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都合のいいもんだけ、都合よく使っちゃえ。「ウソ」だろうと。
と、はじめちゃったのですが、長くなったのでエントリにしちゃいます。
この記事はもともとakira's room言葉ってどのぐらい通じるの?へのコメントにする予定でした。
おそらくakiraさんがご覧になったのはこちら:
水葉ことのは「言語・非言語」というエントリじゃないですか。
しかし、どうにもトンデモないエントリですなぁ。
「メラビアンの法則」(名前は、Wikipediaの表記に準拠)はakiraさんご指摘のように、イカサマ臭い「自己啓発やビジネスセミナー等」で拡張されて誤用され、いい様に使われてしまっている。
メラビアン氏本人が、著書の『非言語コミュニケーション』(聖文社 1986)で次のようにクギをさしているようです。
ところで、ここで注意すべきことが一つある。言葉によらないキューは、言葉と比べて、不釣合なほど大きな力を持っていると述べてきたが、それは感情(快感、覚醒、支配)と好意‐嫌悪とに限られていることである。言葉によらない表現の方が、常に言葉より重要であるとは言えないことは明らかである。事実、言葉の示す指示物を伝えることにおいては、言葉によらない表現手段はほとんど役に立たないのである(例えば、「明日の午後二時に会いましょう。」、「昨日は、ベロアの新しい背広を着ていました。」、「X+Y=Z」)。(訳書 p.101)
さらに、マレービアン博士のウェブサイト:http://www.kaaj.com/psych/smorder.html
Please note that this and other equations regarding relative importance of verbal and nonverbal messages were derived from experiments dealing with communications of feelings and attitudes (i.e., like-dislike). Unless a communicator is talking about their feelings or attitudes, these equations are not applicable. Also see references 286 and 305 in Silent Messages -- these are the original sources of my findings.
「言語による好みと、声による好みと、表情(顔)による好み」;言語と非言語の相対的重要性に関する、これらの”法則”は、感情と態度のコミュニケーションの実験から導き出されたものである。感情と態度に関するコミュニケーションではない限り、これらの”法則”は当てはまらない。サイレント・メッセージの参照286と305も見て欲しい。そこには、私の発見のオリジナル・ソースがある。
(日本語訳のソースはhttp://blog.everfield.co.jp/?eid=7419)
英語版Wikipediaでもわざわざ
Misinterpretation of Mehrabian's rule
を設けて説明しているぐらいですから、誤用されているのは日本だけではないようです。
さて、かのブログエントリですが、以下のような記述があります。
私は、家族間のコミュニケーションや、アサーティブ(自他尊重)な関係作りをテーマに講演することが多いのだけれど、そこで必ず出すクイズがある。
対面して相手に何かを伝えようとする時、言語はコミュニケーション全体の何割を占めるでしょう?
つまり、「ことば」=「そこで話される内容」は、どれくらい重視されているでしょう?ということだ。
あちこちでこのクイズをやっているのだけれど、老若男女に関わらず、多くが「3割~5割」というところで手を挙げる。次に多いのは「5割~7割」で、3割以下というのはごく少数。
この結果を目にするたびに「ことば」への信仰は強いのだなあと思う。
「ことば」は、知性や論理と言い換えてもいいかもしれない。
で、答えだけれども、コミュニケーションにおける言語の比重は「1割以下」である。
アメリカの心理学者マレービアン博士の実験によると「7%」である。他にも類似の研究があるが、比率はどれも似たり寄ったりといったところ。
この結果を伝えると、会場からは「うそだー!」という声が上がる。
プロ?として、人を集めて「ウソ」を広めてるんですね、この人。しかもあちこちで、そして必ず。
しかも、自分で「ウソを信仰して」、「『言葉』(知性や論理)への信仰がつよいのだなあ」と感心しちゃってるわけです。
(同様の心性として「トンデモを信仰しちゃってる人が信じない人に『科学信仰が強いのだなあ』と感心しちゃう例がありますね)
>この結果を伝えると、会場からは「うそだー!」という声が上がる。
↑はい、うそです。いつも、聴衆の方が正しかったわけです。
>他にも類似の研究があるが、比率はどれも似たり寄ったりといったところ。
↑これは、恐らく自説補強のために、ウソを承知でついたウソでしょう。
↑ウソを立場を使って納得させちゃってるわけですな。で、例に出すのが「すみません」。
言語としては謝罪のことばだけれども、ぞんざいな言い方をしたり、すぐにプイッとよそを向いたりすると「こいつ、ちっとも反省していないな」ということになる。「ありがとう」も然り。この話をするとみんなある程度納得してくれる。
↑だから、たった7%じゃないんだってば。電話になると、ノンバーバルな比率はグッと下がる。声の高低や大きさ、話すスピード、間の取り方といったものしかなくなるから、「ことば」の比重は相対的に上がる。
手紙やFAXになると、もっと下がる。ノンバーバルなものが、筆跡、くらいしかなくなるからだ。
で、メール。
こうして書いているブログもそうだけれども、活字として表現されたものには、ノンバーバルなものはほとんど付随しない。せいぜい、色をつけたり、強調したり、顔文字を使ったり。つまりは、ほぼ100%、言語コミュニケーションの世界である。
普段の対人コミュニケーション場面で、たった7%しかない「ことば」の世界だけでのコミュニケーション。そりゃあ、行き違いも起こるでしょうよ、という感じだ。
「トマトは赤い」
ある人は、それを普遍的な事実として、持論を述べ始める。
しかし「赤」にも色々な「赤」があるし、そもそも「赤」であるとも限らない。トマトの種類も、ミニトマトだったり、小振りのトマトだったり、片手一杯ほどのずっしり重たいトマトかもしれない。つるりと傷のないトマトかもしれないし、熟れすぎて裂けてしまったトマトかも知れない。皮の厚さもそれぞれだ。
つまり「トマトは赤い」ということばだけで伝えられるのは、全体の7%しかないのである。
↑そんなの、説明不足なだけでしょ。「赤くないトマト」の前で「このトマトは赤い」と言うのは自由だけど、それで何か伝わるのを期待するのが愚か。(あくまで一般言語の話だからね。哲学的認識論の話なんかしてねぇぞ)
感情にしても然りである。
そこに記された「うれしい」「かなしい」「くやしい」といったことばから、相手の感情を正確に読み取るのは難しい。少なくとも、対人コミュニケーションでの14倍くらいの難易度になる。
↑ふ~、14倍ってどこから出てきたんだ?確かに「この人の言葉」は通じないわ。
↑うん、確かに、どこからか「一見まとも」そうな数字引っ張ってきて信用度を高めて「ウソを広げる」どころか、誰かへの攻撃意図さえ露呈しているような文章って存在するね。しかし、一方で「文は人なり」というのも事実だろう。
訥々とした、どうということのない文章の中に、誠実さやあたたかさを感じるものもあれば、一見まともでていねいではあっても人を見下した態度や底意地の悪さが露呈している文章というのも存在する。行間や文脈から、その人らしさは、図らずも立ちのぼってくるものだ。バーバルの中のノンバーバルと言っていいだろうか。
いま引用してるやつとかね。
>「行間や文脈から、その人らしさは、図らずも立ちのぼってくるものだ。」
↑名言ですな。ブーメランとも云うが。
↑どこかから引っ張ってきた自分でも良くわかってない「学術理論」みたいなもんで「ウソを広げる」うんざりするような奴があとを絶たないしね。どこかから引っ張ってきた文章や、一般論、そうしたものにコメントすることで、自己表現したと自己満足している人。自分の「状態」を語ることで、気持ちを表現したと思っている人。うんざりするのだが、他人に粘着するのが好きなのもこうした人たちである。
なので、ネット上で、この手のタイプの人を見かけると、私は速攻で逃げ腰になる。糾弾しながらしがみつかれるなんて仕事でも大変なのに、そんな人にプライベートで関わる趣味も余裕も私にはないからだ。しかも、言語だけという、カウンセリング面接で受け取る情報のたった7%。性別や職業も偽装のたやすいネットの世界で、実在しているかどうかもわからない相手に、無償で職業的スキルを提供するボランティア精神は私にはない。
↑この人の職業的スキルでしたら(信じがたいことにカウンセラーらしいけど)、金くれるって言ってもお断り申し上げたく。
だって、学んできたことをちゃんと消化できてるとは考えられないもん。
こんなちょっと調べれば「誤り」だってわかることをわざわざ広めまくってるようなお粗末さ。
そんな人に「カウンセリング」されるなんてちょっとぞっとする。
それから、「ウソ」ばっかり広まっちゃうから余計なボランティア精神も発揮しないで欲しい。
ネットはリアルのたった7%のコミュニケーション空間。
↑だから違うんだってば。
つまり、このエントリーを読んで、あなたが水葉のことをどう感じたとしても、そのほとんどは、私の文章から喚起された「あなたの感情」が、あなたの価値観というフィルタを通って作り上げた「妄想」によるものなのだ。私の真意は、あなたには7%しか伝わってはいない。
↑もし、7%しか伝わってなかったら、「言葉一般」の話じゃなくて、「あなたの言葉」特有の話だと思うぞ。
コメント欄も愉快で、どれもこれも「7%論」を下敷きにコメントしちゃってるので、ほとんど無意味に思える。
でも、ショーペンハウエルまで登場してるぞ!
もとエントリの前提が「ウソ」なのに。
「メラビアンの法則誤用」のような「人文学系ニセ科学」(注:繰り返しになるが、メラビアンの法則自体はまじめな学術研究である。誤用されているだけ)って、「自然科学系ニセ科学」よりある意味タチが悪いように思える。
「自然科学系」のニセ科学も最終的にはどうもニセ科学発信者の「価値観」(あるいは人文「科学」的に一見みえるような強引な結論)をバックアップするために使われてるような傾向があると思う。
「水伝」はその典型。
で、俺がどうにも気に障るのは要するに、今回の話もそうなのだが、「自分の見たい物だけ見る」→「自分の信じたいものだけ信じる」→「自分の都合の良いものだけ拾い上げて、自分の都合のいいように解釈する」心性が嫌なんだと思う。
その好例がありますので、引用します。お楽しみください、いかようにも。
同エントリ、コメント欄より。
7%だからこそ
言語コミュニケーションの比率が7%に過ぎないという事実からは、2つの考え方が導けそうです。
ひとつは水葉さんの主張。7%しかないから、曖昧だから、そこを踏まえましょうね、という考え方。
もうひとつは、7%だからこそ、その範囲内でコミュニケーションしましょう、という考え方。
これら2つは、それぞれの言語コミュニケーションに対する姿勢の問題ですから、別にどちらが正しいとか誤っているとかの話ではありませんね。堅い言い回しでいうと「表現の自由」に属する事柄でしょう。
しかし、考え方としては2通りあるとしても、実際の問題として、後者の方法を実践できる人間はかなり少ないのではないでしょうか? これは論理でも何でもない、コミュニケーションを為す人間のひとりとしての感触ですが、7%を超える分を曖昧とは知っても知らなくても、想像力で補おうとする傾向は避けがたい。7%しか汲み取れないはずのテキストに、どうしても視覚や聴覚から得られるクオリアを汲み取ろうとしてしまう。人間には、自分の持てる感覚すべてを動員して他者とコニュニケ―ションしたいという強い欲求があるのだと思います。
それを制御できるのは、よほどリアルな場でのコミュニケーションに恵まれている人か、あるいはよほど自己抑制の強い人か...。いずれにせよ、巷に満ちあふれているとは思えませんし、またそれでいいのだとも思います。
大切のは「7%だからこそ」楽しもうと姿勢でしょう。あとの93%をどう埋めるか。どうせリアルでの関わりはない人なのだから、楽しく埋めることがきたなら...。トラブルなどまず考えられないでしょうね。
[ 2009/02/24 20:46 ] URL 愚樵 [ 編集 ]
↑だから7%ぢゃないんだってば!実に都合よく使っちゃうもんだ。
最近、「ニセ科学批判」、「ニセ科学批判批判」が喧しいが、こういう「ウソ」を「あちこち」で、「人を集めて頻繁に(講演をすることが多い)」、「老若男女」に「無自覚」に広めちゃうような人がいる以上は、「ニセ科学批判」はやはり意味があるんじゃないか。
ところで、こういうわけのわからん「科学っぽく装った良いお話」を自論の補強に使っちゃったエントリ、どっかで見たことあるな?
そうだ、「言葉の結晶」。
今日の記事は結晶にすると、どんな形になったでしょうか? (わくわく)
注1:基本的にエントリ内の「ウソ」という言葉は「本当でないこと。誤り。間違い。」(大辞林 第二版)の意味で使用しております。「ウソ」という言葉を選んだのは、水葉氏の聴衆の「うそだー!」に呼応してのことです。
注2.あとでガタガタ言われないように、トラックバックはちゃんと送ってあります。
<<水葉さん、それは無理筋ですって(追記あり) | ホーム | びんちょうたんコム>>
Comments
私、以前に
くしょう
えっと… ちょちょんまげさん鋭いです。
ご推察の通り、私がエントリをあげたのは水葉さんのエントリを踏まえてのことです。ですが、以前の展開で懲りてしまったので、私のエントリを読んでくださった誰かによって水葉さんに伝わることを密かに願っていました(苦笑)
ブログエントリなら訂正記事を載せることができますけど、今まで講演や研修でこの説を聞いた方々には直接訂正するすべはありません。ご本人が書いていらっしゃるように、あちらこちらで、この誤用を広めてしまったのだとしたら、その責任は大きいでしょう。
プロとしてギャラをいただいてしゃべっているわけですから、念入りな下準備が必要なのだと思います。あのエントリもプロとして書いてますしね。(私も講演等の仕事の時は、用語や数字は適切か、その学説は古くないかなど、ものすごく気を付けて原稿の準備をします。それが自分の学びにもなるのですけど)
今、うちゃさんのコメントを読んで驚いています。
愚樵さんご存じだったんですか?
かのエントリが上がってすぐにコメントしてらっしゃるのに、なぜ教えてあげなかったのでしょう。鍵コメ機能が付いているのに。
う~む。
追伸:私のエントリでは日本でだけ広まっているように読めてしまいますね。こちらのエントリを参考にあげ、英語版のウィキのことなど追記させていただきました。教えてくださってありがとうございます。
一方的だから
それじゃあ・・・
「誤用や誤解をしてもいいじゃないの。人間だもの」といってから
指摘したら、改めてくださるんでしょうか?
あらま
実際の発言がないと、南郷さんもgegengaさんも論評が妙になってしまいかねないけど、該当コメントは、WEB上で既に参照できないんですよね。そのコメント欄のついたブログの運営者さんは、エントリを消す方だったので。大変興味深いやりとりだったのでローカルに保存して置いたのを、復刻しておきますね。
なお、「これは Google に保存されている http://blogs.dion.ne.jp/beta_reverse/archives/7143567.html のキャッシュです。 このページは 2008年8月27日 08:24:54 GMT に取得されたものです」
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コメント57
はじめまして。NewsOLさんのところからリンクを辿ってきました。
面白いで すね、ここでの議論。そしていい雰囲気だと感じます。いつでもどこでもこうした雰囲気なら「対話」もスムースに進行するのでしょうが...。そうなるのは やはりイエスマンの集まりだから? ネットがそもそもイエスマンが集まりやすい構造をしているって話はよく納得できますね。
>勉強量の問題でなくて、勉強のやり方が違ってるんじゃないかと、そんな気がします。
わはは。これには全く同感。いえ、NewsOLさんにいろいろ本をお勧めしているというから、どんなのだろうと興味をそそられてやってきたのですがね。お勧めしている「勉強」とコチラでの議論を拝見して、“さもありなん”というのが感想。
少 々挑発的に書いておきましょう。私はこちらでの議論の内容は理解できます。理解できていると思います、たぶん。でも、みなさん(全員かどうかはわかりませ ん)には私の議論は意味不明らしいですね。あえて言わせてもらいますが、この落差はなんなんでしょうね? この落差への感度が皆さんの勉強のやり方を規定 してしまっているように私などには思えますね。
ブログでのコミュニケーションは、ほとんどが文字情報ですね。で、人間のコミュニケーショ ンにおいて文字情報が占める位置は、低い。10%にも満たない。ご存知ですよね。にもかかわらず、私などから見ると、みなさんは文字から構成される言葉に 全幅の信頼を置いているように見えてしまいます。伝えたいことが伝わらないのは、伝え方が悪い、という。だから論理を研け、と。論理を研くことが悪いこと だとは思わないが、言葉に絶望を抱いている者からしてみれば、あまり優先順位が高いことではありません。
まあ、世の中にはいろいろな人間がいるものだ、という程度でご理解いただいて結構ですが。
Posted by 愚樵 at 2008年05月24日 06:26
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コメント57
今日は。
愚樵さんは、言葉に絶望を懐くのは早いですね。
単にバットを5・6回(別に何万回でも構わない)振り回した人が、「野球に絶望を懐いた」と言っているようなものです。
自分の言いたい事が伝わらないのは、自分の書き方が激烈に下手であるか、自分でも自分が言いたい事が解っていないかのどちらかだ、と考えましょう。
読む側の読解力に帰するのは、そのずっと後です。
>まあ、世の中にはいろいろな人間がいるものだ、という程度でご理解いた
>だいて結構ですが。
余計です。これは、防衛のための相対化です。そんな事では、ご自身の文章構成力の不足は、正当化出来ません。
>で、人間のコミュニケーションにおいて文字情報が占める位置は、低い。
>10%にも満たない。
これ、出典は何でしたっけ? 10%とは、何についての割合なのでしょう。ご教示を頂けるとありがたいです。
言葉に絶望している、などという表現によって、いかようにでも詭弁を弄する事が出来ます。
一段メタの段階からものを言いたがる人、結構いるのですよね。具体的に考えなくても、何についても当てはまる一般論を言っていれば、それで済むから。
NewsOLさんには、そうなるべきでは無い、という思いも含めて、具体的な所から考察を進めて行く事をお勧めしたのですね。自分も他の人に教わったから。
もう一回言いますが。
言葉に絶望する暇があったら、言葉を尽くす努力をすべきだと思います。
後、言及対象をきちんと読解する努力も怠るべきでは無いでしょうね。
手始めに、水伝についてどういう議論が行われてきたか、何が問題か、等、具体的に調べるなりするのが良いかも知れませんね。
Posted by TAKESAN at 2008年05月24日 12:18
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コメント59
>愚樵さん
はじめまして。いらっしゃいませ。
>私はこちらでの議論の内容は理解できます。理解できていると思います、たぶん。でも、みなさん(全員かどうかはわかりません)には私の議論は意味不明らしいですね。あえて言わせてもらいますが、この落差はなんなんでしょうね?
もし、愚樵さんが仰る通りに、愚樵さんにもここの議論が正しく理解可能であるならば、ここでの議論が愚樵さんにも理解可能な内容と日本語で行われた、とい うことになります。それ以上にはなりません。「それ以上」の要素について、複数の可能性を考えることは可能ですけどね。
> ブログでのコミュニケーションは、ほとんどが文字情報ですね。で、人間のコミュニケーションにおいて文字情報が占める位置は、低い。10%にも満たない。 ご存知ですよね。にもかかわらず、私などから見ると、みなさんは文字から構成される言葉に全幅の信頼を置いているように見えてしまいます。伝えたいことが 伝わらないのは、伝え方が悪い、という。だから論理を研け、と。論理を研くことが悪いことだとは思わないが、言葉に絶望を抱いている者からしてみれば、あ まり優先順位が高いことではありません。
・人間のコミュニケーションにおいて、文字情報が占める位置は低い。10%にも満たない。
・ブログでのコミュニケーションは、ほとんどが文字情報である。
・愚樵さん自身は、言葉に絶望を抱いている。
・「論理を研くこと」は、言葉に絶望を抱いている者(愚樵さん)からしてみれば、あまり優先順位が高いことではない。
・愚樵さん自身も、ブログを運営している。おそらく、有意義なコミュニケーションを成立させるべく努力をしている。
愚樵さんによれば、ブログでのコミュニケーションは、事実上不可能である。にもかかわらず愚樵さんは、愚樵さん自身が絶望を抱いている方法で、コミュニケーションを成立させようと努力している。…と仰ってるように読めますが。
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愚樵さんご自身がどんなコミュニケーション方法を採ろうと、それは当然、愚樵さんの責任に基づく自由です。しかしこのブログでは、自覚的に、しかも対象が 曖昧な挑発的表現などせずに、なるべく普通に書くようにしてください。愚樵さんも、ここの閲覧者全員を挑発したいわけでもないでしょう。
Posted by Narr at 2008年05月24日 20:32
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UMA氏による別話題のコメントとそれのレスを省略
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コメント63
初めまして、皆様。
さて、愚樵さんの書かれた、
>人間のコミュニケーションにおいて文字情報が占める位置は、低い。10%にも満たない。ご存知ですよね
。
ですが、もしかしたら、「メラビアンの法則」のことではないでしょうか?
だとしたら、愚樵さんの解釈は誤っております。
http://ja.wikipedia.org/wiki/メラビアンの法則
それは、言葉の情報と共に、その内容に矛盾する言語以外の情報を一緒にあたえられた場合の比率です。ブログでの文字だけのコミュニケーションに当てはめられる話ではありません。
Posted by うちゃ at 2008年05月25日 15:06
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↑が、キャッシュ採集時点での最終コメントです。
おひさしぶりでございます
覚えてくれておいででしょうか?
うちゃさんの所にコメントしましたが、わたし「あっさり」信じていました。と言うか、説明を読むまで、あ、それっぽっちか。
と思っていました。
そんなこと信じるのは「お前だけ!」ではないようですね、どうも。
説明読めばあっさり納得できるのになぁ。
もしかしたら
考えさせられました。
また、長くブログを継続していくうえで、「所詮7%」と思っていながら何年も続けられるものなのかも疑問です。さらに、メラビアンの法則の一部を取り上げて「所詮7%」と思っている人が書く文章と、そうでない人の文章では、そこから派生する結果にも違いが出るかと思います。そのときに専門知識の一部を利用して、「所詮7%」の最低ラインを前提に話を進めてゆくのは、少し無理があるでしょう。
言葉を失ったり、発話障碍のある人と接していればわかりますが、人間にとって「言葉」はまさに人生の光です。「言葉の伝達力は所詮7%と思っていた方がよい」と言われたとき、お互いに十分に能力のある人同士では、違和感なく受け入れられるのかもしれませんが、私なら自分の努力や不勉強さを棚に上げてその言葉は使えません。「謙虚さ」の方向性を間違えているようにすら感じます。
感謝を伝えたい場面において、言葉を尽くした「ありがとう」と、「ありがとう」という言葉しか知らない(使えない)状況では、相手への自分の気持ちの伝わり方の齟齬に発話者は苦悩し、ますます言葉に貪欲になるのが自然です。言葉を磨くことは、自分の世界を拓くことであり、照らすことです。どんなに目の前の相手が笑顔でニコニコしてみても、人はその笑顔を担保する言葉(できるなら7%以上のもの)を期待しますし、逆に目の前の相手の表情と言葉が一致しなければ、その原因がどこにあるか、「言葉」を重ねることで見出そうとするでしょう。
講演であれ、私的なブログ内の雑談であれ、センセーショナル性を期待するが故に、何か(この場合は「言葉」)の可能性を貶める所から話を始めるスタンスに、私なら「騙された」ような感覚を抱きますし、(自分は他人よりは)言葉を操れる(自負がある)強者の論理を感じます。メラビアンの法則の全体を理解していたなら尚のこと、「所詮7%」の言葉で切り捨てたものの大きさに、もっと注意深くあってほしいと思います。
水葉さんが・・・。
誤りを受け入れることは、素晴らしいことだと思います。
昨年、akiraさんから発せられた一連の質問にも回答されることを、多くの人が待っていますし、引き受けるべきを引き受けたなら、だれもが水葉さんのことを尊敬すると思います。
水葉さんに謝罪します
http://blogs.dion.ne.jp/akiras_room/archives/7624608.html
深読みの理由(わけ)
http://blogs.dion.ne.jp/akiras_room/archives/7626740.html
水葉さんにお尋ねします
http://blogs.dion.ne.jp/akiras_room/archives/7627015.html
あらためて質問します。
http://blogs.dion.ne.jp/akiras_room/archives/7636551.html
無意味だよ
http://blogs.dion.ne.jp/akiras_room/archives/7638176.html
もちろん、そのときには「私」も水葉さんのことを尊敬し、批判の手を止めることは約束しましょう。
理解が遅くて、恐縮なんですが
こういう流れなら、うちゃさんがおっしゃる通り、愚樵さんはうちゃさんのコメントを読んでいらっしゃらなかったのかもしれませんね。
ところで、私、どうも他人より頭の回転が遅いようで、まだよく理解できないので、どなたかに教えていただきたいのですが。
上で ja e w ckが書いている水葉さんの追記の件です。
> ただ、本文に書いているように、私が7%の話を使うのは、
コミュニケーションをテーマに「相手にいかに気持ちを伝えるか」という文脈の中で使っている、つまり、実験の限定条件内の話しかしていないので、『プロ?として、人を集めて「ウソ」を広めてる』とは言えないと思います。脱線してるのはブログの中だけですので、ご安心を。
<
とのことなんですが、うちゃさんのブログに貼ってあったリンク先
(http://www2u.biglobe.ne.jp/~hiraki/d74.htm)を読んだら
かなり限定的な条件での実験結果なので、これを、「相手にいかに気持ちを伝えるか」という文脈の中で使うことが妥当だとは、私には思えません。
私、『メラビアンの法則』をちゃんと理解できていないんでしょうか?
混乱してます。
実権自体は単純化していますけど
で、水葉さんのお仕事の現場というのが、まさにそういうものであろう、と想像しているので、非言語メッセージの重要性については良く理解しているのではないかと思います。まあ、ある意味私の仕事の対極に位置しているわけですが(^^;
あくまでも、それをコミュニケーション一般に広げてしまうのがまずいということで。
うちゃさん
レス遅れて申し訳ありません。
そういえば、そんなことありましたね。>Narrさんのブログ
実はあの時のうちゃさんのコメントで、私も調べてみたのでした。
(そもそも「メラビアンの法則」自体知らなかったし)
akiraさん
レス遅れて申し訳ありません。
>ご本人が書いていらっしゃるように、あちらこちらで、この誤用を広めてしまったのだとしたら、その責任は大きいでしょう。
このあたり、わかって欲しいですね。
>私も講演等の仕事の時は、用語や数字は適切か、その学説は古くないかなど、ものすごく気を付けて原稿の準備をします。それが自分の学びにもなるのですけど
頭が下がります。
”くしょう”に”くしょう”しました。
南郷力丸さん
例によってレス遅れましたm(_ _)m
>「誤用や誤解はよくない」という「一方的」な立場
なんつっても「非対称性」がありますからね。
それに、「メラビアンの法則」を一般化しちゃうのだって「心理学者」じゃぁないんだから、いっこ構いませんです、ってことでせうね。
gegengaさん
「誤用や誤解をしてもいいじゃないの。人間だもの」といってから
指摘したら、改めてくださるんでしょうか? 」
さらに、「科学者(専門家)じゃないんだもの」ってつけると更に効果的です。
数学者以外はお釣りを間違えたって文句言われる筋合いではないのでした。
碧猫さん
レス遅れて申し訳ありません。
おおッ、伝説のNarrさんの「漬物倉庫」ですね。
あの時、「愚樵さんカッコわる~」って見てたのを思い出しました。
なんつっても、言いたいことだけ言って「遁走」ですから。
「この人たちとは話が通じない」って判断でしょうか?
>私はこちらでの議論の内容は理解できます。
>でも、みなさん(全員かどうかはわかりませ ん)には私の議論は意味不明らしいですね。
この「自分は両刀わかるけど、君らはかたっぽしかわからん」ってのがきょ~~~れつですな。
ひでさん
コメントありがとうございました。
私なんざ「メラビアンの法則」さえ、うちゃさんの愚樵さん宛てのコメントを読むまで知りませんでした。
おかげさまで、かえって最初から誤った理解にならなかっただけかも。
kanakaさま・・・・・
ぎnnぢょーしてmすのでうが、ようkすいらいしまs。
>「7%しかないから」も「7%だからこそ」も、この言葉を使った発話者の内部に、自分は他者より言語を操れるという自負が、ベースにあるのではないでしょうか。
私もあるように思います。それだけでなく、上の碧猫さんご紹介のコメントを読んでもわかるように、「両方わかる」という物凄い自負があるのではないかと思っています。
>「言葉」はまさに人生の光です。
「カム(神)はフタ(言葉)・・・」(半村良著太陽の世界より。アム族長老の死のまぎわの言葉。「ラ」神を深く信仰するアム族の長老が死の間際に神への疑問がふと浮かぶ・・・)
私のくだらないレスはこの辺にしておきます。
kanakaさんのコメントが全てを語ってくれていますので。
「手術台の上での・・・←これしか知らんやつ。
ja e w ckさん
私も訂正を入れてくれたことは嬉しく思います。
ですが、やはり体面を重んじる方なんでしょうね。
「強弁」含みだと思いました。
おくればせながら
「コミュニケーションの場において、言語の影響力は全体の7%」みたいな話は、どこかで眼にしたことはあって、「胡散臭い話だなあ」と思ってそのまんまになっていたのですが、なるほどこういうことだったんですね。
しかし、この話題、何かを引用したり言及して議論を進めるときに、できる限り資料にあたること、事実を確認し、根拠を明確にしながら論を進めていくこと、という、基本的な作法の問題でもあるように思います。「水伝騒動」で論争の的になったことがらのひとつも、それであったと思うのですが。
north-poleさん
>しかし、この話題、何かを引用したり言及して議論を進めるときに、できる限り資料にあたること、事実を確認し、根拠を明確にしながら論を進めていくこと、という、基本的な作法の問題でもあるように思います。
このあたりなんですよね。私も「基本的な作法の問題」だと考えるのですけれど、それを求めると「たかが個人的なブログに」、「研究論文じゃあるまいし」、「科学者じゃないんだから」という脊髄反応的な反発を持つ文化圏がどうも存在するようで。
「非対称性」があるわけですな。
その言い分がわからなくはないし、自分がいつもそれを出来てるのかというともちろんそうではないと思うし、なんか「居酒屋談義」的にお気楽に放言したいことだってあるのはわかるのですけど、「何かを他者に主張したい」(でも、こう言うと、「主張」ぢゃなくて「思いを綴っただけ」とか言うんだよね)のだったら、「作法」を守る努力はすべきだと思うのですがね。
誤りを指摘されたらそれはそれで認めれりゃ済むことがと思うのですが。
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