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平和祈念展示資料館(東京都新宿区西新宿2-6-1 新宿住友ビル48階)

○平和祈念展示資料館(東京都新宿区西新宿2-6-1 新宿住友ビル48階)

 

平和祈念展示資料館に行ってみた


※イヴェントのチラシ
中央付近の飛行士の写真は俳優の西村晃。特攻隊員だった。
 

新宿西口のイヴェント・スペースで少し前から「平和祈念展」というのをやっているのが気になっていた。新宿住友ビル48階にある平和祈念展示資料館のPR展示といったところ。東京都内在住のかたは山手線の車内で水木しげるのイラストを配した広告を目にしたことがあるかもしれない。あの資料館だ。

平和祈念展示資料館地図

日曜日(2009年8月9日)に、まず西口の展示を見て、地下道を通って住友ビルに向かった。西口・住友ビルともに、かなり多くの人が観覧に訪れていた。


※「平和祈念展」(JR新宿駅西口)
親子連れもいたが、場内には圧倒的に中高年が多い。
写真左側には鬼太郎のパネルが見える。
 

平和祈念展示資料は、入場無料。年末年始とビル全体が閉館しているとき以外は、いつも開いている。

私は、平和祈念展示資料館の展示の方針には懐疑的だったが、今回はじめて展示内容を確認することが出来た。運営主体は、独立行政法人平和祈念事業特別基金。展示は大きく、恩給欠格者・戦後強制抑留・海外からの引揚げの3本柱。

半分政府みたいな主体による展示が、このように戦争の被害の歴史ばかりを強調するのは問題だと私は考える。民間団体による資料館であれば理解できるけれども。恩給欠格者・戦後強制抑留者・引揚げ者そのものはある意味で戦争被害者と言えるが、政府は戦争の被害者ではない。

二等兵として従軍した水木しげるのイラストが大々的にフィーチャーされているのは、この種の欺瞞を象徴している。政府のオフィシャルな史観を補強するために、被害者の視点が簒奪され、換骨奪胎され、統合されている。非常にキメラ的でグロテスクな歴史観。

とはいえ、尻尾を出しているところもある。例えば、戦後強制抑留コーナーの冒頭にはご丁寧に「武装解除 強制連行」と書いてある。終戦により武装解除された後に強制連行されたのだから、彼らはもはや大日本帝国陸軍軍属としてのステータスを失っているため政府は補償の義務を負わないという政府の見解が読み取れる。元軍人を戦争後にソ連が無理矢理連れて行った、というロジック。狡猾な言葉の綾だと思う。そもそも、召集されなければ彼らはあんな目にはあわずに済んだ。

ただ、文句を言いつつも心打たれた展示があった。シベリアの瓦工場で強制労働させられていた日本兵が、工場の粘度を盗んでこっそり窯で焼いた湯呑。表に「耐え忍ぶ」と彫ってあった。言葉もない。人間の人間的な営みがもつ力強さと美しさに打たれた。やはり最終的に信じられるのは国家より個々の人間だ。

展示の主人公である戦争被害者ひとりひとりが送った人生や迎えた死を私は全面的に肯定したい。ただ、展示の運営主体の姿勢、政府お墨付きの歴史観が気に入らないのだ。保守論壇の中途半端なイデオローグは、個人史と国史を癒着させて人を煙に巻こうとするから始末に負えない。

資料館の窓から新宿中央公園・西新宿・中野あたりが一望できた。きっとこのあたりは空襲ですっかり焼けてしまった辺りだよなぁ。戦争があったなんてまるで嘘みたいな街並。


※無料配布されていた森田拳次『満州からの引揚げ 遥かなる紅い夕陽』
 

『丸出だめ夫』(1964年〜1967年)や『ロボタン』(1966年〜1968年)で知られる森田拳次による『満州からの引揚げ 遥かなる紅い夕陽』(独立行政法人平和祈念事業特別基金、2006年)という64ページの漫画小冊子が無料で配布されていた。満州入植者一家から見た引揚げ経験が描かれている。巻頭の資料や巻末の年表も役に立つ。資料館に行ったら必ずゲットだ。

ラジオに関係する展示

「ラジオ批評ブログ」を謳っているので、少しラジオの話。

もちろん、ラジオがらみの展示もあった。

海軍の通信兵が終戦時に艦から取り外して記念に持ち帰ったというモールス信号の電鍵や、九二式野戦用有線電話器など、通信関係の展示も多くはないがあるにはあった。

西村晃・ちばてつや・小林千登勢などが戦争体験を証言した音源を聴取できるブースもある。ちなみに、そこのヘッド・フォンは AKG K-44 だった。テレビ時代劇『水戸黄門』(TBSテレビ)の上品な水戸光圀役でおなじみだった俳優・西村晃(1923年1月25日〜1997年4月15日)は、白菊特別攻撃隊の一員として出撃に備えて遺書まで残していたそうだ。出撃を前に戦争が終り、生き延びることができたとのこと。ブースではその遺書が聴取できる。西村本人の朗読ではないのが残念だ。

展示の終盤に図書閲覧コーナーがあり、そこに、日本放送協会[編]『ラジオ年鑑』(大空社、1989年)が、昭和6年から22年ぶんまで置いてあった。その各巻の巻末に、おそらく当時のものと思われる広告が再掲載されている。石川無線電機株式会社というところから出ている6球スーパーの「愛國號」、ビクターの6球スーパー「6R-75型」といったラジオ受信機の広告や、各種パーツの広告、電信技師養成学校の案内など、詳しい人が見ればかなり愉しめるのではないかと思われるものが多数。

ビクターのような今でもメジャーな会社の広告もあるが、聞いたことのない会社も多かった。日本で初めてラジオ放送が始まったのは、関東大震災後まもない1925年(大正14)年。当時のラジオは最新のメディアだったわけだから、昭和ひと桁あたりはラジオ・メーカーが次つぎと現れては消えていたのかもしれない。ひと昔前のIT企業の抬頭みたいな感じで。戦争の後押しによる技術革新もあったはずだ。

戦争とラジオというテーマはかなり奥深そうだ。

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コメント

(私の場合)以前から総武線の車内広告で目にする度に気になっていました。住友ビルの家賃高そうな場所で常設しているし客なんかあまり入らないだろうし入場無料だし・・・どういう団体がどういう趣旨で運営しているのか? ずーっと疑問でした。

で、MasaruSさんの記事で紹介されているHPを拝見したら、何だか政府広報レベルですね。まあ見た目は中立っぽいですが、間違いなく国家予算が入っていて文科省官僚が天下っているでしょうな。というわけで、私も近いうちに「査察」に入ってみたいと思います(笑)。

投稿: やきとり | 2009年8月13日 (木) 00時13分

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