県道49号(勢井宗川野線)から山の斜面にある
平雄(ひらお)という地区を探索します。
1つ前の記事の最後の場所です。左手の民家の間に道がありました。
ここには
「萌の朱雀」記念碑の案内がありました。
前の記事にも書きましたが映画に関しての知識がない人には何のことか分からないですよね。
五條市生活バス(コミュニティバス)の
平雄バス停です。
地図ではここ。この上が
平雄(ひらお)地区です。
周辺地区との位置関係はこんな感じ。人が住んでいるのは
宗川の北側だけです。
左に曲がって上っていきます。
勾配はちょっと強め。
地区の案内板がありました。(クリックで拡大)
※後でももう少しキレイな案内板が出てきます。この記事では
この図の左側をご紹介する予定です。
右に回って上っていきます。画像左手はお墓です。
カーブ左手にあった滝です。先の案内板には
不動滝と書いてありました。
強めに上っていきます。
右下に見えていた民家の屋根と県道です。
左に回っていきます。
カーブ右手にこんな道がありましたが未確認です。奥は民家ではないでしょうか。
勾配が落ち着いてきました。
左に巻いていきます。
また勾配が強くなってきました。
左手に炭焼窯のようなものがありました。
どんどん上っていきます。
急な右カーブです。内側の勾配はかなり強いです。
今度は左へぐるっと。
左手戻る方向にこんな道がありました。
地名かと思ったら個人宅のお名前ですね。上に2軒あるようです。
上っていませんが結構急な道です。
地図には載っていません。独立建物の地図記号が2軒の民家だと思います。
先に進みます。ガードレール区間が続きます。
あまり意味のない場所にあったカーブミラーです。
右斜めに下っていく道がありました。
入口にあった案内板です。
奥は民家のようですので入っていません。
右手の道はぐるっと巻いて続いています。
この道は地図に載っていますが抜けられるかどうかは分かりません。
先に進みます。左カーブです。
カーブ右手にあったミニ滝です。
強めに上っていきます。
右手の斜面は農地のようです。
勾配は落ち着いています。
左手が開けました。左手に振り返った景色です。山しか見えません。
左手の景色です。
これから進む方向の景色です。民家のようなものが見えています。
左下には民家の屋根が見えていました。どこから入るのでしょうか。
この辺りにいます。
路肩が緩んでいるようです。
左下は農地ですね。わずかに平らになった場所です。
民家が見えてきました。
ボケましたが右カーブです。
ここにあった地区の案内板です。(クリックで拡大)
県道からの入口にあったものと同じですがこちらのほうがキレイです。
このカーブのところで左に分かれているこんな道がありました。奥には害獣防止柵が見えています。
ちゃんとした車道ですが地図には載っていません。
奥には民家や
移住体験型住宅があるようです。
帰りに確認しようと思っていましたが別の道を抜けてしまったので未確認のままです。
右にぐるっと回って上っていきます。
「
萌の朱雀」記念碑はこちらです。
しばらく何もありません。程よい勾配の上りが続きます。
画像だけ貼っていきます。
右斜めに下っているこんな道がありました。多分奥は民家ですのでパス。
右手側が開けています。振り返った景色です。
右手正面の景色です。少し遠くに建物が見えています。
少し前にも見えていた建物です。お寺?これから進む道沿いでしょうか。
左上にあった建物です。何かの施設のようです。
左手戻る方向の道です。
何があるのか気になるので上ってみます。ここにあった案内です。(クリックで拡大)
地図ではここ。上には小学校跡を再利用した集会所があるようです。
582.0mの三角点は
四等三角点 平雄(ひらお)です。
上っていきます。
ちょっと広くなった場所です。
ここは水道施設でした。
宗桧上地区簡易水道の
平雄低区配水池兼ポンプ場です。
旧・西吉野村の名前です。
これは何のためのものでしょうか。
北東方向の景色です。大きめの建物が見えています。
これから進む先にある建物だと思います。
南東方向の景色です。遠くまで高い山々が連なっています。
振り返ると木造の建物がありました。
平雄集会所です。特に案内などはありませんが元は村立の
平雄小学校だったはず。
集会所の左奥に道が続いていました。
上っていきます。
右手にあった祠です。中は確認していませんが先の案内板には薬師如来と書いてありました、
奥で右に回ります。
カーブ左手にこんな道がありました。舗装はされていません。
奥には民家があったのではないかと思います。
右に回って上っていきます。
右手に下っていく階段状の道がありました。
角にあった石碑などです。
石柱には
乗専法師終焉之地と書いてあります。歴史には疎いので
乗専法師がどなたかは知りません。
脇には頌徳碑がありました。(クリックで拡大)
堀川自更さんという方のものです。
この記事を書くために調べていると
奈良新聞の記事が見つかりました。
奈良県五條市出身の俳人・堀川自更の頌徳碑を建立 地元の寺院門信徒らが除幕式堀川自更(ほりかわじこう)という方は五條市出身の俳人とのこと。
背面には句が書いてあったようです。
道はまだ続いています。
ちょっと広くなった場所です。
奥で車道が終わりました。もう道はありません。
地図ではこの辺り。ここからはどこにも抜けられませんでした。
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