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2007/05/06

夢見ることに似た

夢は、昼間に体験したこと、
蓄積された記憶が整理されるプロセス
である。

 それがあたかも「私」という
自我の全体にかかわるような形で
進行することが面白い。
 記憶を整理するだけならば、
純粋に情報論的な理屈に基づいて
自我と無関係に行えば良いようなものを、
あたかも自分がその中に包み込まれて
しまったような感覚を伴って
全てが進む。

つまりは、体験というものは、「自分」
というものに関係して整理しなければ
意味がないことという
ことなのであろう。
常に、「私」が関与する形で
世界に関する知識を調えることで、
初めて「生きる」ことに資する。

知識というものが、「私」という
存在にかかわる形でいかに整理
されるか?
これは、インターネット上に大量の
情報が蓄積されるようになった
現代において、特に大切な命題になっている。

梅田望夫さんとの共著『フューチャリスト宣言』
の中でも発言したように、
現代の最高学府はケンブリッジ大学でも、
ハーバード大学でもなく、インターネット上にある。

入試もない。試験もない。学ぶ意欲がある
人には、誰にでも、最先端、最高の知識が
無尽蔵に用意されている。

入試という中途半端な知の遊戯で
「クラブメンバー」が決められていた、
「談合社会」は崩壊しようと
しているのだ。

ただし、それらの知見を有機的に生かす
ことができるようになるためには、
ある程度の準備がいる。

人生の機微を知らずして、
カントの哲学を読んでも仕方がない。

アインシュタインの一般相対論
にかかわる論文を読むのに、微積分や
テンソル解析に関する素養が必要なことは
言うまでもない。

ネット上に可能無限の学びの場が用意
されたがゆえに、かえって、
人格の陶冶、総合的な世界への向き合いの
力が必要とされているゆえんである。

夢の中で、自分が世界に向き合う形
でしか、知識が整理されないとの
同じように、ネット上の一つひとつを
とれば
断片的な知識の体系に向き合う
時にも、自分がそこに関わり、
様々なことを引き受けるかたちで
体験していく以外に道はない。

ネット上で様々な情報を識り、
漂い、移ろうことが、夢見ることに
似た体験をもたらす傾向があり、
またそうでなければならないのは、以上のような
理屈による。

5月 6, 2007 at 07:24 午前 |

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受信: 2007/05/07 21:51:58

コメント

夢で会話できたらとっても思い出したり、楽しかったりします。
夢占いとかあるし。
そういった意味で、夢は、「私」を育ててくれたりするのかなあ。
夢に現れた「私」は、有機体が大人になった場所かな
外側で細胞が育っていく、体験がその一方で必要とされるのは、
面白いと思いました。
うらうら

arigato- gozai mashi ta

茂木健一郎先生

投稿: 東次郎 | 2007/05/19 20:57:42

他のコメントに類似の意見です。

知識、情報の量ではインターネットは大学の上でしょう。
けど、振り返ってみて何のために大学で先生、先輩、後輩と過ごす(した)のかを考えると、そういう場でしか得られないものがあるからです。つまり、インターネットでは無理な相互作用が得られる。
モヤモヤしていた考えが人々との議論や関わりで解決することは普通にあることで、その知識は忘れがたいものとなる。

インターネットはこのような従来型の知的やり取りを拡大・強化しているのではなく、何か全く新しい方向へ人の知的活動を向かわせていると思う。このため、下手なインターネット講座・授業などは、従来型のよさも、インターネットの潜在能力も、どちらも中途半端にする可能性が高いと思う。

「行ければ行って その地を見よ」

投稿: fructose | 2007/05/10 7:06:57

泣かせてくれますね。

茂木さんの大ファンになって
数年が経ってしまいましたが
大阪弁でいうところの
「値打ちをこかない」
茂木さんが大好きです。

沖縄本島の
子沢山貧乏家の長女として生まれ、
小学校に通いだしたのも4年生からで、
大学も働きながら通信教育で卒業しました。

育ちが悪く粗野な私ですが、
卑しいことが大嫌いです。

卑しさから、
遠い遠いところにいる
茂木さんの生き方に、美しさを感じます。

投稿: アラヤシキ・ツネ | 2007/05/08 15:17:08

あれっ!!??
なんかの加減で途中で送信されたみたい・・
??それとも おじゃんになっちゃた のか
どっちにしても もう一度 一から書くのもなんですので(笑)

>>
・・その心象風景を音楽で表現すると
イーグルスのようなサウンドになるんだよ 必然的に
そして 最期にホテルカリフォルニアの世界へと
漂着するのである

you can check out anytime you like

but you can never leave!!

ばっちゅきゃんネヴァりーぶ!!

で あのあまりにも有名な リフレインでもって
寄せては還す 波のような・・
聴くものに 深い余韻を残しながら 曲は終わる


私は 最近 朝な夕なに この曲と次の
New Kid in Town を聴いて 涙をぬぐう毎日である

そう いつでも好きな時に チェックアウトはできる

でも 私たちは「そこ」から逃れ出ること 立ち去ってしまうことは

できない ネヴァ!!


>>つづく

投稿: 風のモバイラー&我田引水from nomgroove.com | 2007/05/08 10:04:41

オモシロです。

どうも私は、論法が何段も何段も展開するのが
物語の様に面白く感じられて、好きな様子です。

先生が高校で中学の頃とは違う
水を得た感覚になったのは、
周りの子たちの知的水準が高かったことと
知らなかった芸術を学べたことと
それを共有して楽しめたことでしたよね。

「自分の水準の人たちの居場所」
「素晴らしいものを与えられる環境」
「知を身に引き受ける」

大学はとりあえずは知以外に
これらを与える場として機能しているから良いとして

これらをネットでも可能なこととして、
大学とネット、どちらでも自由な選択肢になれば
確かにいいなと思いました。

でも、これをネットでどころか、
別の何かだろうと何だろうと
実現できることだろうか、とも思いました。
相当難しい命題じゃないかしらん。

結局長い時間をかけてきた大学ですら、
試験という方法以上の物を見いだして
いないというのに。

知はもはやネットにかなわないとしても
その先は役割分担の可能性もあるのかなあ。

投稿: natumikan | 2007/05/07 4:34:27

インターネットを1時間した後に、ただ無駄な時間を過ごしたと、それならばNHKスペシャルを1時間見ていた方が充分有益だったと虚しく感じることが多々あります。それはおそらく、インターネットに自分が関わる自主性の量よりもNHKスペシャルを見るという自主性の量の方が私にはまだまだ大きいからでしょう。ただし、夢と同様、無意識にクリックするその先に何か大きな答えが見つかるかも知れず、またNHKスペシャルは完結が決まっているロールプレイングゲームと同じ構造ですから、自主性の15%くらいしかそこにはないのかもしれません。目的を意識し、且つ夢の進行のように無意識にもスポットを当てながら、インターネットの世界を歩いていく。私にはとても難しい課題です。

投稿: ダンテス | 2007/05/06 16:17:50

「談合社会」の崩壊、こんなに心強い言葉はありません
僕の周りの「ダメ人間達」は考えてしまうが故に社会と折り合いがあわず
生きる苦労をしている人が多いのですが
彼らの考えると言うことは、忙しく考えることをやめさせられてしまった現代人の中でものすごく価値があると思います
その向学意欲にきちんとした土台と方向性、そしてその上での知識を与えれば
必ず良い人材になると思うのです

コレは僕の夢物語、変人達は社会とうまくやり合うことなど出来ないのかもしれません
でも、しっかりとした知識や学、経験などを積んでいる方々から
語られる明るい未来に、心躍るのはただの誤解ではないと思います

大学は全入時代にはいるのだとか
大学の価値が下がった今、学問の意義を考え直し
大学の仕組みさえ見直す機会であると思います

単位や学歴などのものが欲しい人たちとは別の
興味がある人に学問の門が開かれたら
知に凄まじい改革が起こると思います

流石に夢物語ですね

投稿: 後藤 裕 | 2007/05/06 11:07:19

「断片的な知識の体系に向き合うときにも、自分がそこに関わり、
様々なことを引き受けるかたちで体験していく」、
総合的な世界への向き合いの力。
これから、取り入れるものが、循環していくようになりたい。
ぐるぐるっと心地よく、巡るようになれますように。
外は晴れていないけど、開けた窓から五月らしい爽やかな風です。
 

投稿: F | 2007/05/06 11:06:33

“ネット上に可能無限な学びの場が用意されたがゆえに、かえって人格の陶冶、総合的な世界への向き合いの力が必要とされている”

…やはり、ネット上にて深い学びを獲得するには、総合的な世界へと向き合うことが大切なのだな…。

つまりは何かを学ぶにも、総合的な素養を身につけた上で、自分がその断片的なものと関わり、様々なことを引き受ける形で体験することが肝心要というわけだな。

ネットを使って学ぶということは、夢の中で断片的な知識を整理するという脳の特性に似ている…ならば、ネットを通して、そこに散らばる知識の宝石から、総合的な知性のもととなるものを上に書いた体験を以って抽出し、己の知・智の血肉としていくことなのではないか。

ただし、それができるには、ある程度の人格の陶冶、ネットを通さない知識の蓄積、素養の陶冶が必要かもしれない。ネットしか知らない人(それも差面記事じみた情報しか知らない人)にはそれはまず難しいだろう。

また、今ドキの最高学府はネットの中にしかないというのは、ある意味では合っているかもしれないが、世界的な規模からしてみれば、外れているといえる。世界中のリアルな大学でも、21世紀に通用する人材を沢山輩出しているところは、ネット時代にも十分対応できるところである。

投稿: 銀鏡反応 | 2007/05/06 10:48:35

        志    と    夢


   夢見る事に似た        こころが指す


           【 志 】


  

投稿: 一光 | 2007/05/06 9:53:43

どうしてもっと自分の問題から、自分の位置から考えようとしないのか、と私が感じていたことを今日の日記の指摘は強化してくれます。私が立っているこの位置から感じることは私しかいません。このことは私しか気がついていない、このことは私にしか書けない、ということを小説というかたちで考え続けられる人のことを作家と言うのかな。しかし、小説を書く人だけのことではなく、それはひとりひとりにとって、<自己テキスト>というかたちで所有されるのではないでしょうか。ものを読む、世界を読むということも、この自己テキストが照射する意味にしたがって読み込まれるものです。目の前にあるテキストや現実世界は、あるストーリーを示しますが、それを私が読み込むということは、もう一つのストーリーを付加すること、すなわちダブルストーリーの状態を作ることです。そのようなダブルストーリーを作れない対象というのもありますがそういうものは読んでも甲斐がない。よく読者のことを考えて書け、と言われますが、そのまえにまず自分が読者としてどれだけ世界やテキストを読み込み、ダブルストーリーすなわち自己テキストを作れたかというなのでしょうね。

投稿: 五十嵐茂 | 2007/05/06 9:52:54

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