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大森一樹[監督]『オレンジロード急行』(1978年)をフィルムセンターで観た。

○大森一樹[監督]『オレンジロード急行』(1978年)をフィルムセンターで観た。

 

大森一樹監督 オレンジロード急行 1978年
 

京橋の東京国立近代美術館フィルムセンターで2014年3月18日〜30日にかけて開催されていた、大森一樹特集『オレンジロード急行』(1978年)を観た。

上映会情報 自選シリーズ 現代日本の映画監督2 大森一樹

『オレンジロード急行』は、海賊ラジオをモチーフにした作品。

実はこの作品、フィルムセンターで2014年5月17日(土)・5月25日(日)にアンコール上映される。たぶん、また観に行ってしまいそうな気がする。

以下、映画とトーク・ショーのレポート。

『オレンジロード急行』(1978年)を観た

『オレンジロード急行』は現在DVD・Blu-ray化されておらず、中古のVHSソフトを入手する以外に観る方法がない。そんな作品をスクリーンで観ることができるというので、喜び勇んでフィルムセンターへ。それに何と言っても、ラジオの話なので、「ラジオ批評ブログ」としては見逃せない。

大森一樹監督 オレンジロード急行 1978年
大森一樹[監督]『オレンジロード急行』(1978年)
 

あらすじ

流(森本レオ)・ダンプ(中島ゆたか)・ファイト(小倉一郎)たちは、やめ時を逸したかのように海賊放送を続けて8年になる。自動車に機材を積み込み、移動しながの放送。しかし、放送を技術的に支えていた羽島(河原崎建三)はアメリカの大学に招聘され、メカ(志麻哲也)は田舎の和歌山へ帰郷し、それぞれ海賊放送から離脱。放送の継続が困難になる。

後日、帰郷したメカから無線を受信すると、和歌山に遊びに来いと言う。流・ダンプ・ファイトの3人は、最後の海賊放送の旅に出る。

これまで彼らに目を付けていた源田刑事(原田芳雄)が、海賊放送の後を追う。

他方、嵐寛寿郎・岡田嘉子演ずる老カップル(「夫婦」と解説しているサイトがあるが、夫婦ではない)が、自動車泥棒を繰り返しつつ旅を続けている。盗んだ自動車に子供が乗っていたため、この老カップルも誘拐容疑で源田刑事に追われることになる。

海賊放送のトラックは、路肩に立つ老カップルに遭遇する……。

感想など

作品全体としてはドタバタ逃亡劇の青春ロード・ムービーであるが、ジャン-リュック・ゴダール『気狂いピエロ』Pierrot Le Fou(1965年)の影響が見られる(と思う)。

自動車泥棒の老カップルにも何か出典があるのかもしれないけれど、私には分からない(心当りのあるかたはご教示ください)。ただ、ふと、もしボニーとクライドが生きていたら、当時あのくらいの歳かなぁ、と思ったりはしたけれど。

ちなみに、自動車を盗まれる被害者のひとりとして、作品冒頭にTBSの林美雄アナウンサーも登場する。

エンディングに関しては、フランソワ・トリュフォー『大人は判ってくれない』Les Quatre Cents Coups(1959年)の影響があると思われる。

『大人は判ってくれない』の主人公・アントワーヌは、現実から目を逸らして逃げ続けた人生のあげく、最後には鑑別所から逃亡するが、行き止まりの波打ち際で引き返すことを余儀なくされる。アントワーヌは、いよいよ大人になることを迫られるのだ。

しかし、『オレンジロード急行』の主人公たちは、波打ち際で引き返さない。大人になることを拒否するかのように、「公海上で海賊放送をやろう」と語り合いながら、舟に機材を積み込んで、沖をめがけて出航する。

大森一樹監督 オレンジロード急行 1978年
 

トークショー

『トットチャンネル』(1987年)のトークショーでは斉藤由貴をゲストに向かえ、撮影秘話や思い出話中心だったけれど、この回では映画論的な話となった。

・ジャパニーズ・ニューウェイブの監督たち

80年代に頭角を現した、いわゆる「ジャパニーズ・ニューウェイブ」の監督の中には、相米慎二・根岸吉太郎のような映画会社の撮影所出身監督と、大森一樹・森田芳光・井筒和幸・石井聰亙・渡辺真耶のような自主映画出身監督がいる。

彼らがデヴューする以前の映画界は、映画会社が作って劇場公開される商業映画と、それ以外の自主映画がハッキリと分かれていて、両者に交流はなかったとのこと。

この世代は自主映画からいきなり劇場映画監督デヴューした最初の世代で、大森監督は日本初の現役大学生監督となった。

『オレンジロード急行』と同時に、自主映画時代の作品『ヒロシマから遠く離れて』(1972年)・『暗くなるまで待てない』(1975年)・『夏子と長いお別れ(ロンググッドバイ)』(1978年)も上映された。大森監督自身は上映に乗り気ではなかったけれど、自主映画→商業映画監督という流れを重視するプログラムであると学芸員の方が説明していた。

ちなみに、客席には、ATGと文芸坐の元社長も来場していた。映画の歴史の流れの中にいるような気持ちになり、少しドキドキした。

撮影所の意義

しかし、大森監督としては、映画監督として撮影所のスタッフと仕事をすることによる気付きや学びもあったそうで、自主映画作品と比べると、『オレンジロード急行』が商業映画としてよくできていることが判るとのこと。

撮影所のスタッフたちによって発展・蓄積されてきた技術や設備が映画を豊穣にしていたという。ちなみに例えば、今回の特集でも上映された『ゴジラvsキングギドラ』(1991年)のジャングルのシーンは、東宝の撮影所裏の林で撮影されたとのこと。

しかし、最近では、撮影所はもっぱら貸スタジオとなってしまっていて、撮影の時だけスタッフが入る感じになっているとかで、かつての撮影所のような機能を果たしていないそうだ。

大森監督は大学で映画を教えているが、大学は撮影所の代替物としては不十分との意見。

フィルムとデジタルの違い

フィルム時代の撮影・編集法は、1台のカメラを据えて撮っていったものをつなぐ、モンタージュ的な手法であったのに対し、デジタル時代は、カメラが安価になったこともあり、複数のカメラで撮影したものを切り替えるようなスイッチング的手法になっているというのが、大森監督の意見のようだ。

大森一樹監督 オレンジロード急行 1978年
帰りにサインして頂いたぞ!
手ェ震えたわい。
 
* * *

同時上映の自主映画作品について

『夏子と長いお別れ(ロンググッドバイ)』(1978年)のなかで、『暗くなるまで待てない』(1975年)に主演した稲田夏子と大森監督が、ほろ酔い加減で『暗くなるまで待てない』について議論するシーンがある。

稲田が「そこに映画があったのは事実やんか」みたいなことを言うと、大森監督が「今でもあるよ」と答える。このシーンでは思わず笑ってしまった。可笑しいやら、胸がキュンとするやらでありました。

作品を観て、「稲田夏子さんは今、何をしておられるのだろう?」と思った人は多いと思うけれど、そんなセンチメンタルな男たちは結局、夏子を撃つことも、お別れすることもできやしないんだ。

※当ブログ内の関連エントリー:

大森一樹[監督]『トットチャンネル』(1987年)をフィルムセンターで観た。

大森一樹監督・斉藤由貴主演・乙羽信子原作・新藤兼人脚本のテレビドラマ『女優時代』(近代映画協会/よみうりテレビ、1988年)をフィルムセンターで観た。


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コメント

「オレンジロード急行」の記事を読ませていただき懐かしく思いました。私はオレンジロードでサードの撮影助手、夏子ではカメラマンをやりました。自主映画の世界から飛び出していく大森監督には羨望と期待とが入り混じった空気がありました。幸いスタッフになって間近で監督を見ておりましたが、大人たちを軽口の関西弁であしらう姿は痛快でした。撮影中は大船撮影所から拒否されて中では撮影できず、「今に見てろ!」と思ったこともありました。脚本は素晴らしくこのまま撮れれば映画賞ものだと思ったのですが、あまりうまくいかなかったですね。夏子は丸一日で取り上げた作品でしたが、東京から東名高速を駆って往復してへとへとになりました。でも初めて会った夏子さんはすごく魅力的で、これはみんな惚れるよなと思ったものです。監督も亡くなり、自分が撮った「の・ようなもの」の森田監督も去りました。寂しい限りですが時折誰かが思い出してくれると元気になります。ありがとうございました。

投稿: Makoto Watanabe | 2024年11月12日 (火) 09時01分

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