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2008/12/29

激烈なるもの

桑原茂一Diaryに、先日の私の愚行に
ついて書かれている。

うーん。思いだしてもヤッチマッタ感が
募る。シャワーを浴びている時など、思わず
うゎつ! と叫んでしまいそうだ。

私の大切な友人たちには、一人として
例外ない特徴があると気付いた。

それは、魂の芯に、激烈なるものを
持っていること。

桑原茂一さんも、そのような人である。
あと、名前をあえて挙げないが、
ぼくの親友のキミタチ、胸に手を
当てればそこにいまにも爆発しそうな
なにものかがあるということを、首肯
するであろう。

田森佳秀にせよ、数学のことしか
考えていないようで見えて社会的なことを
含め頑固一徹者だし。

以前、授業を一度だけ聞いたことが
ある。その時、田森は、あるシステム管理者が
ユーザーの一人がメールを不適切な使い方を
したからといって、全アドレスを使用停止に
したことに対して激怒していた。

「いいですかみなさん、メールアドレスは、
住所のようなものなんですよ。石川県松任市
から、誰かが郵便でヘンな手紙を送ったから
と言って、「石川県松任市」という住所を
使用停止にしますか? こういうことを
やるアドミンはバカなんですからね。そのことを
絶対に忘れないでください!」

激烈なるもの。

先日、ワシントンのSfNで
聞いた話だけれども、
MIT(マサチューセッツ工科大学)では、
今でも、スタッフ全員がIPアドレスを
割り当てられて、それを使って何を
しても全く自由なのだそうだ。

ここにも、激烈なる精神の表れを
感じる。

新報道2001。

食糧問題を扱う。ピラルクの稚魚が
水槽を泳いでいた。

放送終了後、西田恒久さん、渡辺奈都子さん
から、「茂木さん、水槽ばかり見ていましたね」
と言われた。

須田哲夫さんの気配りと、黒岩祐治さんの気合い。
吉田恵さんの可憐。

アスキーの松下幸子さんと、東京ドーム
ホテルへ。

「笑い」についての取材。

和田京子さんが聞き手。

桑嶋維さんが撮影。

スタイリストは山岸恵さん。

タキシードを着る。

「全日本仮装大賞」の収録。

萩本欽一さん、香取慎吾さん。
片岡鶴太郎さん、太田雄貴さん、小倉優子さん、
エド・はるみさん。

太田雄貴さんに銀メダルを見せていただいた。
ずっしりと重い。
そして、美しい。


太田雄貴さんと。

終了後、萩本欽一さんとお話する。

チーフ・プロデューサーの古野千秋
さんが言われるように、ほとんど生放送の
体制で収録を進めるスタッフと参加者の
熱意に頭が下がる。

古野さんはドイツのワグナー協会の会員であり、
二年に一回はバイロイトに行っているとのこと。

うらやましい。

このところ、クオリアと偶有性の
論理的な結びつきについてずっと
考えている。

激烈なるものを抱えたまま、年の瀬を
迎える。

____________

 ある時期から、私は、現代の文化はスカばっかりだ、と至るところで公言していた。
 ベストセラーにろくなものがないことはもちろん、批評家がほめるような文芸作品だって、後世に残る傑作だと胸を張れるのはごくわずかではないか。
 まともな美意識を持った人間にとって、「スカ」ばかりがのさばり、マスコミで喧伝される現代は、ちょうど空気が薄くなって段々呼吸が苦しくなって行くような、そんな生きにくさに満ちていやしないか。
 そんな気炎を吐いていた私に、ある日、東京芸術大学の油絵科の学生で、杉原信幸という男から「挑戦状」が来た。横浜で展覧会をやる。パフォーマンスをやる。つきましては、スカではないものをお見せするから是非ご足労願いたい、というのである。
 杉原は、「札付き」の男だった。美術家の川俣正さんと私が芸大の食堂でやったトーク・セッションに乱入して、川俣の最近の作品は気に入らない、と暴言を吐いて会場がメチャクチャになったことがある。小石川植物園で行われた展覧会のインスタレーションも、仲間たちと喧嘩をして一日で撤収してしまったと聞く。そのアブナイ男が一体どんなパフォーマンスをやるのか、ひょっとしたら勢いだけの作品なのではないか。あまり期待しないで横浜に出かけた。
 会場は、昔の銀行の建物をそのまま利用していて、広々とした吹き抜けの空間に、金庫の分厚い扉と巨大なハンドルが残されていた。
 最初の出し物は、いかにも今風の若者が、やぐらの上に、ビニル・シートを張り、ペインティングするというものだった。「皆さんご存じの、生きているということ自体が奇跡のような」アーティストだと紹介された。ビニル・シートの上に、赤、青、黄色、緑、などの様々な色が描き付けられていった。やぐらを囲んだ学生中心の若い観客は、その様子を好意的に見守っている。見る、見られるという関係における、あらかじめそうと決められたような甘い弛緩があった。あらかじめ張り巡らされた文脈があった。
 私はその出来試合の雰囲気に何だかうんざりして、精神のバランスを崩しそうになっているのが自分でもわかった。「くだらねえなあ」と叫びそうになったが、何とか自分の中の衝動を抑えつけた。
 その次に、杉原の番になった。突然、吹き抜けの二階から、「うぉーっ! うぉーっ!」と叫び声がして、白と黒の檄文がパラパラと舞い降りて来た。観客が走り寄って、一体何だろうと拾い上げた。
 一呼吸置いて、あらぬ方向から杉原がかけだしてきた。杉原は全裸で、腰に黒いテープを巻き付けているだけだった。吹き抜けに垂れ下がっていた、白地に黒の斑の巨大な布を引きずり下ろすと、それにくるまれて床の上で悶絶した。立ち上がると、布を腰の周りに黒テープで巻き付けて、スカートのようにした。それから、その10メートルはあろうという巨大なスカートを引きずって、会場の中を走り始めた。
 スカートの布が、会場の片隅に置いてあった屏風絵を巻き込んで、引き倒した。屏風絵は、そのままスカートに巻き込まれてずるずると床の上を引きずられていった。観客たちが、どっと逃げまどった。
 杉原は、入り口の上の踊り場に上がり、座り込んだ。長いスカートを垂らしたその姿は、草書体のシャチホコのようだった。そのシャチホコ姿で、うぉーっ! うぉーっ!と叫んだ。しばらくそうして坐っていたが、突然くるりと下に降りると、だっと夜の街に出ていってしまった。
 がやがやと後を追った観客たちに続いて、私も馬車道に出た。杉原は、交差点の歩道の角に坐り、長いスカートを扇のように歩道に広げ、眩いランプを点けて道を行き交う車に向かって、うぉーっ! うぉーっ! と叫び続けていた。杉原の黒い裸体が流れる光の川に挑むようなシルエットを見せ、通行人が何だろう、と立ち止まった。タクシーが、一台、杉原の近くに停まって、ハザードランプを点滅させた。
 このままでは警察が来るかもしれない、と思った頃、杉原は突然スカートを脱ぎ捨てると、全裸の腰に黒テープを巻き付けただけの姿で、馬車道とは直角の方向に振り返る素振りも見せずに疾走していった。
 杉原がその中に消えていった闇を見つめながら、私は久しぶりの興奮を味わっていた。檄文をまき散らした発端から、夜の街への疾走という結末まで、流れに淀みがなく、無駄がなかった。視覚的な効果も、よく考えられていた。スカートを引きずって巻き込んだ屏風絵は自分自身の作品であり、他の人の作品には触れていない点も良かった。
 疾走原始人のパフォーマンス、良かったぞ!
 杉原が戻ってきてからそう声をかけてやろうと思ってしばらく待っていたが、何となく会場にいる人々の様子に違和感を感じて、そのまますたすたと馬車道を歩いて帰ってしまった。
 はっと気が付いたのは帰りの電車の中である。確かに、杉原のパフォーマンスは良かった。しかし、いかにも現代的だと感じられたのは、「薄っぺら」に見えた杉原の前のペインティングの方だった。JJの表紙に出てきそうな服を着た女の子が、矢倉の上の絵を見上げて「これ、好き」と言っていた。「○○クンは、アトリエで、これからも今までのように制作を続けるそうです」、と司会者が言い、その○○クンをTVスターのように皆が見た。そのような、いかにも現代風のオーラに包まれていたのは、私が「スカ」だと感じたペインティング・パフォーマンスの方で、杉原のパフォーマンスは、むしろ、古典的なもののように思われた。
 別の言い方をすれば、杉原の疾走原始人は、スカのペインティングに比べると、「古くさい」ものにも見えたのである。現代の状況の中で、人気が出るのは杉原ではなくて、スカのペインターの方ではないか。杉原は大学を卒業した後、クリエーターとしてきっと苦労するだろう。一方、ペインティングをやった若者は、案外すいすいと社会を泳いで行くのではないか。これはどういうことだろうかと、私は考え込んでしまった。
 表現者は、誰でも同時代的であろうとする。時代精神の先端にいたいと願う。しかし、現代という時代に誠実に寄り添おうとすればするほど、古典的な精神から見れば「スカ」な作風を必然化されるということがあったとしたら、どうだろうか。

杉原信幸氏のweb site


茂木健一郎 「スカ」の現代を抱きしめて。
『脳のなかの文学』
(文春新書)所収

http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4167758016.html


____________

12月 29, 2008 at 07:53 午前 |

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コメント

連れて行く力は パッション。
おとなしくしていれば良いというものではない。

あんたたち、みてるとめんどくさい。 と、私と母をみて、大人になった息子が言った。  17才の時、暴れたいと宣言して、実行してくれて有り難う。   おかげで、だいぶいろんな事がわかったよ・・・と心のなかで言いました。

投稿: ぶらんか | 2008/12/31 10:53:03

二度目の投稿、失礼します。


ひところ「ピーターパン症候群」という言葉が流行ったことがあった。

たしかこれは、精神的な成長・成熟を恐れ、幼年のままでいたいという当時の若い世代の風潮を揶揄した流行語だったと聞いている。

はがねのように強固な信念、そして、何時までも子供のように、瑞々しい感性と好奇心、探究心を内に秘め、あらゆる受難を恐れぬ勇者さながら、これから益々荒れていくだろう世の中に、真正面から立ち向かう人は、上にいう「ピーターパン」とは無縁の人だ。

何時も熱い情熱のマグマと少年のような探究心と好奇心、大海のような厳愛を持っておられる茂木博士は、まさにそんな人のひとりだと思う。

その茂木博士が叫ばれた、“一生かけても悔いないものをもて”という言葉が、我が意識の奥底を激しくゆすっている。

誰に言われなくとも、そういうものを持って、人生の波浪を渡っていけば、人は「ピーターパン」にならずに済む筈だ。

投稿: 銀鏡反応 | 2008/12/30 16:08:20

茂木先生こんにちは♪桑原茂一さんのブログを閲覧させて頂き、再び、沸々とあの熱気を感じました。熱い先生の姿、脳裏にやきついております。本音を申しますともっともっと聞きたい!と名残惜しく見つめておりました。Yes we can!最高のパーティです。
“魂の芯に激烈なるもの”私もそういう人間でありたいと思いました。
杉原さんの作品はまるでその場にいるかのように文中から迫力を感じました!スカが評価され個性の強いものは受け入れ難い世の中なのでしょうか。先生もよくおっしゃっておられますが、やはり解りやすいものを求める傾向にあるがゆえですかねえ。。最先端って一体なんなんやろう???って思ってしまいます。(´・ω・`)ヾ

投稿: wahine | 2008/12/30 14:19:37

初めまして。
私は大学で物理学を学んだ者で、大統一理論への欲望を抱きつつ挫折した者です。
気がつけば、途方も無い妄想をして、「大統一理論への鍵にならないかなあ。」と愚考に近い思考回路と密かな欲望を抱いています。
私自身科学知識に欠陥を持っていますが、物理学への愛情は尽きません。
さて、この度先生へのコンタクトを取ったのは、先生の毎日の記事を拝見し僭越ながら芸術科学に対する先生の考えにコヒーレントな感情を抱いたからです。
突然ですが、私が抱えている疑問を聞いていただきたい。
1、全ての文字の起源はヒエログリフだ。
2、何故地球上には恐竜のような人間から見て巨大な生物が誕生したのか。3、稚拙ながら、スターウオーズに出てくる建造物を作る事は、非効率で無駄な様な気がする。何世代の欲望を継続させなければならないのか。
要は、石に刻むなら、バビロニアの文字のように鋭利な削り跡の方が絵を描くより簡単で、自然。
早稲田大学の吉村作治先生曰く、文明とは突然変異の様な飛躍したアイディアがたびたび発生し進化を遂げるものだ。
如何なんでしょうか?私にはエジプト文明以前に東南アジアから太平洋に大航海時代があっても不思議ではない。エジプト文明以前に文字は存在したと考えてもいい様な気がします。
2、3については正に愚考ですが、万物は時間の経過と共に空間ごと縮小しているのではないか。宇宙の果てに辿り着くより先に、プランクサイズを越えて異次元を垣間見るほうが先かもしれないなどと考えてしまったのです。
私の馬鹿の壁をも越えた想像が留まる事を知らずに、笑って許容してくれるかもしれない先生の学問や人柄における才にすがりました。
最後に、日本人全てが科学に親縁に成る事を祈りつつ、先生のさらなるご活躍をお祈りしております。
ありがとうございました。

投稿: deep blue | 2008/12/30 0:18:32

茂木健一郎さま
初めてコメントを書かせていただきます。
表現の根源は衝動です。ですがその表現を享受する側に立つとき、衝動から始まる表現が、自分が持つ何らかの感受性を刺激して、受け付けることができなくなることもある。逆に、自分が衝動をよりどころとして表現したものが、客観的に他人が見たときに、面白いとおもえるか、何かのとっかかりをつかみとってもらえるものなのか、ということは、疑問。
泣き叫ぶときに、その声の大きさや、なんと叫ぶか、なんてことは考えずに、行動してしまうもの。でも「表現者」の「表現」はそれでいいのか、それでよくないのか?
その合間をいつも行ったり来たりしている。
「スカ」を「スカ」と思うかどうかは、受け手の問題。「スカでない」と思う人がひとりでもいてくれるなら、その表現は成立していると言える。
茂木さんの「ヤッチマッタ感」と、杉原君のエピソードは衝動と客観性の関係において、十分つながりえるものだと思っています。

投稿: tamaph | 2008/12/29 20:49:42

茂木センセイ…やっぱり先生は あついものを持っていますね。
傷つくのを恐れて、自分を安全な所に囲っていると…発する(自身で選ぶ)言葉も、どこか上滑りしたものになっている。自分の言葉で話す事、うまく伝えられなくて、恥ずかしい時もありますが、来年もっと意識していきます。
そしてクオリアと偶有性を論理的に結ぶためにも、今しなければいけない事を誠実に努力していきます。
そうしてゆくうちに、道が出来ますもんね!

投稿: 奏。 | 2008/12/29 20:38:12

茂一さんのダイアリーとこの日記を読ませていただき、茂木さんの中に燃え滾りつづける、魂のコアにある白熱のマグマ…その激しさに、胸に何か熱いものが滾るのと同時に、あらためて、自ら襟を正さざるを得ない、という思いに至った。

そんな白熱の思いを秘めて、日々を孜々と生きている人は、この世間では非常に稀なものだと思う。

けれど、これからはいよいよ厳しい時代になる。生半可な“世渡り上手”には決してなりたくないと思うし、伸びきって劣化し、ひびの入ったゴムのような心で、これからを生きたくはない、という思いが常にある。

これから本当に厳しい時代になる。乱世の到来だ…!伸びきったゴムの精神にはなりたくない。世渡りがうまいだけの、単なる要領良しには断じてなりたくない!

そんなだったら、世の乱れを力強く乗り越えることなど出来ないと思っている。

せめて茂木さんの、何万分かの一でもいい。白熱のように、燃え滾るマグマのように、激しき魂のほむらを、ひそかに灯して、燃やして生きていきたいといまこの文を書きながら、思っている。

投稿: 銀鏡反応 | 2008/12/29 20:19:21

今年を振り返ると、茂木さんの著書をよく読み、ブログにアップされた講演をありがたく拝聴し、迷いの外へ三度、出られました。セリグマンの「オプティミズム」を継承するシャイモフの本、面白く読みました。茂木さんの訳とは、なんとも贅沢ですが、さすがに読みやすい名訳でした。シャイモフが「チキンスープ」の作者と知り、大昔に読んだセリグマンを思い出し、ハッピーでした。得難い友を得たような暖かい感謝の気持ちでいっぱいです。来年も茂木さんにとって良い年でありますように。

投稿: 清水 雅恵 | 2008/12/29 14:57:59

こんにちわ

クオリアと偶有性ですが、確定的なものは、学習で内化され、不確定的な事が意識化されるのではないでしょうか?

私も、「思い出し笑い」ならぬ、「思い出しヤッチマッタ感」が時々あります。(^^)

投稿: ヤッチマッタ感のクオリアby片上泰助(^^) | 2008/12/29 14:50:34

茂木健一郎様
今年も残すところあと、今日入れて3日ですね。年末の掃除…窓や床掃除が今漸く終わりました。
diary拝読致しました、茂木さんに本気で体当たりして貰える人はなんて、幸せ者でしょう。
本気とは…。 本気を形にする事、継続し続ける事は、普通はなかなか簡単ではなく難しい。でも、本気の仲間の存在があれば、少しずつでも行動に移し、前に進む事が出来ると思っています。
茂木さん!これからも頑張って下さいませ☆

投稿: mak | 2008/12/29 13:40:03

茂木さん、こんにちは。
新年に向けて着々と準備をしつつ、掃除に
お味見、お散歩の合間にブログを拝見。

桑原さんのブログも拝見~!
ノリノリでやっちゃったぁ~?!(笑)

まぁまぁ~、お元気そうでよいですねー。

「魂の芯に激烈なるもの・・・。」
それは、私の周りにいる人たちにも該当する
のではないか~と思いましたが・・・私は、
内に秘めた情熱は多分、大丈夫かな?!(笑)

夢に向かって頑張らなくては。

うわぁ~、太田さんの銀メダル!
すごいですねー。
茂木さん、なんだかお幸せな表情でよいですねー。

「クオリアと偶有性」、「激烈なるもの」・・・
とは、何なのかなぁ~???(笑)
来年に向けての「茂木語録」を楽しみにしています。(*^。^*)

杉原さんとは、大胆不敵!な方ですね~。
茂木さん、茂木さんは過激なところが・・・。(笑)
う~ん、よくわからないのだけれど、面白いと思う自分は
どうしてなのかなぁ~。(笑)

頭の中で杉原さんのパフォーマンスが消えない・・・。
私の作るおせちが大胆にパフォーマンスしそう~。
いけない・・・。
心を鎮めて、仕切りなおし。

明日の日記は少し抑えましょう!(笑)

では・・・。


投稿: 茂木さんの崇拝者より | 2008/12/29 12:37:34

おはようございます。

今 書いていたコメントが消えちゃったのです!!

知らない内に送信していたら ごめんなさい!!
もし 送信していなかったら、

「私は 茂木さんの親友の一人になれて 嬉しい。」

これだけは 大急ぎで伝えたい。
もう一回思いだして書けないけど 今日の言いたい大切な所はそこだけだった気がします。笑!!

今日もいい日になりますね!

では…親友の一人、光嶋(みつしま ていいます。)より。


投稿: 光嶋 夏輝 | 2008/12/29 11:03:50

日本人は成熟することを目標とせず、皆で幼いまま、仲良く、同じレベルでいることを求める。

成熟を求めて努力し、声をあげる者を奇特と見る。

留学や旅行、仕事で海外に出掛ける日本人が多くなったのに、どうして?

今朝のニュースで、世界遺産に落書きされた言語は日本語が2番目に多いと報道されていた。

海外に出ても『みんながやってるからいい』という愚考・愚行。

その国の当時の人々の思いに心を馳せ、異文化の歴史を知るという思いは落書きをする人々には存在しないだろう。

茂木さんから『借り物ではなく、自分の言葉で表現することが大切』と言われた日から、その意味を考えています。

『自己本位』であること。覚悟していこうっと。

投稿: しずく | 2008/12/29 10:08:31

茂木先生、吠えたのですね!すご~くカッコいいと思います!(いいな~!)自分だけの突き進む世界をもって、自分自身の言葉で話して、魂の芯に激烈なるものを、私も持ちたいな~!

投稿: ふぉれすと | 2008/12/29 10:08:29

茂木健一郎さま

今の時間でさえ、スキー場へ向かうバスの中ではなく宿泊先の小樽グランドホテルさま

小樽天狗山スキー場さまへは路線バスも充実

本当?

小樽天狗山スキー場さまへは北海道中央バスさまの路線バスです
さて
小樽天狗山スキー場さまの経営ですが
スキー場も北海道中央バスさまが経営されているんです
ですので小樽市内からすぐの小樽天狗山スキー場さまに路線バス充実も自然かと

昨日は寒風!
根性を試される!と、昨シーズンまでは無理してでも、しかし昨日は
宿泊先に戻ろう!
帰りも路線バス充実で楽です。

朝、8時頃には出発し戻りも夕方の決まった時間のバス、それはスキー場が強風での時ですら

スケジュールを決めての小樽からリゾートスキー場へも 楽しいですが

仕事ではないスキーですが、朝、バタバタして朝食も詰め込んでスキーに行くのも、それはそれで楽しい、自分を時間的スケジュールで動く自分
でも

ぼさーっと朝、起きて小樽グランドホテルさまで、ゆっくり朝食
小樽天狗山スキー場さまにスキーは本当、時間を過ごす楽しみ朝食を、ゆっくりが良い最高です。
小樽天狗山スキー場さまは、いわゆるメジャーなスキー場ではないですがスキーを楽しむことにはリゾートスキー場と変わりないです。

投稿: TOKYO / HIDEKI | 2008/12/29 9:10:37

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