいです。ヒリヒリするようなドクの孤独とか。

しかし60年代の南部の人種差別の凄まじさに背筋が凍る。我らには人種問題に時として敏感すぎるのではないかと思われるハリウッドだけれど、むべなるかな。ここをくぐり抜けてきて彼らは今の場所に立っている。

イタリア系運転手トニーの奥さんがとてもいい。

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February 23, 2019

仕事の場で人をちゃん呼ばわりするのはやめよう

モーニングショーで、羽鳥さんがテレビが安心させるためのもので何が悪いのか的なことを言って話題になっていたが、その時テレビ報道への疑問を口にした宇賀アナウンサーのことを皆で「宇賀ちゃん」「宇賀ちゃん」と呼ぶのはもうやめないか。そもそもなぜ女子だと公の場でちゃん呼ばわりする。

男を公で「ちゃん呼ばわり」する例はなくはない。とくにテレビ関係だとよくある表現なのは知っているが、それなら「羽鳥ちゃん」「玉川ちゃん」と揃えるべきだ。「宇賀さん」と呼ぼうよと。ちゃん呼ばわりは親しみと交換にやはり本人への目線を下げる。そして女子ならちゃんでいい風潮は確かにある。

自分も気が緩むとやりかねないことではあるので、余計に戒めようと思う。飲み会だとか親しい間柄なら別かもしれないが、少なくとも仕事の場で人のことをちゃん呼ばわりするのはやめるべきだと思う。特に女子に対して多い。業界であってもテレビの中とかね。やめようよと。

宇賀さんは、報道をやりたいと思ってこの世界に来たと話していた。そして報道をするということは思うようにはいかないんだなと思っていると。そうした思いを抱えている、1人の若い有能な人を「ちゃん」などと気安く呼ぶのはもうやめよう。これは出演者もわれわれも。そういうところからじゃないのかな。ひとつひとつ。

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性の隣に

性に関わる仕事をしている人たちの中に、めちゃめちゃ文章巧者が多いということに、自分は前から気がついているのだけれど、(その人たちの性の表現がいいということではないです。それはある意味仕事柄当たり前なので)なかなかその理由がわからない。

凡な言い方になるけれど、性の隣に生と死があるその厳粛なエネルギーが、知らず知らずその人に宿るのかなとも思うのだけれど、少しこじつけめいているような気もする。

そうであれば、政治の隣には生も死もないのでありましょうか。ということになる。もっとも言葉を必要とする世界のはずなのに、荒涼たる砂漠どころか、砂にたとえるすらもったいない状況がある。


9/2。死ぬのめっちゃ怖い 戸田真琴

「わたしは死にたくないし、きみにも死んでほしくない。みんな、200年くらい、そう、生きることに本当にくたびれて、ぐだぐだに煮込み尽くされて茶色くなったおでんのはんぺんみたいになって、あと体験していない重要なことはたぶん死ぬっていうことくらいだな。とピュアな気持ちで思うことができるようになるくらいまで、いやになるほど生きて欲しい。200年生きようね、なんて一歩間違えたら怪しい宗教みたいに聞こえる言葉を、ファンのみなさんに対して言いながらちょっと泣きそうになったりする。

変なんだ、すべてのやさしい生き物、おもしろい生き物、かわいい生き物、どうしようもない生き物も、200年くらい生きてくれよ。ぜんぶしゃぶり尽くして嫌になるまで、もう顔も見たくなくなるくらいまで、そばにいようよ。そう思うことがあるんです。ほとんど、いつも。

なので、私、死ぬのがめちゃくちゃ怖いです。きみが死ぬのもめちゃくちゃ怖い、自分が死ぬのと同じくらい怖い。」

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February 17, 2019

沖縄のビートルズ

「今かかっていたのは沖縄の音楽?」とカフェにいた年配の客が出がけのレジ前でいきなり聞いた。
「?!いえ?!ビートルズですよ」とマスターが答える。

そう。誰が聴いてもアルバム「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」だよ。

「A day in the Life」でちょうど高校時代のことを思い出していた時だったから、僕もその質問には驚いた。

(皆が知っているように)インド音楽のようではあるけれど、まさかの沖縄音楽かと聞かれたマスターも驚いている。でもすぐに「確かにそんな風にも聞こえますね。考えたことなかったけど(笑)」と続けた。この人はこういうところがいい。

客の方は「ビートルズなの?!こんなビートルズ聴いたことがなかった」と照れている。

沖縄音楽かあ。。ちょっと考えてみたけれどシタールが三線の音色に重なったのかな?

でも僕にとって、ちょっとそれはないなあ。確かに世界は繋がってはいるけれど。沖縄の魂とは違う。

それにしても世界にはビートルズと言えば「イエスタデイ」や「Let it be」だと思ってる人もいるんだろうなあ。そういう人にとっては試行錯誤を繰り返した禍々しいビートルズは存在していないのかもしれない。それもこの世界の不可思議だ。

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February 11, 2019

Youtubeプレミアム「ORIGIN」が凄い——こんなクリエイターたちの時代に添いたかった。

YoutubeプレミアムのSFホラー「ORIGIN」
最初はエイリアンとブレードランナー足して2で割る的な程度の印象だったのだけれど、ストーリーもしっかりしていて人間描写も丁寧でかなり深い。何より同時代進行ののサイバークリエイターがどんな未来を考えているかがリアルにわかる。VRやAIの絡ませ方も上手いなあ。いいなあと感心。

こんなものが作られる時代のクリエイターにもっと添いたかった。



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「子供は親のそばで育つのが一番」ではない- 最優先されるのは個人の人権か家族の呪縛か


詰まる所「子供は親の元で育つのが一番」「家族が一緒にいることが何より大切」という宗教に近い日本文化の思い込みが社会からも関係者すべてからも消えないのだと思う。旧民法の家族制度の概念が色濃く残っているので、子供を親から家族から引き離すためにはそれを超えるだけの正当事由を積み重ねなければならないため、親権の制限が容易ではない。そのリスクを負うくらいなら不作為が一番となっても無理はない。児相が格闘している相手は、事なかれ主義に加えてこの日本社会の呪縛ではないだろうか。





西欧では「個人の尊厳、人権が何より優先される」という最優先の価値からの距離感で判断するので親からも引き離せるのだと思うし、圧倒的な個人の人権という価値の前には親権の制限が可能なのではないか。





旧民法の家族制度を復活させようとする試み、そうした勢力のために何が崩れるのか、こう考えてくるとよく見えてくる。





※てかそんな復古主義推進政党に何とかして復帰して潜り込もうとしている御仁がこういう記事を書くとは。何とも表現し難い。










「子どもは親の持ち物ではないはずだ。2016年、わが国の親権停止は、わずかに83件に過ぎない。ドイツでは毎年1万以上、英国では毎年5万以上の親の親権が停止され、ほとんどの子どもは、新しい親と共に生活している。




親とは何か。家族とは血のつながりを言うのか。私は違うと思う。育てられない親、育てる資格のない親が現実にいる。そのようなケースでは、乳児を含めて子どもたちに、それ以外の選択肢を示すのが、社会の責任だと私は思う。多様な家族のかたちを積極的に認めるべきだ」

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January 22, 2019

1人ひとりの顔-「ヒューマン・フロー 大地漂流」



アイウェイウェイの 「ヒューマン・フロー 大地漂流」 を観てきた。

ボートから降りてくる一人ひとりの、疲弊し果てた難民の顔。一人ひとりの顔をこんなにじっと見たことはなかった。ポタポタと落ちる水滴。めくれ上がった子供の背中。尊厳という言葉。

一度難民になると世界平均でそこを脱するには26年の年月がかかるという。迫害と弾圧が荒れ狂う中で、世界の各所で必死に彼らを助けている人々もいる。もしも自分がそこにいて、一度彼らの世界を覗き込んだらこちらの世界には二度と戻ってこられない気がする。

第二次世界大戦以来の大規模民族移動。人間の生物としての大転換期であり大移動の時期なのかもしれない。その中で倒れる大量の人たち。

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December 28, 2018

家へ帰ろう-現在進行形の責任について




たまたま時間があったので銀座で観たけれどめちゃくちゃいい映画でした。ナチス迫害の時代を生き延びたユダヤ人の老人が、助けてくれた恩人の友人をアルゼンチンからポーランドまで訪ねるロードムービー。道中出会う人々との会話から70年前の出来事が次第に明らかになってくる。

ネタバレできないからこういうの語れなくて困るのだけど、中でもドイツ人の若い女性との出会いの物語が涙腺崩壊でした。この世には想像を絶する地獄というのがかつてあった。ユダヤの受難と安易に比較してはいけないかもしれないけれど、自分も含め皆が時代を背負っている。

沖縄で起きていることへの現在進行形の責任とか考えました。お奨め。お正月に是非。

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December 14, 2018

辺野古の未来への予感

この膨大な不条理。新しい形のファッショがこの2018年の世の中にまかり通ろうとしている。俺は辺野古は無理だと思っている。基地はできない。地盤のせいなのか、選挙で自民が大敗するのか、それ以外の要因なのか。それは知らない。けれど辺野古は無理だと思っているのだ。それは世界に対する楽観かもしれないし、もしかしたら甘さかもしれない。けれどこの感覚は予感としか思えない。どこかで膨大なエネルギーのひずみで巻き返されると思っている。巻き返さなければいけない。

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「出会い系」から進化するマッチングサービス(CNET 更新)

ちょっとこんなの書きました。


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«ボヘミアンラプソディと自分のねじれた時間について

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