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« マスコミとブログ | トップページ | 裁判員制度の問題点が早くも露呈か »

2006年4月21日 (金)

テミスの目隠し

 皆様からいろいろなご意見を頂いたので、刑事弁護に一生懸命取り組んでおられる諸先輩や若手弁護士のご意見なども聞きながら、またちょっと資料なども調べて、少しは弁護士の刑事弁護の本質にせまる記事を書きたいと思っている。

 ただ、どの弁護士も口を揃えて言うには、「なかなか一般の方々に分かってもらうのは難しい。」ということだ。中には、「もう分かってもらわなくても結構。」という諦めに似た感情を抱いている弁護士もいる。

 前にも医療過誤についての記事で書いたが、それぞれの専門分野ごとに特殊な言葉や思考があるなあと思う。しかし、そういう専門分野にいる人間がいつまでも特殊なまま一般の方々に分かりやすい説明をしてこなかったことが、あらぬ誤解を生み、今回のような怒りをかっている気がする。

 私は、刑事弁護をやらなくなってから久しいので、本当は適任ではないのだが、ここはちょっと頑張ってみようかなと思っている。

 先輩弁護士から資料を教えて頂いたので、来週から少しずつできる限り分かりやすい記事を書いていこうと思っている。

 その前に、ちょっとテミスの像についてコメント。

 先回の記事で、テミス像について「私の知るギリシャ神話及び天文の知識では、テミスは法と秩序を司る神で、正義を司る神はその娘であるアストレイア(アストレーア)だったと思います。」というコメントを頂いたのだが、私はギリシャ神話については詳しく知らないので、そうなのかもしれない。ただ、ここでは象徴的な意味でテミス像を取り上げさせて頂くので、テミスとアストレーアの両方を象徴した像として理解して頂いてもいい。

 ギリシャ神話上は正確ではないのかもしれないが、司法界における理解では、このテミス像は「剣は法の厳しさや司法の権威・権力を、天秤は法の公正・公平を、目隠しは先入観や予断を持たないで裁く、法の理想を表現する人格的象徴」

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%9F%E3%82%B9

ということでよいと思う。

 ちなみに、この天秤は現在の弁護士バッジの中央部分に刻印されている。

 このテミスの像は欧米では法律事務所によく置かれているそうである。日本ではそれほど見かけないが。

 私は、弁護士にこのテミスをあてはめるのは、ちょっと無理ではないかとかねがね思っていた。

 まず、弁護士には剣(司法の権力)は殆どないのではないか。特に最近はそうである。将来ますますそうなっていくだろうと思ってしまう。

 私が弁護士にもこの剣が与えられていると思うのは、せいぜい破産管財人に選任されたときくらい。破産管財人は、裁判所から選任されて破産した会社や人の財産をお金に替えて債権者に配当したり、破産者について免責を与えるか否か(つまり残った債務を支払わなくてもよいとするかどうか)の意見書を裁判所に提出する。免責を得られるかどうかは破産者のそれからの人生に大きな影響を与える。このときは、やはり剣が与えられていると感じる。

 それ以外に剣が与えられていると思うことはまずない。まあ、弁護士に過払金を求められるサラ金や違法行為を追求されている者は弁護士は剣を持っていると思っているのかもしれないが・・・。

 天秤については、かなり疑問である。弁護士には依頼人というものがあるのだから、「公正」はともかく「公平」を弁護士に要求するのは無理ではないかと思っている。公正を「法律やルールを守ること」ととらえれば、弁護士にこれが求められるのは分かる。しかし、「公平」であれ、というのは一方当事者の利益を守る立場に立つ弁護士には無理だと思う。

 目隠しについては、「先入観や予断を持たない」で相談や依頼に対応することであれば当てはまる。ただし、「裁く」わけではないので、これは当てはまらない。ただ、相談者や依頼者の話を、他の情報(例えばマスコミ報道など)にまどわされるなく聞き、あるいは自分の目で見て(例えば現場を見に行くなど)、客観的に資料を読み、自分で判断することは求められていると思う。

 しかし、これらが全て当てはまるのは、やはり裁判所であろう。裁判所には剣が与えられいるので、天秤と目隠しが求められるのである。

 私は、光市母子殺人事件の情報には詳しくないので、これが本当かどうか分からないが、原審か控訴審かの裁判官が遺族が遺影を持って法廷に入ることを拒み、これを遺族が非常に立腹されたというようなことを書いていたブログがあった。

 これは推測だが、この裁判官は「目隠し」をしたかったのではないだろうか。刑事裁判の場合、裁判官は裁判記録(これには警察官や検察官が被害者の遺族の心情を聞き取りした調書も含まれる。この調書はおそらく膨大な量だろう。)のみをもとに自らの良心に従って何ものからも独立して判断を下さなければならない。どうしても、遺族が遺影を抱きかかえているのをみると、被害者側へと情が流れ、先入観や予断によらない公平な裁判が難しくなると感じたのではないか。

 このような視点からの見方もあることを今一度考えて頂きたいと思う。

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刑事弁護」カテゴリの記事

コメント

ふたつだけ書き込みをさせていただきます。

まずテミスの件ですが、あれからもう少しネットで調べたところ、このような記事を見つけました。
http://www.setsunan.ac.jp/~tosho/gakuji/gakuji_back/15.htm
現存する最古の像は、目隠しがなくかつ両手が欠けているので小道具の有無は不明であり、小道具が用いられはじめたのは16世紀以降だそうです。ですから近代の理念に副うように像が変化していったのではないでしょうか。

もう一点ですが、遺影の持込に関しては、同時期の裁判で、元日弁連副会長の奥様が殺害された事件ではそれが認められております。
http://www.matino-akari.com/linksyu/log/news/01000.html
法律的に高度な判断があった、とおっしゃるのであればその真偽を一般人が判定しようもありませんが、これも「公平」でないと庶民の眼に映るのは、間違いなのでしょうか。そもそも弁護士の方こそ居住まいを正して欲しいと欲するのは「ぜいたくな願い」なのでしょうか。

影をなくした男さんへ
 
 まず、法廷での訴訟指揮権は裁判官にあります。遺影の持ち込みについては、裁判官(合議の場合は複数の裁判官)が決めることになります。これについては、裁判所で一定のルールを定めることが協議されたこともあるようですが、結局、個々の裁判官の判断に委ねられることになったようです。
http://www.j-j-n.com/opinion/past2003/010603.html
 ですから、個々の裁判官ごとに判断が異なっているのです。一人一人の裁判官がそれぞれ「公平」な判断をするために必要と考えることに従っているのだと思います。 
 
 実際に遺影の持ち込みについてこういう議論もあるようです。
  http://kccn.konan-u.ac.jp/law-school/online/cases/index11.html

 これは、「弁護士の居住まい」とは全く別の問題です。

まず、レスありがとうございました。

先ほどの書き込みに付け足させていただきますと、申し上げたいのは一般人から見た印象です。光市の被害者の家族の遺影持込が拒否された当時、報道でも大きく取り上げられかつ裁判所の判断を尊重する論調の報道(但し、「裁判所の独自性について」ではありません)が主たるものでした。であれば、これを見た一般人は「遺影の持込をしてはならないのだ」と判断すると思います。
事実、前記の元日弁連副会長まで同様の行為が各地で行われたという報道は記憶にございません。にもかかわらず、この元日弁連副会長の件について認められたからこそ大きく報道されました。
(尚、ご引用いただいたリンク先の記事も拝読いたしましたが、2003年の記事でありこういった事実が積み重なった以降における判断の話であると理解いたします)
結果として元日弁連副会長が突破口となって持込を行うこともできるようになったという考えもでき、その件で貢献しているではないか、とおっしゃるのであればそれはそのとおりです。
しかしながら、一般人ですら禁じられている遺影の持込をなぜ加害者の保護につとめることを主たる職務とされてきた弁護士(むろん全ての弁護士の方が刑事事件を担当されるのではないことをこのブログで理解しました)の方が我慢できなかったのでしょう。
「弁護士も人間だから、被害者になれば被害者として最大の権利を主張していく」ということなのでしょうか。
「居住まい」という言葉が問題であるというなら、それはお詫びして撤回させていただきます。
また弁護士の方を尊敬していた部分に勝手な思い込みがあるというご指摘ならそれも甘んじてお受けいたします。

度々申し訳ございません。
前回の送信文で、()内の文章のうち、「2003年の記事であり」を「2001年の記事であり」に訂正させていただきます。
誠に申し訳ございませんでした。

影をなくした男さんへ
「しかしながら、一般人ですら禁じられている遺影の持込をなぜ加害者の保護につとめることを主たる職務とされてきた弁護士の方が我慢できなかったのでしょう。」
「弁護士も人間だから、被害者になれば被害者として最大の権利を主張していく」ということなのでしょうか。

 これは理解が違います。
 http://kccn.konan-u.ac.jp/law-school/online/cases/index11.html
のページはおそらくロースクールのものでしょうが、遺影の持ち込みの可否とその方法について、意見が分かれると書いてあります。
 裁判官でも、弁護士でも意見が分かれることなのです。
 ちなみに、私も一定のルールのもとで(遺影の大きさとか、遺影を高く掲げるなどの行為をしない、などについてのルール)法廷に遺影を持ち込むことは別に問題ないのではないかと思っています。
 日弁連の元副会長の方がどういうご見解だったのかは分かりません。そして、マスコミがどういう反応をしたのかは知りません。
 しかし、こちらも弁護士の居住まいという問題ではないと思います。

今年から始まった裁判員制度について書いたのと、日本のテミスを作ったので、ホームページを見てください。
http://www4.plala.or.jp/mannmaru/

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