最低賃金引上げは最大の成長戦略@富士通総研
富士通総研の根津利三郎氏が、標題のようなコラムを書いています。その趣旨は、かつてドーア先生が主張されたこととよく似ています。
http://jp.fujitsu.com/group/fri/column/opinion/200912/2009-12-1.html
その論理は、既によく論じられてきたような
>おりしも日本経済をデフレが襲っている。・・・・・・・賃金の長期的下落は需要の減少を通じてデフレを引き起こすことになった。したがって、このデフレ克服を新政権の経済政策の中心課題とするならば、賃金を傾向的に引き上げていくことを考えなくてはならない。・・・・・・・筆者は民主党がマニフェストに掲げた最低賃金の引き上げが1つの答えになると考えている。・・・・・・低所得者の限界消費性向は高いという経済学の常識が当てはまるとすれば、これは相当の需要拡大につながる。
ということに尽きるのですが、このコラムの興味深いところは、最低賃金を引き上げたりしたら雇用が失われるとか、いうたぐいのよくある批判に対するなかなか説得力ある反論をきちんと提示しているところです。
>当然反対論は強い。労働も1つの財だから、価格〔すなわち賃金〕が上がれば、それに対する需要すなわち雇用機会は失われる、と常識的には考えられる。だが、労働に対する需要は派生需要だ。国民の購買力が高まれば財・サービスに対する需要が増え、その結果、雇用も拡大するという効果が期待できる。一時的には雇用が減ってもすぐに元に戻るはずだ。 最低賃金引き上げの議論をすると、経営サイドからは「日本は中国などアジアの低賃金国と競争をしているから欧米諸国と比較されても困る」という反論が返ってくる。だが、米国も欧州諸国もわが国同様に中国との競争にさらされている。中国からの輸入額をGDPと比較すると、概ね2%程度でわが国と大きな差はない。それでも各国とも工夫しながら、高い賃金で雇用を維持している。勿論、彼らのほうが失業率も高いし、問題なしとしないが、日本だけが中国やアジアの企業と競争していると考えるのは誤りだ。
あるいは、よくある企業がアジアに逃げ出すぞという脅し文句に対しては、
>賃金を強制的に上げれば近隣のアジア諸国に工場ごと脱出してしまい、雇用は失われるという主張もある。このような議論が当てはまるのは、日本の雇用の2割を占める製造業の一部だけであろう。8割を占める第三次産業の場合、サービスや流通業など消費者に直結する産業が大半だから、海外への移転ということはあり得ない。低賃金が存在するのは飲食店や流通業など比較的単純労働のサービス業ではないか。ところで、わが国製造業は本当に中国と低賃金で勝負しているのだろうか。そのような製造業はとっくに海外に移転してしまったのではないか。スキルも経験もなく単に低賃金だけに頼って競争しているような企業が日本にそれほど多くあるとは考えられないし、そのような企業をいつまでも日本に留めるために低賃金を維持するというのは疑問視せざるを得ない。もし大企業が下請け企業に低賃金を押し付けているというのであれば、そのこと自体が問題ではないか。
そして、
>低賃金で働く労働者のうち、実は平均所得以上の家庭の主婦や学生が半分も含まれている、という最近の研究結果がある。そうかもしれない。だが、筆者はもともと貧困対策のために最低賃金引き上げを主張しているのではない。デフレスパイラルを断ち切ることが目的であるから、このような生活に困っていない人たちの賃金が多少上がったからといって何も悪いことはない。彼らは多くの場合、扶養家族の所得控除の上限である103万円までしか働かないから、彼らの時給が上がればその分労働時間は短くなり、収入自体は変わらないであろう。むしろ仕事を探している他の人にとっては雇用機会が増えることになるのではないか。
とりわけ、興味深かったのは、賃上げコストを積極的に商品価格に転嫁することによって、デフレから脱却するという戦略を明確に示している点です。
>コストアップになった分は製品やサービスの価格に転嫁すべきことは言うまでもない。その結果、物価が上昇し、デフレが収まることが何よりも必要なのだ。個別企業の視点からすれば、「この厳しい経営環境のときにさらに賃金を上げたら、とってもやっていけない」という議論になる。しかし、インフレになることにより実質賃金はそれほど上がらないし、最低賃金の引き上げを全国一律に実施すればお互い競争条件は変わらないから、一部の事業者が不利になることはないし、値上げもやりやすくなるであろう。それを契機にもう少し賃金の高い労働者の賃金も上がるのであれば、なお結構なことだ。10年も続いた傾向を断ち切るのであれば、それなりの大胆な政策が要る。最低賃金の引き上げは一考に価すると考えている。
(参考)
http://select.nytimes.com/2006/07/14/opinion/14krugman.html?_r=1
>Can anything be done to spread the benefits of a growing economy more widely? Of course. A good start would be to increase the minimum wage, which in real terms is at its lowest level in half a century.
By PAUL KRUGMAN
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企業が一斉値上げしてその後売上量が元に戻るまで倒産や解雇などで雇用が減らなければ、需要拡大効果があると思いますが、実際問題としてその仮定はあまりに非現実的なのではないでしょうか?
投稿: charley | 2009年12月 6日 (日) 14時19分
アメリカは、最低賃金を5ドルから7ドルへとここ数年のうちに引き上げました。その結果として、失業率は25年ぶりに10%まで上がりました。
これは理論でも簡単に説明できますし、John Taylor教授も、以下のブログで説明しています。つまり、理論でも事実としても、明らかです。
http://johnbtaylorsblog.blogspot.com/2009/10/beautiful-model-clear-prediction.html
しかしながら、「最低賃金の引き上げ→インフレ」という事実があったのでしたら、教えてほしいです。私も、この仮定は非現実的すぎだと思います。なぜ、この仮説を濱口先生がここで取り上げたか理解できません。
投稿: yamato | 2009年12月 7日 (月) 19時49分
こぞって円高還元セールとかやってるご時世では
外国産のシャア増で終りそうな予感
投稿: どらどら | 2009年12月 7日 (月) 21時29分
濱口先生、はじめまして。私は根津氏の意見に同意します。
最低賃金を上げると失業率が上がるということは、下げれば失業率が下がるということでもありますが、日本はそういう状況ではないと思います。John Taylor教授のグラフで言えば、日本は端に振り切っている状態で、別の要素により底を打っていると思います。
今回、アメリカの最低賃金と失業率が連動してるのは確かでも、すべての国における最低賃金の引き上げが常に失業率の上昇をともなったかというと疑問です。アメリカと日本は不況の構造が全く違うので、あまり参考にならないと思います。最低賃金はあくまでも失業率を決める要素の一つでしかなく、現在の日本では大きな影響力を持たないのではないかと考えます。
日本の雇用を決定しているのは、総需要の不足で、モノが高くて売れないのではなく、モノの量が需要に対して十分なので売れないのではないでしょうか? その場合、生産を増やす必要はないのですから、雇用を増やす理由がなく、最低賃金を下げてモノの値段を下げても、失業率を下げることはできません。すなわち、最低賃金を上げても失業率を上げることはできません。
輸出に不利になるのは間違いありませんが、それは本来、円安誘導で対応すべきで、円の価値を薄める、破壊する政策が必要と思います。また根津氏の指摘通り、最も影響を受けるのは国内産業なので、海外との競争関係にありませんし、また最低賃金を上げるといっても、段階的に上げるでしょうし、またその政策だけを単独で行うわけでもなく、補完する他の政策とセットで実行するでしょう。
最低賃金の引き上げは、マイナス点よりもプラス点の方が勝っているのではないかと思います。最低賃金を上げるべきとしている人たちをざっと探しても、山家悠紀夫(経済学)、門倉貴史(エコノミスト)、橘木俊詔(公共経済学)、立木信(ジャーナリスト)らがいます。彼らにはより詳しい分析や根拠があると思います。
投稿: akira | 2009年12月 8日 (火) 13時37分
最低賃金の引き上げは、実証分析を俯瞰する限り、そのしわ寄せが特定の属性を持つ人たちに集中しがちであること(たとえ失業者数が変わらなくても、万遍なく失業から雇用に戻る一方で、特定層だけはそこからこぼれる、また新たに失業する、という形になる)、そしてその層は「雇用される」ということによる以外の社会保障が行きにくいということ、といった問題点があります。
それよりは、現在のように普通に金融政策でデフレを断ち切る方がよほどよいでしょう。別に切れるからといって料理にノコギリを使う必要はありません。適した包丁を使うべきです。
投稿: cimans | 2014年1月21日 (火) 12時17分
先日、NHKのクローズアップ現代で「深刻化する若年女性の貧困」の問題を取り上げていました。その中で、次のような実情が紹介されていました。
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(ア) 働く女性2770万人のうち非正規雇用で働く女性の割合は57.5%にのぼる。
(イ) 単身女性の3分の1が年収114万円未満の「貧困状態」にあり、若年女性の貧困問題が深刻化している。
(ウ) さらに深刻な状況にあるのが10代20代のシングルマザーで、およそ80%が年収114万円未満の貧困状態にある。
(エ) 現在は非正規雇用で働く若い女性の割合は57.5%と男性の2倍以上ある。
(オ) 青森県から上京した19歳の女性は、朝10時からファミリーレストラン、午後はピザ屋のバイト、夜は深夜までスナック勤め・・・それでもバイト代は月に10万円前後。
(カ) 生活困難な状況が次世代に受け継がれる階層化が進行している。
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ここで問題なのは、最低賃金が低いというところに問題があるように思います。
日本の最低賃金は、都道府県によって違うようですが、平均すると764円と、フランスの9.43ユーロ(約1311円)、英国の6.31ポンド(約1055円)、米国の8ドル(約818円)より下にあるようです。米国では、オバマ大統領が最低賃金引き上げを表明しています。
OECD Economic Policy Reforms 2011によると、日本の最低賃金の相対水準(賃金分布の中央値に対する相対値)は36%と先進国中最も低いレベルにあるとのことです。一方、フランスでは60%の水準にあります。
最低賃金の引き上げは、検討すべき課題のように思います。根津氏が論じているように、デフレの克服という論点から検討すべきだという点については大いに賛成するところです。今、雇用の規制緩和を議論する中で、多様で柔軟な働き方を進めていく方向にありますが、このような、論点からも、最低賃金の引き上げについて検討するべきだと思います。
最低賃金の引き上げの議論がなぜ必要なのか、以下にいくつかの論点を提示します。
1. 正規雇用と非正規雇用の線引きがあいまいになってくる中で、非正規雇用を正規雇用にするという議論とともに、非正規雇用の待遇を引き上げるという議論も必要です。最低賃金の引き上げにより、非正規雇用の待遇は改善されるはずです。その結果、正規雇用と非正規雇用の格差も改善されると考えます。
2. 女性、例えばシングルマザーのようにアルバイトのような働き方しかできない場合、時間給が彼女の生活費になります。時間給の引き上げ(最低賃金の引き上げ)を検討するべきでしょう。日本の最低賃金の相対水準は、先進国中最も低いレベルにあります。このことは、最低賃金水準で働く人達の生活権が守られないということを示しています。
3. 正規も非正規も、労働時間あたりの賃金という捉え方が必要です。日本では長時間労働が当たり前ですが、労働時間あたりの単価ということになると、経営側の労働時間に対する考え方もシビアになるはずです。(だから、現状の日本の最低賃金は低いともいえます。)最低賃金(単位労働時間あたり)を引き上げることにより、長時間労働をさせるコストは高くつくことになります。
投稿: hiro | 2014年1月29日 (水) 23時56分