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2007/01/16

つくづく変わった子どもだった

「勉強法」という、きわめて
実際的なテーマについて話していて、
 自己認識に至った。

 ボクが小学校から、中学校、高校へかけて
やっていたことは、
 結局、いかに最大のよろこびを
脳に与えるかという「ノウハウ開発」だったと。

 脳は、オープン・エンドの学びの
時に最大のよろこびを感じるように
設計されている。

 だから、ボクは、学びのよろこびが
メーターを振り切るように、
 さまざまな方法を子どもなりに
工夫していた。

 そうしたら、いつの間にか、
「とても勉強ができる」
子どもになった。

 この「学び」というのは、
必ずしも学校で学ぶ教科に関する
ものだけではなく、
 人生の経験の全てにかかわる
ことであった。
 
 強烈な負荷をかけること。
 白熱電球があかあかと
灯っているような、
 そんな強度の集中。
 無限遠を見上げること。

 生活の中にそんな時間が
あることは、今でもかわらない。

 誰に言われたわけでも、教わった
わけでもなく、
 ただ、脳の中にある春のぜんまいのような
弾力が生じるのが楽しくて、
勝手に自分でいろいろやっていた。

 つくづく変わった子どもだったなあ、
と自分でも感じる。

 その一方で、何だか少しさびしくもある。

 小山薫堂さんとお目にかかった。

 小山さんは、子どもの頃から、
「人を喜ばせる」ということに
情熱を注いできたのだという。

 『カノッサの屈辱』や『料理の鉄人』
などのヒット番組にかかわっていても、
結局、小山さんがやっていることは子どもの頃と
変わらないのかもしれない。

 そう思っていたら、小山さんもボクも、
小学生に戻り、ランドセルを背負ったまま
校門の前で立ち話をしているような
気分になった。


小山薫堂さんと(photo by Takizawa)

 小山さんもボクも、きっとこれからも、
子どもの頃からやってきた、その同じことを
繰り返していくだろう。

 振り返る度に過去が変貌していくというのは
本当である。
 その見え方、意味が変わっていく。

 ボクは、脳のことや認知のことを深く考える
ようになってから、
 子ども時代の自分のことを随分異なる
角度から見るようになった。
 

1月 16, 2007 at 07:20 午前 |

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» テンペストを聴きながら…(追記あり) トラックバック なんでもあり! です 私の日記!! 
    ベートーベンのピアノソナタ 「テンペスト」の3楽章が    昼間から、ずっと頭の中で流れています…    それは…    シェークスピアの戯曲 「テンペスト」の話をしていて    それがいつしか、私の頭の中では…    ベートーベンのテンペストに代わって、曲が流れ始めたのです。    *    地の底からグルグル廻りながら、    何とか這い上がろうとするかのような、息苦しいほどの音の動き。    悲しく、切なく、時に荒々し... [続きを読む]

受信: 2007/01/17 21:26:57

コメント

はじめまして。
茂木さんのblog,いつも楽しみに読んでます.

>強烈な負荷をかけること。
>白熱電球があかあかと
>灯っているような、
>そんな強度の集中。
>無限遠を見上げること。

この比喩↑が的確で、ぐっときました.
茂木さんは、楽しくなるためにどんな秘策を実践していたのですか?

思わず続きを知りたくなってしまいました^^
ぜひ続きをどこかで読めたらと思います。。

投稿: inu | 2007/01/18 0:43:14

茂木先生

●はじめまして.増崎@九州大学です.先生のブログを拝見させて頂くことが,日課になっております.先生と何か不思議な「つながり」があるようで,ブログの内容は私自身にも通ずることが多く,「ウンウン」とうなずきながら欣喜雀躍しています.

●来月の講義「感性・こころ・倫理」でお会いできることを楽しみにしております.これからもどうぞ,よろしくお願い致します.m(_ _)m

投稿: 増崎武次 | 2007/01/16 9:24:55

僕の「学習の瞬間」について書きたいと思います。幼少時代の僕はアデノイドを患った、自閉症気味のナイーブな少年でした。幼稚園ではまあまあ楽しく過ごせましたが、小学校に入学すると、どの授業も疎ましく、学校に行くのが嫌で堪りませんでした。授業に使うおはじきやハーモニカをわざとランドセルから出して登校したりしていました。僕には二つ年上の姉が居て、到頭、担任の先生が姉を呼び付けて、こう言いました「あなたの弟さんは全然お勉強しないの。お母さんに伝えて置いてね」。ハーモニカの授業中に、楽譜が読めず困っていた僕は、井上さんという優等生に「どうしたらハーモニカが吹けるようになれるの?」と尋ねました。彼女は目の前で黙ってハーモニカを吹いてくれました。僕は楽譜を読む事を諦めて、彼女の吹く旋律に集中して、ただそれを真似る事に尽力しました。最初の課題曲の模倣が完了し、先生に合格の判子をもらった僕は、その日の内に全ての課題曲をマスターしてしまいました。その後、音楽の授業が一番楽しくなったのは言うまでもない事ですが、驚くべき事に、僕は絶対音感を手に入れてしまったのです。僕は数学や理科、国語や美術は得意でしたが、それでも苦手だったのが社会の時間でした。僕は数学や理科の答案を井上さんに見せて、代わりに社会の答案を見せてもらっていました。このスリリングな相互カンニングは僕を夢中にさせましたが、今から思うと社会こそ真面目に学習しておけば良かった、と後悔して居ます。結局、体育以外はほぼオール5の通信簿をもらえました。数学や理科などの成績が良かった理由は、僕の通っていた学習塾に秘密があるのですが、長くなったので今日はここまでにしておきます。追伸、英語版の方、300文字の制約は厳しいです。これでは詞のような文章しか記せません(>д<)。

投稿: JAKE EYEBLACK | 2007/01/16 8:10:01

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