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「水かけ論」にはあらず ― 和漢古書の書名の漢字:「注」「箋」

前回まで「経」と「伝」について見てきました。それら経伝本体に対して、後人が行った注釈が「注」になります。
「注」はもちろん「液体をそそぐ」というのが本義で、「注釈」の意味で用いるのは、いわゆる仮借(かしゃ)による用法ということになります。長澤規矩也著『図書学辞典』では「水をかけて、固い地面をやわらかにするように、難しい本文の意味を易しくすること。」(102p)と説明されています。
「註」の字を使っていることもありますが、これは言葉にかかわることだからということで後代になって用いられるようになった文字です。第二次大戦後の国語改革における「同音による文字の置き換え」のひとつとして、「註」はすべて「注」に置き換える、ということになったので、他の事例と混同して時々勘違いされることがありますが、「註」のほうが正しく「注」は当て字だ、といったことはまったくなく、「注」のほうがむしろ由緒正しいのです。

中国の伝統的な学問というのは、基本的にほとんどが古典に対する注釈ですので、「~注」「~附注」といった書物は、経書以外に対するものも含め、それこそ山のようにあります。「新注」「秘注」「詳注」などとアピールポイントとなる形容語句を冠しているものもありますし、いろいろなひとの注を集めたという場合は「集注」「会注」「纂注」といったぐあいになります。「音注」「訓注」など、何についての注をつけているのかを限定して示している場合もあります。
和漢古書において、基本的に注というのは割注の形式で入れられますが、頭注を附している場合もあり、そのことを強調する場合は、「頭注~」「冠注~」「標注~」といった書名をつけます。「標」は『説文解字』には「木杪末也」とあり、「こずえ」ということから「高くかかげた目じるし」ということで、「標識」「標目」などの語と同じくこの字が使われます。
なお仏教では、経や論の本文を解釈する際、わかりやすく文意をたどるために、各段や節を短い言葉にまとめてそれらを線でつないで示す「科文(かもん)」というやり方がありますが、これによる注釈を上層などにつけた「科註〇〇」といった仏教書もあります。

「注」と同様に使われるものとしては、「箋」という文字があります。ほんらいの意味としては、『説文解字』に「表識書也」とあり、書物のあいだに挟んだり付けたりする貼り札・付け札のことですが、『毛詩』に後漢の大学者・鄭玄(じょう・げん)がつけた注釈が「箋」の字を使っており、「注」と同じように扱われます。「〇〇箋」というほか、両者を重ねて「~箋注」といったり、「箋」を集めたという意味になる「~会箋」といったりするタイトルの書物があります。
なお、鄭氏は三礼(周礼・儀礼・礼記)にも注をつけていますが、こちらはみな「注」としており、詩経の注だけに「箋」を使っています。『十三経注疏』のセット全体でも「箋」を使っているのは、この「鄭箋(ていせん)」だけになります。

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