表現者は言い訳をしてはいけない、ということはさ、つまり、伝えることはディスコミュニケーションと不可分ということなんだよ。
風花のドアを開けたら、中森明夫さんの姿がまずは見えて、カウンターに近づいたら、すぐ横に東浩紀さんのグループが座っていた。それで、東さんと久しぶりにいろいろ話した。
元気で、言葉に力がある。ブンガク的な言い切りのセンスというのはなかなか世にはないものだから、東さんさすがだな、と思って聞いているうちに、ああ、そうかと気付きが訪れた。
表現者は言い訳をしてはいけない、ということはさ、つまり、伝えることはディスコミュニケーションと不可分ということなんだよ。
そうだったのだ。表現するということは、つまり、相手とのコミュニケーション打ち切りの宣言でもあり、だからこそ、表現者は言い訳をしてはいけないんだ。
なぜか、湾岸スタジオでの松本人志さんの表情がうかんだ。松本さんの顔の表情、しぐさ、声のトーン、リズム、調子。それは純粋芸術としての動く彫刻のようであり、それ自体が笑いの神の実体化のようでもある。間近で見ていて、それを私は確かに感じた。
表現者は言い訳をしてはいけない、ということはさ、つまり、伝えることはディスコミュニケーションと不可分ということなんだよ。
帰りながら、私はそうツイッターでさえずった。
朝、ぼんやりと考えていたら、岡本太郎さんがパーティーで乾杯を頼まれて言い放ったという言葉が思い出された。
「この酒を呑んだら、死んでしまうと思って飲め、乾杯!」
強い表現というのは、必ずコミュニケーション打ち切りの契機をはらんでいる。久しぶりに、ジョン・バエズを聴いてみようと思った。
11月 3, 2010 at 09:11 午前 | Permalink
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