30万円で殺害を引き受けた15歳の少年は、接見した弁護士に対して激しく後悔している姿を見せているようだ。
事件から1週間、事件の背景が徐々に明らかになってきた。
互いの両親が離婚。同じ境遇による「共感」というキーワードが浮かんできた。ゲーム脳ではないようだ。
殺害を依頼した少年Aはそれまで神奈川県に住んでいたが、両親の離婚に伴い、小学6年生の時に母親の実家である稚内に引越し、中学入学と同時に、殺害を依頼した少年Bと出会う。
最初から気が合った2人は、中1の時、今度はBの両親が離婚したことで、同じ悩みを打ち明けられる親友になっていく。
このとき、Bは自分の意思で父親と同居することを選択する。
父親は定職につかず、家計は貧窮していた。Bは家計を支えるために新聞配達をしていた。
Aは今年1月家出をして大騒ぎになる。行った先は神奈川の父親の元だった。
結局は母親の元に帰ってきたのだが、中学の卒業文集では、家出したことを詫び、父親と同じ海上自衛隊員になって世の中の役に立ちたい、と書き記した。
Aが家出騒動を起こした1月、Bの父親がBに書置きをして練炭自殺を図った。
その書置きにはこんなことが書かれていた。
「2人でえび取りに行ったり、キャンプに行ったり楽しかった。これからはお母さんの家で楽しく生活してください。もう、思い残すことはない。お父さんを支えてくれてありがとう」
こうしてBは母親の元で暮らすようになる。
中学卒業後は別々の高校に進学した。
Aから殺害の依頼を受けたのは8月の初めごろだった。
最初は「冗談かと思った」という。
境遇が同じで「共感」しあえる間柄だと、なかなか断りきれない状況にあるらしい。
一線を越えるかどうかは「親が悲しむ姿が想像できるかどうか」。
Bの場合、自分が人を殺しても悲しむ最愛の父親の姿はすでになかった。
Aも「自分が頼まなければ、Bは楽しい生活をしていたのに、ごめんなさい」。
かわいそうな境遇であるが、だからといって人を殺したことに同情はできない。
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