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2008年12月15日 (月)

中谷巌氏の転向と回心

9784797671841 中谷巌氏の『資本主義はなぜ自壊したのか-日本再生への提言』(集英社インターナショナル)という本を見つけました。

http://books.shueisha.co.jp/CGI/search/syousai_put.cgi?isbn_cd=978-4-7976-7184-1&mode=1

>「新自由主義経済学」は悪魔の思想だ!!
広がる格差、止めどない環境破壊、迫り来る資源不足、そして金融危機――すべての元凶は、資本主義にあった! 「構造改革」の急先鋒と言われていた著者が、いま、悔恨を込めて書く警告の書。

という内容自体は、実のところそれほど目新しいものではありません。スティグリッツやポランニーを引用して様々に説いている部分も、正直どこかで読んだ内容ばかりです。

目新しいのは著者の名前です。そう、あの「中谷巌」氏が、帯の文句を引用すると、

>リーマンショック、格差社会、無差別殺人、医療の崩壊、食品偽装。すべての元凶は「市場原理」だった。

と主張しているのです。

彼自身、前書きで、

>かつては筆者もその「改革」の一翼を担った経歴を持つ。その意味で本書は自戒の念を込めて書かれた「懺悔の書」である。まだ十分な懺悔はできていないかもしれないが、世界の情勢が情勢だけに、黙っていることができなくなった。

と述べ、また序章で、

>後で詳しく述べるつもりだが、細川内閣、そして小渕内閣において、筆者は規制緩和や市場開放などを積極的に主張し、当時の政府与党の政策の枠組みを作る手伝いをした。中でも、小渕内閣で筆者も参加した「経済戦略会議」の諸提言のいくつかが、後の小泉構造改革にそのまま盛り込まれている。そのことは筆者のうぬぼれではなく、小泉政権の中枢にあった竹中平蔵氏もしばしば言及されている事実である。つまり、私は間接的な形ではあっても、いわゆる小泉構造改革の「片棒を担いだ男」の一人であるのだ。

と述べているとおり、まさに90年代以来の市場原理主義のイデオローグの中心的存在であったのが中谷巌氏であってみれば、その当人が、

>新自由主義に基づく単純な「構造改革」路線で我々が幸せになれるなどというのは妄想に過ぎないということを痛感させられる。

>新自由主義の思想は、私たちが暮らす社会を個人単位に細分化し、その「アトム」化された一人一人の自由を最大限尊重するという思想だから、安心・安全、信頼、平等、連帯などの共同体価値には何の重きもおかない。つまりは人間同士の社会的つながりなど、利益追求という大義の前には解体されてもしょうがないという「危険思想」なのである。

とまで断言するに至っているというのは、知識社会学的観点からも大変興味深いものがあるといえましょう。

第1章は「なぜ、私は「転向」したのか」と題して、アメリカ体験がその原点であると書かれていますが、私にはこの部分は、きわめて重要な要素を隠しているように思われます。

アメリカで近代経済学を勉強したのでアメリカにかぶれた云々というのは、本音を隠した台詞のように思われるのです。なぜそういえるのか。もしそうなら、彼がアメリカから帰国した1974年から、かれは市場原理主義者として行動していたはずです。本書では、大学の講義で市場メカニズムのすばらしさを説いたが学生たちは納得しなかった云々というふうにさらりと書かれています。

しかし、ここ十年来の彼のファンであった人々であれば絶対に読みそうもないような所に、若き日の中谷助教授の論文が残されています。JILPTの前身のJILが出していた『日本労働協会雑誌』の1978年5月号に、「クローズド・ストライキ提案の意義と現実性」、1979年4月号に「労働者自主管理」という論文を書いているのです。そう、若き中谷助教授は労使関係論の若きパイオニアとして颯爽とデビューしていたのです。

特に、後者において、中谷氏はユーゴスラビアの自主管理の実験を引きながら、自らの社会思想をこう語っています。

>労働者自主管理の理想とは、仕事場における民主主義を徹底することによって、人間をあらゆる搾取から解放し、人間の仕事における創造性を回復するということにある。資本主義にせよ、社会主義にせよ、既存の体制の中にあって、このような理想に到達するためには、相当の距離と時間を覚悟しなければならないであろう。

>しかしながら、もし我々が、民主主義にある絶対的価値を認めるのであれば、仕事場における民主主義にも同様の絶対的価値を認めざるを得ない。ユーゴスラビアにおける自主管理制度が、悪質なスタグフレーションの一因であるとしても、それは労働者による民主主義の代償と解釈すべきかもしれないのである。

このまさに本来の意味における「構造改革派」(!)リベラル左翼であった若き中谷氏が、市場原理主義のイデオローグとして颯爽と登場するのが90年代であってみれば、そこには本書があえて語らない「第1の転向」があったというべきでしょう。「構造改革派」から「構造改革派」への転向が。

そして、本書で中谷氏が懺悔して見せているのは、そこからの第2の転向であり、いうならば「回心」とでもいうべき現象であるわけです。

ここで改めて中谷氏についてあれこれ非難がましいことをいうのは無意味だろうと思います。私がむしろ興味があるのは、こういう彼の思想的遍歴の背後にあるものは何かということであり、それは決して個人的なものではなく、おそらく同時代の多くの日本人に共通するある思想の推移を反映しているのではないかと推測するのです。

ただ、その前に、中谷巌氏個人のやや特殊な思想環境に言及しておく必要があるように思われます。彼は、1965年に一橋大学経済学部を卒業して、日産自動車に入社し、4年勤めたあと、ハーバード大学に留学しています。この時期の日産は、塩路一郎氏が絶大な権勢を誇っていた時代です。塩路天皇とまでいわれたその権勢は、ある種の企業別組合との労使協調体制に対する違和感を若き中谷氏に刻印した可能性があるように思われます。

「仕事場における民主主義」という言葉に彼が塩路体制下の日産への批判を込めていたかどうかはもちろん知るよしもありませんが、どこかの時点で、そういうミクロに陣地を構築する方向に向かう社会民主主義的な志向こそが結局塩路体制を作り上げたのではないか、いっそそんなものはことごとく投げ捨て、きれいさっぱり市場原理で行く方がいいのじゃないか、という「回心」が訪れたとしても不思議ではないように思います。

そして、それは実は中谷氏だけの経験ではなく、日本各地のミニ日産のミニ塩路一郎体制を経験していたミニ中谷巌氏らの共通の経験であったのではなかろうか、マクロな日本社会全体として、90年代にあそこまでの新自由主義への熱狂的「回心」が行われた社会的背景には、80年代まであれだけ日本的経営賛美の声が高らかに唱われながら、現場で違和感を禁じ得ない人々が相当の数いたからではないか、と思われるのです。

その結果が日本社会に「悪魔の挽き臼」を呼び寄せることになったのだとすると、皮肉を感じざるを得ません。

(中谷氏より少し後に日産に入り、その後同じく経済学者の道を進んだ神野直彦氏は、マクロな経済民主主義というもう一つのオルタナティブを選んでいます。知識社会学的対比列伝の好事例というべきでしょうか)

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コメント

懺悔の書とあるが、反省不足の書でもある。転向に告ぐ天候であれば、またどうなるかがわからない。情けをかけてはいけないのではないだろうか。しかし、新自由主義の虚妄が明らかになり、御用学者の一角が崩壊したことは事実である。

>そういうミクロに陣地を構築する方向に向かう社会民主主義的な志向こそが結局塩路体制を作り上げたのではないか、いっそそんなものはことごとく投げ捨て、きれいさっぱり市場原理で行く方がいいのじゃないか、という「回心」が訪れたとしても不思議ではない
というよりも、現在の「新自由主義の最悪の帰結」を見てなお、それでも「塩路体制」よりはましなのではないかと判断する人は少なくないんじゃないかと思います。
日本的経営のムラ社会的側面を「仕事場における民主主義」までいかなくても、せめて現在のような新自由主義の弊害以下に抑えることができるのか、それは実はかなり細い道なのではないかという疑念も捨てきれません。

なぜ今頃転向か?というのを厳密に説明してもらわねば自省にはなっていない。たんに、機を見るに便、というだけです。わたしはそう思っている。ソニーの社外重役になったり、で、美味い汁を吸うことを覚えただけでしょう。ベーコクの教授は金持ちなのになんでおれらは、。。という意識が働いた、とわたしは見ている。

>安心・安全、信頼、平等、連帯などの共同体価値には何の重きもおかない。。

竹中平蔵、にも一言しゃべってもらいたいですな。調子いいときは市場主義、小さな政府。いまや、銀行だけでなく、民間企業にも政府支援をやり、日銀が株を買う、という。。国営化。

>しかし、ここ十年来の彼のファンであった人々であれば絶対に読みそうもないような所に、若き日の中谷助教授の論文が残されています。

この「絶対に読みそうにもないような所に、」という表現がおかしすぎます(爆笑

リベラルは簡単にネオ・リベラルに回天する。
ネオ・リベラルは簡単にリベラルに回天する。

ただそれだけの事なのではないですか?

○あれーって感じで終わりか?期待して読みはじめただけに残念。○どこかに続きがあるかも?○要するに風見鶏であって転向という大袈裟なことではない。○いまさら回心も転向も信じないが。学者も政治家も活動家もスライドしていく。それが一般的だ。哀しき習性世の習いだ。上坂冬子のように…そうしなければ生きられなかった!対談は姜尚中。靖国で対談以後「在日」を著す。○平蔵は宮本憲治か?○炙り紙としての転向論。少々陳腐だが。

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