■中国に“右派”は8%しかいない、『中国人はどんな民主を求めているのか』著者インタビューを読む■
■ネットと現実社会の温度差、中国の右派シンパの数を社会調査で測定「ネットを見ていると、中国政府に批判的な声ばかりで明日にも革命が起きそうなのに、現実社会に戻るとまったく何も起きていない。この違いが不思議です。」
これはある中国人の友人が私に話した言葉だ。中国のネットでは右派的な声が圧倒的なのに、現実社会は全然違うという印象を受けている人は少なくない。
(右派とは西洋的な民主主義、市場化改革を支持する革新派。中国の左派と右派の別については梶谷懐「
現代中国 現在と過去の間 第2章 左派と右派のあいだ」に詳しい)。
実際、言論人やメディア関係者などウェブ世論をリードする人々には右派シンパが多い印象がある。右派系メディア・南方週末と同社出身のジャーナリストがさまざまなメディアに転職していることも大きな要因だろう。それと同時にウェブというタコつぼ型の世界では同好の士ばかりが集まるのも一因だ。
では果たして中国の左派、右派の比率はどのようになっているのか?選挙がない中国ではなかなか分からない、この興味深い問いに答えを与えてくれる本が出版された。それが『中国人想要什么样的民主』(中国人はどのような民主を求めているのか)。アンケート調査で、中国人の政治的志向を調査、分析したものだが、その結果は驚くべきもの。ネットで圧倒的多数に見える右派はわずかに8%に過ぎなかったという。
この調査が妥当なものだったかについては本をしっかりと読み解く必要があるので安易に答えは出せないが、それにしても面白すぎる結果である。とりあえず著者・張明澍氏が南方週末のインタビューに答えているので、それをご紹介したい。
構成に難があり、あまり明快な文章ではないが、「若者ほど西洋の政治方式=民主主義に賛同する傾向が高いが、実際の政治参加の意欲は低い。逆に年寄りほど西洋的な民主主義に否定的だが、政治参加への意欲は高い」「民主はすばらしいといいつつも、市民の権利や自由よりも、汚職対策してくれる政治指導者を望んでいる」といった、数々の興味深い指摘がある。
*安田峰俊「中国・電脳大国の嘘」。「中国でネット世論が沸騰中、微博(ミニブログ)を通じて高まる一党独裁批判の声、日本アニメの流行がもたらす日中相互交流……」などの、中国の“常識”を批判的に検証している。
調査“中国人の目に映った民主” 「ご著書拝見。議論に値する点が多々あり、個人的にお会いしたいと思いますので、座談会は欠席させていただきます。」
中国社会科学院政治学研究所政治文化研究室主任、副研究員の張明澍は先日、新著『中国人はどのような民主を求めているのか』を出版した。4月18日、知識界の友人を招いて座談会を開催したが、その直前、上述の携帯メールを受け取った。ある友人の欠席。おそらく張の見方に同意できないためだろう。
同書は中国社会科学院の重点科学研究プロジェクト「中国市民政治素質調査研究」を元に執筆された。中国市民の民主に対する主観的願望をとらえることを目的に、2011年に調査が実施された。翌年、張は調査結果を分析したが、その結論は張自身にとっても意外なものとなった。
もし中国人の民主に対する見方を、左派、中間派、右派で分けるならば、左派が38.1%、中間派が51.5%、右派が8%となる。
中国人が求める民主とは、法治よりも徳治を優先、市民の権利と自由の保障よりも汚職の解決と市民による政府監視の実現を優先、形式と秩序の重視よりも実質と内容を優先、多数決よりも相談を優先するというものだった。中国人が求めているのは中国独自の民主であり、外国のそれではない。
よりテクニカルで、より具体的な指標で、中国人の変化しつつある“民主”観を描いてみよう。中国人の政治に対する態度は中間化の傾向を示している、政治の潜在的参与と実際の参与の間には溝がある、理想主義的な政治参加は現在、現実主義的な政治参加へと変化している。政治観で見ると、(古い世代ほど左派が多く、若い世代ほど中間派、右派が多くなるが、)「60後」(1960年代生まれ)の世代が、主流が左派から中間派、右派に変わる転換点となっている。
張の「中国市民政治素質調査研究」は今回が2回目となる。1988年にも同様の調査を実施したが、当時は十三大(第13回中国共産党全国代表大会)で政治改革が提起されたばかり。張は1989年4月に調査報告書を完成させ、それを元に1994年、著書『中国“政治人”』を上梓している。于光遠(著名な経済学者)が序文を書いた。
アンケートはきわめて中国的特色に満ちている。調査のキーワードは“民主”。この西洋に由来しつつも“現地化”した概念について問うものだ。例えば、あなたの生活している年で最も重要な指導者は誰ですか?「民主はよいものだ」という論文がありますが、あなたは民主をいいものだと思いますか、悪い者ものと思いますか?などなど。
全国的な傾向を把握するべく、フィールドとして4つの都市が選ばれた。直轄市・大規模都市、省級・副省級都市、地級市・県という4つのカテゴリーの代表となったのは北京市、広東省深圳市、湖北省孝感市、陝西省榆林市。調査対象は「満18歳以上の都市で生活する市民」。のべ1750人に調査した。また調査対象の年齢、性別、教育水準は調査対象地域の人口統計学的指標に合致するよう調整した。
■左派、中間派、右派は“衝突”するのか?
南方週末:1988年と比べると、今回の調査では学術的環境、社会の環境にどのような変化があったのでしょうか?
張:1988年の調査は翌年4月に終了しました。当時は十三大が政治体制改革の水深を提起したばかりの頃です。それと比べると、今回の調査はやや慎重にするよう心がけました。最大でも(中国共産党の)体制の辺縁まで。一線を越えてはならない。これが私が私自身に課した条件です。
南方週末:今回の調査のうち、20の設問は前回調査と共通していますが、新たに設けられた10の設問はどのような分野のものでしょうか。
張:アンケートは大きく3つに分かれています。政治観念、政治参加、政治知識です。新たに増やした設問は政治観念に関するもの。政治参加、政治知識の部分はほとんど前回と変わっていません。変わった部分でいうと、例えば「もし理屈にあわない、許せない事態に直面した時どうしますか」という設問では、「デモをする、単位(職場)のトップに訴える、人民代表に訴える、メディアに訴える」という回答がありましたが、今回は「ネットで訴える」という回答が増えました。
南方:同じ設問で、2回の調査の違いがもっとも大きかったのはなんでしょう?
張:今回は新たな注目点があります。特に左派、中間派、右派の分岐に注意しました。右派は少なく左派は多いという結論が得られました。また社会の相当数の人々は主流メディアの論調に引きずられていました。この3点は予想外でした。1988年の調査では、調査対象の西洋化の水準は現在よりもよっぽど高かったのです。当時は改革開放が始まったばかりで、社会は西洋のものに対して受け入れる姿勢を示していました。
一方、今回の調査で分かったことですが、一部の知識人層から見れば左派的な、遅れた観点が、実際には社会において相当な影響力を持っているのです。調査データによると、現在、中国社会において左派38.1%、中間派は51.5%、右派は8%です。これは以外でした。ただ(右派が多い)知識人の中だけではなく、周囲の人々を冷静に観察してみれば、故郷や街角で見てみれば、この比率は基本的に正確だとわかるでしょう。
南方週末:あるグループの人口統計学的な意味での比率と実際の影響力は同じ比率でしょうか?
張:プロジェクトが終了した時、学者の楊東平はこう言いました。「この社会において知識人の影響力はやはり大きい」、と。私の妻も「異なる社会グループではそれぞれの重みは違う」と言っています。
南方週末:左派38%、中間派51%、右派8%という比率ですが、これらのグループが“衝突”することはあるのでしょうか?
張:調査によると、政治観念における自由主義傾向(右派)と教育水準には、ある程度の相関関係にあります。ただし教育水準が高い人ほどより温和で実務的な概念を受け入れやすい傾向もあります。ですから大ざっぱにいうと、教育水準が高い人は政治的な中間派、右派が多いという傾向をあげられるでしょう。
「犬儒主義」(シニシズム)という言葉がよく言われます。どういう意味なのかよくわからず、いろんな本を読んでもあいまいな解説ばかりです。ですが、ようやく腑に落ちる解説を見つけました。犬儒主義には実際には2つの傾向があるのです。自分の利益が侵害されない時には“儒”であり、侵害される時には“犬”の側面が出てくる。この“犬儒主義”という言葉で、中国の主流知識人の現状を描写するのは正確だと考えています。
今の主流知識人たちは基本的に既得権益を持っているのです。もし彼らの行動が少しでも度を超えたものとなって既得権益に被害を受けるようなことがあれば、主流知識人たちは温和に政府と協調するようになります。
知識人階層とその他の階層に観念的な“衝突”があるか、ですか?主導権はやはり政治指導者にあります。政治指導者は知識人からも下層階層からもメッセージを受け取り、総合的に判断するでしょう。
南方週末:調査結果によると、政治的な中間階層が大きな比率を占めています。これは中産階層の拡大と大きく関係しているとお考えだそうですね。しかし中国ではどのような人が中産階層なのか、どれぐらいいるのか、中産階層の政治的な態度は急進的なのか保守的なのか、学会では依然として議論が続いている状態です。中国の“政治的中間派”は不確定要素が多いグループと言ってもいいでしょうか?
張:そのとおり。今回、私たちは「民主が良いものであれ悪いものであれ、中国の国情に合致しているかを見なければならない。米国と中国を簡単に比較してはならない」と回答した人を“中間派”と位置づけました。ただその中間派内部のさらなる分岐までは研究していません。私の経験に基づいて話すならば、“中間派”の一部は主流メディアに論調に引きずられる人です。そもそも「民主が良いものであれ悪いものであれ、中国の国情に合致しているかを見なければならない。米国と中国を簡単に比較してはならない」とは基本的に主流メディアの言葉なのですから。また現状に不満を持っていても混乱を恐れて比較的温和な改革を希望する人もいるでしょう。
実際、政治的指導者層は基本的に中間に位置しています。ある問題では右に偏り、別の問題では左に偏るという具合に、あいまいな調節機能の役割を果たしており、この社会が左派と右派との激しい衝突に陥るのを防いでいます。
■悲観?楽観?
南方週末:調査結果を見ると、異なるデータの間に興味深い対照が確認できますね。例えば「民主とは、ある国で定期的に選挙を行い、複数の政党が争って国家指導者を選出すること」との設問に同意した回答者はたった15.3%だけです。ですが67.1%が政治参加には肯定的な態度を示しています。また「多くの問題において政府の責務だと考える」との回答も35.2%に達しています。これは中国人の政治観念と市民意識の間になんらかのずれがあるということを示しているのでしょうか?
張:中国市民の民主意識を後押ししているのは2つの力です。第一に政府が主導して、政治に関連する物質的利益のロジックを市民に理解させ、温和でルールを守った政治参加と自己の利益の擁護を行わせるというもの。現時点ではこちらはうまく言っていません。大多数の市民の政治認識は倫理主義であり、非科学主義から脱していません。法治よりも徳治を優先する。指導者を選抜する際、法律を遵守する人より清廉潔白であることを重視する。市民の権利と自由よりも汚職の解決と市民による政府の監督を重視するといった具合にです。
倫理主義的政治文化は容易に激情的政治参加へと変化します(反日デモで日本車を壊したのが一例です)。ですが長続きする、穏当で秩序ある政治参加にはつながりません。
もう一つの力は市場化改革です。調査によると、倫理主義、理想主義で政治を判断したり行動することは減っています。自己の利益を守るという点から出発した政治的行為が増えているのです。
南方週末:調査報告で「60後法則」「逆60後法則」を指摘されていましたね。政治意識においては1960年以後に生まれた者のほうがより積極的ですが、しかし彼らは時間を費やしてまで政治参加しようとはしない。(1960年以前に生まれた者はその逆です。)これは悲観的な感想を抱かせる結論です。
張:私もこんな結果が出るとは思っていませんでした。おそらく若者のほうが新しい思想を受け入れたがっているのでしょうが、その実践に力を注ぎたくないということと関連しているのでしょう。この点は西洋とはまったく違います。西洋では高校生にもなると、若者は基本的に自分で組織し管理する意識を持っているからです。
これは教育と関係しているのでしょう。以前、中国と他の国々の「小学生のルール」を比較したことがあります。中国では第一のルールが「祖国を愛し、人民を愛し、中国共産党を愛す」。第二のルールが「法律法規を守り、法律意識を高め、校則を遵守し、社会道徳を遵守する」です。英国の場合、第一のルールは「無事に成長することは成功するよりももっと大事」。第二のルールが「下着やパンツで覆われている場所は他人に触らせてはならない」です。日本の場合は「遅刻禁止。学校に入ったら勝手に外に出てはいけない」「集合の合図を聞いたらすぐに指定の場所に並ぶこと。教室のドアは静かに開ける。廊下や階段では静かに。右側通行」でした。他国では市民教育は細かいことからこつこつ積み上げているのです。中国の市民教育は大まかで抽象的な原則の積み重ねから成り立っています。
南方週末:「中国人はどのような民主を求めているか」という問いに対するあなたの答えは、中国人は民主の形式や秩序よりも民主の内容や実質を優先しているというものでした。形式や秩序のない「内容」「実質」とはいったいどういうことでしょうか?
張:これは今まさにお話ししようと思っていたことです。中国の倫理主義政治文化は実質を重視します。2001年、中国社会科学院の李鉄院長は『民主を論ず』を出版しましたが、同書は「民主とはなにか」という問いに「民主の実質とは“人民が主人となること”である」と一言で答えていました。その前年、世界100カ国以上が参加する国際NGO・民主主義共同体が成立、参加国はワルシャワ宣言に調印しました。同宣言は“民主”の条件について、細かく定めています。「人間にはみな平等に公務員になる権利がある」などです。これらの条件を満たすことこそが民主であり、その条件を一つずつ実現していくことこそが民主の過程なのです。
「人民の利益を代表して」という言葉は中国の常套句ですが、この「人民」という概念はきわめてあいまいなものです。もし公安局が私を捕まえたとします。たとえ「私は人民だ、主人だ、私を捕まえてどうしようというのか」と言ったとしても、「おまえに人民を代表できるのか」と言い返されたらもう何も言えません。
南方週末:未来の改革の向かう先について、本ではご近所に学べと書いていますね。良い暮らしがしたいならば、うまくやっているご近所から学ぶべきだと。
張:そうです。ご近所のやり方を見ればいいのです。まねになるのではと心配する人もいますが、他人の経験をそのまままねできる人などいませんから、心配は無用です。
改革について現在、さまざまな話があります。「トップダウンデザイン説」「石にしがみつきながら川を渡れ説」「突破口説」などなど。思うに重要なのは改革する決意と責任感があるかです。この社会は自転車のチェーンのようにつながっています。そのどの場所であれ突破口になりえます。あなたがどこから始めたとしても、チェーン全体を動かすものとなるでしょう。もしその改革する気持ちがないのならば、どこに突破口を見つけようが意味はありません。
経済分野では「白いネコであれ黒いネコであれ、ネズミを捕まえるのがよいネコだ」という方針が採用されました。(この鄧小平が唱えた)「実事求是」(事実に基づいて真実を求める)の原則は政治分野においても貫徹するべきでしょう。心穏やかに、何事にも惑わされずに実行するのみです。それを喧伝する必要はないのです。
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