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カテゴリー「読書」の8件の記事

2018年10月 1日 (月)

本間龍・南部義典『広告が憲法を殺す日』(集英社新書)  国民投票法は欠陥法 重大なCM問題

Okinawakentijisenkyotokuhyousuu

 

総統はさぞお腹立ちのことだろう。
宿願の憲法改正を掲げて圧勝で党総裁3選を制した直後、早々つまずいた。

自公が総力を挙げた沖縄県知事選挙に、相手候補に沖縄県知事選史上最多票を献上して敗北した。

 

 

幸いにもテレビは、台風や(NHKの朝7時のニュースでは冒頭22分にわたって台風報道をしていた)、捕まってしまえばとりあえず急ぎの用はない脱走犯や相撲スキャンダルのニュースを垂れ流し、沖縄県知事選ごときは一地方選挙の扱いであるが、政権にとって大きな痛手で、憲法改正のスケジュールにも大きな影響を及ぼすことは疑いない。

 

 

何より、固い組織票であるはずの公明党票からも出口調査で25%が玉城デニー候補に投票したと答えたのは(調査によっては27%)、自民党だけでなく、公明党にとってもショックだろう。

結束の固い公明党支持者にすれば出口調査で玉城候補に投票したとは言いにくいだろうし、投票先を答えない人もいることを踏まえれば、多分、30%以上が、玉城候補に投票したと推測される。

玉城デニー氏当選直後の玉城事務所に創価学会の三色旗が翻っていたのが今回の選挙を象徴している。義を貫いた信者が開いた地平だ。勇気に頭が下がる。

 

 

もともと公明党は総理の憲法改正には及び腰であったが、支持母体である創価学会からこれだけの造反票が出る事態となれば、締め付けを図るにしても、ますます憲法改正には消極的にならざるを得ない。

といって、維新が関西以外では全く無力であることは今回の結果が証明したし、希望に至っては逆効果ですらあったかもしれない。
改憲発議のパートナーとして公明党は切っても切れない。

Tanuki

 

と言う次第で、とりあえず沖縄県知事選挙は、改憲を目論む総理にとって、躓きの石になった。

僅かだが、改憲国民投票に向けて時間が与えられたことを踏まえて、憲法改正国民投票法のあり方について、考える必要がある。

 

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憲法改正に関しては国民の表現の自由を最大限に尊重するとい建前論があったために現在の国民投票法はメディアとくにテレビを使った有償広告が野放し状態である。

 

 

テレビCMに、莫大な金がかかることは自明で、資金力のある改憲派に有利だということはかねてから指摘されてきた。

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しかし、長く博報堂に在籍し、広告業界をよく知る本間龍氏によれば、このCMの自由は、資金力の格差に止まらない問題があるという。
実務的に見ても、改憲派に決定的に有利に作用するという。

 

 

本間氏は

  1.  改憲派は国会発議のスケジュールをコントロールできるので、CM枠をあらかじめ押さえておくことが可能になる。
  2.  スケジュールが読めるので改憲派は、CMコンテンツ制作が戦略的にできる。
  3.  改憲派は、電通とタッグを組む。
  4.  与党は圧倒的に金集めがしやすい立場であり、賛成派は広告に多額の資金を投入できる。

 

 

4がかねて指摘のある資金力のある者が広告を支配するという問題である。

国民投票制度を導入している各国は、この一点だけでも、基本的に有償CMを禁止している。

Kokumintouhyoukokusaihikaku

 

 

さらに、我が国特有の広告業界の事情が、1ないし3から圧倒的な優位を改憲賛成派にもたらすという。
このまま改憲が発議されては、どう考えても改憲反対派には勝ち目が乏しいのだ。

 

 

 

改憲を発議するスケジュールをコントロールできるということは、発議されたときには、すでにCM枠を押さえているということだ。

CMコンテンツもできあがっていて、改憲の発議の翌日から、どんどん改憲派のCMが流れることになる。

また、発議から60日以上180日以下とされる国民投票までの期間も改憲派が決めるわけだから、これに応じたCM戦略を予め立てて臨むことができる。

 

 

一方、改憲反対派は、そもそも与党がどのような改憲発議で落ち着かせるつもりか分からない上、発議阻止に全力を挙げ、発議されてからCMコンテンツを作成し、CM枠を押さえることとなりかねない。まさに『泥棒を見て縄をなう』、だ。

発議されてからアピール性の高い広告コンテンツを作るのにも時間がかかるし、CM枠を確保するのも容易ではない。
改憲反対派は全て後手後手に回る。

短期決戦の場合には、改憲派のCMだけが流れる中で国民投票の日を迎えることになりかねない。

 

 

民放各社は個別にCM枠のスポンサーを募るのではなく、広告代理店に一括してCM枠を売り渡すことで、安定的な広告収入を得られる仕組みとなっている。

そして、視聴率の高い時間帯になればなるほど、このCM枠に占める電通が押さえている割合が高くなる。プライムタイム(19時~23時)のシェアは電通が49%、博報堂が26%になる(2009年)。

 

 

そして、電通と自民党は結党以来のパートナーであり、政権党とともにあり続けた結果、電通は今日の寡占状態を築くことができた。巨大な東京オリンピック利権を電通が独占しているのも自民党との深い関係がもたらしたのである。

 

 

では、業界2位の博報堂が改憲反対派と組むかというと、博報堂としては、資金力にも不安があり、しかも、いつ消えてなくなるかわからないような弱小転変政党と組むよりは、やはり改憲派と組んだ方が、圧倒的に有利である。自民党から公然と受注してもよいし、大企業から受注しても良いだろう。

 

 

かくして、憲法改正が発議された段階で、少なくともテレビ・ラジオCMの決着は(地方放送も含め)ついてしまっているのである。

下手をすれば、改憲反対派は、CM枠を取ることさえできずに敗北することになる。

 

 

かくして「広告が憲法を殺す」のだ。

 

 

本間氏は護憲派の一部に根強い「いざとなったら吉永小百合」頼みの愚かさも実務的に指摘しておられる。

 

 

本間氏の目からは、これほど脳天気なルールが国民投票法として成立したことが、にわかには信じられないほどだという。

 

 

改憲議論の前提の問題として、このCM問題は、是非とも議論されなければならない。

改憲反対派の方々は、是非、本書をお読みになって、現実的な戦略を検討されることを願う次第である。

 

 

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PS

石破茂が、9月27日に初めて沖縄県知事選の応援に入り、石垣島で佐喜真候補の応援演説をしたという。
なにやら総裁選の意趣返しに見えなくもない。

 

 

その石破茂氏、総裁選が終わった後の9月23日早朝のTBSの『時事放談』に出演していた。

米朝をめぐる非核化の問題について、「米国は北朝鮮の非核化を求めているのに対して、北朝鮮はあくまで朝鮮半島の非核化を言っているだけだ。噛み合っていないことを、きちんと押さえなければいけない」とドヤ顔で自説を述べていた。

 

 

自民党総裁選後の録画だから、収録は9月20日以降である。3回目の南北会談が行われて南北平壌宣言が発表されたのが9月19日だ。

そこには、

 

9月南北平壌共同宣言(2018年9月19日)

5、南北は朝鮮半島を核兵器と核脅威がない平和の地にしなければならず、このために必要な実質的な進展を速やかに実現しなければならないということで認識を共にした。

 (1)北朝鮮はまず、東倉里のエンジン試験場とミサイル発射台を関係国専門家の立ち会いの下に永久に廃棄することにした。

 (2)北朝鮮は米国が6・12朝米共同声明の精神に沿い、相応の措置を取れば、寧辺の核施設の永久的廃棄などの追加措置を引き続き講じる用意があると表明した。

 

 

とある訳だから、北朝鮮は、「朝鮮半島の非核化」だけでなく、自国の非核化について、そのタイムテーブルを示している。

北朝鮮が「朝鮮半島の非核化」しか主張していないとする、石破氏のご託宣は明らかに間違いだ。

現下の我が国に関わる最大の安全保障問題についても、重要な会談の結果を調べもせずに、ドヤ顔で間違った自説を垂れ流す程度の人物が、総裁選の対抗馬としてもてはやされるくらいだから、我が国の政治の劣化も極まっている。

 

 

こんな人達が競って自分こそ総理にふさわしい、緊急事態条項を持ちたいと言っているのだから、憲法改正は、ほんに恐ろしきことである。

2018年9月23日 (日)

決意をもって書かれた作品 太田愛著 『天上の葦』(KADOKAWA)  ネタバレ注意

 

えん罪を扱ったミステリーということで興味を持った「幻夏」(KADOKAWA)を読むまで著者の名前も著書も知らなかった。

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著者太田愛は、もともとはテレビ番組の脚本家で、テレビドラマ「相棒」の脚本家の一人である。「相棒Season8」から参加し、「相棒 劇場版Ⅳ」を担当、正月スペシャル版も4年手がけている「相棒」シリーズの中でも、実力派人気作家の一人である。
いうまでもないが、「相棒」は、平日昼間の再放送がドラマ部門の週間視聴率ベスト10に入るようなお化け番組である。

 

 

「天上の葦」が扱うのは、マスコミと権力の関係である。

出版社によるタイトルの紹介の範囲で言うと、もう、ここですでに、ネタバレになってしまう。

 

「天上の葦(上)」

生放送に映った不審死と公安警察官失踪の真相とは?感動のサスペンス巨編!

 

白昼、老人が渋谷のスクランブル交差点で何もない空を指さして絶命した。正光秀雄96歳。死の間際、正光はあの空に何を見ていたのか。それを突き止めれば一千万円の報酬を支払う。興信所を営む鑓水と修司のもとに不可解な依頼が舞い込む。そして老人が死んだ同じ日、ひとりの公安警察官が忽然と姿を消した。その捜索を極秘裏に命じられる停職中の刑事・相馬。廃屋に残された夥しい血痕、老人のポケットから見つかった大手テレビ局社長の名刺、遠い過去から届いた一枚の葉書、そして闇の中の孔雀……。二つの事件がひとつに結ばれた先には、社会を一変させる犯罪が仕組まれていた!? 鑓水、修司、相馬の三人が最大の謎に挑む。感動のクライムサスペンス巨編!

 

「天上の葦(下)」

日常を静かに破壊する犯罪。 気づいたのは たった二人だけだった。

 

失踪した公安警察官を追って、鑓水、修司、相馬の三人が辿り着いたのは瀬戸内海の離島だった。山頂に高射砲台跡の残る因習の島。そこでは、渋谷で老人が絶命した瞬間から、誰もが思いもよらないかたちで大きな歯車が回り始めていた。誰が敵で誰が味方なのか。あの日、この島で何が起こったのか。穏やかな島の営みの裏に隠された巧妙なトリックを暴いた時、あまりに痛ましい真実の扉が開かれる。

―君は君で、僕は僕で、最善を尽くさなければならない。

すべての思いを引き受け、鑓水たちは力を尽くして巨大な敵に立ち向かう。「犯罪者」「幻夏」(日本推理作家協会賞候補作)に続く待望の1800枚巨編!

 

 

 

登場人物は、いずれも組織から外れるような、一癖ある人物で、テーマの深刻性や、スリリングな展開とは別に、ユーモアもふんだんに盛り込まれている。

「相棒」好きであれば、多分、面白く読める極上エンターテイメントになっている。

ブックレビューの満足度も高い。

 

 

さて、本題である。

「相棒」の脚本がメインの仕事であったように、著者は、マスコミ業界に極めて近い人である。

その著者が、権力とマスコミの関係を真っ向から問題にするのは、著者にとって、損はあっても得なことは何もない。

当然、著者の頭にも、ドラマの脚本を「干される」可能性があったと思う。

現に作中で示されるマスコミに対する著者の認識は、極めてリアルで、マスコミの計算高さも冷たさも十分に知り尽くしている。

そう、この作品は、勇気を持って、書かれたものなのだ。

 

 

本作執筆の動機を著者は次のように述べている(ダビンチニュース2017年2月23日)

 

 

実社会で起きている異変。今書かないと手遅れになる

 

構想の発端について太田さんはこう語る。

 

「このところ急に世の中の空気が変わってきましたよね。特にメディアの世界では、政権政党から公平中立報道の要望書が出されたり、選挙前の政党に関する街頭インタビューがなくなったり。総務大臣がテレビ局に対して、電波停止を命じる可能性があると言及したこともありました。こういう状況は戦後ずっとなかったことで、確実に何か異変が起きている。これは今書かないと手遅れになるかもしれないと思いました

 

 

 

この作品は、今、世に出さなければならないという、駆り立てられる思いから、生まれた作品なのだ。著者自身が「干される」ことも覚悟してもなお「書かなければならない」との思いから世に問われたのである。

 

 

著者は、今の状況を1930年代と重ね合わせている。

 

 

作中には瀬戸内の島の老人から聞いた話を伝える次のような部分がある。

 

 

「曳舟島の老人たちから聞きました。まるで空気が薄くなるように自由がなくなっていったあの時代のことを。着たいものを着る自由、食べたいものを食べる自由、読みたいものを読む自由。気づいた時には誰も何も言えなくなっていた。思ったことを口にしただけで犯罪者とみなされる時代が来るとは、誰も思っていなかった。」

 

 

世の中の空気が変わり始める異変が起きてから、破局に至るまでこれを止めることができる時間は、さほど長くない。
言論の統制が極限化した当時を、マスコミの記者として生きた老人はこう語る。

 

 

「しかし、いいですか、常に小さな火から始まるのです。そして闘えるのは、火が小さなうちだけなのです。やがて点として置かれた火が繫がり、風が起こり、風がさらに火を煽り、大火となればもはやなす術はない。もう誰にも、どうすることもできないのです」

 

 

今は、まだ火は小さい、しかし、一刻の猶予もならないという切迫した思いが著者を本作に向かわさせたのだ。

 

 

 

 

マスコミの直近で仕事をしているだけに、権力がマスコミに対して持つ強大な力に対する認識も冷静だ。

この作品は、公安(背後の政治家)と、民放テレビ局が立ち上げを予定している、看板報道番組との確執を物語の軸に据えているが(完全にネタバレしている)、番組一つをつぶすくらい権力にとって造作もないことが前提とされている。
番組をつぶすのではなく、今後、そのような番組が出てこないようにするために画策する公安と、これと対決する主人公たちの姿を活写したものだ。
(構造としては、、前川喜平に関係した者をつぶすのではなく、今後2度と前川喜平のような官僚を出さないことを目的とする今回の粛清事件と極めて類似している)

 

 

マスコミに対する冷めた目と同時に、作品には、マスコミの人々に対する尊敬も示されている。

 

 

「日本にも良心的なプロデューサーやディレクター、ジャーナリストは大勢いるんだけどね」 

 

 

そう、マスコミで仕事をしておられる方々、あなた方に向けて、この愛に満ちた物語は紡がれたのである。

 

 

マスコミで仕事をされている方々、是非、手にとってくださいな。

そして、著者の勇気を受け取って、今、あなたにできることを是非、実行してくださいな。

 

 

火が小さな内に、大火となって、もうどうしようもなくなってしまう、その前に。

 

 

なお著者のこの作品に込めた思いは、「太田愛 公式サイト」にリンクが貼られている、「久米宏 ラジオなんですけど」(2018年4月21日)でも聞ける。
『国が危ない方向に舵を切る兆しは「報道」と「教育」に顕れる / 脚本家・太田愛さん』

 

 

 

「天上の葦」が大ベストセラーに化けてくれますように!!

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追記
全国紙に書評が掲載されたかどうかを、簡単に検索できるサイトがある(ことを今回知った)。
「版元ドットコム」サイトの「書評に載った本」の項目で書名(一部も可)とか、著者名等で検索をかけると、書評があれば、該当の書評が掲載された新聞名、掲載日が評者の名前などが一目で検索できる。
何が言いたいか、おわかりいただけると思う。
何と『天上の葦』については、全国紙(東京・中日新聞を含む)の書評が皆無なのだ。
産経WEBには高く評価する、書評があるが、紙媒体ではなく、WEB媒体のみの書評のようである。
それどころか『太田愛』についても書評が皆無なのだ。
どうりで、僕が知らなかった理由も腑に落ちる。
太田愛さんの作品は、話題になりにくいような構造ができているのだ。
これは、驚くべき事態だ、と思う。
影響が大きいと思われる新進作家をマークし、公の空間から密かに閉め出す見えない言論統制がすでに始まっているのだと、僕はこれを理解する。
何としても、『天上の葦』をベストセラーにせねばならない。

2013年6月18日 (火)

お勧め『TPP黒い条約』(集英社新書)

中野剛志編『TPP黒い条約』(集英社新書)、お勧めです。
TPP黒い条約(集英社新書)

序にかえて/中野剛志
第一章:世界の構造変化とアメリカの新たな戦略―TPPの背後にあるもの―/中野剛志
第二章:米国主導の「日本改造計画」四半世紀/関岡英之
第三章:国家主権を脅かすISD条項の恐怖/岩月浩二
第四章:TPPは金融サービスが「本丸」だ/東谷 暁
第五章:TPPで犠牲になる日本の医療/村上正泰
第六章:日本の良さと強みを破壊するTPP/施 光恒
第七章:TPPは国家の拘束衣である―制約されるべきは国家か、それともグローバル化か―/柴山桂太


右派論客が揃うと、どんな本になるのかなあ(汗w)と思っておりましたが、読み終えた印象は、極めて着実な議論で貫かれたバランスの取れた良書です。


米国の世界戦略の分析(中野剛志氏)と対日要求の歴史(関岡英之氏)という総論を踏まえ、ISD(岩月)、金融・保険(東谷暁氏)、医療(村上正泰氏)の各論(網羅的ではないが、経済的観点からはTPPの本質的部分を摘出している)を経て、ボーダレス化と人間(施光恒氏)、グローバル化と脱グローバル化の歴史の視座(柴山桂太氏)を提供して展望とする一連の流れは、さすがに中野剛志氏の見事な編集だと思いました。


末席を汚させていただいたのは光栄としか言いようがありません。


要するに、TPP(並行日米二国間協議=日米FTAを含む)は、普通の日本人にとって、ごく公平に見て『売国』と呼ぶしかない訳です。
そして、グローバル化というのは、一種のイデオロギーに支えられた運動であって、それは普遍的なものでも歴史的必然的なものでもない。
むしろ行き過ぎたグローバル化が国家間の対立を抜き差しならないものにしたという20世紀初頭の状況を教訓とすべきだということです。


個人的には、施光恒氏が、第6章で、国内に多様な仕事があるということが生きるということの多様性を保障するといった趣旨を述べておられることに大変、共感した次第です。
グローバルに最適地での経済活動が行われれば、当然、国家の産業は資本に都合のいいようにモノカルチャー化し、仕事の種類は限られてきます。
多様性のある国家の間での(互恵的な)交易という世界秩序を提示されています。


「仕事」は生きるということの重要な一環を占めています。
フロムが、全体主義からの脱却の展望として「愛」と「生産的な仕事」を挙げていたことを思い起こしました。

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追記 そういえば、佐伯啓思氏は、「インターナショナル(国際)」でもなく、「ワールド(世界)」でもなく、「グローバル(地球)」という言葉を使うことの意味を問い、強い警鐘を鳴らしていました(『アダムスミスの誤算』)。
「インターナショナル」は当然、国家間の関係であるから国家が強く意識されている。
「ワールド」と呼んでも、世界の中の各地域、各国の多様性は前提になる。
しかし、「グローブ」として宇宙から見てしまえば、陸と海があるだけの一様の空間になる。
「グローバル」という言葉には、多様性を無視した一律一様なルールの適用を理想とする含意がある。1999年の日本において、2013年TPPに直面する日本でまさに問われる問題の本質を喝破していたことには、改めて敬服せざるを得ません。

2011年12月26日 (月)

ホワイトクリスマスのフィギュアスケート   (「発送電分離」とTPP追補)

昨夜は、ホワイトクリスマスになった
名古屋で、
久しぶりにフィギュアスケート大会の
テレビを、ゆっくり見ていました。

真央ちゃんは、強い子ですねぇ。

また、村上佳菜子ちゃんは、
天然なんですかねぇ。
大失態を演じた後の
キス&フライでの
大爆笑 (^。^)。

以前、読んだ本では、
山田満知子コーチの
コーチングの要は、
「選手を型にはめるのではなく、
長所を伸ばすようにする、
主体性を引き出す、
たかだか20年の選手生活より
その後の長い人生を
豊かに送れるように
人間性を養ってもらう
ことが一番大事 」
とのことで、
多くの才能が育ち
愛されている秘訣が
ここにありますね。

-ー------------------------------
ところで、
「発送電分離」とTPPで追補。
「発送電分離」に
賛成する人の中には
再生可能エネルギーの
買取を送電会社に義務づけ、
クリーンエネルギー促進の
ために太陽光発電などの
開発を促進する
インセンティブになる
価格設定を政府が行うみたいな
構想を描く人もいるのかなと
思います。

TPPに参加すると、
こうした義務づけや
価格設定が
全て自由貿易の観点から
点検されます。
グローバルスタンダードではない
規制は、非関税障壁として
全て違法・無効となり、
たとえば、
外国の発電会社に対して、
政府が巨額の損害賠償を
しなければならなくなります。

グローバルスタンダードか
どうかはTPPでは
アメリカンスタンダードに
他なりません。

アメリカが苦手な分野は
全て違法になります。
エコカー減税などは
もってのほか。

要するに
あらゆる政策決定が
法的にアメリカの監視下に
置かれ、
独自の政策決定が
できなくなるという
法的枠組みが
TPPなんですね。

2011年3月10日 (木)

岩波書店『世界』4月号 TPP批判

古式ゆかしき、サヨクである僕は、岩波書店の「世界」を20年近く定期購読している。

さて「世界」4月号は、TPP批判の特集号である。

815

積ん読になりがちな「世界」であるが、今月号は読み甲斐がありそうである。

特集TPP批判の該当目次は以下のとおり。

特 集 1 TPP批判──何が起きるか

【対  談】
TPPは社会的共通資本を破壊する
  宇沢弘文 (東京大学名誉教授)、内橋克人 (経済評論家)

【Q&A】
TPPで何がどうなる?
  中野剛志 (京都大学)

【回避すべき危険】
「平成の開国」── 四つの落とし穴
  本山美彦 (大阪産業大学学長)

【座談会】
「地域の力」でTPPを打ち返そう
  鈴木宣弘 (東京大学)、結城登美雄 (民族研究家)
  色平哲郎 (医師)、司会=榊田みどり (農業ジャーナリスト)

【雇  用】
どのような国づくりを目指しているのか──「理念」と「対話」を欠いた菅政権の経済政策
  山口義行 (立教大学)

【短期集中連載】
失われるか世界の10年 (2) 1932年と2011年──大停滞の深化 (その1)
  赤木昭夫 (元慶應義塾大学教授)

また、

シロクロだけが問題か
小沢事件の本質は何か──「検主主義」覆い隠す「政治とカネ」報道
  横田 一 (ジャーナリスト)

も特筆すべき論考である。

「権威ある」メディアでは、初めて小沢氏の「政治とカネ」の問題が虚構に過ぎないことを明らかにしている。

編集後記も刮目すべきである。

米“安保マフィア”は政権交代まもなくから、小沢・鳩山を警戒し、政治資金規正法違反事件が起こされたとする。

格式ある「世界」が、編集後記とはいえ、「米“安保マフィア”」と踏み込んだ表現をする決断に至った勇気を称えたい。

TPPは日本の植民地化と独立の問題なのだと、言いたくなるとき、僕はサヨクというより民族主義者である。

心ある方は、是非、雑誌「世界」4月号をお手にお取りくださいな。

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2011年2月23日 (水)

断片2 「I Love You,答えてくれ」と「なんくるない」

中島みゆきの「I Love You,答えてくれ」が発表され、

よしもとばななの「なんくるない」が文庫化された年の夏、

僕は、中島みゆきに騙され、

あのひとは、よしもとばななに騙された。

はたから見れば、見慣れた顛末、愚かな暴走に過ぎなかろう。

でも、僕の中には、今でも確実に「I Love You,答えてくれ」が刻まれきえていない。

そのことを今、幸せと思う。

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2011年1月 2日 (日)

「生物と無生物のあいだ」のもたらす生命観

エントロピー増大法則は、あくまで物理学上の話であって、日常生活に混同して使ってはいけないんだそうだ。

だけど、僕の身の回りはエントロピーそのものなのが実感だ。

ついこの間あったはずの生命保険証券が、大事なところにしまったとたん、どこかに消えてしまって困っている。

 

エントロピーとか言っていたら、ずっと前に読んだ「生物と無生物のあいだ」(福岡伸一・講談社現代新書)を思い出した。

この本は、発売後3年以上経っても、まだ平積みにされているのを見かける。

それだけのことはあるよい本だと思う。

曖昧な記憶しかないので、不正確かも知れないけれど、印象に残った部分に触れてみる。

 

生命体は常にエントロピーの増大により生体秩序攪乱の危険にさらされている。

そのため生命体はエントロピーが増大する以前に、まだ健全なタンパク質を破壊して捨て去り、新たにタンパク質を合成するという代謝を繰り返しているという。

エントロピーされ放題の僕とは大違いである。

エネルギーの流れの中の周到で絶え間ない代謝が生命秩序を維持し、生命を生命たらしめているのだという。

著者が動的平衡と名付ける生命活動の特徴の一つである。

 

著者は、生命とは、絶え間ないエネルギーの流れに浮かぶ淀みのようなものだと比喩する。

川の水はどんどん流れて、水分子をとれば全く違うものなのに、よどみは同じ形を保ち続けている。

ヒトも数ヶ月で全ての細胞が入れ替わり、細胞単位では別のものになりながら、ヒトとして同一性を保ち続けている。

 

この本は僕に、生命観に関わる静かな感銘と確信を与えてくれた。

 

今こうして生きていることということと、広大な宇宙のエネルギーとはつながっているということ。

意識を有した個体としての僕が、実は宇宙の中のエネルギーの代謝現象に過ぎないということ。

孤立から救われる世界との一体感の意識とともに一種のはかなさを伴う諦観。

宮沢賢治の詩をどこか思わせる。

理系の立場からは、賛否両論あるようだが、少なくとも文科系の僕にはとても哲学的に示唆されるところがあった。


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2010年12月 3日 (金)

ηなのに夢のよう 森博嗣の死生観

自殺の経済損失のニュースが伝えられた頃、僕は、
森博嗣の「η(イータ)なのに夢のよう」を読んでいた。

「ηなのに夢のよう」という謎のメッセージを残す連続自殺(他殺?)事件を題材にする小説だ。

かなり粗雑な要約になるが、この小説から読み取れる自殺観は次のとおりだ。

殺人(凶悪犯罪)には動機などない。
動機と呼ばれるものは、社会が、納得して不安を抑えるために考えられた虚構に過ぎない。

同様に自殺にも動機はない。

生まれることに動機がないのと同様に、死ぬことにも動機などない。

生きることに意味がないのと同様、死ぬことにも意味などない。

最終章近く、卓越した能力を持つ科学者に森はこう語らせる。

「そんなに、深刻になる問題ではない、と私は思うの」

瀬在丸はゆっくりとした口調で言った。

「死ぬことってそれほど特別なことかしら?そうじゃないわ。本当に、身近なことなんですよ。(略)生命は刻一刻どんどん入れ替わっている。人間よりも、もっともっと短い時間しか生きられないものがたくさんあります。今鳴いている虫は、もう明日は死んでいるのよ。それが虚しい?でも、普通のことでしょう?とても平和で、穏やかな事なんです」

「まだ、若いのだから、死が遠いと感じるのも、無理はありません。私くらいになったらね、もういつ死んだっておかしくないんだから」瀬在丸は笑う。

「ですから、自殺についても、そんなに不思議なことではないと私は理解しています。なかには、生きることに執着する人もいますけれど、それとまったく同じレベルで、反対の道を選ぶ人もいる。つまり、どうせ一度死ぬのならば、自分で今と決めて死にたい、と考えるのね。そう、たとえばね、立っている場所がもうすぐ崩れ落ちるというとき、崩れるぎりぎりまで待つ人と、自分からジャンプして落ちていく人がいるんじゃない?それだけの違いでしょう?どちらも生きたのです。一回生きて、一回死んだのです。同じじゃありませんか?」

森博嗣の死生観は、諦観のような静けさも感じさせる。
悔やまなくていいんだと、遺族に告げているようで、優しくもある。

そこには、少なくとも「死んでも働け」等という心ないメッセージはない。

生きることに意味がないとすれば、そして自殺者の周囲もなぜ自殺したのだろうと後悔する必要もないのだとしたら、自殺はやはり権利、少なくとも自由の範囲に属することになるだろうか。

おそらく、そうだと僕は思う。

森は、この世の物とも思えぬ才能に恵まれた天才にとっての死生を想定する。
天才にとって、生きることのジレンマはさらに深刻になる。
なぜなら、天才にとっては、自分と自分を取り巻くものしか存在せず、社会への定着という概念が存在しないからだという。

自分が必要とされていることを実感できてこそ、人は、生きていたいと思うのではないだろうか。それが森の言う社会への定着である。

そして、自分自身を必要としてくれる存在を身近に感じられるほど、生きていたいという思いは、切実になるだろう。

仮にも自殺対策として政策を考えるのであれば、何よりも必要なのは、ばらばらにされた人間関係の回復と、働くことだけでは満たされない関係性の欲求を満たす時間の余裕だろう。

うつ病を生み出し、政府が自殺せずに働くことを想定している職場は、仕事の内容も著しく細分化されて非人間的な作業の反復となり、人間関係も分断され、しかも、表には現れない(タイムカードを押す前の、そしてタイムカードを押した後の)際限のない時間外労働を強いる職場だ。

急速に発展したトップ企業であるほど、24時間、全人生を会社に尽くすことを求める(ネットではブラックと呼ばれている)。数年で半数近くがうつ病に近い状態になって退職していく。

そうした企業環境を是正・監督することなく、自殺せずに働くことを求めても、自殺者が浮かばれるはずもない。

自殺者には、人間らしい労働と、仕事を離れた親密な人間関係こそが必要だろう。

ただ、労働力として、死んでも働け、国家財政の損失だといわれて「生きていたい」と思う者などいる筈もないのだ。

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