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2010年3月13日 (土)

知性を疑う高校授業料無償化論議

3月12日、衆議院文部科学委員会で高校無償化法案が可決された。朝鮮学校についてはその対象にするかどうかに関して、第三者による評価組織を設けることで結論を先送りした。まずは拙速は避けたかというところか。

本日の報道によると、1995年日本が条約締結した人種差別撤廃条約の国際監視機関である人種差別撤廃委員会は、朝鮮学校を高校無償化の対象から除外するのは条約違反にあたるとして15日にも日本政府に対し改善勧告する見通しであるという。

ある新聞の社説は、「無償化除外筋が通らぬ」という見出しで拉致問題などに厳しい態度で臨むのは当然だが、それと子どもたちの教育支援とは別次元の問題である。民族教育に特色があるが多くの教科学習は日本の学習指導内容に沿っている。生徒たちは日本で生まれ育っており将来もそうである。子ども自身に責任のないことで選別することは筋が通らないという論説である。

人権として人道的立場からという論点からの賛成意見だが、世界の現実を見誤っているのではないか。現在の世界は民族国家体制であり、国家が国民に責任をもつ体制である。そして、統治の原点は法律であり法の下に統治されることが原則である。国家を越える問題は、国家間で協議されることが基本であり、そのための機関として国際連合等が存在している。このことを先ず押えておくことが必須である。

この現代の世界の仕組みを前提に考えないと本末転倒の議論になってしまう。まず、高校無償化の政策は、国民の教育について出されているものである。従って、国籍を有しない生徒は対象に含まれない。国籍を有しないが日本で高校に類する学校(インターナショナル・スクールなど)に通学している生徒については、国際間の取り決めが先ず必要になると考えるべきである。海外に駐在している外国の人の立場に立って考える場合、駐在地の国がお金を出すのはある意味おせっかいである。自分の国の教育理念と方法で教育しているからお金は受け取れませんというのが筋であり毅然とした態度だ。あなたの国のお世話にはなりませんというのが民族の誇りではないか。お金をくださいと擦り寄るのは、民族の誇りを傷つけるようなものである。

先日の新聞に立川談志師匠が国会議員の頃、派閥の領袖の大平正義元首相のところにお金を一時的に用立ててもらいに行って、後で請求書を見たら利息がついていたので聞いたところ、「もし、利息がなかったら君のプライドを傷つけやしないかと思って・・・」と答えられたと書かれていたが、貧富の差に拘わらず民族と違いに関わらず、人は平等であるから礼をもって接しなければならない。

人権・人道上の立場からの議論は、守られる国を失っている人々に対する国際的擁護措置ではないか。朝鮮学校の場合、どれに該当するのか。まして北朝鮮と日本とは国交もないのだ。朝鮮学校は守ってくれる国がないというならば、そこから議論すべきである。

朝鮮半島の情勢は正念場を迎えているが、正念場を迎えているからこそ毅然とした態度で筋を通すことが重要である。

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