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2010/05/10

もぐら叩きの立場は案外気楽だが、一つひとつの穴から首を出すもぐらは、大変だ。

人間というものは、一度には一カ所にしかいることはできない。

もぐら叩きの立場は案外気楽だが、一つひとつの穴から首を出すもぐらは、大変だ。

人間として生きる上で一番大切なことは、自分の身体、存在の有限性を認識し、それを引き受けることだろう。

このところの、日本の新聞の普天間基地をめぐる報道を見ていると、そんなことを思わずにはいられない。

鳩山由紀夫さんのこの件をめぐる発言や政策決定が、ベストなものだったとは思わない。

しかし、批判をするだけの新聞各紙が、日本の社会のためによいことをしてきたとも思わない。

ある案が出てきた時に、影響を受ける地元の方々が反対を表明することは、当然のことである。

どのような案を出しても、必ず誰かが影響を受け、負担を強いられる。普天間基地の移転はそのような性質の問題である。

このような問題について、対案を出さずに、ただ批判するだけの新聞には、共感することはできない。

批判するだけでいいのならば、新聞記者というのはずいぶん気楽な商売だと思う。

自分が鳩山さんの立場にあったら、一体、どのような決定ができるのか。そのようなことを少しでも想像してみれば、記事の文章も自然に変わってくるはずだ。たとえ、批判記事でも、そのようなマインドセットから生み出されたものは、必ず、私たち一人ひとりが自分の有限の人生を受ける上で資する何かを提供してくれると思う。

そうではない、自分たちの立場についての言質を与えない記事は、結局生きることに資さない。それは、せっかくジャーナリズムという理想に燃えて新聞社に入ったはずの記者たちの人生にとっても、同じことであろう。

普天間基地の問題については、具体的な対案を出して、自分たちも批判を受け、有限の立場にあることの痛みを感じさせるような記事を読みたい。

そうでなければ、この件について、もはや日本の新聞の記事を読みたいとは思わない。

5月 10, 2010 at 07:36 午前 |