刑事弁護人は「雇われガンマン」か?「聖職者」か?
さて、刑事弁護人の役割ー3つの質問 はお考え頂けただろうか。結構、同様のシチュエーションは弁護士ドラマで見るように思うが。
私のブログのコメント欄を掲示板がわりに使用している方々も、マスコミが押しつけてくる意見に頼るばかりでなく、一度「刑事弁護人の役割とは本来どういうものであるべきなのか」からじっくり考えてみて頂きたいと思う。マスコミが取り上げたらパーッと過剰反応するが、マスコミが取り上げなくなると何も反応しなくなる(これは多くのブログの傾向のようにも思う)というのはどうだろうか。
今春は弁護士ドラマ(殆どが刑事事件を題材にしている)が多いのだし、光市母子殺人事件、ホリエモン事件、耐震強度偽装事件などで弁護人に対する関心も高まっている。しかも、誰もが裁判員に選任されて重大な刑事裁判に参加しなければならない可能性がある時代である。裁判員になる前に弁護人の役割を考えておいても無駄にはならないのではないだろうか(こんなニュースも見つけたhttp://sports.nifty.com/cs/headline/details/et-sp-kfuln20060502006002/1.htm)。
だから、面倒くさがらずに、ちょっと足を止めてお考え下さい。
連休明けに刑事弁護人の役割ー3つの質問 や刑事弁護についてのQ
に対して、私なりに考えた回答をさせて頂きたいと思っている。
その前に、季刊刑事弁護のNO22の特集「刑事弁護の論理と倫理」や刑事弁護の経験豊富な諸先輩からお聞きしたお話をもとに、刑事弁護人の役割について(私が理解し得た限りで)議論を整理してみる。
表題の「雇われガンマンか?聖職者か?」の雇われガンマン(hired gun または用心棒)と聖職者(または唱道者 Advocate)は別に私が考えついた言葉ではなく、前記特集の村岡啓一弁護士(被疑者・被告人と弁護人の関係①)と、上田國廣弁護士(被疑者・被告人と弁護人の関係②)、小坂井久弁護士(弁護人の誠実義務)らがその論文で使われている言葉である。アメリカの弁護士の間で使われている言葉のようだ。なかなか比喩としては意味深な言葉だと思って表題に使わせて頂いた。
まず、刑事弁護人の役割を考える上での前提として、次の2点については、殆どの弁護士が共通認識とするところであろう。
1 弁護士は、たとえ依頼者のためであっても、証拠の隠滅や偽証の教唆などの違法行為をすることができない。
(弁護士職務基本規定75条 弁護士は、偽証若しくは虚偽の陳述をそそのかし、又は虚偽と知りながらその証拠を提出してはならない。)
2 弁護士には、事件の真相を解明する義務(積極的な真実義務)はない。
この点は一般の方々にはなかなか理解されていないようだ。弁護士がまるで警察官か探偵のように事件を調査する弁護士ドラマが多いせいだろうか。このような積極的な真実義務がないことから、弁護人が被疑者に黙秘を勧めることも許されるのである。
しかし、依頼者の希望にそのまま従った弁護活動が、明白に違法とまではいえないが、他の利益(たとえば真実を明らかにするという社会的な利益)と相反するような場合、弁護人はどうすべきか。
これについては、大きく分けて次の2つの立場があるようだ(他にもいろいろな立場があるようだが、ここでは対比しやすいように2つに絞って紹介させて頂く)。
A 弁護人の「雇われガンマン」としての性格を重視する立場。
ー弁護人の(依頼者である)被疑者や被告人に対する誠実義務を重視する立場(季刊刑事弁護N022 p23~ 村岡啓一弁護士の前記論文参照)。
1 弁護人は被疑者や被告人の武器に徹しなければならない。
被疑者や被告人は、法律知識の面においても、自己に有利な証拠を収集するという事実上の能力の面においても、国家の刑罰権の発動に対する防御の上で、国家権力と対等ではない。そこで、法律の専門家である弁護人を利用させることで(武器を与えることで)、少なくとも法律的知識の面での平等を図る(武器対等の原則)必要が生じる。
即ち、弁護人は、被疑者や被告人となった市民の自己防御権を補完するために「武器」として与えられるものである。
2 そもそも被疑者や被告人自身が自己防御権を持っているのだから、弁護の基本的方針を決定するのは被疑者や被告人本人であり、弁護人ではない。ただ、弁護人は法律の専門家として被疑者や被告人に最も適切と考える戦術について助言や説得をしなければならない。しかし、助言や説得の後、被疑者や被告人が一定の方針を決定したならば、弁護人としてはその決定を尊重しなければならず、その後は「武器」(gun)に徹しなければならない。これを弁護人の依頼者である被疑者や被告人に対する誠実義務・忠実義務という(守秘義務もその一つ)。
(弁護士職務基本規定46条 弁護士は、被疑者及び被告人の防御権が保障されていることにかんがみ、その権利及び利益を擁護するため、最善の弁護活動に努める。)
3 弁護人は依頼者に対する誠実義務を果たすために依頼者の主張する「真実」を追求するが、客観的な意味での真実(真相)を積極的に解明する義務はない。
4 弁護人が被疑者や被告人の量刑を有利にするために被害者と示談をしたり、被疑者や被告人の更正のための活動をすることなどは本来の弁護人の役割ではない。「事実認定手続と量刑手続とが分化している諸外国では、これらはケースワーカーの役割と考えられている」「被疑者や被告人の自己決定とは別に、弁護人が被疑者・被告人の『悔悟』と『更正』を求める国家意思の実現に手を貸すことになるのではないかという危惧を払拭できない。」とされている(村岡弁護士の前記論文 P30)。
B 弁護人の「聖職者」としての性格も重視する立場。
ー弁護人の誠実義務とともに公的な役割も重視する立場(季刊刑事弁護N022 p31~ 上田國廣弁護士の前記論文、同p39~ 森下弘弁護士の「刑事弁護ガイドラインへの一私案」参照)。
1 弁護人は依頼者に対する誠実義務を負うだけでなく、「正義」を導く存在とし公的な役割も負う。この公的な役割の内容については、論者によって異なるようで、(私の理解したところでは)弁護人にも法の適正な実現のために司法の独立の機関としての責任があるというようだ。この公的な役割の理解に参考となるのは、弁護士職務規程の以下の条文であろう。
2条 弁護士は職務の自由と独立を重んじる。
4条 弁護士は、司法の独立を擁護し、司法制度の健全な発展に寄与するように努める。
5条 弁護士は、真実を尊重し、信義に従い、誠実かつ公正に職務を行うものとする。
20条 弁護士は、事件の受任及び処理に当たり、自由かつ独立の立場を保持するように努める。
74条 弁護士は、裁判の公正及び適正手続の実現に努める。
2 弁護人はこの公的な役割のため、ときには依頼者である被疑者や被告人の決定と異なる弁護活動をすべき場合もある。被疑者や被告人の弁護人に対する要求を受け入れないことも可能である。証拠から明らかに虚偽とみられる事実を弁護人は主張することができない(弁護人には消極的な真実義務はある)。
3 ちなみに、この立場は、弁護人の役割を「楕円の論理」というものでとらえるようである(大野正男「楕円の論理」判例タイムズ528号7頁、村岡弁護士の前記論文p23、森下弁護士の前記論文p41参照)。
楕円には2つの中心点(焦点)があるように見える。つまり、刑事弁護人の役割の中心にはこの楕円のように、一つは被疑者や被告人に対する誠実義務(守秘義務が導かれる)、一つは公的な役割(真実義務が導かれやすい)という2つがあるというのである。
Aの立場を取る村岡弁護士も、この楕円の論理について、「弁護士とは、二つの中心点の間で、真実に忠実であろうとすれば依頼者を裏切りかねない立場に置かれ、守秘義務と真実義務との相克に苦悩する人間像だというのである。この説明は、不思議と唱道者Advocateのイメージと重なり、『苦悩する弁護人像』に共感した覚えがある。」としている(同P23)。
4 この立場では弁護人は聖職者のように被疑者や被告人に全人格的に関与し、弁護人の情状立証(示談、更正、反省・悔悟等)についても積極的な役割を果たすことが期待される(前記上田弁護士の論文p37、前記小坂井弁護士の論文p47)。
Aの立場に立つ村岡弁護士は、今は楕円の論理には従わず、弁護人は被疑者や被告人に対する誠実義務を貫くべきと考えているという。その根拠として、わが国の刑事裁判が当事者主義の構造になっており、「各訴訟当事者がそれぞれの役割を誠実に実践することによりシステム全体として健全性が保持されることを目指している。」ことを掲げられる(p29)。
ここのところは一般の方々には理解しがたいところであろう。今のマスコミ報道は、圧倒的に被害者寄りであり(但し、名張ぶどう酒事件の場合は、当初は被害者寄りであったが、今は奥西被告寄りである)、特に凶悪事件などでは国民は自らを被害者側に同化することが多い。被疑者や被告人の立場に身を置いて考えることはまずないだろう。
しかし、我々が犯罪者に対して法律を守ることを要求する以上、彼らの保障されている権利も守ってやらなければならない。
また、一私人である被疑者や被告人は、国家の刑罰権の発動に対しては実に非力である。現実には弁護人がついても検察側と対等になっているとはいえない。
貴方が電車の中で痴漢と間違われて逮捕された場合のことを考えて頂きたい。私の知り合いの先輩弁護士は、被告人の無罪(痴漢をしていないこと)の立証に大変に苦労された。被害者の供述以外に何も証拠がない状況下で、どのように無罪を立証したらいいのだろう。警察や検察は税金を使って捜査をし証拠を集めることができるが、被疑者や被告人は自分の金を使って証拠を集めなければならない。金も時間もかかる。これは私選弁護人を頼まずに国選弁護人とした場合も同様である。国選弁護人に支払われる報酬と費用は微々たるものだ。そんな費用で十分な調査や弁護活動ができるはずがない。軽微な罪であっても、このように被疑者や被告人となれば大変不利な戦いを強いられるのである(余談だが、周防正行監督が痴漢のえん罪事件を題材に映画を撮影するそうだ。http://www.mainichi-msn.co.jp/entertainment/cinema/news/20060419spn00m200003000c.html。これは是非見てみたい)。
このような状況下では、弁護人に被疑者や被告人に対する誠実義務のみならず、(その内容がはっきりしない)公的な役割まで求めるのは過大な要求である、というのもこの立場の背景にあるように思う。
これに対してBの立場の方は、一般の方々が弁護人に対して漠然と抱いているイメージと重なるのではないだろうか。
Bの立場に立つと思われる上田弁護士は、「刑事手続には、依頼者の利益だけでなく、他の市民の利益も関係してくる。積もりつもって、国民全体の権利に大きな影響を及ぼすことになる。その意味で、依頼者の自由な処分に委ねられる領域だけではない。」(前記論文p33)としている。また、Aの立場では弁護人に独自性がなく、弁護人に了承できない依頼者の主張に拘束されるとすれば、弁護士の刑事弁護活動に参加する情熱を削ぐことになるし、刑事弁護に対する国民の理解と支持を得られない、とする(p37、38)。
もっとも、上田弁護士も、弁護人の誠実義務を軽視するわけではなく、「わが国では、総体としては戦闘的な弁護活動が十分ではなく、依頼者が争っていても、弁護人がそれに沿わない弁護活動をする場合も多い。誠実義務を自覚し、可能な限り依頼者の自己決定権を尊重して弁護活動を展開していくことが、現時点ではとりわけ強く求められていることである。」(p38)としている。
このように刑事裁判において弁護人の果たすべき役割、刑事弁護のあり方については、弁護士間でも意見が分かれるところであり、単純に割り切ることのできない難しい問題を含んでいるのだ。
私も十分に理解できたとはいえない。文章に間違いもあるかもしれない。この問題に興味のある方は、ぜひ季刊刑事弁護NO22 特集「刑事弁護の論理と倫理」をお読み下さい。
そして、このような刑事弁護人の役割論を念頭に置いた上で、3つの設例と刑事弁護についてのQを改めて考えてみて下さい。
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コメント
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なるほど・・・抱いてた疑問が少し解消されました。
無理が有りそうな弁明でも可能性が1%でもあれば、被疑者の主張に沿った弁護をすべきなんですね(その可能性が1%か0%かの判断が難しかったりもするんでしょうけど・・・)
裁判員制度の導入にあたって国民の冷静な判断も必要とされてきますが、貴ブログはそういう意味において手助けになるかと思います。
頑張って下さい。
投稿: ロリコン軍曹 | 2006年5月 5日 (金) 03時23分
私(しまなみ法律事務所)のブログについてのコメントありがとうございました。
否認事件の刑事弁護は、難しいですね。とりわけ、国選事件ですと、被告人との間の信頼関係構築が大変です。理由のある主張であれば弁護人もやりやすいのですが・・・
投稿: しまなみ法律事務所(愛媛弁護士会所属) | 2006年5月 7日 (日) 22時05分
知り合いの弁護士は「用心棒」っていう表現をしていました。
問題が起きると「先生、おねがいします」って言われて登場するという意味だそうです。
投稿: RYZ | 2006年5月 8日 (月) 16時10分
はじめまして。リンクをたどってお邪魔しました。
(私なりに、ですが)すごく理解しやすくて色んな疑問がかなり解けました。ありがとうございます。
投稿: cat | 2007年9月 9日 (日) 00時41分