コメント
教えて欲しいのだが、猪野さんは何処まで本気で一連の記事を書いているんです?
純粋な気持ちで書いている?
炎上ブログでアクセスカウント狙いですか?
普通に考えたら後者なのですが、どうも確信がもてない。
純粋な気持ちで書いている?
炎上ブログでアクセスカウント狙いですか?
普通に考えたら後者なのですが、どうも確信がもてない。
山中恆氏の『「靖国神社」問答』
猪野さま
いつもながらの堂々たる論説、ありがたうございます。
この八月に再刊された、山中恆氏の『「靖国神社」問答』(小学館文庫)を読みました、といふより一月も経つのに、一読三嘆!で、まだ全部は読みをはりません。
わかき白井聡氏の解説文もさすがで、その慧眼・洞察力に感嘆してゐる次第です。
いつもながらの堂々たる論説、ありがたうございます。
この八月に再刊された、山中恆氏の『「靖国神社」問答』(小学館文庫)を読みました、といふより一月も経つのに、一読三嘆!で、まだ全部は読みをはりません。
わかき白井聡氏の解説文もさすがで、その慧眼・洞察力に感嘆してゐる次第です。
No title
また特攻関連記事か、とはもう言いません(^_^;)
遺族の方々などの個々の心情は色々あって良いと思います。
しかし、歴史の総括としては、「無駄死に」が正しいと私も思います。
俳優の故三船敏郎は陸軍航空隊の上等兵だったそうですが、生前、彼は海外のマスコミの取材に対し、「あの戦争は無益な殺戮だった」とはっきり答えたそうです。
無益な殺戮の犠牲になった特攻隊員、中にはオンボロの練習機に乗せられた酷い例もあります。
無駄死には特攻隊だけではない。
何の護衛も防御も無き輸送船に乗せられた多数の陸軍兵士が敵の魚雷で一瞬にして海の藻屑となったのも無駄死にです。
最も多い餓死や栄養失調に伴う病死も無駄死にです。
このようにして死んでいった兵士たちの無念を思うと、「良くぞ戦って死んでくれました」などと英霊として祀り、顕彰するなど、むしろ死者への冒涜とすら思います。
そして、戦死した日本兵士の多数は、アメリカを中心とした連合国側によって殺されたのではなく、日本の政治・軍の指導者によって事実上は殺されたも同然です。酷いものです。
最も酷いのは、上官が部下の兵士に食糧探しを命じておいて、後で「あいつ等は逃亡を図った」として処刑した例です。明らかに「口減らし」が目的です。
アジア・太平洋戦争(大東亜戦争)関連の図書・文献を読み、調べるほど、無駄死にさせられた日本兵士には胸が痛みますし、政治・軍指導者には怒りを強く覚えます。
遺族の方々などの個々の心情は色々あって良いと思います。
しかし、歴史の総括としては、「無駄死に」が正しいと私も思います。
俳優の故三船敏郎は陸軍航空隊の上等兵だったそうですが、生前、彼は海外のマスコミの取材に対し、「あの戦争は無益な殺戮だった」とはっきり答えたそうです。
無益な殺戮の犠牲になった特攻隊員、中にはオンボロの練習機に乗せられた酷い例もあります。
無駄死には特攻隊だけではない。
何の護衛も防御も無き輸送船に乗せられた多数の陸軍兵士が敵の魚雷で一瞬にして海の藻屑となったのも無駄死にです。
最も多い餓死や栄養失調に伴う病死も無駄死にです。
このようにして死んでいった兵士たちの無念を思うと、「良くぞ戦って死んでくれました」などと英霊として祀り、顕彰するなど、むしろ死者への冒涜とすら思います。
そして、戦死した日本兵士の多数は、アメリカを中心とした連合国側によって殺されたのではなく、日本の政治・軍の指導者によって事実上は殺されたも同然です。酷いものです。
最も酷いのは、上官が部下の兵士に食糧探しを命じておいて、後で「あいつ等は逃亡を図った」として処刑した例です。明らかに「口減らし」が目的です。
アジア・太平洋戦争(大東亜戦争)関連の図書・文献を読み、調べるほど、無駄死にさせられた日本兵士には胸が痛みますし、政治・軍指導者には怒りを強く覚えます。
貴方の発言が最大の冒涜です。
例えばですが、
貴方の身近なご友人が、
認知症で老い先短いご老人。
そんなご老人が横断歩道を誤って渡り、
自動車に跳ね飛ばされそうになっているところを、
助けたとしましょう。
そして、そのご友人がお亡くなりになってしまった。
更に、助けたご老人もその数日後にお亡くなりになってしまった。
こうした状況下に於いて、
貴方の理論が正しいとするならば、
認知症のご老人を助けた貴方のご友人は
「犬死に」だった訳ですね。
そう云われて、貴方は納得できますか。
ご友人を侮辱されたとは感じませんか。
貴方のこの投稿は、死者を冒涜するものであり、
その死者を弔う身近な人を冒涜する行為に他なりません。
許されない行為ではないでしょうか。
貴方の身近なご友人が、
認知症で老い先短いご老人。
そんなご老人が横断歩道を誤って渡り、
自動車に跳ね飛ばされそうになっているところを、
助けたとしましょう。
そして、そのご友人がお亡くなりになってしまった。
更に、助けたご老人もその数日後にお亡くなりになってしまった。
こうした状況下に於いて、
貴方の理論が正しいとするならば、
認知症のご老人を助けた貴方のご友人は
「犬死に」だった訳ですね。
そう云われて、貴方は納得できますか。
ご友人を侮辱されたとは感じませんか。
貴方のこの投稿は、死者を冒涜するものであり、
その死者を弔う身近な人を冒涜する行為に他なりません。
許されない行為ではないでしょうか。
No title
ここ最近ののエントリーで常に感じるのは表現の暴走です。
私も強い文章で否定したパリテロに関するエントリーでもそうです。
失礼を承知で言わせて頂けば、表現方法が稚拙です。
目的(持論の正当化)に導くために、取る手段(相対する意見の徹底否定)が間違っています。
何かを必要以上に否定せずとも、持論の正当性は表現できます。
それができないのはご自身の表現力不足か、思想的な狭量さの発露と自覚すべきでしょう。
・特攻という作戦の否定
・特攻隊員に対する敬意
これは両立できます。
「作戦として特攻は愚策だが、それを完遂した特攻隊員の自己犠牲精神には感服させられる、正に英霊である」
矛盾の指摘は可能でしょうか?
特攻という作戦自体を正当化する事は思想的におかしいです。
しかし、それは特攻隊員の自己犠牲精神(自発的半強制無関係に)を讃える事を否定する材料たりえません。
蛇足と思いますが、くだらないツッコミで悦に入る方もいるでしょうから付け加えておきました。
これもまた蛇足ですが、聖書の一節にこういう言葉があります。
「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。」
東西を問わず、自己犠牲の精神というものは尊いとされるものですね。
私も強い文章で否定したパリテロに関するエントリーでもそうです。
失礼を承知で言わせて頂けば、表現方法が稚拙です。
目的(持論の正当化)に導くために、取る手段(相対する意見の徹底否定)が間違っています。
何かを必要以上に否定せずとも、持論の正当性は表現できます。
それができないのはご自身の表現力不足か、思想的な狭量さの発露と自覚すべきでしょう。
・特攻という作戦の否定
・特攻隊員に対する敬意
これは両立できます。
「作戦として特攻は愚策だが、それを完遂した特攻隊員の自己犠牲精神には感服させられる、正に英霊である」
矛盾の指摘は可能でしょうか?
特攻という作戦自体を正当化する事は思想的におかしいです。
しかし、それは特攻隊員の自己犠牲精神(自発的半強制無関係に)を讃える事を否定する材料たりえません。
蛇足と思いますが、くだらないツッコミで悦に入る方もいるでしょうから付け加えておきました。
これもまた蛇足ですが、聖書の一節にこういう言葉があります。
「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。」
東西を問わず、自己犠牲の精神というものは尊いとされるものですね。
No title
もちろん、敢えて私の前に来るというのであれば、それで論争するというのであれば、「犬死に」だったと当然に言って差し上げます。
しかし、そうではない遺族のところに行って、わざわざ言えるかなどという議論の立て方自体がずれているのです。
↑
そうかな?
以前は「実名ブログに対して匿名がよく言えるな」
と批判していたが。
それから「そうではない遺族のところに行って」..............?
誰も行って言え、などと言っていない。
しかし、そうではない遺族のところに行って、わざわざ言えるかなどという議論の立て方自体がずれているのです。
↑
そうかな?
以前は「実名ブログに対して匿名がよく言えるな」
と批判していたが。
それから「そうではない遺族のところに行って」..............?
誰も行って言え、などと言っていない。
殺人的「自己犠牲」?
「たろを」さんの論旨は明快で、その考えにもほぼ賛成ですが、最後の「蛇足」には疑問を呈します。特攻隊員の自己犠牲を「尊い」という意味なら、特攻によって命を奪われる側の視点を欠いています。自己犠牲の先に殺人があるとすれば(たとえ戦時であっても)、それは少しも尊くない自己犠牲です。
自己犠牲や愛はそれ自体批判や検討を拒否するような強いメッセージ性を持つ言葉ですが、それゆえに、使うときに慎重であるべきだと思います。
今回のパリのテロもそういう意味で批判の対象になります。仮にテロ実行犯の中にフランスの空爆によって、自分の身内を殺されたひとがいても、です。「あなたの身内はテロリストではないのにフランスの空爆で殺された。その報復としてテロをおこなったあなたは、空爆に無関係な、あるいは空爆に反対していたパリ市民を殺したかも知れませんよ」とわたしは(死んでしまった)テロ実行犯に、問うことができるものなら問いたい。
幸い現在まで、空爆もテロも知らない日本人がすべきこと/できることは「報復の連鎖は終わりにしよう」と訴えることです。
「英霊」も部下を殺して生き残った上官が、その罪を正当化するために使われることが少なくないので、文脈を考えずに使うのは危険です。
自己犠牲や愛はそれ自体批判や検討を拒否するような強いメッセージ性を持つ言葉ですが、それゆえに、使うときに慎重であるべきだと思います。
今回のパリのテロもそういう意味で批判の対象になります。仮にテロ実行犯の中にフランスの空爆によって、自分の身内を殺されたひとがいても、です。「あなたの身内はテロリストではないのにフランスの空爆で殺された。その報復としてテロをおこなったあなたは、空爆に無関係な、あるいは空爆に反対していたパリ市民を殺したかも知れませんよ」とわたしは(死んでしまった)テロ実行犯に、問うことができるものなら問いたい。
幸い現在まで、空爆もテロも知らない日本人がすべきこと/できることは「報復の連鎖は終わりにしよう」と訴えることです。
「英霊」も部下を殺して生き残った上官が、その罪を正当化するために使われることが少なくないので、文脈を考えずに使うのは危険です。
No title
>死に追いやっておきながら「英霊」だなんていうのですよ。侮辱そのものでしょう。仮に私が特攻隊員として死に追いやられ、死後の感情があるとすれば、「英霊」なんて言われたら許せません。そういう「英霊」なんて言っているのは、死に追いやった側が自分を正当化するためだけに言っているものです。
猪野先生の場合、英霊という言葉に上記のような嫌悪感を持つように、多く日本人は、特攻隊の死が犬死という発想に嫌悪感を持つのだと思います。(世論調査をみた訳ではなく、猪野先生への反論の多さから推定してますが)
>それでいながらそれを「英霊」だなんて言っているようでは、言われた方は全く浮かばれません。 死に追いやっておきながら「英霊」だなんていうのですよ。侮辱そのものでしょう。
また、上記のように猪野先生は主張されますが、犬死と言われた方がもっと浮かばれないでしょう。死に追いやられた挙句、戦争経験もない後世の人間に犬死と切り捨てられるのはあまりに屈辱でしょう。個人的には、特攻隊をはじめ、多くの方々の死によって、現在の平和が存在すると思いますし、恐らく多くの日本人もそう思うでしょう。それを犬死と切り捨てるのは、死んだ方々に対する侮辱であり、あまりに国民感情を逆撫でしていると思います。
猪野先生の場合、英霊という言葉に上記のような嫌悪感を持つように、多く日本人は、特攻隊の死が犬死という発想に嫌悪感を持つのだと思います。(世論調査をみた訳ではなく、猪野先生への反論の多さから推定してますが)
>それでいながらそれを「英霊」だなんて言っているようでは、言われた方は全く浮かばれません。 死に追いやっておきながら「英霊」だなんていうのですよ。侮辱そのものでしょう。
また、上記のように猪野先生は主張されますが、犬死と言われた方がもっと浮かばれないでしょう。死に追いやられた挙句、戦争経験もない後世の人間に犬死と切り捨てられるのはあまりに屈辱でしょう。個人的には、特攻隊をはじめ、多くの方々の死によって、現在の平和が存在すると思いますし、恐らく多くの日本人もそう思うでしょう。それを犬死と切り捨てるのは、死んだ方々に対する侮辱であり、あまりに国民感情を逆撫でしていると思います。
No title
概ね「HNを使用してくださ」さんと同意見です。
「犬死だ」と言うのは、戦争で亡くなった方に対して失礼かと個人的には思います。
まあ、また言いがかりだ、とお受け取りになるならそれまでですが。
「犬死だ」と言うのは、戦争で亡くなった方に対して失礼かと個人的には思います。
まあ、また言いがかりだ、とお受け取りになるならそれまでですが。
No title
特攻隊員の自己犠牲を「尊い」という意味なら、特攻によって命を奪われる側の視点を欠いています。自己犠牲の先に殺人があるとすれば(たとえ戦時であっても)、それは少しも尊くない自己犠牲です。
↑
尊いも尊く無いも特攻隊員本人に特攻すること以外にその時何ができたか?
↑
尊いも尊く無いも特攻隊員本人に特攻すること以外にその時何ができたか?
No title
結局、特攻隊員が死ぬことで何がどう変わったのか何ら説明できていないようだ。特攻隊員が生き残って何か困ることでもあったのか?
単に、犬死っていう罵声を浴びせるのはよくないという礼儀作法のお話になっている。
人の死を悼むなら、なぜ死んだのか、それを直視しなけれならないだろう。美辞麗句を並び立てて、虚飾するのが、死を悼むことなのか。儀礼としてなら理解はできなくもないが。
儀式の話はさておき、どうせ死ぬ以上相手を道連れにというのであればまだわからなくないが、実際のところは、順序は逆で、相手を道連れにするため、死ななくて済むところあえて死にに行くという話になって、それどころか、相手を道連れにすることもかなわず、自分一人だけで、死なずに済むところ死にに行っている。
戦争である以上、死ななくても済むというわけにもいかない。誰かは死ぬ。
そう、戦死は、戦勝国であっても敗戦国であっても、無駄死にであり、ゆえに戦争が悲惨というはそれが理由といえる。
そもそも、一億総玉砕で、特攻隊員どころか、一般国民も竹やりで突撃することになっていた。特攻隊員がその先駆けであるなら、彼らの死を無駄にしないためにも一億総玉砕すべきだろう。でも、それに何の意味がある?
一億総玉砕が無駄死になら(もっとも、アメリカに無人の日本列島をくれてやるということになり、アメリカにとっては無駄どころか、ありがたい話になりそうだが)、その先駆けの特攻隊員の死も当然に犬死となるが。
特攻隊員が自ら進んで死んだというのであれば、成仏し、その霊魂はこの世にとどまっていないだろう。後世の人に悪しざまにいわれようが、気にはしない。死んだ人間はいつまもこのように未練を残すべきではない。潔いのは日本軍人の誇りであろう。
単に、犬死っていう罵声を浴びせるのはよくないという礼儀作法のお話になっている。
人の死を悼むなら、なぜ死んだのか、それを直視しなけれならないだろう。美辞麗句を並び立てて、虚飾するのが、死を悼むことなのか。儀礼としてなら理解はできなくもないが。
儀式の話はさておき、どうせ死ぬ以上相手を道連れにというのであればまだわからなくないが、実際のところは、順序は逆で、相手を道連れにするため、死ななくて済むところあえて死にに行くという話になって、それどころか、相手を道連れにすることもかなわず、自分一人だけで、死なずに済むところ死にに行っている。
戦争である以上、死ななくても済むというわけにもいかない。誰かは死ぬ。
そう、戦死は、戦勝国であっても敗戦国であっても、無駄死にであり、ゆえに戦争が悲惨というはそれが理由といえる。
そもそも、一億総玉砕で、特攻隊員どころか、一般国民も竹やりで突撃することになっていた。特攻隊員がその先駆けであるなら、彼らの死を無駄にしないためにも一億総玉砕すべきだろう。でも、それに何の意味がある?
一億総玉砕が無駄死になら(もっとも、アメリカに無人の日本列島をくれてやるということになり、アメリカにとっては無駄どころか、ありがたい話になりそうだが)、その先駆けの特攻隊員の死も当然に犬死となるが。
特攻隊員が自ら進んで死んだというのであれば、成仏し、その霊魂はこの世にとどまっていないだろう。後世の人に悪しざまにいわれようが、気にはしない。死んだ人間はいつまもこのように未練を残すべきではない。潔いのは日本軍人の誇りであろう。
覧古考新:なごやんの言いがかり
>「あの作戦も間違っていたし、あの戦争そのものが間違っていた、死ななくても済んだのに、本当にごめんね」というべきでしょう。
↑
この主張はわかる。
猪野先生の記事自体は理解できるし、特攻を嫌悪する点は私も同じ。
ただ、「犬死」には抵抗感がある。
猪野先生を批難する意図はないのだが、以下のウィキペディア記事を参照されたい。
「米軍兵による日本軍戦死者の遺体の切断」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B1%B3%E8%BB%8D%E5%85%B5%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%BB%8D%E6%88%A6%E6%AD%BB%E8%80%85%E3%81%AE%E9%81%BA%E4%BD%93%E3%81%AE%E5%88%87%E6%96%AD
どうも戦死者を「犬死」と言ってしまうのは、上記ウィキペディアにある、戦死者の遺体をもてあそぶ事例のような生理的な嫌悪感を催してしまう。
これは頭で理解できることではない。
瞬間的に引いてしまう。
これは言いがかりだろうか。
↑
この主張はわかる。
猪野先生の記事自体は理解できるし、特攻を嫌悪する点は私も同じ。
ただ、「犬死」には抵抗感がある。
猪野先生を批難する意図はないのだが、以下のウィキペディア記事を参照されたい。
「米軍兵による日本軍戦死者の遺体の切断」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B1%B3%E8%BB%8D%E5%85%B5%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%BB%8D%E6%88%A6%E6%AD%BB%E8%80%85%E3%81%AE%E9%81%BA%E4%BD%93%E3%81%AE%E5%88%87%E6%96%AD
どうも戦死者を「犬死」と言ってしまうのは、上記ウィキペディアにある、戦死者の遺体をもてあそぶ事例のような生理的な嫌悪感を催してしまう。
これは頭で理解できることではない。
瞬間的に引いてしまう。
これは言いがかりだろうか。
No title
総力戦研究所の見解も無駄な戦争で且つ勝ち目はないとの御宣託があったにもかかわらず、始めた戦争のですから、特攻に限らずすべて犬死です。
徴兵逃れをして,しぶとく生き残った人こそ先見の明があったというべきでしょう。
徴兵逃れをして,しぶとく生き残った人こそ先見の明があったというべきでしょう。
No title
なごやんさんの指摘に同感です。
先日、祖父が生き延びた特攻隊員だという方と話をする機会がありました。特攻隊員の「命の軽さ」に改めて強い憤りを覚えました。
しかし、「犬死」の表現は、どうしても「その言葉を用いている人が死を痛切に受け止めていない」という感情を引き起こしてしまいます。特攻隊員の死を美化したい人は、そういう感情の動きを利用して「特攻隊員の死を犬死といってしまっていいのか? そんなはずはない」と説くわけです。
「誤った戦争の犠牲者」というべきでしょう。
あと、別のコメント欄で、なごやんさんが「安易に『洗脳』という言葉を用いるべきでない」とおっしゃていましたが、これも同感です。何千人、何万人の人々を洗脳することはできません。
先日、祖父が生き延びた特攻隊員だという方と話をする機会がありました。特攻隊員の「命の軽さ」に改めて強い憤りを覚えました。
しかし、「犬死」の表現は、どうしても「その言葉を用いている人が死を痛切に受け止めていない」という感情を引き起こしてしまいます。特攻隊員の死を美化したい人は、そういう感情の動きを利用して「特攻隊員の死を犬死といってしまっていいのか? そんなはずはない」と説くわけです。
「誤った戦争の犠牲者」というべきでしょう。
あと、別のコメント欄で、なごやんさんが「安易に『洗脳』という言葉を用いるべきでない」とおっしゃていましたが、これも同感です。何千人、何万人の人々を洗脳することはできません。
No title
犬死にという言葉がどうなのか、考えてみましたが、やはり私は犬死にこそ、的確だと思いました。
この場合は犠牲者というよりも死を前提とした作戦のために死を強要されたものであり、通常の戦闘の中で死んでいったということとは意味が違います。
だからこそ、極右層は、美談にしているわけで、それと対比されるのは犬死にです。
この場合は犠牲者というよりも死を前提とした作戦のために死を強要されたものであり、通常の戦闘の中で死んでいったということとは意味が違います。
だからこそ、極右層は、美談にしているわけで、それと対比されるのは犬死にです。
No title
「犬死に」について、私も猪野様の見解に賛成です。
特攻にせよ、玉砕にせよ、
「強要された死」を美化することこそ、死者への冒涜と言えましょう。
さらに言えば、
日本の敗北が決まっていた「マリアナ海戦の負け戦」「サイパン陥落」以降の圧倒的多数の日本兵士や一般市民の死もまた、無駄死に、犬死にに等しいと思います。
「犬死に」とは、戦死した個別の兵士に対するものではなく、
あたら若い命を犬死にさせた卑劣極る政治家・軍部指導者達への、そして、軍国主義というシステムへの強い怒りを込めたものだと私は思っています。
特攻にせよ、玉砕にせよ、
「強要された死」を美化することこそ、死者への冒涜と言えましょう。
さらに言えば、
日本の敗北が決まっていた「マリアナ海戦の負け戦」「サイパン陥落」以降の圧倒的多数の日本兵士や一般市民の死もまた、無駄死に、犬死にに等しいと思います。
「犬死に」とは、戦死した個別の兵士に対するものではなく、
あたら若い命を犬死にさせた卑劣極る政治家・軍部指導者達への、そして、軍国主義というシステムへの強い怒りを込めたものだと私は思っています。
No title
>何を偉そうに結果論で戦死者を「犬死に」よ?
>その、「全く意味の無い上から目線」が
死者への冒涜と私は思うがね。
結果がすべてだからね。他人が評価するのは所詮結果。それが嫌なら結果出せってことだよ。
むろん、努力が美しいという人もいるだろうが、まあ、それは個人の感性の問題で、戦争は芸術活動ではない。
>その、「全く意味の無い上から目線」が
死者への冒涜と私は思うがね。
結果がすべてだからね。他人が評価するのは所詮結果。それが嫌なら結果出せってことだよ。
むろん、努力が美しいという人もいるだろうが、まあ、それは個人の感性の問題で、戦争は芸術活動ではない。
正直ではある
>この場合は犠牲者というよりも死を前提とした作戦のために死を強要されたものであり、通常の戦闘の中で死んでいったということとは意味が違います。
>だからこそ、極右層は、美談にしているわけで、それと対比されるのは犬死にです。
つまり、貴方の言うところの「極右層」の逆張りをしてるだけですか。。。
>だからこそ、極右層は、美談にしているわけで、それと対比されるのは犬死にです。
つまり、貴方の言うところの「極右層」の逆張りをしてるだけですか。。。
No title
縁もゆかりもない敵国?人に対して、故意に又は、過失で殺し合い。
後ろで糸を引く,裏切り者に騙されて特攻や切込み何て哀れの一言ですよ。
兵站はj続くと信じ込まされて、餓死してた人も騙されたお人よし。
一銭五厘?で調達しうる兵隊のために無理を押してまで食料は送りません。
後ろで糸を引く,裏切り者に騙されて特攻や切込み何て哀れの一言ですよ。
兵站はj続くと信じ込まされて、餓死してた人も騙されたお人よし。
一銭五厘?で調達しうる兵隊のために無理を押してまで食料は送りません。
No title
日露戦争以降、特に国に殉じた人々、靖国神社・護国神社に祀られている戦没将兵の「忠魂」・「忠霊」と称されていたものを指して使われ始めた 。Wiki引用
宗教法人靖国神社が合祀しただけでしょう。
国は、遺体の回収もせずに、放置して墓も立てずに、いい気なものですね。
インパール作戦で死亡した兵士の遺骨は現地人が
遺骨の回収を待ち続けているとNHKでは放送していました。
宗教法人靖国神社が合祀しただけでしょう。
国は、遺体の回収もせずに、放置して墓も立てずに、いい気なものですね。
インパール作戦で死亡した兵士の遺骨は現地人が
遺骨の回収を待ち続けているとNHKでは放送していました。
おかしな話だ
>結果がすべてだからね。他人が評価するのは所詮結果。それが嫌なら結果出せってことだよ。
結果を知っているだけの人間が何を偉そうに。
結果を知っているだけの人間が何を偉そうに。
片割月さん
>特攻にせよ、玉砕にせよ、「強要された死」を美化することこそ、死者への冒涜と言えましょう
あらゆる戦闘行動は兵員の死を前提として織り込んでいます。
敵前逃亡すれば今でも殆どの国で銃殺ok。
すなわち戦闘行動をとるってのは「一定割合の死を強要する事」であります。
闘いや戦死者を美化するのは世界的にノーマルで、多くの国の国旗・国歌などであからさまですが、これらは死者を冒涜しているのでしょうか。
あらゆる戦闘行動は兵員の死を前提として織り込んでいます。
敵前逃亡すれば今でも殆どの国で銃殺ok。
すなわち戦闘行動をとるってのは「一定割合の死を強要する事」であります。
闘いや戦死者を美化するのは世界的にノーマルで、多くの国の国旗・国歌などであからさまですが、これらは死者を冒涜しているのでしょうか。
No title
*闘いや戦死者を美化するのは世界的にノーマルで、
戦いは、混乱を招き混乱を美という人は少数派でしょう。
戦死者は、まともな死ではなく銃創や肉片の塊で美的センスの喪失者しか美しいとは言いません。
いずれもノーマルではありません。
戦いは、混乱を招き混乱を美という人は少数派でしょう。
戦死者は、まともな死ではなく銃創や肉片の塊で美的センスの喪失者しか美しいとは言いません。
いずれもノーマルではありません。
No title
>戦いは、混乱を招き混乱を美という人は少数派でしょう。
↑
戦争を美化している映画なんて数えきれませんよ。まさに世界的にノーマルです。
↑
戦争を美化している映画なんて数えきれませんよ。まさに世界的にノーマルです。
No title
*映画なんて数えきれませんよ
残念ながら、戦争映画は興味ありません。
残念ながら、戦争映画は興味ありません。
No title
幸い現在まで、空爆もテロも知らない日本人がすべきこと/できることは「報復の連鎖は終わりにしよう」と訴えることです。
空爆はともかく、テロは発生してるけど・・・・
オウムのサリンとか
空爆はともかく、テロは発生してるけど・・・・
オウムのサリンとか
No title
>残念ながら、戦争映画は興味ありません。
↑
あなたにとって興味は無くともイデオロギーの左右にかかわらず自国にとって都合の良い作品、公平に描く作品と様々存在し、専門家、評論家、一般人に芸術的作品として評価されているのが事実であり無視できません。
↑
あなたにとって興味は無くともイデオロギーの左右にかかわらず自国にとって都合の良い作品、公平に描く作品と様々存在し、専門家、評論家、一般人に芸術的作品として評価されているのが事実であり無視できません。
映画がリアルに描くかな?
映画は娯楽ですからね、あまりに嫌悪感を催すリアルは描かないでしょう。
俗に「戦争のリアルに迫っている」とか「反戦映画」とか称されるものでも、そのような約束事を踏まえた上でメッセージを伝えようとしているのではないでしょうか。
映画そんなに見てないので断言は出来ませんが。
俗に「戦争のリアルに迫っている」とか「反戦映画」とか称されるものでも、そのような約束事を踏まえた上でメッセージを伝えようとしているのではないでしょうか。
映画そんなに見てないので断言は出来ませんが。
責任が問われるのは
遺族を目の前にして言うなという話なら分かりますが、公共空間と言うべき言論の場で「それは犬死にだ」と言うなということではありません。
「犬死に」に追いやった国家なり軍なりの責任を曖昧にしていては、また同じような失敗を繰り返すのは眼に見えてます。
結果論が駄目だというが、会社を倒産させた経営者の責任が問われることは普通ですし、仕事で結果を出せない場合に責められるということは社会人なら誰でも経験することです。
国家と軍が過去に失敗を犯したのなら、それについて何故失敗したのかどこが悪かったのかを検討するなんて当たり前なことでしょう。
本当の愛国者なら、そこから眼を逸らさないものだと思うのですけどね。
現実に多くの兵士や国民が「犬死に」に追いやられたのですから、「犬死に」という言葉を使わないわけにはいかないでしょう。
言論において「犬死に」という言葉を使うなという言説は、責任というものを曖昧にして行く或いはボカシて行く結果になると思うのですけどね。
「犬死に」に追いやった国家なり軍なりの責任を曖昧にしていては、また同じような失敗を繰り返すのは眼に見えてます。
結果論が駄目だというが、会社を倒産させた経営者の責任が問われることは普通ですし、仕事で結果を出せない場合に責められるということは社会人なら誰でも経験することです。
国家と軍が過去に失敗を犯したのなら、それについて何故失敗したのかどこが悪かったのかを検討するなんて当たり前なことでしょう。
本当の愛国者なら、そこから眼を逸らさないものだと思うのですけどね。
現実に多くの兵士や国民が「犬死に」に追いやられたのですから、「犬死に」という言葉を使わないわけにはいかないでしょう。
言論において「犬死に」という言葉を使うなという言説は、責任というものを曖昧にして行く或いはボカシて行く結果になると思うのですけどね。