党首会談、辞任表明、そして撤回--小沢発言の考察
ポチです。
寒くなってきました。職場の中でも風邪をひいた人が多く、それでなくても忙しいのに、仕事が停滞しています。みなさん、お変わりありませんでしょうか。
なかなか更新できない、というか、他の方への訪問も含めて、ブログに接しない日々が続いています。今日のテーマは、小沢さんの問題なのですが、書きかけては時間がなくて中断し、また少し書いては中断、ということの繰り返し。小沢さんが辞任表明をしたときから書き始めて、今日までかかってしまいました。
本題に入る前に、一昨日おこった驚きの出来事を・・・。
一昨日、友人の結婚式でこちらに帰っていた下の娘が大阪に戻りました。
夜に彼女から泣きそうな声で電話。アパートに着いてみたら、部屋の鍵が開いていて灯りがついている。怖くて部屋に入れないとのこと。電話で励まして、なんとか勇気を振り絞って部屋に入ってみると、大型液晶のテレビと「命よりも大切」な宝塚の録画がハードディスクに満載のDVDデコーダーがなくなっているとのこと。窓ガラスが割られていたそうです。
昨日、急遽、上の娘が大阪に旅立ちました。
このくそ忙しいのに、いろんなことがおこるものです。
さて、今、岩国で大変なことがおこっています。井原市長がいよいよ追い込まれています。で、そのことも書きたいのですが、その前に、もうすでに旧聞に属することになってしまいましたが、どうしても小沢さんの問題は書いておかねばならないと思っています。
岩国の問題は、日を改めて書きます。
ということで、小沢さんをめぐる問題です。
いろんな方のブログを拝見していると、「こんな見方もあるのか」と驚かされるものにも出くわします。
小沢さんの深謀遠慮の作戦であるというような見方や民主党の分裂を回避した小沢さんの判断を高く評価する内容、「大連立」はどちらが言い出したのかなどの「真相」を探ろうとするもの、さらには、福田さんや小沢さんの言動そっちのけでのマスコミ批判。
冷静になって今回の小沢さんの一連の言動について考えてみることが大事なのではないでしょうか。
小沢さんの考えは、彼の辞任表明会見が一番わかりやすいので、この会見で彼が言ったことを振り返りながらみていきます。
「大連立」の問題は、どちらが言い出したのか、誰の画策があったのかなどが話題になっていましたが、そんなことは重要ではありません。画策に乗ったにせよ、乗せられたにせよ、明らかに小沢さんは「大連立」に関して「合意」していました。記者会見でもはっきりとそのことをおっしゃられています。
「我々の生活第一の政策が取り入れられるならば、あえて民主党が政権の一翼を担い、参院選を通じて国民に約束した政策を実行し、同時に、政権運営の実績を示すことが、国民の理解を得て民主党政権を実現する近道と判断した」
そして、なぜ、そう考えるに至ったのかについてですが、彼は、二つのことを言っていると思います。
一つは、民主党が力量不足で、総選挙にも勝てないからだ、という点です。
「民主党はいまだ様々な面で力量が不足しており、国民からも『自民党もダメだが、民主党も本当に政権担当能力があるのか』と疑問が提起され続け、次期総選挙の勝利は大変厳しい情勢にあると考えている」
「自分の党をこんな風に言うなんて」などという声もあったようですが、自分の党の力量を判断するということは大切なことです。問題は、そういうことではありません。
小沢さんがこのことを口にした最大の理由は、「選挙に勝てない」、「力量がない」ということにしておかねば「大連立」に踏み込めないからなのでしょう。
面白かったのは、「政権担当能力」について小沢さんが語ったことです。
7日の辞任撤回の記者会見では、「力量不足といったのは、政権担当能力の話ではなく、選挙で自民党に絶対に勝てるというところまで至っていないということだ」と釈明され、「政権担当能力はない」と発言したことを否定されました。
しかし、4日の会見では、はっきりと上記のように発言されています。たしかに、自らの言葉としてではなく、「国民」の言葉の引用として話されています。しかし、あえて、この言葉を選択して使われたからには、小沢さん自身に、この言葉を使う必然性があったことは明らかです。
「大連立」をすすめるために一旦は、「選挙に勝てない」「政権担当能力がない」と言ってみたものの、その道が閉ざされたときに、困ってしまった。
選挙は、勝つか負けるかはやってみないとわかりませんから、「やっぱり気を取り直してがんばる」と言えばすむわけですが、「政権担当能力がない」のでは話になりません。そもそも政権をめざす意味がなくなり、選挙の際に「民主党に任せてください」とは言えなくなるからです。それで、あわてて「そんなことは言ってない」と否定したというのが本当のところではないでしょうか。
二つ目の理由は、「ねじれ」のままでは「国民のための法案も通らない」からという点です。この点が非常に重要です。
「民主党は、参院第一党の力を活用して、マニフェストで約束した年金改革、子育て支援、農業再生をはじめ「国民の生活が第一」の政策を法案化して参院で提出しているが、衆院では依然、自民党が圧倒的多数を占めている現状では、これらの法案をいま成立させることはできません。逆にここで政策協議をおこなえば、国民との約束を実行することが可能になる」
ここに、小沢さんの本質が如実にあらわれていると思います。
参院選で民主党が勝つということは衆参の「ねじれ」をつくるということに他なりません。そして、当然のことですが、民主党は「勝たしてくれ」と言って選挙をしたのですから、みずから率先して、そして、国民の意思を受けて、「ねじれ」、つまり、「法案がなかなか通らない」という状況をつくったのです。
それを、「ねじれ」があることを問題であるかのように言うのはおかしなことです。
そもそも、「法案が成立しない」ということはいけないことでしょうか。
けっしてそうは思いません。自民・公明が出してくる悪法が成立しないということはいいことです。
自民党の方は、「法案が一本も通らない」と国民を脅すわけですが、とんでもない話です。民主党が今の自公との対決姿勢を崩さない限り、国民のためになる法案であれば、次々に成立していくでしょう。
で、小沢さんは、国民のために出している民主党の法案も成立しないじゃないか、と言うわけですが、すぐに成立しなくてもいっこうに構いません。
参院を通過した国民のための法案が自公が多数を握る衆院で否決される、という構図が次々に展開されるからです。そして、誰が国民生活を苦しめているのかが白日の下にさらされます。それは自民党政権の終焉をもたらす道へと続くでしょう。だから、いっこうに構わないのです。
小沢さんは、そんなことは百も承知のはずです。
では、なぜ、そんなことを言い出したのか。
そうなるのが都合が悪かったのだろうという結論を出すしかありません。つまり、自民党政権の終焉を望まなかったわけです。今の「民主党代表」というは、あくまでも「仮の姿」で、やはり政治的バックボーンはあくまで自民党なわけです。まあ、彼にとって自民党は故郷で、故郷がなくなるというのは困る。いつか故郷に錦を飾りたい。というところでしょうか。
もうひとつ。小沢さんの、自民党と「大連立」ないしは「政策協議」をおこなえば国民のための法案が通る、国民との約束を果たすことができる、というもっともらしい「お説」について。
なぜ、小沢さんは、「生活が第一」という公約を掲げて参院選をたたかわれたのか、そして、多くの国民がその民主党に一票を投じたのか。それは、自民・公明の「構造改革」路線のなかで、暮らしをズタズタにされ、将来の展望を見出せず疲弊しきった国民が見た「一筋の光明」だったからです(共産党も社民党も同じようなことを言っていたのですが、マスコミに登場しない両党の主張は国民には伝わりません)。
つまり、「生活が第一」は、「国民から吸い上げるだけ吸い上げて、国民の生活を破壊し、アメリカや大企業のために一生懸命奉仕する」という自民党政治に対するアンチテーゼ、対決軸だったわけです。自民党には絶対にできない、その対決軸である「生活が第一」の公約が自民党と話し合って実現するはずがありません。実現するどころか、「生活が第一」は吹き飛んでしまいます。
水と油をいっしょにし、どんなにかき回しても混ざらないのと同じです。
このことも、小沢さんは百も承知です。
では、なぜ、そんな「お説」をとなえられたのか。
不可能であると認識していたにもかかわらず、「『A』ということをすれば『B』は可能だ」と嘘をついたわけですから、「B」を犠牲にしてでも「A」をしたいという意思の表明に他なりません。「A」とは、この場合、もちろん「大連立」ですし、「B」とは「生活が第一」です。
私は、参院選挙のとき、小沢さんが「生活が第一」と言って、社会保障や農業を守る公約を前面に掲げ、自公の構造改革路線に対決する姿勢を打ち出したとき、「ああ、小沢さんは選挙に勝つために思い切ってハンドルを切ったなあ」と感じました。それまで、どちらかというと、自公と同じ「改革」路線を主張していた民主党からの大転換だったと思います。
それは、「選挙に勝つ」という点では正しい選択であって、国民にとってはいいことなんですけど、小沢さんの政治心情からいうとまるで正反対になるわけで、「小沢さんは自分の首をグイグイ締め付けることになるなあ。いつまで続くのかなあ」と思っていました。「まあ、次の総選挙までは続くだろう」と考えていたわけですが、私の想像以上にこらえ性のない人だったわけです。
とりあえず、辞任は撤回し、「総選挙勝利に向けてがんばる」と小沢さんはのべられました。しかし、先行きはまったく不透明だということでしょう。
ただ、今回の騒動は、いろんな意味でよかったと思っています。
ひとつは、虚像しか知らないで投票するというのは大変危険で、その点、今回の騒動で、小沢さんの実像の一端を見せてくれたことです。
もうひとつは、結果として「大連立」が失敗したことです。小沢さんは、本人が好むと好まざるとにかかわらず、自民党と対決せざるを得なくなり、自民党の悪政をさらす役割を引き続き担うことになりました。この騒動が起こる前のように威勢のいい対決はできないのかもしれませんが、それでも、参院で多数を握る政党が自民党と対決してくれるというのは、国民にとっていいことだと思います。
書いていくうちに、激しく長文になってしまいました。
もっと短い文章で、間隔をあけずに更新したいものだなあと思っているポチでした。
それでは、また。
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コメント
こんにちは
小沢さんどころではなく、お嬢さんが大変でしたね。
そんなことも都会では本当にあるんですね。お嬢さんを励ましてあげてくださいね。
小沢さんは「懐に入って、民主の法案を成立させて選挙に勝つ・・・」といっていたけれど、そんなこと本気で思ってないでしょう。出来るわけないのにと、思っていたので、これを読ませていただいてやっぱりなあと思いました。
それにしてもどっちを向いても信用できない政治家ばっかりでどうしたものでしょうか。
投稿: jun | 2007年11月18日 (日) 14時29分
junさん
コメントありがとうございます。返事が遅くなってすみません。いつ果てるとも知れない仕事を前に、久々にブログの世界に来ています。
まだ上の娘は大阪に行っています。どうやら、新しいアパートを借りて引っ越すようです。この土日でカミさんも大阪に行くといっていました。引っ越す先が狭い部屋なので、置けない荷物を家に運ぶために車で来てくれと私は娘から言われています。仕事の合間を縫って行ってこようと思っています。
このエントリを書いたあと、また、仕事をしながら、あれこれ考えてみたのですが、小沢さんは、本当のところは、民主党の政権ができちゃ困ると思ったのかなあ、などと考えています。
参院選は勝っても、即政権とはならないから、安心して「生活第一」って言えたけど、本当に政権をとってしまうと、言ったことをやらなきゃならなくなる。そしたら、アメリカや大企業を敵にまわすことになる可能性が強くなるわけです。それは「日米同盟が大事」って言ったり、大企業から献金をうけている小沢さんにとっては困ってしまうことになります。
「テロ特措法」の問題でも、選挙後、急に「ISAFなら」とか「恒久法」とか言い出したじゃないですか? これもアメリカに「本当は、私はアメリカの味方なんですよ。特措法に反対してるからって、反米じゃないんですよ。誤解しないでね」ってアピールしてるように見えてくるんですよね。
投稿: pochi | 2007年11月23日 (金) 21時16分