科学と詩の結託(悪魔との契約としてのゲーテのアンチ・ディシプリナリーな思考姿勢)

ゲーテの『ファウスト』を読み始めた。 来年前半はゲーテについて、あらためてちゃんと知っていこうと思っているので、その第一歩。 ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテに興味を持っているのは、彼が、詩人、劇作家、小説家という文学の人という側面をもつ一方、色彩論、形態学、生物学、地質学といった広範囲にわたる自然科学者としての側面をもっているからだ(もうひとつ政治家という面もあるが、そこは問わない)。 そして、その両側面にまたがる功績を残したゲーテであるがゆえに、例えば、彼の色彩論研究からは、生理学とという自然科学の分野と、印象派という美術の分野での2つの新しい思索のカテゴリーが生まれている。 ゲーテとショーペンハウアーとが主張した、観察者に新たなる知覚の自律性を与える主観的視覚は、観察者を新しい知や新たなる権力の諸技術の主題=主体にすることと軌を一にしてもいた。19世紀において、これら二つの相互に関連した観察者の形象が浮上してくる領域こそ、生理学という科学だったのだ。 ジョナサン・クレーリー『観察者の系譜』 19世紀初めのゲーテ、ルンゲ、ターナーらに始まる色彩研究の新たな興隆は、近代絵画史における道標としてあまりにも有名な画家モーリス・ドニの発言−「画面とは、ひとつの逸話である以前に、ある一定の秩序を持つ色彩でおおわれた表面である」(1890年)−を経て抽象絵画成立期に通じる重要な道筋を切り開いた。15、16世紀における西欧の造形思想のひとつの基軸が線遠近法にあったとすれば、…

続きを読む

見る目、聞く耳/アルチンボルド展を観て

ウリッセ・アルドロヴァンディという16世紀のイタリア・ボローニャで生まれ育った有名な博物学者がいる。1522年に生まれ、1605年に没している。 アルドロヴァンディが有名なのは、自身がイタリア各地で採集した植物を中心として、めずらしい動物や鉱物の膨大な数の標本を集めたミュージアムを開設し、そこに国内外から多くの博物学者が訪問したからだ。 アルドロヴァンディの“Monstrorum historia”のなかの人面鳥の図版。 アルドロヴァンディはミュージアムに彼自身が学問的に価値があると捉えた様々な品を集めただけでなく、自らの蒐集品を元に動植物誌の編纂を試みた。そのため、多くの画家に収蔵品を素描させているのだが、その中にはドラゴンや人面鳥などが当たり前のように混ざっている。 これは現代から見れば非科学的で、とても学問的には思えないのだけれど、それがおかしく思えるのは、当時はまだ発見されていない現代の枠組みから見るせいだ。現代から見ればおかしくても、その枠組み自体がない時代においては、おかしいのか立派な意味があることなのかさえ判断できなかったのだということを忘れてはいけない。 とにかく、生物が何もないところから生まれてくるというアリストテレス由来の自然発生説が信じられていたような時代だったのだ。 化石でさえも石から生まれるものと思われていたし、そもそも生物種の整理の仕方が確立されるには、200年近く後の18世紀のカール・フォン・リンネの分類学を待たねばならなかった。そのリ…

続きを読む

肉体的で演劇的!面白まじめのスタンス考(2つのパルナッソスより)

ルーヴル美術館ドゥノン翼の2階、俗にイタリア回廊と呼ばれるギャラリーには、長いまっすぐな廊下の両側にルネサンス期以降のイタリア絵画の名作がずらりと並んでいる。アンドレア・マンテーニャなどの初期ルネサンスの作品をはじめ、レオナルド・ダ・ヴィンチやボッティチェリ、ラファエロ・サンティなどの盛期ルネサンスの画家の作品、そして、マニエリスム期に入ってのポントルモなど、どれもこれも日本の美術館での企画展なら主役級の作品ばかりで圧巻だ。 ただ、当然ながら、その時代の絵画は多くの作品が宗教画なので、キリスト教の物語に疎い日本人には解説なしだとどう見ていいかわからなくてちょっととっつきにくい部分があるだろう。 ルーブル美術館のイタリア回廊のポントルモの「聖母子と聖アンナ」などの作品がある付近 そんな中、異彩を放つのが綺想の画家アルチンボルドによる連作「四季」なのだが、それとは違う意味でまた他の作品とは異なる印象を与えてくれる絵がある。 最近、僕のお気に入りに加わった絵たち。 アンドレア・マンテーニャの「パルナッソス」と「美徳の勝利」という2枚の歴史画がそれだ。 歴史画といっても、僕らが想像するような意味での「歴史」を描いた絵ではない。それは古代の神々の様子を描いた絵である。寓意画。 「パルナッソス」ではウェヌスとマルスのカップルが、「美徳の勝利」ではミネルヴァとウェヌスがそれぞれ描かれる。神々を描いたといっても、まわりにある宗教画とは違い、2枚の絵とも滑稽な雰囲気に満ち溢れている。 …

続きを読む

北方ルネサンスの画家たち:クラーナハ展を観て

雨の降る日曜日に、上野の国立西洋美術館へ「クラーナハ展」を観に行った。 会期終了が迫るなか、唐突に観に行こうと思ったのは、そういえば北方ルネサンスのこと、よく知らないなと思ったからなのと、ちょうど読んでいた『シンボルの修辞学』で著者のエトガー・ヴィントが、同時代のドイツの画家グリューネヴァルトに関して論じるなかで、クラーナハや同じく北方ルネサンスを代表する画家であるデューラーの話をこんな風に持ち出していたからである。 グリューネヴァルトはクラーナハによる聖ゲオルギウスの木版画を知っていたにちがいなく、それはデューラーの人体を手本に制作されたものであった。もしデューラーのものを近代性の指標として認めつつ、制作年代どおりデューラーを最初に、グリューネヴァルトを最後にして3点を並べるなら、それらが示すのは後退性である。 エトガー・ヴィント『シンボルの修辞学』 デューラーの絵は実物を美術館などでちゃんと観たことはあまりないが、それでも図版などで何点か観て知っている。グリューネヴァルトに関しては、その代表作ともいえる「イーゼンハイム祭壇画」をフランスのコルマールで観て、すごいと思ったので印象に残っている。 グリューネヴァルトの「イーゼンハイム祭壇画」の展示風景 ウンターリンデン美術館が改装中だったため、近くのドミニカン教会で展示 ただ、その2人と同時代を生き、ともに北方ルネサンスを代表する3人の画家のひとりに数えられるクラーナハに関しては、あまりよく知らなかった。だから、土曜日に、…

続きを読む

プラトンにとって、芸術は一種の魔術だった

ひとつ前の記事で紹介した『モナリザの秘密』という本のなかで、著者のダニエル・アラスはこんなことを言っている。 14世紀初頭から19世紀末にかけてのヨーロッパ絵画を特徴づけるのは、それが自然の模倣という原理のもとで描かれているということです。 ダニエル・アラス『モナリザの秘密』 一見どうということのない当たり前のことを言っているようにも思える。 だから、つい読み飛ばしそうになる一節だが、これ、ちょっと立ち止まって考えてみると結構いろんな疑問が浮かび上がってくる発言だと思う。 例えば、 「14世紀初頭から19世紀末にかけて」がそうだったら、その前はどうで、その後はどうなのか?とかというか「ヨーロッパ絵画」というけど、絵画以外ではどうなの?とかで、結局のところ、それはどういうことなの?とかとか ちょっとした文章でも読み飛ばさず、疑問をもって考えてみることって大事だよねと思う。 で、ひとつひとつ考えてみると、それぞれこんな風に答えることができる。 その前のヨーロッパ中世の時代は神の世界を描いてたし、その後の19世紀末くらいからはターナー、そして、印象派をはさんで抽象的表現が主流となり、自然の模倣から離れていく(その変化の起点ともいえるターナーに影響を与えているのがゲーテの『色彩論』における残像であり、そしてそれを起点に展開される生理学的な視覚論などだけれど、いってみればそれは17世紀以降のデカルト〜ニュートン由来の機械論的な視覚論&光学の見直しだった)というわけで、絵画以外ではど…

続きを読む

木を見て、森をみない「ディテール執着症」のはじまり

前回の「19世紀後半の芸術の残骸としてのわかりやすさとリアリティ」では、現代の「やらせ映像」にもつながる、ある側からみれば非常にわかりやすいリアリティをもった、また別の意味からいえば紋切り型のそうした表現に関する実践的研究が行われたのが19世紀後半の自然主義・写実主義芸術の時代であったことを紹介しました。 その19世紀の半ば以降に生まれたのが、ショールームや百貨店などの販売システムであったことは、前々回の「見せる空間から参加する空間へ」という記事で紹介しています。 世界最古の百貨店といわれるボン・マルシェがいまにつながる百貨店のシステムを確立したのは1852年。それに先立ち、世界最初期のショールームというべき、鉄骨とガラスで作られた巨大な建造物である「水晶宮」で知られる世界最初の万国博覧会であるロンドン万博が開かれたのが1851年です。 ▲19世紀半ばに世界ではじめて百貨店システムを誕生させ、1887年にギュスターヴ・エッフェルらにより店舗を拡張したボン・マルシェの現在の店内の様子 この様々な商品を魅力的に並べて販売するシステムが生まれ、同時に、わかりやすいリアリティをもったピクチャレスクな表現によって都市で暮らす大衆の生活を絵画や小説が描きはじめた19世紀の半ば以降、もう1つ、この時代の芸術家に特徴的な性質がありました。 それが何かといえば、異様なまでの細部へのこだわりです。 「細部の宝庫ではあるが」とヘンリー・ジェイムズはジョージ・エリオットの『ミドルマーチ…

続きを読む

19世紀後半の芸術の残骸としてのわかりやすさとリアリティ

わかりやすさとリアリティ。 何かを「わかる」ということが、その何かが置かれた文脈を理解することなのだとしたら、わかりやすい文脈ごと提示してリアリティを感じさせる表現というのは、何かを「わかりやすく」伝えるための非常に有益な方法の1つといえるでしょう。 すーっとリアリティをもって受け入れられるということは、そのこと自体、そこに表現されているものが、それを受けとる人にとって、わかりやすいものになっているという証拠だといえるのかもしれません。 ▲1875年に竣工のパリ・オペラ座(ガルニエ宮)。まさに19世紀後半のパリ大改造で建てられた建築物 その方法の模索…、 ぱっと文脈を読みとることができるリアリティある表現によって大衆が「わかる」ものを提示する方法…、 それが大々的に模索されたのが19世紀後半の自然主義・写実主義の時代だったように思います。 その中心にあったのが、ピクチャレスクでした。 17-18世紀を通じて、自然や遠方の憧れの土地などを見栄えのする絵のように表現することを通じて、身近に、そして、あたかもそれを自分が所有しているように感じさせるピクチャレスクという表現方法が多くの芸術家たちによって磨かれてきました。と同時に、表現を受けとる側の市民のほうもピクチャレスクな表現を読み解く力を身につけてきました。 そのピクチャレスクの対象が、自然や遠方の地から、より身近な都市の日常の光景に向かったのが、19世紀の自然主義・写実主義の時代でした。そして、「わかる」という…

続きを読む

創造のプロセスをオープンにした場合、僕たちの新しい経済文化活動はどう変わっていくのか?

昨夜、慶応義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント公開講座「ダイアログとデザインの未来Vol.7 アートの未来」に参加させていただきました。 ▲ 「タイプトレース道〜舞城王太郎之巻」ドミニク・チェンほか 2007(写真:divi.dual) これまでも公開講座として開催されてきた「ダイアログとデザインの未来」というシリーズの第7弾として、今回は「アートがもたらすイノベーションの可能性」というテーマで、クリエイティブ・コモンズ・ジャパン理事であり、株式会社ディヴィデュアルの共同設立者であるドミニク・チェンさんと、Takuro Someya Contemporary Artというコマーシャルギャラリーの代表をつとめている染谷卓郎さんのお2人のトークセッションを中心に一部会場も巻き込みセッションが行われていました。 僕は、最近のアートへの興味(その越境性と人を巻き込む力)と、僕自身がいま一番関心をもっている「これからの社会で個人や社会が自分たちを開いていった時に何が起こり、その際、何が自分たちの姿勢やスキルとして必要になるか」ということを関連づけて動かしていくことはできないかを考えているので、ぜひ参加してみようと思ったわけです。 まあ、動機としてはすこし前に奥入瀬でのアートキャンプに参加させていただいたことの延長線上にあるわけです。

続きを読む

ハンス・コパー展 20世紀陶芸の革新/汐留ミュージアム

18日の日曜日、汐留ミュージアムで開催されている「ハンス・コパー展 20世紀陶芸の革新」を見てきました。 ルーシー・リー、バーナード・リーチとともに、20世紀のイギリス陶芸界を代表する作家として知られるハンス・コパーの日本での最初の大規模な回顧展です。 ユダヤ人として生まれたコパーは、1946年にイギリスに亡命し、同じくユダヤ系の家庭に生まれ、ウィーンから亡命してきたルーシー・リーの工房で、オートクチュール用のボタンづくりの助手として働きはじめます。今回の展覧会では、当時のリーとの共同製作のコーヒーセットなども展示されていますが、コパーの陶芸家としての人生はまさに、このリーとの出会いからはじまりました。

続きを読む

ブルーノ・ムナーリ展 アートの楽しい見つけ方/横須賀美術館

先日の土曜日(3日)に、横須賀美術館で開催されている、「ブルーノ・ムナーリ展 アートの楽しい見つけ方」に行ってきました。 ブルーノ・ムナーリ(1907-1998)は、イタリアでの「未来派」の運動にも関わりのあったアーティストであり、独創的な絵本作家であり、プロダクトデザインやグラフィックデザインに関わったデザイナーであり、子どものための造形教育に携わった教育者でもあるなど、多彩な活躍をした人です。 僕自身、ムナーリの展覧会を観るのは、2007年の暮れから2008年の年初にかけて、生誕100年を記念して行われた2つの展覧会を見て以来です。 久しぶりにブルーノ・ムナーリの作品に触れてみたわけですが、前回見たときより興味深く作品を見ることができました。 例えば「negativo positivo(陰と陽)」。 このリトグラフを使った平面作品は単純な色と形によって構成されたものですが、見方によって図と地が入れ替わることを狙った作品だと、ムナーリ自身が説明しています。確かに見ていると、色の濃度の違い、彩度の違いと、平面における面積比によって、同じ一枚の絵の中で、図と地が入れ替わるような感覚を思えます。 ムナーリの生きた時代というのは、グラフィックアートやグラフィックデザインの分野で、具体的な方法論の模索が積極的に行われた時代だと思いますが、「negativo positivo(陰と陽)」もまさにそうした時代にふさわしい認知的実験がアート/デザイン的な手法をもって行われた重要な作品だと…

続きを読む

朝鮮陶磁‐柳宗悦没後50年記念展/日本民藝館

さて、1つ前のエントリーでは先週の土曜日に行った横浜・そごう美術館での「尾久彰三コレクション 観じる民藝」展について紹介しましたが、そこで古民藝の魅力-特に朝鮮陶磁器の魅力-にすっかりやられてしまった感があったので、今日(日付は変わりましたが)は日本民藝館で行われている「朝鮮陶磁‐柳宗悦没後50年記念展」に行ってきました。 会期が明日の日曜日まで、ということで急いで。 日本民藝館に行ったのは、もう何度目か忘れましたが、今回の展覧会もまた良かった。 こういう品々をみると、心が洗われた気がするのは、なぜなんだろう?

続きを読む

尾久彰三コレクション「観じる民藝」/横浜・そごう美術館

すでに1週間前のことになってしまいましたが、先週の土曜日に、横浜のそごう美術館で行われている、「尾久彰三コレクション 観じる民藝」展に行ってきました。 この展覧会は、すでに紹介した『観じる民藝』(書評)を通じて知ったもので、同書にも掲載されていた尾久さんのコレクションが一堂に展示されていました。

続きを読む

私と踊って/ピナ・バウシュ ヴッパタール舞踊団

ちょうど1年ほど前の2009年6月30日、ドイツのヴッパタール歌劇場バレエ団の芸術監督であるピナ・バウシュが急逝した。 6月8日から13日にかけて、新宿文化センター大ホールで行われたヴッパタール舞踊団の公演「私と踊って」は、彼女の追悼公演である。 その公演を6月9日の水曜日に観に行った。 僕がピナ・バウシュの作品を観たのは、今回が2回目である。 1993年に同じく新宿文化センターで「山の上で叫び声が聞こえた」が観て以来なので、実に17年ぶりだ。当然、僕もまだ20代前半である。彼女が創出した“タンツテアター”の独特の世界を観じながらも、暑い夏の日だったこともあってか、途中何度か寝てしまったことを覚えている。 それ以来のピナ・バウシュの作品観覧である。 結果から言うと、今回は眠るどころか、終始舞台で演じられる密度の濃い世界に圧倒され続け、終わり間近には自然と涙が出た。

続きを読む

ルーシー・リー展/国立新美術館

昨日は六本木の国立新美術館で開催中のルーシー・リー展を見に行った。 先週観た「オブセッション - Obsession/勅使川原三郎、佐東利穂子」とは、ダンスと陶芸と分野はまったく異なるものの、同じような感動を覚え、同じような思考が働いた。 ルーシー・リーは、20世紀を代表する陶芸家の一人。 1902年にウィーンの裕福なユダヤ人家庭に生まれ、工芸美術学校で轆轤の魅力に取り付かれ、陶芸活動を開始している。数々の賞をとりながら新鋭陶芸家として注目されるようになる。 戦争の気配の迫る1938年、ロンドンに亡命。日本民藝運動とも関わりのあったバーナード・リーチなどとも交流を深めながら、1995年、自宅で93年の生涯を閉じるまでロンドンの工房で制作活動を続けている。 今回は、没後初の本格的な回顧展で、250点の作品が公開されている。

続きを読む

オブセッション - Obsession/勅使川原三郎、佐東利穂子

今回は昨日(24日)渋谷のBunkamuraシアターコクーンで観た、勅使川原三郎、佐東利穂子のダンスデュエット「オブセッション - Obsession」について書こうと思う。 このブログでは、初の公演評かもしれない。 とはいえ、公演を見ていない人にダラダラとその内容だけを語ってもつまらないだろう。それよりも僕がその公演を観る前後で感じたこと/考えたことを中心に綴ってみたい。 語り口は以下の5つ。 何かを表現したのではない痙攣する身体/プレ身振り重ね書き/削除/変容定義から零れ落ちるもの生態学的デュエット この5つの切り口で話を進めたいが、本題に入る前にすこしだけ、勅使河原さんのことを紹介しておこう。 勅使河原さんは、1985年に結成したKARASというグループとともに、ソロ作品、グループ作品、そして今回のデュエット作品などのダンス作品を国際的に発信している、世界的な評価も高いダンサーだ。既存の枠組みに捕われない独創的なダンスのみならず、音楽や照明、衣装なども含めた総合的な舞台美術も自ら手がけ、非常にユニークな舞台作品を生みだし続けている。 「詩のことば、合理の言語」というエントリーで紹介した、昨年末の、連塾JAPAN DEEP4「年末の胸騒ぎ、日本の武者震い」で紹介されていたビデオによれば、海外の視覚に障害をもつ子供たち向けにダンスのワークショップを開催し、その子供たちによる作品も制作していたりもする。 その他の詳しいプロフィールは下記で見てみてほしい。…

続きを読む

rien村@小さな世界の大きな想い

駒場東大前で「棟方志功 倭画と書の世界」をみたあとは代官山に移動して、rien村にお邪魔してきました。 手前の三人は、rien村の住人・やさぐれじゃが君たちです。 はじめまして。 rien村はこちらです:http://erien.jp/

続きを読む

棟方志功 倭画と書の世界

東京・駒場の日本民藝館で行われている特別展「棟方志功 倭画と書の世界」に行ってきました。 日本民藝館に行ったのはちょうど一年前くらいの特別展「琉球の織物」以来です。 特別展「棟方志功 -倭画と書の世界-」会期:2009年3月31日(火)―6月14日(日) ※毎週月曜日休館開館時間:午前 10 時 - 午後 5 時(入館は 4 時 30 分まで)アクセス:京王井の頭線「駒場東大前」駅 西口より徒歩7分併設展示:日本の民窯、東北地方の工芸、朝鮮時代の陶磁、アフリカの工芸、濱田庄司・河井寛次郎作品ほか展覧会の詳細情報:http://www.mingeikan.or.jp/html/exhibitions-events-mingeikan.html 棟方志功さん(1903~1975)といえば、躍動感あふれる板画(はんが。棟方は「板から生れた板による画」という意味で「版画」を「板画」と呼んだ)で知られていますが、本展では、その最もよく知られた板画作品ではなく、肉筆である倭画と書が併せて100点ほど展示されていました。

続きを読む

大琳派展 ~継承と変奏~ 尾形光琳生誕350周年記念

あっという間に過ぎた一週間。 そういえば、先週の日曜日に上野の東京国立博物館で開催されている「大琳派展 ~継承と変奏~ 尾形光琳生誕350周年記念」に行ってきたこともまだブログに書いていなかったっけ。 琳派は、尾形光琳(1658~1716)が大成させた絵画・工芸の一派。狩野派のような世襲による継承ではなく、光琳自身が本阿弥光悦(1558~1637)、俵屋宗達(生没年不詳)に私淑したように、光琳の弟である乾山(1663~1743)、琳派の生まれた京ではなく江戸の地で光琳顕彰に力を注いだ酒井抱一(1761~1828)やその弟子の鈴木其一(1796~1858)にしても、光琳を慕ってその画風を継ぐという特殊な形で継承されました。 その継承のされ方は、宗達から光琳へ、光琳から抱一、其一へと受け継がれた風神雷神図や、夏秋草図、槇楓図、『伊勢物語』から題材を得た燕子花図など、同一の画題を受け継ぎ変奏していくという様にも見てとれます。

続きを読む

狩野芳崖 悲母観音への軌跡

昨日の日曜日に、東京藝術大学大学美術館で行われている「狩野芳崖 悲母観音への軌跡-東京藝術大学所蔵品を中心に」を見に行ってきました。 展覧会名狩野芳崖 悲母観音への軌跡-東京藝術大学所蔵品を中心に会期2008年8月26日(火)-9月23日(火・祝)会場東京藝術大学大学美術館 展示室1,2(地下2階展示室)詳細情報東京藝術大学大学美術館HP「狩野芳崖 悲母観音への軌跡-東京藝術大学所蔵品を中心に」 狩野芳崖の絶筆『悲母観音』は、日本画の幕を開けた記念碑的作品といわれています。 僕らはいま「日本画」の存在を疑いませんが、芳崖の『悲母観音』以前に「日本画」などというものは存在しなかったのです。 日本画という名称自体は明治初期の東京美術学校の「日本画科」のために、とりあえず岡倉天心によって用意されたものにすぎなかった。洋風画(洋画)あるいは「西洋画科」との対比のためである。それまでは日本画などという言葉はなかった。 松岡正剛『山水思想』 東京美術学校はいまの東京藝術大学の前身です。芳崖はこの東京美術学校の教官に任命されていたが、開校の前年に『悲母観音』を遺してなくなっています。その東京美術学校で「日本画科」がつくられる。その「日本画科」において、そして、いまの東京藝術大学にとって芳崖の『悲母観音』は、最初の「日本画」として至宝となります。

続きを読む

スーパーエッシャー展 ある特異な版画家の軌跡

渋谷の東急で行なわれている「スーパーエッシャー展 ある特異な版画家の軌跡」に行ってきました。 スーパーエッシャー展 公式サイト http://www.ntv.co.jp/escher/ Bunkamura スーパーエッシャー展 特集ページ http://www.bunkamura.co.jp/shokai/museum/lineup/06_escher/index.html 今回は、オランダのハーグ市立美術館から約160点の作品、資料が紹介されています。中には、エッシャー手書きの制作ノート《エッシャーノート》も出品されていました。 エッシャーとペンローズエッシャーといえば、水が下から上へ流れる『滝』や、白い鳥と黒い鳥が互いに図と地の関係を織り成す『昼と夜』などのだまし絵が有名ですが、今日見たかったのは、ペンローズが次のように指摘する『円の極限』に代表されるような「正則分割」の技法を使ったシリーズ。 ロバチェフスキー幾何学を想い描くのに一番いい方法は、エッシャーの版画を見ることである。エッシャーは『円の極限』と名付ける作品を何点か作った。そして図1-17に示したのが『円の極限4』である。これはエッシャーが宇宙を描いたものであり、見ればわかるように、そこは天使と悪魔がいっぱいである! 注目すべき点は、円の端に向かうにつれて、絵が非常に込み入ってくるように見えることである。そのように見えるのは、普通の平らな紙の上(言いかえればユークリッド空間)に双曲型空間が描かれている…

続きを読む