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戸籍制度に抵抗する言葉

2010年06月15日 10:41



つて僕は、戸籍制度に反対する人たちと出会い、家族関係に対するスレた感情もあって、戸籍制度ってやっぱりおかしいかもと思うようになった。実際に戸籍制度と向き合い、その差別(等しくない取り扱いによる社会的不利益)を感受したのは、自分が当事者になったときだった。僕が出会った戸籍制度を維持する圧力は、多くの人が出会うのと同様に、意図的に人を傷つける圧力ではなかった。

とえば、結婚というパートナーシップの形をとるとき、夫の親や妻の親は、「夫婦別姓だったり戸籍がないことが周囲に分かったら子供がかわいそうだ」「妻が夫の家の家族行事に参加したときに内縁の妻として扱われるのではないか」「戸籍を入れないということは家族関係の責任を放棄するということではないか」などの不安にとりつかれることが、痛いくらいに分かった。それは現実に起こりうることで、親たちはその光景に身がまえる。自分や親しい人たちを守りたいという気持ちがそこにある。

かし、その不安をこうじさせる光景そのものは、典型的ともいえる社会的排除、差別の場面であるだろう。内縁の妻を差別し、戸籍がない子を差別し、戸籍の強制力がないと維持できない脆弱な関係におびえる風景である。さらに、この社会の担い手たち、常識を重んじ、子を守りたいと思う人たちは、排除されないようにできるだけ排除しないようにとする。自分の身近でそんな不幸な出来事が起こらないようにと願う。結果的にその人たちは、社会規範の同化圧力の担い手となる。それは強制でさえない。「私たちは排除しない。ただ社会が排除する。だから排除されないような場に入ってほしい」という同化の光景である。被差別者だって、いつその同化の力の一部となるか分からない。

別には伝統的な類型化があるけれど、おおまかに言うと、ひとつには参加の機会を奪ったり直接的な暴力を行ったりという「排除型差別」があり、もうひとつにはこの排除型差別を背景にした「同化型差別」がある。この定義からすると、苦しいことに幸福のために同化を望む言葉もまた差別である。

ころで、戸籍制度そのものは、家制度を編成・強化するために意図的に作られた近代政策の一部だ。それは予め排除・選別を組み込んでいて、理想の家族に同化させる圧力を発するように、意図的に作られたものだった。事務的には、氏(苗字)を強制的に作らせ、戸籍筆頭者(長男)とその妻とその子の出生・関係・死亡を公的に証明するものである。そのつど手続きをさせる。税金をとりっぱぐれないように、また、生産力や戦争で諸外国に負けないように、強い人間を作ろうとして、この国は戸籍制度を19世紀後半に作った。だから基本的に戸籍は、長男の血縁を財産と共に相続する仕組みであり、その記載方法からして女性の取り扱いが不平等になっていた。また、時代がくだって戦後になっても、税制・社会保障関係法をこの国が望む理想的な家族関係と連動させることで、それ以外の家族関係は排除される仕組みになってきた。その人が被差別部落出身者であるか、その人は片親なのか、その人は養子なのか、その人が婚外子なのか、その人の本当の性別が何なのか、そんな人に知られたくない(不利益になるから)個人情報を第三者が閲覧して、人を選別できる仕組みだった。さかのぼると、そのそも戸籍制度は身分制と連動していたりもした。天皇制との関連付けも明白で、天皇には戸籍がなく、どうやら僕らは天皇の臣民という位置づけでいまでも生きているらしい。こうして僕らはおおむね、家制度(長男以外を二級の人格として取り扱う余地を残す)を残存させる仕組みの中で生き続けている。

除・選別は、ある人たちにとっては「家族関係の凝集性」を保つための必要悪とされる。しかし、排除される側からしてみたら、根拠のない悪でしかない。戸籍制度を積極的に擁護する側だって、排除・選別機能の存在を認めているのだ。そして、この排除・選別機能におののいて不安になって、戸籍なんてどちらでもよいと考える人も同化していくようにできている。その人たちは「自分たちは差別的ではないけどね…」という実感をもっているように思う。この同化圧力は、理想の家族の凝集性を高めるために、戸籍制度の作り手が意識的に作り出したものではある。家族の自然な感情に戸籍制度はパラサイトしており、愛情や憎しみと戸籍感情がからみあってときほぐしがたくなっている。パートナーと出会い子を生み育てる自然のプロセスに介入する政治装置である。

のパラサイトの上でできてしまった戸籍感情を断ち切るために、いろんな人たちの気持ちをあえて断ち切って、原則的なことを確認しておきたい。戸籍制度を擁護する側も別の言葉で認めているように、「戸籍制度は排除・選別機能を予め組み込んだ家族の凝集性を高める装置である」。

は人を差別することもたくさんあるけど、なるべく差別したくない。だから戸籍制度には賛成しない。パートナーや家族を苦しめることになる。でも、それは戸籍制度に予め組み込まれていたトラップだと思う。僕はどちらかというと人の感情に流されやすいし、目の前でしんどくなる人がいると、自分の信念とかどっちでもいいと思ってしまったりする。けど、こうして差別が再生産されるということも僕は知っている。ごめんなさい。僕は戸籍制度に反対します。

戸籍を入れて生活する法律婚カップルの千倍以上楽しい世界を、僕らは作れるだろうか。どうか、法律婚に魅力を感じない人がもっともっとたくさんいて、この世界がもうちょっと多様でフラットになりますように。


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    戸籍と理想の家族

    すこし前のエントリですが、大変よいものを見つけました。 戸籍制度の持つ差別性について書かれた記事です。 このエントリに書いてあることは、「そうだ、そうだ」と 賛同なさるかたも、たくさんいるだろうと思います。 「戸籍制度に抵抗する言葉」