ネオ・ウルトラQ パンドラの穴
さてネオ・ウルトラQ第4話「パンドラの穴」の感想である。
(以下、ネタバレ感想)
ギリシャ神話の中に「パンドラの箱」という話がある。
それを開けてはならないと神は人間に云い、事実、箱の中にはこの世の災厄が入っていたのだが、しかし好奇心の強いパンドラはそれを開けるよう夫のエピメテウス(※人に火を与えたプロメテウスの弟)に頼み、結局開けてしまう。
その結果が、たとえ悪い物であっても、人は中身を観ずには居られない物なのだ。
好奇心は猫をも殺す。
行き過ぎた好奇心は身を滅ぼすが、しかし好奇心無くしては科学の、そして人類の発展は、ない。
渡良瀬は黒木の行動を忌避していたが、真実の追究、科学の発展にはそれは不可欠だ。
特に人体の秘密(つまり医学のことだが)を解明しようとすると、結局は人体実験に繋がる。残酷なようだが、現代の医学は古代から続く膨大な人体実験の積み重ねの上に成り立っているといっても過言ではない。
そして科学は人類の生活を、生き方を、そして価値観(善悪)も変える。
マーラーが善悪を無くすと言っていたが、実はそれ自体は黒木の言葉なのだろうな。
黒木自身は科学(この場合は脳科学だろうが)を極めることにより、価値観を無くそうと考えていたのだろう。
原子爆弾を発明したマンハッタン計画の科学者の様に、自身の発見や発明が社会のあり方を変え、世界を変革するのは、科学者にとって恐怖であるとともに、究極的な夢だろう。
マーラーとは、つまり科学の闇の象徴なんだろう。
ところでマーラーとはなんだろう。
一応、自信を悪意などと云っていることから、あまり現代社会にとって良くない物であるようだ(封印されていたことからも明らかである)。
彼は言葉巧みに黒木に近づき、彼の恐怖や憤怒や嫉妬や虚栄心を引き出して、結局自身を解放した。
恐らく最初にマーラーの煙を吸い込んだときに、黒木の意思や願望を読み取り、具現化していったのだろう。
或いは、あの穴で起こったことは、全て黒木が観た幻想であったのかもしれない。
マーラーはいろんな条件を出して黒木を翻弄する。
世の中の価値観を一変すると云い、それでも黒木が反発すると、今度は黒木の恋人であるハルカを助けると云う(恐らくこれは嘘なんだろう)。
ライバルである南風原によって嫉妬心を煽り、終いには黒木自身を認め、敗北したと見せかけ、結局目的を達成した。
まるで寓話に出てくる悪魔の様な手管には、舌を巻くばかりである。
因みに、マーラーは恐らく仏教の「マーラ」が出典なんだろう。
「マーラ」は煩悩の化身であり、釈迦が悟りを開く際に邪魔しに来た悪魔である(神という解釈もあり)。
「マーラ」の邪魔は結局失敗し、釈迦は悟りを開いた。
(ちなみにキリスト教にも似たような話があったりする)
マーラーは封じ込められたと言ったが、これはつまり仏教(宗教)などによって人の規範が決定されて、人によって「悪」とされた感情なのだろう。仏教では煩悩。キリスト教では「七つの大罪」か。
つまりマーラーは、出典から考えると、ネオ・ウルトラQの第3話で出てきた「負のエネルギー」に近い存在ではないかと考えられる。
黒木は恋人のハルカ(の幻影)に唆されてマーラーが封印されている蓋を開けた。
彼は釈迦やキリストと並ぶことは出来なかったが、科学者としては或いは正しい。
ところで、最後にハルカに唆されて蓋を開けたのは、恐らくパンドラの箱をなぞっているのだろう。
黒木がエピメテウスで、ハルカがパンドラだな。
因みにではあるが、パンドラはギリシャ神話においては最初の女性であり、これは「災い」をもたらすために作られた。
彼女を作ったのは鍛冶の神「へーパイストス」。つまり「ウルカヌス」である。
・・・ん? ウルカヌス?
第3話に「ウルカヌス」星人が出てきたが、これは何かの偶然だろうか?
いやいや、ネオ・ウルトラQはほぼ一人の脚本である。
これは何かの符号に違いない。
「負のエネルギー」と尊ぶ「ウルカヌス星人」。
今回出てきたマーラーとは「負のエネルギー」をそのものか、或いはそれを解放する悪魔(意思)である。
マーラーは黒木(エピメテウス)にパンドラの箱を開放するように求め、色々と策を弄したが、結局、最後にそれを成したのはハルカの幻影(パンドラ)の懇願であった。
もしも、前回に星に帰った「ウルカヌス星人」が、それ以上の「負のエネルギー」を確保しに画策していたら?
そのために、パンドラであるハルカを作ったのだとしたら?
ううむ、小物な宇宙人だと思っていたウルカヌス星人、その欲望のために人類に災いをもたらすとは、なかなか侮れない奴らであった・・・
それにしても、マーラーが解放された後の世界がどうなってしまうのだろう。
私はあまり変らない物になると思う。
マーラーが人間にどのような影響があるのか不明であるが、恐らく宗教や教育から来る善悪という規範(フロイト的には超自我みたいなもの)を破壊するものであったとしよう。しかし、それでも秩序ある世界は保っていくような気がする(まあ、やや利己的で殺伐としそうではあるが)。
それは人間社会は善悪の規範という感情だけで決定されているわけではなく、かなりの部分が理論的な損得勘定で成り立っていると思うからだ。
つまり社会を形成していた方が、人間は余計なことにエネルギーを使わずに楽に生きられる筈なのである。
またマーラーを封じた規範(善悪等の価値観)は、結局、時代や科学技術の発展により、覆されていくような物だと思うからだ。
結局のところ、マーラーは少しずつ、科学の力によって、封印を解かれていったのだろう。
人が、好奇心を失わない限り。
| 固定リンク
「映画・テレビ」カテゴリの記事
- ネオ・ウルトラQ アルゴス・デモクラシー(2013.03.29)
- ネオ・ウルトラQ ファルマガンとミチル(2013.03.22)
- ネオ・ウルトラQ 東京プロトコル(2013.03.15)
- ネオ・ウルトラQ 思い出は惑星(ほし)を越えて(2013.03.08)
- ネオ・ウルトラQ 鉄の貝(2013.03.01)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント