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2010.03.05

抗鬱剤は中度から軽度の鬱病には効かないという話

 ホメオパシー(homeopathy)という代替医療がある。健康な人間に投与すると特定の病気と類似の症状をひき起こす物質を、その病気の症状を示す人にごく少量投与することで治療になるというのだ。そんなのは偽科学だろうという非難はネットに多いし、私もホメオパシーは偽科学ではないかなと思っている(とはいえ実際にバリ島でファイアーアントにやられ腕が火膨れのようになったとき、知人の米人が処方してくれたホメオパシー薬で快癒した経験があるのだが)。先日のエントリ「[書評]代替医療のトリック(サイモン・シン、エツァート・エルンスト): 極東ブログ」(参照)の該当書も、ホメオパシーを闇雲に偽科学と断罪するのではないものの、無効であるがゆえに社会的に有害な治療だと論じていた。
 欧米の文脈ではそういう議論もあるだろうと思うし、そうした議論の興隆から英国では先日、英国民保険サービス (NHS: National Health Service) によるホメオパシーへの財政支援が廃止された(参照)。妥当な判断であると思うが、改めてその理由を問うと、ホメオパシー薬による治療はプラセボと変わらない効果しかないということだった。その話はサイモン・シン氏らの同書にもあった。なお、プラセボというのは比較対照用に効果がないようにできた偽薬である。
 が、同書にはもうちょっと面白い経緯も書かれていた。過去の臨床試験の分析を包括的に再分析するメタアナリシスをしたところ、ホメオパシーについてプラセボを上回る効果が見いだせたことがあった。1997年、権威ある医学誌「ランセット」に掲載された論文である。そんなバカな。轟々たる非難が沸き上がり、批判点を考慮して再度メタアナリシスをしたところ、今度は、ホメオパシーの効果は不明となった。無効ではなかったのである。そんなバカな、アゲインである。かくして別の学派がさらに徹底してメタアナリシスを行ったが、また似たような結論が出てしまった(「平均してみると、ホメオパシーには、プラセボに比べてごくわずかながら効果が認められたのだ」)。しかも、プラセボよりごくわずか効果がありそうだ。とはいえ、概ねホメオパシーの効果はプラセボと変わらないといえる。それで許してやろうじゃないか。この研究もランセット誌に掲載され、一連の話は、終わったことになった。結論、「ホメオパシー・レメディのアルニカに、プラセボを超える効果があるとの主張は、厳密な臨床試験からは支持されない」。
 シン氏は先の書で、この結果にやや不満だったのか、鍼治療に効果がないとしたコクラン共同計画を引き合いにして、「コクラン共同計画は、本当に効果のある薬の場合、有効性はきわめて安定しているため、さまざまな方法で検証できるという点をあらためて次のように述べている」とした。効果のある治療なら科学的に明白な結論になるはずだというわけだ。そうではない結果しか出てこないホメオパシーは、だから、問題があるのだという筆法である。
 ほんとかな。
 どうもそうでもなさそうなのだ。話はホメオパシーではない。抗鬱剤だ。抗鬱剤として認定されている薬剤に本当に効果があるんだろうか。つまり、プラセボを超える効果があるのだろうか。1998年コネティカット大学の心理学者アービング・カーシュ(Irving Kirsch)氏がメタアナリシスをしてみた。すると、偽薬との差はあまり出てこなかったのである。まったくないというほどのことはないが、抗鬱剤の効果の75%はプラセボであるという結論になった。そんなバカな。
 さらに研究が進んだ。2002年にはプラセボの効果は82%まで上がった。あー、つまり、抗鬱剤として処方されている効果の8割がたはプラセボなのである。しかも効果アリのアリの部分もそれほどたいしたことがなかった。シン氏がコクラン共同計画を引いて大見得を切ったような結果は出てこなかったのである。
 この話のネタ元は、ニューズウィーク「The Depressing News About Antidepressants」(参照)である。気になる人は読んでみるとよいだろう。日本語版ニューズウィークの3・10号にも翻訳記事がある。このネタがジャーナリズムに吹き出したのは、同記事にも紹介があるが、権威ある医学誌のJAMA(Journal of the American Medical Association)誌の今年の一月に掲載された「Antidepressant Drug Effects and Depression Severity」(参照)が背景になっている。
 同論文によると、ハミルトン鬱病評価尺度(HAM-D)による重度のうつ病患者には、抗鬱剤は有効といえるものの、中度から軽度の場合(HAM-Dで18以下)では、プラセボに対する優位性は無視できるほどに小さく、ないといってもよいものだった。鬱病患者に占める重度の割合は13%ほどなので、つまり、大半の鬱病患者には抗鬱剤を処方する必要がないという結論になる。これは、私の素人判断ではなく、共同研究者のホロン(Steven D. Hollon)氏によるものだ("Most people don't need an active drug")。
 どうしてこんなことになってしまったのだろうか? そもそも、なんでそんな薬が米食品医薬品局(FDA)に科学的な手順で認可されてしまったのか。何か間違いがあったのだろうか。ない。FDAの認可では鬱病の重症患者を対象していたためだ。ではなぜ、ここに来て抗鬱剤は効かないという話題が吹き出したかに見えるのか。私の個人的な見解をどさくさに紛れて言うとジェネリックになったからじゃねというものだが、それはちょっと科学的にはどうよという見解でもあるのでなんとも言えないことにしておきたい。それにしても不思議なことになってしまった。重症の鬱病でなければ抗鬱剤の効果の議論は医学的にはホメオパシーと同型であったとは。

cover
いやな気分よ、さようなら
自分で学ぶ「抑うつ」克服法
 いやそう不思議でもない。この話は、ニューズウィーク紙の記事でも言及されているが、実際にはすでに広く知られていることでもあった。BMJのクリニカル・エビデンス(参照)でもすでに概ねそのように示唆されているし、認知療法も同程度の効果であることを明記している。もっとも、それをもって鬱病に医学的な対応ができないというわけでは全然ない。先のカーシュ氏の見解は示唆深い。

As for Kirsch, he insists that it is important to know that much of the benefit of antidepressants is a placebo effect. If placebos can make people better, then depression can be treated without drugs that come with serious side effects, not to mention costs. Wider recognition that antidepressants are a pharmaceutical version of the emperor's new clothes, he says, might spur patients to try other treatments. "Isn't it more important to know the truth?" he asks.

カーシュ氏について言えば、彼は抗鬱剤の効果の大半がプラセボだと知るのは重要だと主張している。もしプラセボで改善するなら、鬱病は、価格については問わないとして、深刻な副作用のある薬剤なしで治療できることになる。抗鬱剤というものが、薬学上の「裸の王様」だという認識が広まれば、患者が他の治療をする励みにもなると彼は述べ、こう問いかけもする、「真実を知ることは重要じゃないかね」。


 他の療法の代表としては認知療法があるだろうが、薬物療法の双方をどのようにバランスよく見ていくかというなら、多少高価な書籍の部類になるが、デビット・D・バーンズ著「いやな気分よ、さようなら」(参照)は懇切に書かれているので参考になるかと思う。

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