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こちらは「図書館の本屋さん」こと株式会社図書館流通センター(TRC)の
データ部による、MARCと本に関するブログです。
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2024年12月16日

「水かけ論」にはあらず ― 和漢古書の書名の漢字:「注」「箋」

前回まで「経」と「伝」について見てきました。それら経伝本体に対して、後人が行った注釈が「注」になります。
「注」はもちろん「液体をそそぐ」というのが本義で、「注釈」の意味で用いるのは、いわゆる仮借(かしゃ)による用法ということになります。長澤規矩也著『図書学辞典』では「水をかけて、固い地面をやわらかにするように、難しい本文の意味を易しくすること。」(102p)と説明されています。
「註」の字を使っていることもありますが、これは言葉にかかわることだからということで後代になって用いられるようになった文字です。第二次大戦後の国語改革における「同音による文字の置き換え」のひとつとして、「註」はすべて「注」に置き換える、ということになったので、他の事例と混同して時々勘違いされることがありますが、「註」のほうが正しく「注」は当て字だ、といったことはまったくなく、「注」のほうがむしろ由緒正しいのです。

中国の伝統的な学問というのは、基本的にほとんどが古典に対する注釈ですので、「~注」「~附注」といった書物は、経書以外に対するものも含め、それこそ山のようにあります。「新注」「秘注」「詳注」などとアピールポイントとなる形容語句を冠しているものもありますし、いろいろなひとの注を集めたという場合は「集注」「会注」「纂注」といったぐあいになります。「音注」「訓注」など、何についての注をつけているのかを限定して示している場合もあります。
和漢古書において、基本的に注というのは割注の形式で入れられますが、頭注を附している場合もあり、そのことを強調する場合は、「頭注~」「冠注~」「標注~」といった書名をつけます。「標」は『説文解字』には「木杪末也」とあり、「こずえ」ということから「高くかかげた目じるし」ということで、「標識」「標目」などの語と同じくこの字が使われます。
なお仏教では、経や論の本文を解釈する際、わかりやすく文意をたどるために、各段や節を短い言葉にまとめてそれらを線でつないで示す「科文(かもん)」というやり方がありますが、これによる注釈を上層などにつけた「科註〇〇」といった仏教書もあります。

「注」と同様に使われるものとしては、「箋」という文字があります。ほんらいの意味としては、『説文解字』に「表識書也」とあり、書物のあいだに挟んだり付けたりする貼り札・付け札のことですが、『毛詩』に後漢の大学者・鄭玄(じょう・げん)がつけた注釈が「箋」の字を使っており、「注」と同じように扱われます。「〇〇箋」というほか、両者を重ねて「~箋注」といったり、「箋」を集めたという意味になる「~会箋」といったりするタイトルの書物があります。
なお、鄭氏は三礼(周礼・儀礼・礼記)にも注をつけていますが、こちらはみな「注」としており、詩経の注だけに「箋」を使っています。『十三経注疏』のセット全体でも「箋」を使っているのは、この「鄭箋(ていせん)」だけになります。

2024年12月12日

時計の読み方

今月の雑記テーマは「時計」です。

子どもが小学校に入学して初めての懇談会で、先生からお願い(脅し?)がありました。「小学校のカリキュラムでは時計の読み方は2時間もやりません。学校だけでは足りません。今の時期からご家庭でのフォローをお願いしますね」

突然の話にうわーとなりました。数字の「6」が「30分」だなんて説明できる気がしません。間違いを指摘されると怒るタイプの子だったこともあり困ったことになったと思いました。...が、その後日常に紛れて忘れているうちにいつの間にか「〇時」「〇時半」が読めるようになり、「10分」や「50分」が分かるようになり、年を越すころには「7時43分」などもしっかり読めるようになりました。60進法でつまずかない子どもならではの柔軟な頭と、学校での日々の指導のおかげだと思います。教室の時計の周りにぐるっと時間を書いた飾りが付いていたので、それを指しながら時間を意識するようにしてくれたのだろうと想像します。日本の学校教育ありがたし!です。

2024年12月11日

きょうのデータ部☆(12/11)

今月の「きょうのデータ部☆」は、私にとってのデータ部必需品を紹介します。

2つ目はこちら!


p20241211.jpg

万が一倒して見本の本を汚してはいけないので、
蓋つきの飲み物のみ机の上に置いてもOKです。
図書館みたいですね。

めっきり寒くなってきたので、温かいお茶が美味しいです。

2024年12月10日

生き物たちの声

今日は「週刊新刊全点案内」2385号の発行日です。
掲載件数は1044件でした。

*こんな本がありました*


「饒舌な動植物たち ヒトの聴覚を超えて交わされる、クジラの恋の歌、ミツバチのダンス、魚を誘うサンゴ」

カレン・バッカー(著)
築地書館(2024.12)


犬は耳がよくて人間が聞き取れない音にも反応する、なんてことがよく言われますが、犬どころではなく、人間が感知できない音を聞き取ってコミュニケーションを取り合う生き物がこの地球上にはたくさんいるそうです。
超低周波音を発するのはゾウやクジラ。
そして、氷河や竜巻、火山といった地球そのもの。
逆に、高周波の超音波音を発するのは、コウモリ、ハツカネズミ、クワガタムシなど。
トウモロコシやサンゴなんかもこの超音波音を発しているといいます。

人間以外が発している、これまで知ることのできなかった音の世界を紹介するのがこの本です。
人間には聞くことのできない音の世界を紐解くと、生き物...動物のみならず植物も含めた生き物たちの、複雑なコミュニケーションが明らかになってきます。

高齢者は聞こえないというモスキート音も超音波の一種。
子どもには聞こえる音が年をとると聞こえなくなるように、過去の人類はもしかしたら、現在の人類が聞き取れない音を聞き取り、生き物たちのコミュニケーションに参加できていたのかもしれません。
想像するとロマンがありますね。

2024年12月 9日

「それはさておき、正伝に戻りまして」― 和漢古書の書名の漢字:傳(3)

こんにちは。AS 伊藤です。主に和漢古書を担当しています。

五経の「伝」の概略は前回までに見たとおりですが、こうした「賢者による注釈」という意味での「伝」の対象は経書にとどまらず、重要な書物に対する注釈もしばしば「~伝」という書名をつけられました。これはもちろん日本でも同様で、たとえば本居宣長の大著『古事記伝』の「伝」はこの意味での「伝」ということになります。
一方、個人の事蹟を記述した伝記biographyの意味での「伝」もむろんあります。近代の魯迅は、有名な『阿Q正伝』の序章で、「伝の名目はとても繁多である。列伝,自伝,內伝,外伝,別伝,家伝,小伝......、惜しいかな皆合わない」と言ってこれらの名称がふさわしくないことを並べ立てた上で、「三教九流の数に入らぬ小説家」の「閑話休題、言帰正伝」という常套文句を採用することにすると、皮肉なふざけた調子で書いていますが、ここに列挙されている「伝」はもちろん経書のテキストのことではなく、いろいろな「伝記」の種類ということになります。
こうした「伝」は、淵源としては司馬遷の『史記』の「列伝」に由来するものですが、この時点でかならずしも個人の伝記とは限らず、「匈奴伝」や「朝鮮伝」といったものも含まれています。いずれにしろ、これらの正史の「伝」の体裁にならって、以前触れたことのある劉向の『列女伝(れつじょでん)』や、陶淵明の『五柳先生伝(ごりゅうせんせいでん)』といった作品が作られました。
また唐代には、六朝期の「志怪小説」から発展した、文言によるフィクション作品が盛んに作られ、「唐代伝奇」と称されますが、これらの中にも「〇〇伝」というタイトルを持つものが相当数あります。多くはやはり個人の伝記の体裁を取ったもので、『霍小玉伝(かくしょうぎょくでん)』『李娃伝(りあでん)』『鶯々伝(おうおうでん)』などが知られています。芥川龍之介の短編のもととなった『杜子春伝(とししゅんでん)』もそうですね。一方で、『長恨歌伝(ちょうごんかでん)』の「伝」は伝記の意味ではなく、白楽天の『長恨歌』という長詩の作品に対する散文のテキストという意味での「伝」と思われます(なお、「伝奇」chuanqiは、明清時代の戯曲の一形式を指すタームでもあります)。

さらに、個人の一代記というのにとどまらず、『南海寄帰内法伝(なんかいききないほうでん)』『唐大和上東征伝(とうだいわじょうとうせいでん)』といった個人による紀行の顛末を記した著作などにも「伝」が用いられるようになりますし、人物を中心とした伝説・物語などを「〇〇伝」と称することも、時代が進むと一般的になってきます。中島敦が『山月記』にアレンジした「人虎伝」も唐代伝奇の改作ですが、このあたりではもう「伝記」というニュアンスはだいぶ薄まっていますね。明末に作られた、四大奇書に数えられる章回小説『水滸伝』も「水のほとりの物語」ということになります。

「伝」は、これまでに述べてきたような内容にそれぞれ対応した意味あいで、役割表示としても使われます。ただし、江戸時代の武芸書などで、先生から教わった内容をそのまま弟子に伝えるという場合の、「免許皆伝」といったケースでの「伝」については、そもそも責任表示とするのが適当なのかどうか多少疑問です。巻末に列記されているようなものは、とりあえず注記に転記するだけにとどめておいたほうがよいかもしれません。
また、本文巻頭や冊子目録などに「伝〇〇著」などとあるのは、もちろん「〇〇著と伝わっている」ということであって、たいていの場合は仮託やデタラメです。こうしたものについては、そのまま「伝〇〇著」と注記に記録しておけばよいでしょう。

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