ブクマ話で全力でDISりたい部分

(註:ブックマークされたので補足。ここと合わせて http://d.hatena.ne.jp/mutronix/20080604/p2 もお読みいただくと、多少意味が通じるかも知れません)

最初読んだだけでは、それが自分にとって、どういう意味を持つのかがまだわからないエントリというのが、けっこうあって、そのことを私は問題にしたいんだなぁと思った。
そういうものに「人生」「ネタ」「もめごと」みたいなタグを振るという行為は、ものすごい妥協なのだよね。妥協ってわかってやってるならともかく、だんだんタグを振ることが自己目的化していく。

で、ふと我に返って自分に突っ込む。「お前、後で自分のブックマークを「人生」とかいうタグで検索して眺めんの?」うへぇ。

ある文章が、自分にとってどういう意味があるかっていうのは、タグづけじゃフォローできない。

とりあえずピンときたものを何かにしまっておくのが、せいぜいできること。その文章に反応がついて話が膨らんだときには、その文章に近い場所にまとめてしまっておきたい。その一連の関心がどういう「タグ」だったか、というのを覚えておくというのは不自然だし、どういう方向に話が膨らむかっていうのは、事前に予測できないから、タグ振るのは難しい*1。

卑近な例だと、ある文章が「ネタか本気か」っていう問題がある。問題というか、そういうものが問題になってしまう状況がやだな、というか。

タグ付け脳は、文章のネタマジをその場で判断しないといけない。タグ振らなきゃいけないから。そして、その判断が間違っていたら、馬鹿にされたと怒るわけだ。勝手に先に価値付けして勝手に怒ってるだけなのに、なぜかこれが、情報が有益だとかなんだとか毎度馬鹿馬鹿しい話になったりする。文章というのは自分の中で意味を結ぶものなんだから、ネタとかマジとか決めずに、気になったものはとりあえず黙って読んでればいいのに。

この話の前提

実用的な情報をクリップしてまわってるぶんには、あまりこういうことは問題にならない。

ないものねだり、といえばそれまでだが

実際には、ブクマを活用してる人も、言語化不能なエントリにはタグなんぞ振らない。こっそり後で見て、一人いろいろ考えたりするのかも。
そういう人から私の考えを見るなら「言語化不能なものが徐々に意味を獲得していくプロセスなんて、個人のものなのだから、そんな機能をブクマに求めるのはお門違いじゃね?」ということなのかもしれない。

*1:建前はそうであっても、実際にはネットの「議論」の多くは簡単にタグをふることができるプロレスだ、ということもできるが…