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2022年2月

2022年2月11日 (金)

アメリカ合衆国初代大統領ワシントンのアメリカ国民に対する告別の辞

日本では現在、憲法改正論議が盛り上がっています。憲法改正は、今後の国のかたちを決める最重要事項です。しかしともすれば、時代の雰囲気に流されて情緒的になるきらいがあります。安易に安全保障条項、人権条項などを決めることは未来に禍根を残します。ほとんど知られていませんが、アメリカ合衆国の憲法制定過程は大いに参考にすべきです。利害に絡む問題、州と連邦国家の問題、人権問題、国民と政府の関係、連邦最高裁判所の役割、それらについて広島大学知的社会研究所(代表 内山 敬康)が詳しく論及しています。その中から、アメリカ建国の6人の父祖のリーダーである 初代大統領ワシントンがその思いを国民に向けて伝えた告別の辞をウエブサイトから転載します。アメリカ合衆国憲法の制定 (hiroshima-u.ac.jp)

憲法は公正にためしてみるが、人間と人間が自由を使いこなす力をまるで信頼していない。だからアメリカは、イギリスの政治体制のような結果に終わるだろう、というのがワシントンの考えだったという。

ワシントンは、アメリカ国民に告別演説を発表して別れを告げる。告別の辞の原文は1796年9月19日付けの「アメリカン・デイリー・アドヴァイザー」紙の1ページ全面を埋めた。この原稿には少々ふしぎな点がある。ワシントンは演説の草案をまとめ、政治的信念を表明して国家に助言を与えようと考え、5月、ハミルトンの承認を求めて草稿を届ける。ハミルトンはこれを書き直し、ふたりで原稿を練る。このため、告別の辞は20年間にわたり親密に協力し合い、互いの考えを知りつくしたふたりの男の共作となった。文言の一部はあきらかにハミルトンのもの、しかしその思想全般はワシントンのものだった。完成した演説は、アメリカの初代大統領がアメリカとは何か、どうあるべきか、あるいはアメリカについてどう考えていたかを簡約している。

その主な論点は三つ。まず第一に長文を割いて、情熱的に「派閥意識の悪影響」について論じている。それによれば、アメリカは伝統と自然によって結ばれた國で、「微妙な違いはあれ、おなじ宗教、風習、政治原理を共有している。北部と南部、東部海岸と北西内陸部の経済制度の違いは、國を分裂させるものではなく、補完しあうものである」。違いや意見の対立や論争は存在するだろう。しかし「集団、あるいは個人の幸福の源泉」である連邦に対して、万人が貢献することがまさに国家の基盤であり、その中心には憲法に対する尊敬の念がある。「全人民が明確に承認を与えて変更されないかぎり、憲法は恒久的であり、すべての人にとって神聖な義務である」。人民が「政府を樹立する権力と権利」をもつことは、「すべての人が政府に従う義務」を前提としている。それゆえに「法の執行に対する一切の妨害、あるいはいかなる口実のもとであれ任命された政府の審議および行為に対して実際に命令を下し、支配し、妨害し、脅威を与えるような計画をもって行なわれる団結と提携は、すべてこの基本原理を破壊し、破滅に向かうものである」。

これは、議会が憲法にもとづいて制定した法律を執行する合法的政府の決定には、全市民が道徳的義務として従うべきである、という力強い声明である。8年間の大統領経験から、アメリカが法治国家であることを思い出させるためのワシントンの厳粛な助言だった。法のもとにあればアメリカは万能だが、法がなければ無に等しい。ワシントンがこのように激しい言葉で宣言したのは賢明だった。未来の大統領は、甚だしい反抗的行為に対処するさい勇気を奮い起こすことができた。たとえば、アンドルー・ジャクソンがサウスカロライナ州から連邦法を無効とする権利をつきつけられたとき、あるいはエイブラハム・リンカーンが南部11州の連邦離脱という違憲行為に直面したときがそうだった。この演説は、アメリカ政府についてのワシントンの認識を象徴している。政府の力のおよぶ領域に厳しい制限こそあれ、権限の範囲内では(神におよばないまでも)その主張は絶対だった。

第二に、ワシントンは外国の紛争にかかわらない智恵を強調している。ヨーロッパをのみ込んだ大戦中、同盟を求める両陣営の圧力をはねのけて合衆国が戦いに巻き込まれるのを防いだことをワシントンは誇りにしていた。アメリカは、あらゆる國と「協調」し、「自由な外交」を追求して平等の立場で通商を行なわなければならない。また、「ふさわしい(軍事)施設」によって「相当の防衛体制」を維持しなければならない。アメリカが「緊急の一時的同盟」を結ぶことはあるかもしれない。しかし、一般には、あらゆる國との(できれば相互の)全方位外交の方針を追求すべきで、いかなる國とも敵対し、あるいは同盟すべきではない。孤立するのか?そうではない。独立するのである。

最後(第三)に、ワシントンは(革命期のフランスで起こった恐ろしい事件の数々を考慮して)、アメリカは世俗国家(宗教的原理を持たない国家)であるという考えを永久に排除したい、と望んだ。アメリカは法治国家だが道徳の國でもある。「政治を成功に導くあらゆる性向や習慣の中で、宗教と道徳は欠くことのできない支柱である」と述べている。「人間として市民としての義務という不変の基盤」を傷つけようとする者は、誰であれ愛国者とは正反対の極にいる。「法廷の捜査の手だて、宣誓、に宗教的義務感を持たなくなれば、財産や名誉や生活の保障」はあり得ない。そればかりか道徳も宗教抜きでは守れない。「高尚な教育」さえあれば「頭の構造が変わっている人」(まちがいなくジェファソンを念頭においている)には役立つかもしれないが、「宗教的原理抜きで」は「国民の公徳心」が広まらないことは、さまざまな経験から目に見えている。

要するに、ワシントンは、自由な共和国アメリカは秩序の維持を市民の善行に頼っており、宗教なしでは存続できない、と述べていた。それが当然の事実だった。ワシントンは、おおかたの国民と同じく、アメリカはある意味で神に選ばれ恩寵にあずかり祝福されている國だと感じていた。このため、「たゆまぬ祈願」を「死ぬまでつづける」つもりだった。つまり、「天の御恵みの妙なるしるしを、アメリカ国民にとこしえにお示しくださるよう、連邦とはらから(同胞)の愛がとわにつづき、人々の手になる自由の憲法が堅く守られんことを」と祈っていたのである。

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