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2007.03.07

[書評]明暗(夏目漱石)

 昨年末”極東ブログ: 漱石のこと”(参照)で漱石が、今の私の年齢である四九歳で死んだことを思い出し、うかつだった、しまった、「明暗」(参照)をまだ読み終えてないぞ、と焦り、手前が五十になる前に読まなくてはと決意していた。そんなふうに本を読むもんじゃないのかもしれないが、先のエントリでも書いたように漱石の文学は自分の人生に決定的な意味をもっていたし、人生の航路に合わせて読んでいこうと決意していた。なにより今「明暗」を読まなくては。そして、読み終えた。

cover
明暗
夏目漱石
 無性に面白かった。なぜ今まで読まなかったかと悔やまれるかというと、それほどでもない。自分と同い年の漱石と一緒に思索しつつ、対話しつつ読む実感があり、これはかけがえのない喜びでもあった。漱石先生、そうです、五十歳を前に死を覚悟して、この人間世界を見つめたとき、これだけが問題ですね、と。実際の読者の幅としては、三十代前半で読むと、夫婦関係や親族関係などのどろどろがリアルになってよいかもしれない。女性なら二十代で読むと共感するところが多いだろう。
 無性の面白さという点だが、ユーモアがベースになっていることだ。前作「道草」には救いがない。人生何も変わりゃしない、生まれついた運命てふものはある、女なんてものはそんなものだ、といった途絶の感覚があった。「明暗」もその延長にあるのかとなんとなく思っていたのだが、そうではない。「道草」のような独自の中年男的な暗い内省もあるにはあるが、全体としてはトマス・ハーディ的な運命と不幸の仕掛けが、しかしその劇的な光景においてスラップスティック的などたばたとなることで、人間存在そのものの喜劇性がふんだんに開示されている。読みつつ、何度も何度も爆笑した。すげーです、漱石先生、GJ!
 この悪い冗談やめれ的な爆笑の面白さは、ひどく矮小化すれば「鬼バカ(渡鬼)」だと言っていいくらいだ。新聞小説だから大衆を意識して書かれたというのではない。人間関係の悲劇というものにあまりに冷徹に直面してそれを描き上げると、運命と化した筆致が滑稽に極まるものだ。その意味で「明暗」は「我が輩は猫である」と近い作品という要素もあるなと思った。
 特に、主人公津田を見舞いに来る人々の運命の采配に模された部分の小説の企みが巧緻極まっている。これだけ仕組まれた作品なら、未完とはいえ残された断片から最終ピースが完成できると思いたくもなる。最終シーンを決定づけるのはお延の勇気であることは間違いない。また、そのクライマックスは小林の勝利を逆説的に喜劇、つまり喜ばしきものと転じ、津田が蘇生するところにあるのも、ほぼ間違いないように思える。まあ、そのあたりはいろいろな読みがあるのだろうし、未完の唐突が残したプレゼントでもあろうが。
 かつて漱石の作品を読んだように、この小説が私の心にジンと訴えかけてくるものは、漱石の意図そのものでもあるように、世間の人間の醜さとそれに順応すべく本心を隠蔽して生きる大人の権力闘争である。その意味で、この小説は極めて人間関係の醜悪さに満ちているのだが、そこに五十年生きた人間経験の裏打ちがある。漱石は人間関係の虚偽を暴き出すために、真実と運命の鉈をあちこち振り回すのが滅法面白い。そうした小説的な人間の真実というものの、世間ずれした凶暴性は、なんのことはない日常性のなかに隠れているのだし、この小説では津田の思い人清子の転心は、むしろ実験小説的な仕掛けでもあっただろう。が、小説上の仕掛けとして見れば、書かれなかった結末に関係するだろうが、対津田というより、吉川夫人への反意かな。
 現実の一人の中年男としてこの小説を読むと、私自身が津田に近いメンタリティがあるせいか、いつまで経っても青春へのケリの付けられなさや女との関係性みたいものが、胸にちくちくくる。いやぁ、これは痛い、と。
 それにしても、これはすごい小説だ。こんなものを近代日本人は読み続けながら、大正・昭和初期があったのだろうなという歴史の感覚も再考させられた。特に女たちはこの小説をどう読んできたのか気になった。「明暗」に描かれる女は現代の女とほとんど変わらないように思える。あるいは西洋人の心性にも近い。余談だが、お延の相貌は寺島しのぶに思えてしかたなかった。
 あと数点。
 この小説は非常に色彩に満ちている。なぜこんなに絢爛なのだろうかと不思議にすら思った。漱石の美観というのを考え直したくなるほど。
 「明暗」はインターネット上では現在青空文庫に収録されている(参照)ので無料で読むことができる。難しい言葉や言い回しは字引に当たれば粗方わかるだろう。が、新潮文庫版は註の良さとしてお勧めできそうだ。あと、小説慣れしてない人なら、登場人物のリストをウィキペディアから取り寄せて栞にしておくと読みやすいかも。ちょっと手を入れておく。

津田由雄
 主人公。三十歳の会社勤め。美男子だが痔主。会社の上司が吉川。
お延
 津田の妻。二十三歳。新婚半年。夫に愛されているか疑念を持つ。お嬢様育ち。
お秀
 津田の妹。美人。津田と兄弟らしい愛憎の心理を持つ。
吉川夫人
 津田の会社の上司の妻。四十代。デブ。津田に清子を紹介、後にお延を紹介する。
岡本家
 お延の親代わり(つまり事実上実家)。伯母はお住。夫は吉川と友人関係にある。
藤井
 津田の叔父。文筆家。津田の親代わり。子に真弓、真事らがいる。
小林
 津田の悪友。津田のようなプチブルからするとうさんくさい人間の象徴。
清子
 かつて津田と愛し合ったが、一年ほど前に別れ、関という男と結婚した。

 私は新潮文庫を購入した。巻末解説が柄谷行人なんで、うげと思い岩波文庫を手にしたらそっちの解説のほうがドンビキだったので、結局新潮文庫にした。新潮文庫のは注解が煩くない程度に入っているのだが、要所でさりげなくきちんと読者を指導するメモが含まれて驚いた。柄谷が入れたのだろうか。
 清子の流産について津田の子供という可能性はないかちと考えた。

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コメント

>最終シーンを決定づけるのはお延の勇気であることは間違いない。
御意。
水村美苗の「続・明暗」、結構おすすめです。
ま、女子目線が強いですが、「明暗」における断片をなかなか上手く回して書かれてます。

投稿: 茄々子 | 2007.03.07 23:40

寺島しのぶにお延のちょっとこざかしい機知を表現するのは無理なような。昔の大竹しのぶだったら...って思いましたね。
もし完結されていたら、そのお延、自殺していたんだろうなーと思ったものですが、的はずれでしょうか? それも勇気といえるかもしれませんが。

投稿: kiku | 2007.03.08 01:55

>全体としてはトマス・ハーディ的な運命と不幸の仕掛けが、しかしその劇的な光景においてスラップスティック的などたばたとなることで、人間存在そのものの喜劇性がふんだんに開示されている。

トマス・ハーディ的かどうかはさて置き、
私としては、以上のような構図には……
『ライフ・オブ・ブライアン』文字通りの終曲、磔刑に処せられる群衆が口ずさむ「Always Look On The Bright Side Of Life」がたまらなく微笑みを誘うのが思い出されます。

ふと道端で、拙いながらも吹きたくなるあのマーチが……

投稿: 夢応の鯉魚 | 2007.03.08 16:00

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