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カテゴリー「検察審査会・司法の独立」の25件の記事

2012年11月13日 (火)

守られた「司法の独立」 小沢一郎高裁判決

昨11月12日、東京高等裁判所は、指定弁護士の控訴を棄却し、改めて小沢一郎に無罪を言い渡した。


僕の問題意識は、司法の独立が『民意』の名によって脅かされることがあってはならないというものであった。司法のよって立つ原理は民主主義原理とは相容れないとするのが僕の基本的立場である。


司法の危機 検察審査会という名の民主主義(2010年10月5日)


検察審査会の起訴議決は、極めて不可解で、最高裁事務総局の介在を指摘する議論まで出ていた。
純粋に法律的に見る限り、この裁判は無罪しかあり得なかったと思っていた。しかし、仮に、起訴議決に最高裁が関与しているとすれば、有罪判決がなされる可能性がないとは言えない。


司法の業界に身を置く者として、民主党の反小沢派の影響力が及ぶのは、せいぜい東京地裁の検察審査会止まりで、最高裁まで動かすことはできないだろうと考えていたが(アメリカに小沢排除の意図があるのは明らかだが、強制起訴は、アメリカの意向を踏まえた民主党反小沢派が独自に動いたものに見えてならない)、それでも、高裁判決が出るまで、一抹の不安が拭えなかった。


したがって、高裁判決によって、かろうじて「司法の独立」が守られたことに安堵している。


高裁判決は、小沢氏の秘書についても虚偽記載の故意を否定したと報道されている。


一審判決の要旨を検討した結果、僕は、6月21日付で「改めて小沢一郎の無罪判決を読み解く」で以下のとおり記した。


秘書の有罪判決でも、まさか8億円借りたとは思わなかったという言い分が通らなかっただけであろう。

しかし、僕に言わせれば、これは単純な記帳ミスで、過失なのだから、故意を前提とする政治資金規正法の虚偽記載罪には問えないと思う。


この考え方は高裁判決によって支持されたということだ。


かつて述べたように、一審判決は、起訴を強制された指定弁護士の立場にも気を遣って、起訴に関する責任問題が生じないように最大限の配慮をしていた。


最高裁によれば、

公訴提起の当時に検察官が現に収集した証拠および通常要求される捜査を遂行すれば収集し得た証拠を合理的に総合勘案し、有罪と認められる嫌疑

がない起訴は、違法であり、国家賠償の対象となる。


一方で起訴を強制されながら、他方で、国家賠償を問われかねないというのではあまりにも指定弁護士の立場は過酷だ。このため1審判決は、指定弁護士に最大限の配慮をしたのである。


しかし、指定弁護士は、その配慮を読み解くことができず、独自の判断で自発的に控訴した。指定弁護士は、自ら1審判決の配慮を無にしたのである。


今回の高裁判決では、指定弁護士の起訴が、明らかに裁量を逸脱した違法なもので国家賠償に値するものであることを明らかにしたといえよう。


小沢一郎側が指定弁護士に対して、国家賠償を請求することが適切とは思わないが、指定弁護士による上訴権濫用の問題の検証を欠いてはならないだろう。


被害者のないケースに関する強制起訴制度は、直ちに廃止すべきである。
被害者なきケースにおける強制起訴は、『民意』の名において司法に圧力をかけ、司法を利用して政治に介入しようとするもの以外思いつかない。


政治は政治の場で政治の原理(民主主義)によって決着すべきであり、司法は司法で独自の原理(法的正義・少数者保護)の原理によって、機能しなければ権力分立原理自体があやうくなる。


小沢一郎の強制起訴によって、日本国民がいかに政治の選択肢を奪われてきたかを見れば、司法の政治利用は断じて許されないというべきだろう。


一審無罪判決後、メディアは一転して、小沢を無視することに専念してきた。論調を見ていると、高裁無罪後は、改めて倫理的な「政治とカネ」の問題を持ち出そうとしているように見える。


メディアには、東京高裁が示したような、高い見識と独立の気概を持つことを改めて強く望む。


また、不可解な強制起訴に、如何に多くの弁護士や検察が関与してきたかを思うと、同業にある者として彼らの見識を改めて問いたい。

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2012年11月 5日 (月)

ある疑念

メディアは、まだ弱小政党に過ぎない維新の会や、まだ結成もされていない石原新党の動きを追うのに忙しい。
政局だけを追うメディアからは、政党間に争点があるのかどうかすら、わからない。


原発、TPPこそが争点になるべきなのに、自公・民・第三極のいずれからも、この対立軸が見えない。ただ、いかに勇ましいかを右翼的かを競っているだけのように見える。


何という選挙になるのだろうかと思っていたら、以下のような報道があることを知った。


TPP参加反対 次期衆院選へ共同公約案 野党6党1会派

(日本農業新聞 2012年10月25日)

 国民の生活が第一、社民党、新党きづな、新党大地・真民主、減税日本、新党日本、改革無所属の6党1会派は、次期衆院選に向けた共同公約の骨子案を作成 した。焦点の環太平洋連携協定(TPP)については「交渉参加に反対する」方針を明記した。次期衆院選でTPPの賛否を争点に据えることで、民主、自民両 党に真っ向から対決するのが狙いとみられる。

 TPP交渉参加反対の理由として「単なる自由貿易協定でなく、1次産業を破壊し、日本の経済・社会の仕組みや生活・文化にまで及ぶ大きな変化をもたらす」ことを挙げた。一方で、自由貿易協定(FTA)などの経済連携については積極的に推進するとした。

 国民の生活が第一や社民党などが先の通常国会に提出し継続審議となった「脱原発基本法案」については「早期成立」を図り、10年後までに「脱原発」を実現、原子力発電を利用せずに電力を安定供給する体制を確立するとした。

 また次期衆院選で勝利すれば、先の国会で成立した消費税増税法を廃止し、社会保障制度は消費税増税を前提としない形で再構築するとした。

 共同公約の骨子案は22日の世話人会で確認。各党が持ち帰り、詳しい内容などを調整する予定だ。

これこそが、本来問われるべき対立軸ではないだろうか。
「国民の生活が第一」は、現在、実質的な野党第1党と言ってもいいだろう。ところが、メディアではほとんど無視されている。実質的野党であるこれらの党がどのような政策決定をしているか、得体の知れない維新系の政党や人物の片言隻句を追うのではなく、政策の帰趨こそメディアは報じるべきだろう。


報じられて当然のこのニュースが、日本農業新聞でしか報じられていないという事態は一体何を意味するのか。


メディアの小沢バッシングには、目にあまるものがあった。無罪判決で改善されるかと考えていたが、甘かった。小沢一郎に関する一切が報道タブーにされたようだ。


12日には、小沢一郎事件の控訴審判決が下される。秘書の単なる事務的ミスの共謀共同正犯という、どう考えても無罪しかあり得ない事件だが、これほどの小沢排除の空気が、裁判所(最高裁)と無関係なのかどうか、一抹の不安を覚える。


難儀な世の中になった。


今や、目に見えるものが何かを追及するのではなく、目に見えないものが何かを考えなければ、最も重要な事柄については、本質の手がかりすらつかめないのだ。

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2012年2月28日 (火)

宮崎学の子分より 無沙汰編

宮崎学の子分である。
いまだ親分と面識はない。

誤解せんよう言っておく。

凌ぎは半端でなく忙しい。
したがって、
無沙汰した。

さて小沢一郎は
親分の「ヤメ検はやめておけ」という
アドバイスに従って
正解だったな。

さすが鍛え上げられた
在野の弁護士だ。
法廷戦術は完璧だった。
普通なら無罪を確信してよいやろ。

だが、裁判所が検察に成り代わり、
事実を邪推する判決が
先に出たばかりや。

ここで油断するわけにはいかぬな。

親分が弁護人なら
こうアドバイスするやろな。

「敵の狙いはあくまでも
小沢一郎という政治家の
政治生命を絶つことにある。

メディアが一貫して、
有罪前提の報道を繰り返したのも
この狙いのためだ。

検事調書が却下され、
検察(指定弁護士)側の立証手段が
失われた今が絶好のチャンスだ。

どんどんメディアに出て
支持を広げろ。

小沢一郎の復権を求める
世論を作れ。

裁判所も世論を見ている。

世論が小沢一郎を葬ることを望んでいると
見れば、容赦なく邪推判決をするだろう。
世論が小沢という政治家を待っていると
見れば、証拠通りに無罪だ。

これから判決までの僅かな期間が
本当の勝負だ。

弁護人としては
やれるだけのことはやった。

後は、政治家小沢一郎の
力が本物かどうかが問われている」

小沢の弁護人も同じアドバイスを
したとみえる。
小沢は、そのとおり
動いているようだな。

親分のアドバイスの
ありがたさが身に沁みるだろう。


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それにしても、
検察は汚い。

公判では、
検察が
検察審査会に
ねつ造した捜査報告書を
持ち込んで、
起訴議決させたことが
判明しよった。

プロの検察が有罪にできないと確信し、
起訴を断念しておいて、
偽の証拠を素人に見せて
騙して起訴議決させたちゅうわけや。

検察は傷を負わず
小沢の政治生命を
葬ろうとする。

検察は何という醜さだ。

検察審査会は
検察の不起訴権力の濫用を
戒めるために存在するものやろ。

検察は、権力中の権力だ。
不当起訴と不当不起訴の
どちらでも権力を濫用し、
社会に不公正をもたらし
世論を誘導することができる。

検察の、この権力の濫用を制限することに
検察審査会の存在意義があるんや。
そんなもん、常識だろうが。

指定弁護士は、
検察審査会に持ち込まれた証拠の内、
ほとんどを不開示としたそうだな。

その大半が、偽りの証拠だったと
疑われてもやむを得まい。

審理が終わってしまってから
しぶしぶ副部長の捜査報告書を
弁護側に開示したそうだな。

報道では、
検察審査会に持ち込まれた
全ての証拠が開示されたとは
伝えられておらん。

指定弁護士は、
就任するに当たって
公正に職務に当たると
記者会見をしていた
とは違ったかな。

検察と一体になって
検察に都合の悪い証拠を
隠して、小出しにする

検察の不正に手を貸す。

何が公正や。

検察審査会の起訴議決が
検察が持ち込んだ
虚偽の証拠によって
もたらされたことが
判明したんや。

起訴手続に重大な違法があれば、
起訴自体を棄却しなければならぬ。
門前払いや。
「公訴棄却」という。

今回の検察審査会の議決は
検察の手の内で
操られた素人が
間違ってしたことが
はっきりしよった。

裁判所に
そんだけの度胸があるとは
思わんが、
公訴棄却こそが
あるべき真っ当な判決やろ。

検察の権力濫用を
戒めるべき検察審査会が
検察の権力濫用の
道具となった。

歴史の教訓としろ。

今の政治屋に
求めるのも愚かだが
検察審査会法は
抜本的に見直さんとあかん。

2011年2月27日 (日)

「小沢氏、強制起訴」は言葉の誤用だ。

「強制起訴」は今や小沢一郎氏の代名詞になった。

小沢氏に対して仕切りに使われる「強制起訴」の言葉には常々違和感を覚えていた。

たまたまNHKニュースで「強制的に起訴された小沢一郎元代表」というフレーズを聞いて、ようやく違和感の原因がわかった。

これは明らかに小沢一郎氏が強制的に起訴されたことを意味する言い方だ。

しかし、検察審査会の構造から言えば、被告人(小沢氏)が起訴を強制されているのではない。

検察が起訴を強制されるのだ。

検察審査会は不当な検察の不起訴処分を覆して起訴を議決するのだから、強制される相手は不起訴処分をした検察であり、被告人ではない。

起訴をするのが検察でないのは、不起訴にした検察が訴追官では公正を保てないから指定弁護士が代わって検察の職務を行うに過ぎない。

だから「強制的に起訴された小沢氏」なるフレーズは明らかに文法的に間違っている。

公共放送であるNHKにあるまじき間違いである。

同じく「強制起訴された小沢氏」も文法的に誤っている。

「起訴を強制された検察(指定弁護士)によって起訴された小沢氏」

あるいは、「検察が起訴を強制された結果、起訴された小沢氏」と言うのが正しい。

とにかく強制されているのが小沢氏でないことを明確にしなければ、この言葉は誤解を招く。

「証拠が不足することが明らかなのに、平均年齢すら怪しい不可解な検察審査会の議決によって起訴を強制されたために国家賠償の危険を冒しながらしぶしぶ起訴した指定弁護士により被告とされた小沢氏」と少し詳しく説明してもよいだろう。

メディアは、日本語を混乱させる「強制起訴された小沢氏」という言葉を使うのを直ちにやめよ。

誤用を承知の上で、敢えて「強制起訴された小沢氏」を繰り返すのであれば、民衆に独自の起訴権限を認める前近代の民衆裁判を認める確信犯である。

ちなみに、アメリカの大陪審も、検察を離れた起訴権を持っている訳ではないので、念のため。

メディアの意図的な言葉の誤用は、表現の自由、報道の自由を語る以前の問題である。

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2011年1月20日 (木)

検察審査会強制起訴制度の光と闇(後半)

検察審査会の強制起訴制度の光と闇

検察審査会法の改正の積極面

 死人に口なしとばかりに、加害者側の言い分が通り、事故の真相が闇に葬られる。
そんなことがあってはならない。
そのことは民事の賠償だけでなく刑事の処分についてもいえる。
しかし、現実は、人一人亡くなった事件が拙速な捜査で、不起訴にされたり罰金で終わってしまう。
あってはならないこういうことが実は結構しばしばある。

 この事件のとき、僕は、検察審査会への申立も考えていた。
しかし、略式命令とはいえ、一応の起訴がなされたため検察審査会への申立は断念した。
検察審査会が扱うのはあくまでも不起訴処分だけだからだ。

 
 検察審査会は昭和23年からある。
かつての制度では、検察審査会が「不起訴不当」(過半数の賛成)あるいは「起訴相当」(11人中8名の賛成)の議決をしても、検察は再捜査しこそすれ、検察審査会の意見には拘束されなかった。
参考意見として聞き置くに過ぎなかったのだ。
このため被害者が不当に遇されたまま涙をのんだ事件も少なくなかった。

 こうした経過を踏まえて、検察審査会の議決に拘束力を与える法改正が平成16年になされ平成20年5月から実施された。
検察が不起訴にしても検察審査会で「起訴相当」の議決(11人の審査員の8名の賛成を要する)が二回なされれば、起訴が決定される仕組みだ。


 この改正で、こと交通事故については、検察の処分は相当改善された。
昨年4月から9月に、検察審査会に不起訴性分の審査が申し立てられた交通事故案件の内4分の1は、審査会が議決する前に検察が自主的に起訴するようになった(2009年12月27日中日新聞)。

これまで警察や検察が人命に関わる交通事故の捜査を軽く扱ってきたことを表す数字と言ってよいだろう。

 僕は、さらに、本来正式裁判によるべき、すゞさんのような死亡事故が加害者のいい加減な言い分で略式命令にされるようなケースも検察審査会の審査の対象にしてはどうかとも思う。


 この意味では、起訴権限を独占する検察官に対して、一般市民の感覚を反映して公訴権行使の適正を図るという今回の法改正の趣旨は生かされていると言えよう。


検察審査会の政治利用
 しかし、検察審査会法改正によって予想外の事態が起こっていることも無視できない。

 検察審査会への審査の申し立ては、被害者だけに限られない。
何ら利害関係がない第三者でも(告発を経て)審査の申し立ては可能だ。
世論を騒がせている小沢一郎の強制起訴は、事件とは何の関係もない市民が審査を申し立て、強制起訴議決がなされた。
この申立は当初、極端な排外主義を主張する民族主義団体の代表が自ら行ったと公表したが、実際は、保守主義者の団体であることを自認する「真実を求める会」の構成員からなされたもののようである。

彼らの狙いが民主党つぶしであったのであれば、まさに絶大な威力を発揮しているといわざるを得ない。



 民主党政権は、今や、軍事面でも経済面でも益々アメリカに対する従属を強めている。
後退局面に入ったアメリカの国力と、台頭する中国という新たな世界情勢の中で、国民が舵取り託した民主党政権は、今や自民党政権時代以上にアメリカ従属一色となっている。
東アジア共同体構想も遠い昔語りであり、普天間基地海外移設も望むべくもない。
経済弱者のための経済政策も置き去りにされ、「平成の開国」など、アメリカ主導のグローバル市場原理主義へ前のめりになっている。

 

検察審査会の闇

 検察審査会は一般市民からくじで選ばれた審査員11人が審査する。
検察審査員には、刑事記録を読む義務もなければ、どういう基準で起訴不起訴を決定するのかという基準すら示されていない。
今回の審査会は極めて短期間に起訴を議決した。

 起訴議決を受けて裁判所から検察官役に選任された3人の指定弁護士は、3800人に会員を擁する東京第2弁護士会から選任された精鋭だ。
その精鋭弁護士が検察から専用の部屋の提供を受け、検察事務官の協力を得ても、なお起訴にこぎ着けるのに何ヶ月もかかっている。

それほど複雑な事案を検察審査会は僅かな審議で決定してしまったのだ。
起訴議決では情緒的な判断が強く働いたことが窺われる。
しかも、どの程度内容のある審議がされたのかは、すべて検察審査会議の秘密の名によって闇の中にある。

 くじ引きで選ばれた一握りの市民(11人)が、ろくに証拠も見ず、直感的な判断で、国政を大きく左右するような決定をするということは、検察審査会は全く予定していなかった。

一握りの市民が国政を大きく左右するなどということは、およそ民主主義原理にそぐわない。

 しかも、民意の名の下に、このような事件が裁判所に持ち込まれるということは司法が政治に巻き込まれるということも意味する。
裁判になったからといって、テレビドラマのようにこれまでになかった決定的な証拠が突然、出てきて劇的に真実が明らかになるなどということはあり得ない。
検察の手持ちの証拠で有罪か無罪かを判断されるだけだ。
そしてこの件では本来のプロである検察は、有罪にするだけの証拠はないと判断している。

 にも拘わらず、この種事件で、判断を迫られる裁判所は、小沢一郎はクロだという「民意」の圧力を受けるだろう。
無罪にすれば、世論の批判があり、有罪にしようとすれば、おそらくこれまでの有罪のハードルを下げなければならないに違いない。
司法はあくまで独立して法律と事実のみに拘束され自らの良心にしたがって中立的な立場で判断する。

 司法は、場合によっては民意に反しても、基本的人権に関わる問題については少数者の権利を守らなければならない立場にある。
司法の独立の基盤を政治の論理が浸食しかねない現状は、司法の危機というべきだ。

 今回の強制起訴問題は、司法の極端な政治利用として歴史に汚点を残すだろう。

 近く、尖閣諸島の中国漁船の船長の起訴猶予(不起訴処分)がなされるという。
これについても、第三者による検察審査会の利用は可能だ。
くじ引きで選ばれた一握り(11人)の市民が一国の外交や命運すら左右するような決定をする可能性が現にあるのである。

 検察審査会法の改正(強制起訴の導入)は、裁判員制度の導入や法テラスに関する法律等、他の重大な司法改革案件に紛れて、十分な審理もなく、行われてしまった。
被害者以外の利害関係のない第三者の申立による強制起訴の制度は直ちに廃止すべきだ。
この種の問題は本来、本道に戻って政治プロセスで解決されるべきだ。
そうでなければ、いたずらに司法の政治化を招くことになる。それは法原理機関としての司法の基盤を揺るがすことになるだろう。

  (なお、僕は、小沢一郎を支持していない。彼はアフガニスタンに陸上自衛隊を派遣することを主張し、これまで、まがりなりにもなされてきた政府の憲法9条解釈を一挙に覆し、憲法9条の無効化を図ろうとしているからだ。しかし、それにしても、小沢一郎との対決は政治の課題であり、あるいは具体的な派兵が行われたときの司法審査の問題であって、今回のような陰謀的な司法の政治利用は残念でならない。)



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2010年12月10日 (金)

指定弁護士への激励  宮崎学の子分編

宮崎学の子分である。何度も言うが、僭称しているだけだから誤解するな。

小沢一郎へのアドバイス8を書いてから、宮崎親分は、すっかり仕事に没頭してしまったようだ。
弘中弁護団が結成されたので、安心してしまったのか。
子分としては甚だ寂しい。

親分の頭越しに小沢一郎へアドバイスするのも僭越だから、今日は、起訴議決を受けて小沢一郎を起訴する栄光を担う指定弁護士を激励してやる。

東京第2弁護士会が選任した指定弁護士は3人、会員数3800名を超える中から選ばれたのだから、弘中に負けず劣らず凄腕の精鋭であるはずだ。

ところが、指定弁護士に選任された10月22日からすでに2か月近くも経ったが音沙汰がない。検察審査会法では指定弁護士は速やかに起訴議決にかかる公訴を提起するものとなっているのにだ。
指定弁護士は、検察庁に専用の部屋を借り、検察事務官も使う。至れり尽くせりの待遇だ。
なぜ、そう時間をかけねばならん。

検察審査会の審査委員は、1週間(9月7日、審査補助員に吉田弁護士選任、9月14日起訴議決)で起訴議決したぞ。最長で考えても、1か月半(8月に二回会議を持ち、9月に入ってからは頻繁に会議を持った)で、起訴議決しておる。

検察審査員は、検察庁に専用部屋を借りたわけでもなければ、検察事務官の助けを借りた訳でもないぞ。
素人が11人で、今回の3人の指定弁護士に比べれば、経験も少ない吉田弁護士一人の指導で、短期間で、検察官の弁明も克服して、起訴議決したではないか。

凄腕の精鋭が雁首揃えて何をもたもたしておる。

あまりにも遅くないか。
すぐに起訴して白黒つけてくれというのが、世間の期待だぞ。

毎日のようにマスコミがいつになるか、聞きに来ておろう。待ちきれないという声も、弁護士会に届いておるのではないか。

何と言っても国民の期待を一身に背負っておるのだからな。

報道では年明け起訴などとされているが、またぞろ、統一地方選挙に絡めた日程に起訴を設定するとすれば、いくら何でも検察権力の政治利用が見え透いているぞ。止めた方がよろしい。

小沢一郎再聴取かなどという報道も流れておるが、政治的影響が大きいだけで、検察官役として得る物が何もないようなことはしないのがよろしい。政治利用との批判が一段とヒートアップするだけだぞ。

審査員は小沢一郎を起訴するのに足りる十分な証拠がすでにあると断定しておるだから、とにかく、はよ、起訴せんかい。

もたもたしているものだから、弁護士より素人の方が有能なのではないかと意見が強まっておる。いっそ指定弁護士なんぞという制度はやめにして指定市民が起訴するようにした方がよほどましだという声も高まっておるぞ。

 

なぜ、それほど迷う。

最高裁は起訴が違法にならぬための要件を決めておるわな。これを満たさぬ起訴は、国家賠償の対象になる。

だから、下手な起訴をすれば、指定弁護士が責任を負わねばならん。
そんなことが気になって決断できんのか。
起訴すべしとされた起訴議決の内容にしたがって、起訴してみたら、後で国家賠償の対象にされたのではまあ浮かばれないことは確かだわな。

最高裁によれば、検察官の公訴が適法であるためには、

公訴提起の当時に検察官が現に収集した証拠および通常要求される捜査を遂行すれば収集し得た証拠を合理的に総合勘案し、有罪と認められる嫌疑

がない起訴は、国家賠償の対象となる

新証拠を収集できるかもしれんから小沢一郎をもう一度、聴取しようというのか。やめとけ。アンフェア何でもありの特捜ができなかったことがフェアな弁護士にできるわけがなかろう。

この最高裁判例は吉田弁護士は審査員に教えなかったろう。

何と言っても、「裁判所で白黒つけるのが国民の権利だ」等という暴論で、起訴議決を起案した弁護士だからな。

合理的に有罪と認められる嫌疑があるかどうかなんて、知らんということだろう。

だが指定弁護士は、困るだろうな。
合理的な嫌疑もないのに起訴して、後で国家賠償など食らいたくないからな。
現に、検察官は検察審査会で合理的な嫌疑がないと主張しておった。
捜査を担当した検察官が合理的な嫌疑がないとした事案を起訴しなければならん。何としても合理的な嫌疑がある起訴にしなければならん。

 

しかも本丸である小沢一郎本人の故意の立証の前にすでに幾重もの壁がある。

残念なことに、起訴議決の後に、前田検事のフロッピー改竄事件が発覚するわ、特捜検事による供述調書が筋立てに合わせるための強引な作文の山であることが一般常識になるわで、検察調書の信頼は地に墜ちた。
いずれ供述調書の任意性や信用性が争われるが、信用性を裏付けるための取り調べメモは、最高検察庁が組織的に廃棄するように支持していたこともわかった。

弁護人は、供述調書の信用性を争う。取り調べ検察官が証人に立つ。検察官は、一応は、殊勝に信用性があると証言してみせるが、取り調べメモを出せと言われて、廃棄しましたと証言する。一方、証人は被疑者ノートに日々の無理な取り調べの実情を事細かに記録しておる。特捜の無理な取り調べの実体があからさまになる。これでは村木裁判の再現ではないか。

その上で、最大の課題は小沢一郎関与である。共謀共同正犯としても問う合理的嫌疑はないと担当検察官は説明した。

もはや小沢一郎の嫌疑の立証は、客観的に絶望的だ。

もう一度繰り返すぞ。
最高裁は、

公訴提起の当時に検察官が現に収集した証拠および通常要求される捜査を遂行すれば収集し得た証拠を合理的に総合勘案し、有罪と認められる嫌疑

がなければ、公訴提起は違法であるとしておる。

精鋭弁護士であればあるほど、事態が深刻なことはわかるわな。
一方では、起訴議決通り起訴しろと言われ、
一方では、その通り起訴すれば、国家賠償の責任を負いかねない。

ま、せいぜい頑張ってくれや。
村木裁判のように、ドラマチックで面白い裁判をまた見せてくれることを期待しているぞ。

指定弁護士への激励である。



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2010年12月 1日 (水)

小沢一郎氏行政事件最高裁特別抗告棄却決定(全文)

11月25日の最高裁決定が、最高裁判決速報サイトに掲載されましたので、以下に紹介します。全文といっても極めて短いものです。

   主 文

本件抗告を棄却する。
抗告費用は抗告人の負担とする。
   理 由
1 本件申立ては,原々審以来,検察審査会法41条の6第1項所定の検察審査
会による起訴をすべき旨の議決の取消しを求める訴えを本案として,上記議決の効
力の停止を求める趣旨のものと解される。

2 平成22年(行ト)第63号事件について
抗告代理人則定衛,同阿部泰隆,同南裕史の抗告理由について
民事事件について特別抗告をすることが許されるのは,民訴法336条1項所定の場合に限られるところ,本件抗告理由は,違憲をいうが,その実質は原決定の単なる法令違反を主張するものであって,同項に規定する事由に該当しない。

3 平成22年(行フ)第4号事件について
抗告代理人則定衛,同阿部泰隆,同南裕史の抗告理由について検察審査会法41条の6第1項所定の検察審査会による起訴をすべき旨の議決は,刑事訴訟手続における公訴提起(同法41条の10第1項)の前提となる手続であって,その適否は,刑事訴訟手続において判断されるべきものであり,行政事件訴訟を提起して争うことはできず,これを本案とする行政事件訴訟法25条2項の執行停止の申立てをすることもできない。したがって,上記議決の効力の停止を
求める本件申立ては,不適法として却下を免れない。これと同旨の原審の判断は正
当として是認することができる。論旨は採用することができない。
よって,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官白木勇  裁判官宮川光治  裁判官櫻井龍子 裁判官金築誠志  裁判官横田尤孝)

弁護団は、最高裁決定を受けて、11月30日付で行政訴訟本体そのものを取り下げました。この取下は合理的な理由があります。

 

最高裁は執行停止を斥けるに当たって、起訴議決の当否は刑事訴訟手続きで争うべきで行政訴訟で争うべきではないとの判断を示しているので、残された行政訴訟の結論も同じになることが確定したからです。

 

また、第1回期日前の取下であれば、相手方の同意も必要がないからです。

 

第1回期日を過ぎてしまうと、相手方の同意が必要になるので、相手方が同意しない限り、不毛な訴訟を続けなければなりません。

 

ある意味で、この最高裁決定は当初から小沢弁護団が追及してきた目的でもあります。

とりあえず、超特急で、起訴議決の瑕疵は刑事訴訟手続きで争うべきであるとのお墨付きを得るという成果を挙げることには成功した訳です(起訴議決の効力を刑事訴訟で争ったところ、それは行政訴訟で争うべきことだと言われるおそれは当面なくなった)。

これは、小沢弁護団が、指定弁護士の選任の差止というスケジュール的にほとんど無理な要求を申立に加えた戦果といえるでしょう。

 

ですから、小沢一郎氏にとてっは、まずまずの成果というべきでしょう。

 

しかし、本当にこの結論で良かったかは、多いに疑問です。

 

強制起訴制度には、起訴の基準も審理の準則も定められていません。

証拠を検討すべきことすら義務化されていません。

噂・風聞による感覚で判断することを抑制する手だてもありません。

審査会 の実体の存否すら確認する手だてがない密室の議決手続きです。
  

たとえ起訴の前提手続きに過ぎないとしても、専門家である検察官が二度にわたって起訴できないと判断した事件、ですから本来は刑事被告人にされる余地のなかった人を起訴するのですから、適正手続きの保障が必要であることはいうまでもありません。

 

ところが、この間の経過で、検察審査会制度や起訴議決には、適正手続きが全く保障されていないことが、あからさまになってしまいました。

 

今回の最高裁の結論が一人歩きすると、法律の専門家である検察官が不起訴とした事件でも、市民感情によって、あるいは扇動的な審査補助員によって起訴議決されてしまい、無実の一般市民が、刑事被告人という汚名を負うという事態が正当化されかねません。

 

いったん刑事被告人とされた場合の社会的打撃には図り知れないものがあります。

刑事被告人にならないこと自体が利益であることは社会通念からも明らかでしょう。そのためには行政訴訟で争う途を残す必要があります。

 

したがって、この最高裁判決の射程距離は、あくまでも不起訴とされた被疑事実から逸脱しているという起訴議決の当否を争う場合には、刑事訴訟によるべきであるとする特殊に限定された範囲に限られると理解する必要があると考えます。

 

さて、最高裁決定が公表されたお陰で、覆面弁護団の名前はわかりました。宮崎親分が言っていて則定氏の名前もありましたね。一応行政事件の専門家もいらしたので、報道では不明でしたが、起訴議決の効力の停止も当初から申し立てていたようですね。

 

行政訴訟も終わり、小沢一郎氏の刑事弁護団は、弘中惇一郎弁護士を中心に組むことも決まりました。

陸山会事:小沢氏主任弁護人、弘中氏に正式決定

 検察審査会の議決に基づき、政治資金規正法違反で強制起訴される小沢一郎・民主党元代表の主任弁護人に、郵便不正事件で無罪が確定した元厚生労働 省局長の弁護人を務めた弘中惇一郎弁護士(65)=東京弁護士会=が就任することが決まった。弘中氏は取材に対し「自分の事務所の弁護士を含め数人で弁護 団を編成したい」と語った。裁判では無罪を主張するとみられる。

 弘中氏はロス銃撃事件で無罪が確定した故三浦和義氏や、薬害エイズ事件の1審で無罪を言い渡された故安部英・元帝京大副学長(控訴審中に死去)ら の弁護人を務めたことで知られる。小沢氏側から弁護団入りを要請されており、小沢氏が審査会の起訴議決取り消しを求めた行政訴訟を30日に取り下げたこと から、受諾することを正式に決めたという。 (毎日新聞2010年12月1日朝刊)

マスコミは、弘中氏の就任が決まるや、恰もこれに歩調を合わせるかのようにして、いっせいに小沢一郎氏の金絡みの話題を報道して、イメージダウンを図ることで足並みを揃えています。

 

マスコミが、小沢一郎氏のイメージダウンを図るということは、今なお、小沢氏が政局の中心にあることの証拠でしょう。

 

小沢イメージは現に動いている政局と密接に絡んでいるのです。

 

したがって、刑事弁護団には、刑事事件で無罪を勝ち取ること以外に、小沢のイメージアップを図ることも求められるでしょう。

 

その場合、この間、各地で自然発生的に立ち上がってきた運動を、弘中弁護団は、どのように扱うのでしょうか。

 
刑事事件の内容や検察審査会の異常さに対する丁寧なマスコミを含むメディアレクチャーも必要になるでしょう。
お互い人間ですから、丁寧な接触を重ねれば、現場の記者は心情的に味方に付けることができるというのは、常に経験するところです。

 
また、宮崎親分のおっしゃっている名誉毀損訴訟もいよいよ必要ななのではないかとも考えるところです。

 
今後の帰趨に注目したいと思います。

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2010年11月26日 (金)

検察審査会に関する文書の作成・取扱・保管に関する通達を最高裁へ照会

日刊ゲンダイからの情報公開請求に対して、東京第5検察審査会がほぼ全てを墨塗りにした文書を開示した(ブログ「一市民が斬る!!」)

しかも、強制起訴議決がされた2回目の検察審査会については、審査会事件票自体が作られておらず、それは最高裁の通達によるという。

「(最高裁の)通達で、2回目の会議については(審査事件票を)作成することになっていません」(検察審事務局)

そこで、早速、最高裁に電話して、そのような通達があるのか聞いてみた。
「文書で公開請求をしてください」とのご親切なお答え。

「そういう通達があるのか、ないのかだけでも電話で教えてもらう訳にはいきませんか」(相手が最高裁様ともなると、当方も自然と職業柄へりくだる)

「不正確になるといけませんので、あるのかないのかも含めて、文書で公開請求をしてください」と懇切丁寧なお答えでありました。

ということで、やむを得ませんので、最高裁へ以下のとおり司法行政文書開示の申立をいたしました。

司法行政文書開示請求書

ついでにご報告ですが、ブログジャーナル様のおじゃまにならないように時期を遅らせて、下記のような東京第5検察審査会宛の文書開示請求も行っております。

要するに問題になっている期間、検察審査会の審査員と審査補助員にいつ、何人分の旅費・日当が払われているのか、確認してみるということです。

東京第5検察審査会の保有する行政文書の開示請求書

これらが、全部墨塗りということになれば、検察審査会とは名ばかりで、審査会事務局と審査補助員による一人芝居(2人芝居)ではないのかという疑いは、益々濃厚になりますね。

密室の究極の起訴機関、適正手続保障の及ばぬ憲法の適用番外地。

なんだか知らないけど、情報が入れば入るほど、そのお粗末ぶりが明らかになるとともに、ミステリーは深まっていきます。

面白くなってきちゃって、つい追及したくなっちゃいますね。

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特別抗告棄却 頭出し

最高裁が小沢一郎氏の特別抗告を棄却。
今回の行政訴訟については、本訴も含めて結論が出たも同然。

中日新聞によれば、小沢一郎氏の弁護団は「裁判を受ける権利と司法の権威からみていかがなものかと誠に遺憾だ」と上から目線の余裕のコメントをかましてる。
相変わらず匿名覆面集団のままだ。

いろいろ言いたいことがあるが、宮崎学氏の子分を気取った親分がお前、最近ろくに仕事しとらんとうるさいので本論はまたにします。
と言っているうちにマチベンの親分に書かれてしまいそうだけど。

 

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2010年11月23日 (火)

いわゆるサヨクの法学者の方々へ

立川テント村のビラ入れ事件の刑事裁判が係属中に、官房長官が、「当然住居侵入に該当する」と発言したら。

国家公務員の休日のビラ撒きが国家公務員法違反や住居侵入に問われた刑事事件が係属中に、官房長官が「国家公務員法に反する」と発言したら。

横浜事件再審裁判が、係属中に、官房長官が「再審にはなじまない」と発言したら。

嘉手納基地や厚木基地の爆音訴訟係属中に、官房長官が「行政訴訟にも民事訴訟にもなじまない」と発言したら。

戦後補償裁判が係属中に、官房長官が「二国間条約で決着済で、裁判にはなじまない」と発言したら。

いわゆるサヨクの法学者の皆さんは、沈黙したりなんかしてなかったよね。

きっと、いっせいに裁判干渉だと糾弾の嵐を浴びせたよね。

 

仙谷官房長官は、強制起訴の効力を争う小沢一郎の行政訴訟で、言ったよね。

「行政訴訟にはなじまない」って言ったよね。

それも官房長官の記者会見の場で堂々と言ったよね。

今回、サヨクの法学者は、沈黙している。

やられているのが、小沢一郎だからだよね、

金まみれ(それ自体が証拠に基づかない臆断にすぎないのにね)の小沢一郎と一緒くたにされてはかなわないから沈黙しているよね。

小沢一郎は憲法の敵だから、小沢一郎なんかには人権はないよね。

だから、沈黙しているんだよね。

虫けらと同じで、人権がないのだから、沈黙してても良心は痛まないよね。

 

内閣の事務を掌理する行政府の最高責任者が個別の裁判について、意見を述べたことが、司法の独立を脅かすものであることくらい、だれだって知ってる。

でも、だれもが、黙ってる。

この国は、とても静かだよ。

所詮、この国の人権派にとって、「人権」や「憲法」なんてものは、党利党略の道具でしかないのよね。

人権などというものは、

そのときどきに都合の良いように使い回しされるものと相場は決まっているものよと、

そんな冷めた諦観に僕がたどり着いてしまわないうちに、

誰か……

声を…聞かせて……

この世 見据えて笑うほど 冷たい悟りもまだ持てず

この世 望んで走るほど 心の荷物は軽くない

救われない魂は 傷ついた自分のことじゃなく

救われない魂は 傷つけ返そうとしている自分だ

           (中島みゆき「友情」)

 


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