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April 20, 2006

無慈悲で冷たい社会

 日本人は本当に未来予想が好きらしく、昔からこれからの日本はこうなると言う内容の本が山のように出ているが、その中で最近気になった本の一つがこれから取り上げる「自己愛型社会」と「10年後の日本」である。
 「10年後の日本」の方は機会があればいずれ取り上げるとして、自己愛型社会の興味深いところは社会のあり方を「自己愛」を切り口に分析している所だ。こう書くとなんだかトンデモっぽい感じがするが、ローマー帝国やオランダを例に取った分析は今の日本などとも共通する点が多々見られ、その正確な指摘と非常にわかりやすい内容に驚かされる。本の中では自己愛型社会が終わった後に、どういう時代が来ようとしているのかにも触れている。その部分は悲観的なトーンに満ちているが、まさにこれからの日本のあり方を予言しているかのようである。以下がその抜粋である。

 豊かさが翳り始めた社会は、次第に余裕を失い、傷つきに囚われた者を手厚くケアし、そのために多大な費用をつぎ込み続けることに疑問を抱き始める。破綻した財政も、それを事実上困難にする。その結果、社会は弱い者や依存的なものやドロップアウトしたものにたいする関心や配慮を失っていく。社会は競争による淘汰を復活させ、自己責任と自助努力を重視し、敗者や弱者に対して冷淡になっていく。
 福祉や労働保障も大盤振る舞いを止め、効率重視や、自立を促す方向に見直されていく。アメリカやオランダでは、すでにそうした変化が起きている。
 こうした過程と平行して起こるのが、非共感的な利益至上主義や効率重視の浸透である。利益と効果だけを追求し、人間を利用価値だけで計り、不必要な人間を見捨てることにも呵責を覚えなくなる。さらにそれが徹底されると、冷酷で、打算的で、弱肉強食の競争原理だけを信じる<無慈悲で冷たい社会>が現実となっていく。狡く、非情なものが勝者となり、誠実で、情け深い者は敗者となり、一度でもしくじった者はバッシングされ、切り捨てられる。良識も仁義も失われた、冷たくてエゴイスティクな社会。それは自己愛型社会のなれの果ての姿である。
 反動はとかく行き過ぎたものとなる。その結果、貧富の格差や機会の不平等に対する配慮が失われ、社会の再階層化が起こる。反映を享受する特権階級と、それから閉め出された階層の差が膨らんでいく。共同体内部に生じた格差は、自己愛の満足を得るチャンスを奪われた階層が生み出す。自己愛障害はより深刻なものとなる。それは熱狂的な「誇大な自己愛」の充足によってしか、バランスが取れないものになっていく。
 アメリカで起きている貧富の差の拡大は、抑圧された階層の恨みを深め、政治的、宗教的カリスマの期待を高めている。日本にも同じような二極化が進めば、不安定さが増すことになる。

この本が書かれてもうすぐ1年、社会はだんだんとここに書かれているものに近づきつつある気がしてならない。

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Comments

日本:

1.家族の崩壊により、不要な家族を切り捨てる方向へと進むのではないでしょうか。自己愛が最も培養・爆発するのは家庭内。今や家庭内の犯罪は過去十年前とは比較にならない。

2.寄付をしない。ドケチ。すべて自分のもの。
moneyがすべて。根っからの守銭奴。ポジティブに言えば和僑。
すぐに「○○を仕事にする」「金になるか?」と言う。文化・教養にはあまり興味なし。親世代が特にがめつい。自分の子供に上記のような発言をする。

Posted by: 家庭を憂う | June 20, 2013 12:05 AM

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