人類歴史の摂理法則から見た東アジアの近未来(概要)
はじめに
人類歴史を紐解いていくと、そこに一つの発展・繁栄・衰退の法則があることが分かる。しかもその展開は、数理性をもって展開されている。明治以降の日本の近代史は、40年という周期をもって展開され、現在は2025年解体というシナリオに沿って進んでいる。1865―1905―1945―1985―2025という節目の年を境に歴史は反転している。現在は、丁度80年前の歴史現象が再現されている。
80年前の1937年は、第二次世界大戦の始まりの年といわれている。4月にはドイツ空軍機のスペインゲルニカ爆撃、11月には日独伊防共協定が成立、12月にはイタリアが国際連盟から脱退する。米国ではこの年、財政支出大幅削減の予算が実施され、翌1938年は「ルーズベルト不況」と呼ばれる恐慌が起きる。実質GDPは11%下がり失業率は4%上昇した。株価は暴落し、軍事支出に頼る戦時経済に打開策を見出すという最悪の展開になっていく。
日本では、1936年に軍事クーデター、二・二六事件が起こる。1937年には7月7日盧溝橋事件が勃発、8月には第二次上海事変、12月には南京事件が勃発、1945年まで続く日中戦争に突入する。現在、我々人類は戦争に突入するか否かという歴史の分岐点に立たされている。
ところで、現在我々人類はもっと大きな歴史の転換期を迎えていることを自覚しないといけない。人類歴史は狩猟社会段階➡農業社会段階➡工業社会段階の3段階の発展をしてきており、現在は産業革命から始まった工業社会段階への飛翔の最終段階であるという認識である。
工業社会段階の安着の課題を検討する前に、まず農業社会段階への移行をふりかえることにする。
1、農業社会段階への移行
人類は、BC7000年期メソポタミアの地で農業社会段階への歩みを始めた。農業社会が定着するにあたっては、原始的共同体である氏族社会は崩壊していく。新しい富の獲得とそれに伴う生産力の飛躍的発展は、社会のあり方を変えることになる。生産力の向上は、生み出された新しい富の獲得を巡って争いを繰り広げるようになる。富の獲得競争である。この時期、いかなる人もこの富の獲得競争という熾烈な争いから逃れることはできない。参加しなければ他からの富の獲得競争に敗北して滅亡してしまうからである。それ故、富の拡大時代は動乱時代となる。
動乱は技術革新の波がおおむね終結するまで終わらない。技術革新が継続・進展していると、新しい富を獲得する新興勢力が生み出され、旧勢力との覇権争いをもたらすからである。合従連衡が繰り返される。一度覇権を握った王朝といえども没落していく。動乱の最後の段階は特に悲惨である。技術革新がほぼ終結した中で、「ゼロサム社会」の富の奪い合いの闘いが起きるからである。
そして最後に覇権を握るのは、人類を安定に導く術(倫理規範・統治体制)を得た指導者であり国家である。
2、工業社会段階への進展と覇権
(技術革新―産業革命)
工業社会段階への離陸は、産業革命に始まる。産業革命は、自然の開発、機械の発明、生産技術の発達という具体的な条件だけでなく、宗教上の変革、合理主義精神の普及、科学的思考、科学的発見などの諸々の諸条件が重なって起きたものである。そして、産業革命の結果、人類は今までなかった新しい生活様式を手に入れた。産業革命は、18世紀のイギリスの繊維産業革命に始まる(第一次産業革命)。化学、電気、石油および内燃機関の分野での技術革新である第二次産業革命は1865年頃から始まる。第三次産業革命は、1970 年代の電力と IT による工場の自動化に始まる。
現在始まっているIoT革命と呼ばれている第四次産業革命は、人とものすべてをインターネットによってつなげることをめざしている。このことは、第一次産業革命以降人類が獲得した新たな生活基盤をすべて連結していこうとする動きである。産業革命によって人類が獲得した生存基盤STAGEを永続安定化させる革命であり、工業社会段階安着への最後の改革である。この改革が成功するか否かは、人類文明の存続にかかわる重大問題である。
(経済体制)
産業革命以降、人類は自由主義体制を構築して富と市場の争奪戦を行ってきた。自由主義経済体制は、経済的な利潤追求行為を前提とした経済体制である。この経済体制は、人間の創造本性を刺激し技術革新を推進するものであり、また、新たな市場を開拓して富の獲得を増進するために適したものである。しかし、自由に秩序なく富の争奪戦が行われるため、時間的・空間的に経済の揺らぎが生じ歪みをもたらすものとなる。すなわち、貧富の差の拡大(富の空間的偏在)と経済変動の振幅の拡大(富の時間的偏在、バブルと大恐慌を生み出す)を起こすこととなる。
こうした経済の歪みの拡大は、富める者と貧しき者の対立を激化させる。共産主義は、この経済システムがもつ悪魔性に反発してアンチテーゼとして生まれたものである。
産業革命以降の自由主義経済は、壮絶な市場の争奪戦を行ってきたが、その争奪戦が緊張した局面を迎え世界を二分する対立に及んでくると大戦争が起こる。それが世界大戦である。自由主義経済体制は対立を激化させるため、戦争と手を結んでいるのである。
二度の世界大戦によって、植民地獲得が非難されると、今度は経済のグローバル化(貿易協定)という仕組みの中で市場の争奪戦が行われてきている。現在進行しているのが第三次世界大戦である。人類が工業社会段階に安着するためには、第三次世界大戦を超えないといけない。超えて世界が一つにならないと工業社会段階は到来しない。現在人類は、最終的な生みの苦しみを味わっているのであり、正念場を迎えているのである。
3、動乱の時代の始まりと東アジアの未来
2017年という年は、第二次世界大戦の起点になったとされる1937年から80年目にあたる。再び戦争が起きかねない時である。第三次世界大戦(自由主義陣営と共産主義陣営との対立)の最終局面に至っている。動乱の歴史は繰り返すだろう。動乱は、経済的混乱として現出するか、軍事戦にまで展開していくか、そして核兵器が使用されるかどうかは、現時点では決まっていない。どういう歴史が刻まれるかは、現代の人間がいかなる行動を取るかにかかっている。
動乱の時代の中心となる国は、第三次世界大戦の自由主義陣営(韓国、日本、米国)・共産主義陣営(北朝鮮、中国、ロシア)の6カ国である。この6カ国が中心となって動乱は展開される。
日本はどうなるであろうか。現在、日本は既に明治維新以後150年を経過し繁栄の頂点に達している。通常、国家の繁栄の期間は100~200年とされており、いつ黄昏を迎えても不思議ではない。一国の繁栄の頂点を迎えた文明が更に繁栄を続けていくためには、他民族と融合してより大きな文明圏(東アジア文明圏、環太平洋文明圏)を築き上げることにしか道がない。そのことができない場合、日本は他国の脅威の前に衰退し分裂の時代を迎える。
韓国、北朝鮮は、どうなるであろうか。両国はすでに分断国家となっている。北朝鮮を説得して朝鮮半島の統一を果たすことができない場合、次の展開は第三国によって占領されるというのが歴史の示すところである。
中国は、地道に国力を高めて世界の支配権を米国から奪おうとしている。中国は動乱の台風の目である。動乱期の行く末は中国の行動にかかっているといっても過言ではない。
4、動乱を回避する道
動乱を回避する鍵は、ベルリンの壁崩壊をもたらした背景にある。ソ連の書記長に就任したゴルバチョフが、ペレストロイカ(再構築)と呼ばれる政治体制の改革運動グラスノスチ(情報公開)ソビエト連邦の政治を民主的な方向に改良していった。対外的には、制限主権論(社会主義国の連帯重視の原則)を放棄して、「新思考外交」を掲げて東欧諸国への統制の停止していった。このことがベルリンの壁崩壊につながった。
東アジア世界が現在の危機を回避し乗り越えるためには、ベルリンの壁崩壊に象徴される民主化政策の実施がなされる必要がある。
北朝鮮は社会主義革命によって神を否定してしまった。神なき主体思想は、人間主義に陥ることによって失敗している。北朝鮮は神のもとでの主体思想に戻ることが必要である。神を否定した中での主体思想のもとでは繁栄はない。北朝鮮の未来は、神を迎え入れた主体思想を確立することによってはじめて切り開かれることになるだろう。
中国の歴史は、古代から現代に至るまで、中央権力の力による支配とその支配にいかに対処するかという民の歴史である。中央権力は、時として民を力によって粛清してきた。儒教も統治のために都合よく使われてきた面がある。中国は、中国思想がもつ欠陥を自覚して自らの手により変革しない限り、中国自らが人類歴史のリーダーとして世界を引っ張っていくことは難しい。たとえ力によって世界の覇権をつかんだとしても、世界は安定せず崩壊することになるだろう。
米国にも大きな問題がある。米国は、自由主義を標榜しグローバル市場経済を主導してきている。自由主義経済は、強い者が弱い者から富を奪うという側面を有している。米国の世界的企業は、グローバル主義を主導することによって世界の富を独り占めしようとしている。このことが世界の緊張を高めていることに気づく必要がある。合法的であっても他人の生命、富を奪う行為は、悪なのである。自由主義経済による富の獲得は節度を持たないといけない。米国が節度を回復することが世界平和を実現するもう一つの鍵である。
農業社会が定着期に入った時、神が人類に示されたとされる戒めを思い起こしほしい。モーセに示された十戒である。その八番目には、「あなたは盗んではならない」、9番目には、「あなたは隣人について偽証してはならない」、10番目には、「あなたは隣人の家をむさぼってはならない。隣人の妻、しもべ、はしため、牛、ろば、またすべての隣人のものをむさぼってはならない」(「出エジプト記」第20章)と記されている。当人の了解なしに人・富をむやみに奪ってはならないのである。
トランプ大統領は、「米国第一主義」を主張している。「米国第一主義」は、米国を孤立主義に陥らせ世界秩序を不安にさせるものとして批判されているが、摂理的にみて正しい政策である。世界の覇者と思われ世界の警察官を自認している米国も、国内を見てみれば強者が弱者を追いつめ弱者の生存を脅かしている。世界の覇者である米国においても、国民の富は、強大な世界的企業の利益のために、そして海外からの経済産品の輸入によって奪われているのである。富は、企業間で、地域間で、そして人間間で偏在し貧富の差を生み出しているのである。それが生存を脅かすところにまで来ているという現実を無視してはいけない。トランプ大統領の米国の中産階級の雇用を守らなければならないという政策は正しい。この政策に反対している人々は、他人のものを奪っているということに気づいていない。
5、おわりに
現在はキリスト教でいわれてきた終末が訪れているだけである。人類歴史の裏で歴史を演出してきた神と悪魔(サタン)の戦いが最終章を迎えているのだ。混乱は致し方ない。今人類がなさなければいけないことは、神のもとに帰ることである。そして、緊急になさなければならないことは、第三次世界大戦の軍事戦を未然に防ぐことである。次に、IoT革命を活用して新しい経済=共同体家族主義経済を築き上げることである。