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« 最低賃金引き上げは悪くない | トップページ | 赤木智弘氏の新著その2~リベサヨからソーシャルへ »

2007年10月30日 (火)

赤木智弘氏の新著

41ad8n5htal_ss500_ 双風舎の谷川茂さんから赤木智弘氏の新著『若者を見殺しにする国』をお送りいただきました。有り難うございます。

前にこのブログで、目次だけでコメントした部分について、もう少し詳しく見てみましょう。「第2章 私は主夫になりたい」です。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_89ec.html

>格差社会の一つの要因は、強者同士の結婚です。年収500万の男性と年収300万の女性が結婚すれば、年収800万の世帯が生まれます。その一方で、強者男性女性と結婚できない弱者男性は、年収130万程度の世帯を維持するほかありません。これでは、平等を達成することはできません。(p108)

>私は、こうした経済格差のありように対抗するため、男女という性差に社会責任(男は仕事、女は家事)を付与するのではなく、経済の強弱に於いて社会責任を付与(強者は仕事、弱者は家事)することを考えます。(p113)

>この構図を税金でたとえれば、「累進課税の強化」となります。直間比率の是正などと言う論理によって、裕福な人間の税金ばかりが安くなり、経済弱者に重い税負担がのしかかっている。こうしたネオリベラリズムな経済体制を批判する左派ならば、強者に対する思い社会責任の付与については、きっと賛成して貰えるはずです。

>とはいえ、「女性」というフィルターがかかると、なぜか「男性に対する負担増ならまだしも、女性に対する負担増はおかしい」などと、平等の軸がぶれてしまう。

なぜか、

>これまでの「弱者」概念というものが、「女性」「肌の色」「人種」「生まれた場所」などという、人間が自身の力であとから変えようのない「固有性に対する差別」による弱者を示しました。すなわち「平等を求める行為」というのは、そうした固有性によって人を差別しない社会を目指すと言うことです。

>一方で、右肩上がり経済社会における「経済弱者」というのは、あくまでも一時的な格差で発生した弱者だと考えられます。つまり、「努力すればやがて報われるような一時的な弱者」と言うことです。そうした状況は、バブル崩壊後の低い経済成長の社会になってからは変化し、「努力をしても報われない弱者」、すなわちワーキングプアを生み出しました。

>にもかかわらず、「固有性に対する差別」にこだわる左派の多くが、こうした状況をちゃんと把握しておらず、いまだに「努力すれば何とかなる」とか「一緒に労働運動をすれば何とかなる」などと主張しているのを知るにつけ、開いた口がふさがらなくなります。

>つまり、左派の人たちは。「固有性に対する差別」とたたかうことを強調するあまりに、「固有性でない差別」に対する理解が浅くなっています。それと同時に、彼らの主張は「自己責任論に対する親和性」が高いのです。(以上p114~115)

私はこの部分を読んで、赤木さんの社会に対する認識能力の高さを改めて確認しました。現在の様々なアクターに対する理解はかなり的確です。この文章で文句をつけるべきところは、「左派」という概念に対する通り一遍さくらいです。それは、やや耳にいたいかも知れませんが、歴史的知識の乏しさゆえではないかと思われます。

赤木さんにとっては、左派というのはいまの社民党みたいなものなのでしょうね。福島瑞穂さんみたいなのが「左派」の典型なのでしょうね。それは、年齢から考えれば、生きてきた時代状況の中ではまさにそうだったのですから、やむを得ないところがあります。

しかし、それは高度成長期以後のここ30年くらいのことに過ぎません。

それまでの「左派」というのは、「固有性に対する差別」を問題にするのはブルジョア的であり、まさに「努力しても報われない弱者」働いても働いても貧しさから逃れられない労働者たちの権利を強化することこそが重要だと考えるような人々であったのです。リベラルじゃないオールド左翼ってのはそういうものだったのです。赤木さんとおそらくもっとも波長があったであろうその人々は、かつては社会党のメイン勢力でもあったはずなのですが、気がつくと土井チルドレンたちが、赤木さんの言う「「固有性に対する差別」とたたかうことを強調するあまりに、「固有性でない差別」に対する理解が浅くなってい」る人々、私のいうリベサヨさんたちが左派の代表みたいな顔をするようになっていたわけです。この歴史認識がまず重要。

リベじゃないオールド左翼にとっては、「経済の強弱に於いて社会責任を付与」することは当然でした。当時の状況下では、これは、「女房子供の生活費まで含めて会社に賃金を要求する」こととニアリー・イコールでした。終戦直後に作られた電産型賃金体系が一気に日本中に広まったのは、そのためです。

しかし、やがてそういうオールド左翼のおっさんたちが、保守オヤジとして指弾されるようになっていきます。彼らに「固有性に対する差別」に対する感性が乏しく、「左翼は女性差別的」と思われるようになったからです。

ここまでの歴史が、おそらく赤木さんの認識の中には入っていません。その後の、オールド左翼が消えていき、社民党とはリベリベなフェミニズム政党であるとみんなが思うようになるのは、せいぜい80年代末以降です。そして、その後の彼らに対する認識は、赤木さんの言うとおりです。

リベサヨとネオリベが紙一重であるということは、実はこのブログでも何回も繰り返して述べてきたことです。そこを「左派」という言葉で括ってしまうと、せっかくの赤木さんの的確な認識が全然生きなくなります。むしろトンデモな言葉に聞こえてしまうのです。

この部分以外にもコメントすべきところは多いのですが、とりあえず今日のところはこの程度にしておきましょう。

なお、いくつか参考となるかも知れない文章をリンクしてきます。まず、「時の法令」という雑誌に載せた「差別と格差の大きな差

http://homepage3.nifty.com/hamachan/sabetutokakusa.html

あと、お時間があれば、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post_a90b.html(リベじゃないサヨクの戦後思想観)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_5af3.html(リベラルサヨクは福祉国家がお嫌い)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/post_a88b.html(超リベサヨなブッシュ大統領)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/09/post_0a5d.html(雇用平等はソーシャルか?)

最後に、このブログで赤木さんを最初に評論したエントリーです。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/post_3f06.html(フリーターが丸山真男をひっぱたきたいのは合理的である)

(追記)

私の単純な書き写しミスで、男と男が結婚するかしないかというわけわかめな話になってしまいまして申し訳ありません。「強者女性と結婚できない弱者男性」です、もちろん。

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コメント

固有性を見ないというのはベーシックインカムとかに近くて、固有性を重視するというのは障害者がどうのこうのという話に代表されるでしょう

リベサヨ氏の中でもどちらに傾斜するかで傾向がある

ジェンフリとかの人は前者でフェミニストは後者な訳

>まれます。その一方で、強者男性と結婚できない弱者男性は、年収130万程
ダウト。男性が男性と結婚してどうするの?

結婚できないから、弱者にとどまるんでしょ
(同性結婚ができるなら、弱者男性にも強者になるチャンスがある)。

>ダウト。男性が男性と結婚してどうするの?

赤木氏の著書からの引用部分にダウトして、しかもその文章の意味が全然読めてない。
もう少し国語の勉強をやり直された方が良いのではないですか。

ロムさせてもらっています。
僕なりに赤木新刊のレビューをブログにリンクして、
参照したいのですが、
>強者男性と結婚できない弱者男性は、年収130万程度の世帯を維持する…(P108)
は、強者女性と結婚できない弱者男性ですね、修正のほどよろしくお願いします。
>みなさん、単なる引用のコピペミスです。
本文は「強者女性と結婚できない弱者男性」です。
よろしかったら、本屋の立ち読みでも確認して下さい(汗)。

kuriyamakoujiさん、ご指摘有り難うございます。
本文を修正しておきました。

赤木氏の分析は非常に鋭いですね。
歴史的な経緯など、「後からでも補正が効く」ものはともかく、
本質的構造を見抜く目はかなり鋭い。

そして、今日や将来においては

> 「努力をしても報われない弱者」

は、赤木氏の言葉を借りるなら
「人間が自身の力であとから変えようのない固有性」
に由来する傾向が強くなってくるということですね。

恵まれた家庭に生まれることが出来るか否かが、学力をはじめとしてコネクションの強さを決め、
恵まれた容姿に生まれることが出来るか否かが、コネクションの強さと「コミュニケーション力」を決める。

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» 赤木智弘さん、出版おめでとう [女子リベ  安原宏美--編集者のブログ]
  赤木智弘さんの新刊読ませていただきました。   ものすごく的確だと思いました。いやほんとにきれいにまとめてるし、おもしろいです。   80~90年代をひきずっている人文系リベラル論者は基本的に「消費者」の視点から書かれていますが、赤木さんは「消費者の視点との労働... [続きを読む]

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