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2010/11/10

ダライ・ラマ法王にお目にかかる

ダライ・ラマ法王と対談しないか。この話を持って来たのは、白洲信哉である。
いかにも彼らしく、特別なことは言っていないという素振りで、しかし、事の重要性は十分に把握しているというふうだった。
「もちろん」と私は答えた。光栄なことだし、そんなにある機会ではない。

ダライ・ラマ法王がラサにお戻りになるという話を、私は2006年に発表した小説『プロセス・アイ』の中で書いたことがある。

猊下に会いに、新居浜に来た。聞くに、猊下もまた風邪だという。
出来る限り万全なコンディションでお会いしようと、飛行機の中でも、移動の車の中でもひたすら目を閉じて、眠った。
会場のホテルに着く。何かがすでに違っている。何かを待つかのように、ロビーのあちらこちらに立っている人たちがいる。

日本事務所のラクバ代表や、ダライ・ラマに随行する医師バリー・カーズィン博士、それに今回のイベントを企画された斎藤友巌住職らと昼食をとる。

トイレに行って着替えてくる。白洲信哉が、「あれっ、茂木さんも、ネクタイ着けようと思えばできるんですね。」と笑った。

時間になった。ロビーに降りて、待っている。向こうからダライ・ラマ法王がやっていらっしゃるのが見えた。両側に人がたち、支えるように歩いてくる。体調がすぐれないのだろうか、と心配になったが、そうではなかった。
お目にかかり、ご挨拶する。温かい大きな手。ダライ・ラマ法王は、そのまま、私の手を握って、一緒に歩き始めた。手を握って歩く。だからこそ、両側に人がいたのだ。
初対面で、あれほどの方なのに、一緒に手を握って歩く、というだけで、まるで自分のお爺ちゃんのような、そんな温かい気持ちになってくる。
ラクバ代表のはからいで、猊下と同じ車で運転した。斎藤住職が運転手を務めているのを見て、いきなり、「ホーリー・ドライバー!」と指さされ、猊下は笑われた。
会場に着く。たくさんの人々が待っていて、猊下の姿を見ると、手を合わせる。何だかそのまわりだけ特別な温かさと光があるような。猊下の右側に立ち、私の左手で猊下の右手を握って、私は歩く。

開始の時が来た。猊下が入って行くと、人々が立ち上がって拍手した。お座りになるときに、たっぷりと時間をとって、あちら、こちらと手を合わせて拝むような動作をされた。
それからの二時間に及ぶセッションは、非常に深い、心動かされるものだった。
ダライ・ラマ法王は、これまで多くの科学者と対談されて来たのだという。宗教と科学は対立すると思われがちである。それは、宗教を、盲従して信仰するものと考えるからである。そうではなく、宗教もまた、私たちが住むこの宇宙の「リアリティ」とは何かということを追究する営みなのだと、猊下は強調された。私たちはいかににしてここにいるのか、生きるということはどういうことか? この、「リアリティ」にまつわる探求こそが、宗教の本来の本質なのだという。リアリティを追究する上では、目上のものだからといって無批判になったり、経験的事実を無視してはいけない。ダライ・ラマ法王のお話をうかがっていると、瞑想などの手法こそ違っていたとしても、貫いている精神は科学と全く同じなのだということが肌で感じられた。
私にとっての一つの頂点は、「意識を生み出すのは一つひとつのニューロンではなく、それらの間の関係性である」という命題について、仏教哲学との関係を猊下にお尋ねした瞬間だったろう。ダライ・ラマ法王が追究されているリアリティの感触と、意識の科学の最先端が非常に深いところで結びついているということが、確信されたその感動を、今でも忘れることはできない。

ダライ・ラマ法王は、気配りの人である。私が喉を気にしていると、のど飴をくださった。会場に向かっての通訳の方にも、水をしきりに進める。周囲のさまざまに気を使われる、やさしいその心のありよう。いきいきとしたその神経の動きは、まるで5歳児のよう。それでいて、どっしりとした大地の成熟がある。

対談を終えると、ダライ・ラマ法王は、「これが習慣ですから」と、白い布のようなものを持たせて、私にかけてくださった。ありがたく受ける。もうすっかり、子どものように。

後にラクバ代表にうかがうと、チベット語で、これを持つものは幸せになると書かれているとのこと。

再び、車でホテルへ。「またどこかでお会いしましょう。」しっかりと手を握る。猊下は、おやすみになるということで、ゆったりとホテルの部屋に向って歩いて行かれた。名残を惜しむように、見送る人々の列がある。

バリー博士が、「うまく行ったね! とてもいい雰囲気だった」と言って下さった。「猊下は、私たち科学者の仲間でした」と答えると、バリー博士は笑った。何かが始まったような気がした。

11月 10, 2010 at 06:55 午前 |