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無駄な記憶を消す冒険|高佐一慈
2022-09-05 07:00
今朝のメルマガは、お笑いコンビ、ザ・ギースの高佐一慈さんが日常で出会うふとしたおかしみを書き留めていく連載「誰にでもできる簡単なエッセイ」。今回が最終回です。身体の「老化」を嘆く高佐さん。年齢を重ねてから思う、「昔の思い出」との付き合い方について綴っていただきました。
高佐さんの連載が本になりました!
高佐一慈(ザ・ギース)『乗るつもりのなかった高速道路に乗って』
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車は高速道路を爆走する。 インターで降りようにも、降りる恥ずかしさを考えると、このまま高速を進んでいった方がマシなように思う。 こうして僕は、周りの目を気にするがあまり、引くに引けなくなってしまうのだ──。
「こんなに笑えるエッセイは絶滅したと思っていました。自意識と想像力と狂気と気品。読んでいる間、幸せでした。」 ピース 又吉直樹さん、推薦!
誰にでも起こりうる日常の出来事から、誰ひとり気に留めないおかしみを拾い集める、ザ・ギース高佐一慈の初のエッセイ集が待望の刊行。
『かなしみの向こう側』で小説家としてもデビューしたキングオブコント決勝常連の実力派芸人が、コロナ禍の2年半で手に入れた言葉のハープで奏でる、冷静と妄想のあいだの27篇です(単行本のための書き下ろし2篇と、あとがきを収録)。
高佐一慈 誰にでもできる簡単なエッセイ第30回 無駄な記憶を消す冒険
久々にロールプレイングゲームをやった。『ファイナルファンタジーⅨ』。元々プレステのソフトだったが復刻版としてNintendo Switchで出ていて、急に思い立ち始めてしまった。20年以上前に発売されたゲームではあったが今でもとても楽しく、あっという間にクリア。剣でモンスターをバサバサ倒していく感覚も楽しい上、ストーリーのプレイ後感も良かったので、他の懐かしゲームにも手を出そうかなと思っている。
話は変わるが、最近人の名前を思い出せなくなってきた。 おじさんあるあるとして聞いてきてはいたが、ついに自分にも訪れたようだ。この事実を受け入れたくはなかったが、そんなこと言っても思い出せないものはしょうがない。「やあ、いらっしゃい。まあどうぞどうぞ」と、お茶の一つでも出しながら笑顔で迎え入れるしかない。 そういえば、“焼肉屋に行ったらカルビよりもハラミの方が美味しく感じられるようになった”は2年前に迎え入れたし、“筋肉痛が遅れてやってくる”も5年前に迎え入れた。“いびきの音がうるさくなった”が僕のところに来たのは、もうかれこれ8年前にもなる。「ずいぶん来るのが早いじゃない。もうちょっと経ってから来てよー」と軽く愚痴りながらも渋々迎え入れてやったし、風呂にも入れてやった。 こうやって僕は徐々におじさんの完全体へと移り変わっていくのだろう。
しかし、このままおじさん要素を受け入れる一方でいいのだろうか。 脂分の少ない肉の方が好きになったことや、運動した翌々日に体が痛くなること、睡眠中の発声ボリュームが大きくなったことは、僕の意志ではどうにもできないことなので受け入れるしかないが、こと記憶に関してはまだ抵抗の余地はあるんじゃないか。 何かの記事で読んだが、ヒトの記憶容量は17.5TBほどあるらしい。1TBは1000GB。現代のスマホの容量が128GBとか256GBとかなので、とにかく相当な情報が頭に詰められる計算になる。 スマホの処理速度が遅い時に、いらなくなった写真を削除したり、アプリをアンインストールすることで容量を整理する。すると元の速度に戻ったり、新たな情報を取り入れやすくなる。久々にスマホの記憶を遡ってみると不必要なものでいっぱいになっていることがよくある。 この形で僕も記憶を整理することにした。たまにあるのだ。なんでこんなこと覚えてるんだろうという毒にも薬にもならない記憶が。そういう無駄な記憶が少しずつ蓄積され、容量をいっぱいにしているのだ。必要な記憶だけ残すように整理すれば、仕事先の大事な人の名前、いちいち財布からカードを出して確認する銀行の口座番号、面白かったことだけは覚えているけど何が面白かったのか忘れてしまった映画の内容などスルスルと思い出せるに違いない。
僕は無駄な記憶を消す冒険に出かけることにした。 背中に大剣を担ぎ、過去の記憶を自由に遡る。無駄な記憶に出くわしたら、剣を振りかざしズバッと情景ごと切り裂く。そうやって不必要な情報を消していくのだ。 いたいた、早速見つけた。小学生の僕だ。水泳の時間が終わり、水道で目を洗っている。蛇口が二股に分かれ上向きになっているプールでしか見ない水道。右の蛇口、左の蛇口からピューと飛び出してくる水道水を指の腹で止めたり離したりしている。右を止めると左から出る水の勢いが強まる。逆もまた然り。 これはあれだ。どうも両方から出ている水の高さが違うために、バランスを合わせようと左右を指で押さえながら調節しているところだ。なんでこんな記憶があるのだろう。無くて全然いいやつだ。 目を洗っている僕の背後に近づき、剣でバッサリと斬りかかる。
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僕のマイムタバコ|高佐一慈
2022-08-19 07:00
今朝のメルマガは、お笑いコンビ、ザ・ギースの高佐一慈さんが日常で出会うふとしたおかしみを書き留めていく連載「誰にでもできる簡単なエッセイ」をお届けします。最近は「禁煙」に挑戦中だという高佐さん。体調不良のために数日間禁煙を余儀なくされた反動で、猛烈にタバコを吸いたくなった高佐さんが編み出した独自の禁煙法とは……?
高佐さんの連載が本になりました!
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車は高速道路を爆走する。 インターで降りようにも、降りる恥ずかしさを考えると、このまま高速を進んでいった方がマシなように思う。 こうして僕は、周りの目を気にするがあまり、引くに引けなくなってしまうのだ──。
「こんなに笑えるエッセイは絶滅したと思っていました。自意識と想像力と狂気と気品。読んでいる間、幸せでした。」 ピース 又吉直樹さん、推薦!
誰にでも起こりうる日常の出来事から、誰ひとり気に留めないおかしみを拾い集める、ザ・ギース高佐一慈の初のエッセイ集が待望の刊行。
『かなしみの向こう側』で小説家としてもデビューしたキングオブコント決勝常連の実力派芸人が、コロナ禍の2年半で手に入れた言葉のハープで奏でる、冷静と妄想のあいだの27篇です(単行本のための書き下ろし2篇と、あとがきを収録)。
高佐一慈 誰にでもできる簡単なエッセイ第29回 僕のマイムタバコ
朝、布団の中で目覚めた瞬間に抱いた嫌な予感は、一秒後、嫌な実感として身体に残った。あ、この感覚ひさびさ、と思った。 寝不足のせいという一縷の望みにかけて布団の中でゴロゴロしていたのだが、あっという間に体温39.5℃、悪寒ぞんぞん、体の節々バッキバキ、頭痛ぐわんぐわん、歩行ふらっふらに。 ただの風邪だと思いたいけどめっちゃコロナっぽいなあ、と半ば確信しながら病院に行き、外の簡易テントで検査を受けたところ、案の定めっちゃコロナだった。医師からも、めっちゃコロナですね、と言われ、カルテにドイツ語で『めっちゃコロナ』と書かれた。
10日間の自宅療養期間はそれなりに大変だったのだが、今回僕が書きたいのはコロナ奮闘記ではない。コロナが僕に唯一もたらしてくれたプチチャンス、禁煙についてだ。
発症して3〜4日間は、熱と悪寒と痛みでそれどころじゃなかったのだが、僕は自然とタバコを吸っていなかった。平熱に戻った5日目くらいにふと気付いたのだ。あれ、そういえばタバコ吸ってないな、と。 僕の頭の中では、スキージャンパーが美しい姿勢で大ジャンプしたままだ。このまま着地するのも忘れ、禁煙の空を延々と飛んでいく気満々である。
風邪をひいたときはいつもそうだ。熱で苦しいのでタバコなんて全く吸いたくなくなり、煙を吸うところを想像してはおえーっとなり、何本か残っているタバコを箱ごとゴミ箱に捨てたくなる。そして、こんなに吸いたくないのだから、たとえ風邪が治ったとしてもこのまま一生吸わずにいられるんじゃないかと、その時は思う。 けれど体調が戻り健康になると、居ても立ってもいられなくなり、いつの間にか口から煙を吐いている。 空を飛び続けることなんて余裕だと思っていた僕は、いつの間にかテレマークで着地している。両腕を水平に開き、腰を落とし、膝を曲げ、くわえタバコだ。
今回も一週間を過ぎたあたりでどうしても吸いたくなり、一旦タバコとライターに手をかけ、テレマークの姿勢に入ろうと思ったのだが、ふと、せっかくここまで飛んできたのになんだかもったいないなあという気持ちになった。このまま飛び続けたらどうなるのだろう。水平に開きかけた両腕を元に戻し、再びスキー板と身体を並行にさせる。地面スレスレで着地しかけていた僕は、再び上昇気流に乗って滑空した。 もうちょっとだけ飛び続けてみよう。着地は明日すればいい。
実はこの「明日吸えばいい」くらいの楽な気持ちで禁煙に取り組むことこそが、成功の鍵なのだ。禁煙に失敗する人は、「絶対に吸わないんだ」とつい誓いを立ててしまう。これがいけない。逆に延々とタバコに思考を捕われる形になってしまうのだ。 禁煙しようとしている諸君、お先に。僕はもうコツを掴んでしまったよ。おそらくこの先、一本もタバコを吸うことはないと思う。 僕は余裕綽々で一人つぶやく。 「ま、いつでも吸おうと思えば吸えるって気持ちでいるんだけどね」 「今はたまたま吸ってないだけー」 「あーあ、残ってる一箱見てもなんにも思わないなあ」 「もはや禁煙成功と言っていいんじゃない?(笑)」 「全くイライラしないなあ」 「どうして今まであんな気持ちの悪いもの吸ってたんだろう」 「タバコ吸わずにエッセイでも書いてみようかなあ」 「ていうか全くイライラしないなあ!」 「吸った瞬間の、ストレスがフワーッと解消されるあの感覚、もはや懐かしいなあ」 「いやーそれにしてもイライラしないなあ!!」 完全にタバコに思考を支配されていた。もう吸いたくて堪らない。 ちなみに、この原稿を書いているまさに今この瞬間も、タバコを吸いたくて堪らない。タバコを吸いたくて堪らない、と書いたことでより吸いたくなってくる。禁煙というテーマで書き始めたのに、途中で吸ってしまったら、元も子もない。吸いに行った時点で、この原稿をゴミ箱に入れなければいけない。せめて、吸うのはこの原稿を書き終えてからにしよう。そうだ、原稿一本書いたらタバコ一本吸える。そういうルールにしよう。 ということで、僕は伝家の宝刀を抜くことにした。いや、伝家の宝煙を吸うことにしたと言うべきか。
【マイムタバコ】
この言葉を聞いたことはないだろうか。非喫煙者には耳馴染みのない言葉かもしれない。否、喫煙者でさえも聞いたことはないだろう。それもそのはず。これは僕が生み出した言葉であり、禁煙法だ。
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[特別無料公開]高佐一慈「究極の幸せ」(『乗るつもりのなかった高速道路に乗って』より)
2022-08-05 07:00
お笑いコンビ、ザ・ギースの高佐一慈さんによる連載「誰にでもできる簡単なエッセイ」がついに書籍になります!発売を記念して、今回のメルマガでは特に人気の高かった「究極の幸せ」を全文無料公開します。テーマは高佐さんの思い描く「究極の幸せ」について。夜眠る前にある料理を思い浮かべることが、キングオブコント優勝にも匹敵するほどの幸福なんだとか。
高佐一慈(ザ・ギース)『乗るつもりのなかった高速道路に乗って』 予約受付中!
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車は高速道路を爆走する。 インターで降りようにも、降りる恥ずかしさを考えると、このまま高速を進んでいった方がマシなように思う。 こうして僕は、周りの目を気にするがあまり、引くに引けなくなってしまうのだ──。
「こんなに笑えるエッセイは絶滅したと思っていました。自意識と -
カモフラージュフード|高佐一慈
2022-05-16 07:00
お笑いコンビ、ザ・ギースの高佐一慈さんが日常で出会うふとしたおかしみを書き留めていく連載「誰にでもできる簡単なエッセイ」。今回の舞台はスーパーマーケット。レジ打ちの店員さんに商品を見せるときにどうしても考えずにはいられないことについて綴っていただきました。
高佐一慈 誰にでもできる簡単なエッセイ第28回 カモフラージュフード
何かいい手はないかと、さっきからずっと考えている。
僕の横をいろんなお客さんが通り過ぎる。ビールとお弁当をカゴに入れた仕事帰り風の会社員、カートの下にトイレットペーパーを入れた年配の御婦人、お酒やおつまみを大量に買い込んだ仲良し学生3人組。それぞれが各々の列に並んでいく。 僕はといえば、レジより少し手前にあるパン売り場でさっきからずっと棒立ちだ。僕の持つレジカゴには、じゃがいも一袋、人参一袋、玉ねぎ一袋、牛肉300g、カレーのルー一箱が入っている。 こんな状況は今日が初めてではない。今までに何度も訪れた。そして何度も歯を食いしばりながらレジに並んだ。しかし、なんとか今日で終わりにしたい。そのためにスーパーの店内で、軽やかなBGMが流れる中、さっきからずっと考えあぐねているのだ。
僕はレジカゴの中の品物から献立を想像されるのが嫌だ。なんとなく、頭の中を見透かされているみたいで恥ずかしい。 このままレジに進むと、店員さんがバーコードを読み取っては、レジカゴから精算カゴへと商品を移していくだろう。そして黙々とその手を動かしながら、「このお客さん、今晩カレー食べるんだあ」と思うはずだ。 だって、じゃがいも、人参、玉ねぎ、牛肉、カレーのルー。完全にカレーだもん。じゃがいも、人参、玉ねぎ、牛肉だけでもカレー感が醸し出されているのに、カレーのルーとなるとそれはもう紛れもない。丸裸にされる気分だ。きゃーー。 バーコードのピッ、ピッという音に合わせて、僕の服がスッ、スッと一枚ずつ脱がされていく。 カレーの時はまだいい。お手軽料理も困る。 たとえばクックドゥのような、パッケージに「キャベツと豚肉で簡単にできる!」と書かれた箱と一緒に、キャベツと豚肉が入っている。 そういう時にだけ発動する僕のテレパシー能力のせいで、頭の中に「このお客さん、今晩キャベツと豚肉で簡単にできる料理を食べるんだあ」という声がはっきりと聞こえてくる。聞こえたと同時に、僕はすっぽんぽんだ。 恥ずかし献立の頂点に君臨するのがすき焼きだろう。 牛肉、卵、長ネギ、木綿豆腐、しらたき、春菊、わりした。謎の怪人コンダテーは秘密のベールを剥がされ、ただの今晩すき焼きを食べる男として正体を現してしまう。 すき焼きがカレーよりもたちが悪いのは、「なんか奮発してるな」と思われるところにある。黙々とバーコードを読み取る店員さんは、僕の脳内をも読み取ってくる。合計金額のところに 「このお客さん、今日なんかいいことあったんだあ」と表示されてしまった。精算カゴに入れられた卵から雛が孵り、ピーチクパーチク言いながら僕の頭の周りをぐるぐる回る。『ストリートファイターⅡ』でいうところのピヨった状態だ。
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何もしないことの可能性|高佐一慈
2022-03-08 07:00
お笑いコンビ、ザ・ギースの高佐一慈さんが日常で出会うふとしたおかしみを書き留めていく連載「誰にでもできる簡単なエッセイ」。このエッセイも長らく続けてきた高佐さんですが、この春ついに「小説」を刊行するようです。今回は、残すところ発売を待つのみとなった高佐さんの心境を綴ってもらいました。
高佐さんの書き下ろし短編小説集『かなしみの向こう側』が発売中です!https://sutekibooks.com/special/book005/
高佐一慈 誰にでもできる簡単なエッセイ第27回 何もしないことの可能性
小説を書くことになった。
きっかけは、一昨年に出版社を立ち上げた小説家の中村航さんから依頼されてのことだ。 中村さんとは、歌人の加藤千恵さん主催の飲み会で知り合った。もう10年くらい前の話だ。 ちなみに他にはテレビプロデューサーの佐久間宣行さん、歌手のmiwaさんがいらっしゃり、何者でもない僕は、目の前の錚々たるメンバーの中で、ただただ自意識を爆発させ、ひたすらに汗をかきながら黙ってお酒を飲むことしかできなかった。その時何を話していたか、どんな料理が出されていたかなど、全くもって覚えていない。 唯一覚えているのは、会の終わり際にmiwaさんが、リリースしたばかりのアルバム『Delight』を初対面である僕にプレゼントしてくれたことだ。CDジャケットにはご自身のサインとともに「高佐さんへ」というメッセージが書かれていた。キラキラと眩しすぎて、CDもmiwaさんも直視することができず、蚊の鳴くような声でかろうじてお礼を言うのが精一杯だった。CDを受け取った手は緊張でプルプルと震えていた。 羨むほどに活躍されている歌手、プロデューサー、小説家、歌人の方を前に何も話せなかった自分を思い出しながら、とぼとぼと家路についた。
その後、中村さんとは、オードリーの「ネタライブ」でお会いすることが何度かあった。毎回普通にお客として見に来ているようで、ライブ終わりに楽屋で挨拶をさせてもらった。 そこからギースのライブにも何度か足を運んでいただくようになった。 でもそれくらいの関係性である。 今回、どうして僕に小説執筆のお話をくださったのかは、いまだにわからない。 小説など、それまで一度も書いたことはなかったし、本が売れるような人気芸人でもない。それどころかほぼ無名に近い。新進気鋭の若手でもない。 百歩譲って、ギースのコントを好いてくれているとしても、コントは僕が一人で書いているわけでもない。相方、作家と三人で作っている。 お話をいただいた際、多分勘違いされているんだろうなと思い、そのことも説明させてもらったのだが、中村さんは「ああ、そうですか」と表情一つ変えずに言ったあと、「高佐さんの書く小説、絶対面白いと思うんですよね」とだけ言った。 きっと誰かと間違えているんじゃないか。今でもそう思う。
興味を持っていただけるのは嬉しい反面、本当に書けるのだろうか、そして期待にお応えできるのかという不安でいっぱいである。お断りしようかとも考えたのだが、僕の悪いところ、「危険なところへ丸腰で飛び込んでいく」気質、通称紐なしバンジージャンプ気質が発動してしまい、ついにお引き受けすることにした。
元々小説は好きだった。昔は電車の中やバイトの休憩中など、少しでも時間が空けばポケットから文庫本を取り出し読み耽るくらい好きで、今もまとまった時間が取れる時は、喫茶店をハシゴしながら一日中読んだりする。 しかし、まさか自分が書くことになるとは夢にも思わなかった。 中村さんとのリモート打ち合わせで、いくつか案を伝え、とりあえず短くてもなんでもいいので書くことになった。
取り掛かる前に、改めて好きな作家さんの小説を読み直してみる。 筒井康隆さん、今村夏子さん、村田沙耶香さん、前田司郎さん。 好きな作家さんだから当たり前だが、めちゃくちゃ面白い。 芸人さんの小説も読み返してみる。 又吉直樹さん、劇団ひとりさん、加納愛子さん。 才能を痛いほど感じる。 ひと月経ち、中村さんから「その後、どんな感じですか?」というLINEをもらった後、僕は正直に返信した。
「すみません……。一文字も書けてません……」
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究極の幸せ|高佐一慈
2022-02-14 07:00
お笑いコンビ、ザ・ギースの高佐一慈さんが日常で出会うふとしたおかしみを書き留めていく連載「誰にでもできる簡単なエッセイ」。今回は高佐さんの思い描く「究極の幸せ」について。夜眠る前にある料理を思い浮かべることが、キングオブコント優勝にも匹敵するほどの幸福なんだとか。
高佐一慈 誰にでもできる簡単なエッセイ第26回 究極の幸せ
夕食におでんを作った。
月に一度くらいのペースだろうか、時間に余裕のある日に作る傾向がある。 食材費は安く、簡単にできるので、週に一度でもいいくらいなのだが、これからも長く付き合っていきたいので、飽きないように月一くらいに収めている。 土鍋に水を入れ、昆布でダシを取り、白だしとめんつゆを入れ、火にかける。沸騰したら、大根、ちくわ、糸こんにゃく、たこ天、じゃがいも、ロールキャベツを鍋いっぱいに敷き詰め、蓋をして弱火でコトコト。 自分の好きなメンバーで具材を固め、できるだけたくさん作る。次の日の朝も食べれるようにだ。 土鍋の蒸気口から湯気がフンフン噴き出すのを横目に、箸や食器をこたつの上に並べる。冷蔵庫から缶ビールを取り出し、グラスに注ぎ、こたつに入って、一口、二口と飲む。苦味のある爽やかな炭酸が喉を通っていく。 そうこうしている内に、おでんは出来上がる。 蓋を開けると、真っ白な湯気の塊で、一瞬視界が遮られる。その直後、さっきよりも膨らんだ具材たちがぎゅうぎゅうになりながら、大きな鍋の中でグツグツと踊っているのが目に入る。 僕は火を止め、器に装う。 食べる。つゆの染み込んだ大根、ホクホクのじゃがいも、ブヨブヨに膨らんだたこ天。 美味い。特に冬の寒い日に食べるおでんは格別だ。
奥さんが帰ってきた。玄関のドアを開けるなり、鼻をクンクンと鳴らす。 「おでんだ!」 つゆが滴るちくわ、食感の良い糸こんにゃく、少しほつれたロールキャベツ。 器に装い、奥さんも食べる。 テレビを見ながら、二人でダラダラと過ごし、寝る時間に。 パジャマに着替えた僕は、電気を消して布団に入った。 目をつむると、土鍋に半分残ったおでんのことで頭がいっぱいだ。 おでんのつゆは、熱が冷めた時に、具材にぎゅーっと染み込んでいく。だから一晩寝かせると美味しくなるのだ。 「ああ、朝起きたら、鍋におでんがある!」
人生で一番幸せだなと感じる瞬間は、どんな時ですか? と問われれば、僕は間違いなく 「二日目のおでんを残して布団に入った時」 と答える。考えれば考えるほど、この瞬間が最強なんじゃないかと思う。これ以上幸せな瞬間なんてあるだろうか?
例えば、子供の頃。クリスマスイブの夜、布団に入った時。 明日の朝、目が覚めたら枕元にプレゼントがあることを想像し、ワクワクして眠りにつく。希望に満ちた幸せな瞬間だ。 しかし、どうだろう。サンタさんからのプレゼントが、確実に自分の欲しているものである保証はどこにもない。ガッカリする可能性だって孕んでいる。 現に僕が子供の頃、サンタさんに当時流行っていた「人生ゲーム」をお願いしたのだが、彼からのプレゼントは、「人生ゲーム平成版」という、僕が思っていたものとは少し違うものだった。友達の家で夢中になって遊んだそれとは、色や形、仕様が違っていることに「これじゃないんだよなあ」と、首をひねりながら遊んだ記憶がある。 その点、【二日目のおでんを残して布団に入った時】には絶対的な安心感がある。台所の、コンロの上の、鍋の中に鎮座するおでん。まるで聖母マリアのようだ。次の日の朝、蓋を開けたら、中におでん平成版が入っていた、なんてことはない。思い描くおでんがちゃんと入っている。
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周りの目を気にしすぎるあまり、乗りたくない高速道路に乗ってしまう|高佐一慈
2022-01-12 07:00
お笑いコンビ、ザ・ギースの高佐一慈さんが日常で出会うふとしたおかしみを書き留めていく連載「誰にでもできる簡単なエッセイ」。高佐さんが日常で遭遇する「引くに引けなくなった」状況の対処法について、さまざまなエピソードを語りながら、中学生のころに体験したある出来事を思い出します。
高佐一慈 誰にでもできる簡単なエッセイ第25回 周りの目を気にしすぎるあまり、乗りたくない高速道路に乗ってしまう
引くに引けない状況に立たされることはないだろうか? 多かれ少なかれ、誰にでもそんな経験はあると思う。 彼女と最近上手くいっていない。本当は全然好きなのに、ちょっとしたことで喧嘩をしてしまう。何度目かの言い合いの末、つい「別れよう」という言葉が口をついて出てしまった。本当は別れたくなんてない。売り言葉に買い言葉がエスカレーションしていった末のフレーズだったが、案外すんなりと相手に受け入れられ、自分の思いとは裏腹に、結果本当に別れることになってしまった友人を、僕は知っている。 彼は、自分が言い出した手前、すぐに発言を撤回するのがカッコ悪いと思ったのか、引くに引けず、乗るつもりのなかったさよなら高速道路を爆走するはめになった。だいぶ走ってから、これはマズいと思い直し、なんとかインターで降りようとしたのだが、時すでに遅し。彼女からの「別れようって言ったのはそっちでしょ。もう気持ちが冷めちゃった」というとどめの一言で、目的地「離別」に向かってそのまま泣きながら爆走することになってしまった。
世の中、引くに引けない状況に立たされることがよくある。 特に僕は、日常茶飯事だ。それは大抵、周りの目を気にしすぎるがあまり、起こってしまう。ほんの些細なことでも、勝手に引くに引けなくなってしまうのだ。 電車に乗っていて、駅に着いたと思って立ち上がったら、停止信号のため一時停止しただけだった時なんかがそうだ。 決して座り直すことはない。扉付近に移動し、さりげなく、扉上部に貼ってある路線図をまじまじと見たりする。それっぽく、駅の数を指で「1、2、3、4……」と数えてみたりもする。あくまで、間違えて席を立ってしまったわけじゃなく、始めから路線図を確認したかったんですよー感を出すためだ。そして、時計を気にするフリをし、一番早く乗り換えられる車両へ移動しないと乗り換えに間に合わないんだよ感を出し、別の車両へと移動する。 そうまでして、「間違えて立ち上がっちゃった罪」の証拠をカモフラージュしようとしても、周りからの『あの人、停止信号なのに立ち上がっちゃったわよ、ぷぷぷ』という声を完全に拭い去ることはできない。拭い去るには、本当にそのつもりで席を立った人になりきるしかない。なりきると、本当に自分のことが、そのつもりで席を立った人に思えてくる。すると恥ずかしさは消えていく。 たまに、黙って座り直す人を見ると、純粋にすごいなあと思う。心の強さがただただ羨ましい。僕にはそんな勇気はない。僕は、偽りの思い込みで自分を塗り固める。
先日、お昼過ぎに、家で電話をしていたら、玄関のチャイムが鳴った。電話の内容がまあまあ込み入った内容だったので、一瞬無視しようと考えたが、もしも宅配だったら再配達は面倒だなと思い直し、一旦電話を切って玄関へ向かった。ドアを開けると、もう誰もいなかった。 急いで追いかければまだ間に合うと思い、エレベーター無しの4階に住んでいる僕は、ダッシュで1階まで駆け下りた。 すると、ちょうどエントランスから出ていく人の後ろ姿が見えた。何やら荷物を抱えている。完全に宅配の人だ。急いで追いかけてよかったと思い、僕は息を切らしながら声を掛けた。 「すみません! 401の高佐です。よかった、間に合いました!」 エントランス内で思った以上に反響してしまった僕の声を聞き、配達の方はくるっと振り返った。 「ええっ!? わざわざすみません! ありがとうございます!!」と、申し訳なさそうに、しかし喜びの表情を浮かべ、丁寧にお辞儀をした。ずいぶんオーバーなリアクションだ。そこまで感謝されることか?
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手品とナンパと新聞購読|高佐一慈
2021-12-02 07:00
お笑いコンビ、ザ・ギースの高佐一慈さんが日常で出会うふとしたおかしみを書き留めていく連載「誰にでもできる簡単なエッセイ」。今回は、じつは高佐さんの特技でもある「手品」について。手品には、人の気持ちをあっさり変えてしまう魔力が潜んでいるんだとか……。
高佐一慈 誰にでもできる簡単なエッセイ第24回 手品とナンパと新聞購読
子供の頃から手品が好きだった。 最初に手品に触れたのは、小学生の時だったと思う。クラスメートの男子が輪ゴムを親指と小指に引っ掛け、一度拳を握り、パッと開くと人差し指・中指・薬指へと移動しているというものだった。タネを聞くと、なーんだそんなことかと思うようなものだったが、最初に見せられた時は本当にびっくりした。 それを家に帰って、妹に見せる。妹も僕と同じように「えぇーなんでー!?」とびっくりした。 人を驚かせることが面白くて、そこからどんどんのめり込むようになり、図書館で手品の本を借りてきては、新しい知識を仕入れ、親戚の集まりなんかがあると、いとこ相手に見せたりもしていた。 人を驚かせたり、喜ばせたり、怖がらせたりすることに楽しさを感じる僕のルーツは、もしかすると手品にあるのかもしれない。 一人で黙々と練習するのが好きな性分も相まって、大人になった今でも、ふと思い立った時に部屋で一人、誰に見せるわけでもなく、コインを消したりしている。気づいたら時間が過ぎ去っていて、一体俺は何をやっていたんだろうと不安になったりすることもしばしばだ。 最近ではコント中に披露することもある。 ある日、舞台でちょっとしたトランプマジックをした。それは、お客さんの言ったカードを当てるといったものだ。 トランプがケースに入ったままの状態で、お客さんに好きな数字とマークを言ってもらう。例えば「スペードの3」とお客さんが言ったとしたら、そこでケースからトランプを取り出し、扇型に広げる。すると一枚だけカードが裏返しになっている。それを引いてもらうと、なんとそのカードこそが「スペードの3」という手品だ。ちなみに「ダイヤのQ」と言われればダイヤのQ、「ハートの7」と言われればハートの7が裏返しになって出てくる。お客さんからも「えーーーっ!」と声が上がった。 舞台終了後、見に来ていた知り合いの男性が、「あれ凄かったですねー!」と目を輝かせながら話しかけてきた。そしてタネを教えてくれ、タネを教えてくれと執拗にせがんだ。あまりにもしつこかったのと、訴えかける彼の目の真剣さに、僕はついに教えてしまった。彼は目をキラキラさせながら、「ありがとうございます! 早速トランプ買ってきます!」と言い、その足で百貨店に向かっていった。 後日、その男性から「高佐さん、マジであの手品すごいですね! 本当にありがとうございました!」と感謝された。 聞くと、ナンパした女性にその手品を披露したことで、見事ワンナイトラブに持ち込めたというのである。 僕は複雑な気持ちになった。
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2年ぶりにした打ち上げ|高佐一慈
2021-11-17 07:00
お笑いコンビ、ザ・ギースの高佐一慈さんが日常で出会うふとしたおかしみを書き留めていく連載「誰にでもできる簡単なエッセイ」。今回はライブ終わりの「打ち上げ」をめぐる、とある先輩芸人とのエピソード。「売れてる芸人の基準」について議論に花を咲かせながら、彼の別れ際にこぼした「ある一言」に、高佐さんが思うことは……。
高佐一慈 誰にでもできる簡単なエッセイ第23回 2年ぶりにした打ち上げ
先日、オードリーネタライブという、オードリーの二人が不定期で開催しているライブに出させてもらった。ネタライブという名の通り、オードリー含め数組の芸人がネタを披露するだけの至ってシンプルなライブだ。特別な企画コーナーなどはなく、ある意味ストイックなライブでもある。 僕らザ・ギースは、どういうわけか毎回このライブに呼んでもらっていて、下手したら初回から一度も欠かさずに出演しているかもしれない。若林さんが本当にどういうわけだか僕らのコントを好いてくれていて、僕らがキングオブコントの決勝に残るとか残らないとか、今上り調子だとか下り調子だとか、そんな世間の風向きなど一切お構いなしに呼んでくれるのだ。同世代ということもあるかもしれないが、こんなにも義理堅い人がいるだろうか。損得勘定という概念が欠如しているのではないだろうかとさえ思う。 僕らと同じく毎回出演している芸人さんに、TAIGAさんというピン芸人がいる。 TAIGAさんは、オードリーの二人とは古くからの付き合いで、ショーパブでの下積み時代からずーっと一緒に苦楽を共にしてきた仲だ。厳密に言えばオードリーの先輩に当たり、芸歴も年齢も上になる。最近では「アメトーーク!」の「40過ぎてバイトやめられない芸人」という括りの回に出演し、苦労人として注目されたことで、今じわじわと認知度が高まり、いろんな番組に出始めている。 そんなTAIGAさんと僕らは、他のライブでもたまに会って喋ったりするのだが、正直どんな人なのか、そこまで深くは知らない。なんとなく、カッコつけてるけど抜けてるところもある、よく後輩からイジられてる先輩、といった印象だ。発言や行動に隙がある人なので、そこを突かれて笑いが起こるという、いわゆる愛されるタイプの芸人さんだ。その日のネタライブでも、歌ネタの途中で歌詞が飛んでしまい、必死に思い出そうとするが、無情にも曲は流れ続け、一向に思い出せずにあたふたする姿に客席は大爆笑だった。自分のミスで爆笑が起こるというのが不本意だったのか、相当凹んで袖に戻ってきた。大爆笑の後に、あんなに凹んだ姿で袖に戻ってきた人を初めて見た。そしてライブのエンディングでその様子を周りにイジられる。 自分に置き換えて考えてみるとゾッとする。多分僕が同じようにミスをしてもあそこまで笑いは生まれないだろう。そしてエンディングでも腫れ物に触る感じになってしまい、イジられるということはないだろう。そう考えると、人(にん)というのはお笑いにおいて本当に大事で、これこそが才能だろうなあとも思う。
ライブが終わり、楽屋でみな着替えたり、帰り支度をしていると、TAIGAさんが誰に向けるわけでもなく言った。 「打ち上げ行きたいなぁ」 今はご時世的に、どのライブでも打ち上げは解禁されていない。もちろん演者の内の数人で行く分には、2021年10月現在、規制緩和もされてきているので構わないだろうが、大人数での打ち上げはやれないのが現状だ。もうこの状況になって2年近くになる。 インドア派の僕にとっては、この打ち上げ無しの風潮はとりわけ辛くも苦しくもなかった。どちらかというと、居心地の良ささえ感じていた。人と飲むこと自体は嫌いではないが、人数が増えれば増えるほどかかってくるストレスは増える。人が揃うまで飲食に手を付けてはいけなかったり、後輩は率先して働かないといけない。気が合わない人と席が一緒になることもあるし、自分の好きなタイミングで帰りづらい。そもそも、うるさい場が苦手だ。よく「打ち上げは自分たちのためじゃなく、スタッフさんを労うためにやるものなんだよ」と言う人がいるが、仕事が終わったらすぐに帰りたいと思うスタッフさんも確実にいるはずで、その人たちのことはどう考えてるんだろう。色々考えると、人と会うより一人の方が楽だよ。 愚痴が止まらなくなってきたので、話を元に戻します。 TAIGAさんの「打ち上げ行きたいなぁ」に、その場にいた芸歴4年ほどの若手が答えた。 「僕たち、まだライブ後の打ち上げって体験したことないんですよ」 コロナによって時代の流れはこんなにも変わるのか。聞くと、これまでは当たり前のようにあった、ライブ後、劇場入り口付近にファンの方が集まる「出待ち」も経験したことがないという。 そんな新鮮な話に、僕らが一様に驚いたり、興味を惹かれたりしている中、TAIGAさんは 「オードリーネタライブも、前までは打ち上げがあったんだよ……」 と、『ALWAYS 三丁目の夕日』でも見るかのような顔つきで声を漏らした。 「あ、そうなんですね! 打ち上げという感覚がないので一度行って──」と言葉を続けようとする若手の声が耳に届かなかったのか、TAIGAさんはもう一度 「打ち上げしたいなぁ」 と、言った。そこから5分置きに「打ち上げしたいなぁ」と漏らすTAIGAさんこと打ち上げしたいなぁおじさんに、誰かが「いや、TAIGAさん。打ち上げないで今日のネタ反省してくださいよ」ともっともなことを言う。楽屋内が笑いに包まれ、この話はもうおしまい。TAIGAさん自身も参ったなぁ的な感じで笑っている。打ち上げしたいなぁおじさんの打ち上げ欲は無事、空へと打ち上がった。そしてTAIGAさんが言った。 「あぁ、打ち上げしたいなぁ」 空へと打ち上がった打ち上げ欲はUターンしてもう帰還していた。
数人で駅へ向かい、それぞれが家に帰るべく自分の路線の電車に乗る。僕とTAIGAさんと僕の事務所の後輩・ラブレターズの塚本の3人は、帰る方向が一緒だったので同じ電車に乗り、横並びで吊り革に捕まった。 「どこで乗り換えるんですか?」 TAIGAさんが聞いてきた。 「僕は乗り換えずにこのまま」 塚本が答える。 「あ、じゃあ俺と一緒だ。高佐さんは?」 「僕は新宿で乗り換えます」 「あれ、でも高佐さん、僕と家近いですよね? このまま乗ってった方がいいんじゃないですか?」 「あ、今日外寒いんで、なるべく家に近い方の駅から帰りたくて」 「少しだけ打ち上げ行きません?」 剣豪が少しの隙も逃さずに刀で斬ってくるような間合いだった。あたふたしながら僕は答えた。 「いや、どんだけ打ち上げ行きたいんですか!」 しかしその声はマスクの中で響いただけで、TAIGAさんの心には全く響かなかった。 「俺、本当に打ち上げしたいんすよ……。なんかこういうご時世になって、インドア派の人たちからはむしろありがたい、なんて声も聞くんですけど、俺本っ当にダメで。人と会って飲みたいし話したいんすよね」 後輩の芸人100人集めてバーベキューをするスーパーアウトドア派のTAIGAさんにとって、この状況は本当に苦痛らしかった。小学生が新品のサッカーボールを持ってサッカーがしたいと訴えかけるように、純粋に打ち上げがしたいと願うTAIGAさんの目に僕は心が揺らいだ。そしてそのまま3人で、たどり着いた駅前の屋外広場で、打ち上げをすることになった。
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物語の主人公になれない|高佐一慈
2021-10-06 07:00
お笑いコンビ、ザ・ギースの高佐一慈さんが日常で出会うふとしたおかしみを書き留めていく連載「誰にでもできる簡単なエッセイ」。ドラマチックな人生に憧れながらも、自分のことを「主人公になれない」人間だと認識している高佐さんは、日常のちょっとした事件からどんなことを考えるのでしょうか。
高佐一慈 誰にでもできる簡単なエッセイ第22回 物語の主人公になれない
真っ暗な深海から、体がスーッと浮き上がってきたかのように、まぶたの中が徐々に光で満たされてきた。明るくなってくるにつれて、先ほどからうっすらと感じていた頬の痛みも、だんだんとはっきりとしてくる。 「……さん。……高佐さん。高佐さん!」 誰かに呼びかけられているようだ。 細い横線一本だった視界が上下に広がりを見せ、景色がぼんやりとした状態で目に飛び込んでくる。 僕は意識を取り戻した。 白い天井をバックに、お医者さんと看護師さんが、視界の左右からニュッと顔を出し、僕を覗き込んでいた。どうやら僕は硬いベッドの上で仰向けになっているようだ。お医者さんは、ペチペチペチ、ペチペチペチと、一定のリズムで僕の頬を叩いていた。 「先生、高佐さんの意識が戻りました!」 「よかった!」 二人の顔が安堵でほころぶ。僕はガバッと起き上がろうとするや、まだ身体が追いついていないようで、目眩を感じ、右手で頭を押さえた。 「あ、高佐さん、無理しないでください」 看護師さんが優しい口調で、僕をそっとベッドに寝かせる。
なぜこんなことになったのか、僕は思い出す。たしか……。
たしか、僕は渋谷の大通りを歩いていた。すぐ後ろで「あーん!」という声が聞こえたので、ふと声のする方に目をやると、転がるゴムボールを追っかけて、小っちゃい女の子が車道に飛び出していた。女の子はボールに夢中で周りが見えていない。そこへトラックが猛然と向かってきていた。 「危ないっ!」と声を出すより先に、僕はガードレールを飛び越え、女の子に向かって走り出した。女の子がボールをキャッチした瞬間、僕もその女の子ごとキャッチし、抱きかかえたまま、反対側の歩道へと逃げ込もうとしたところで、「パーーーーーーッ!!」と、けたたましい音が鳴り響いた。見ると、トラックがもう寸前のところまで迫っていた。大きくなっていくクラクションの音とともに、ヘッドライトの光が僕の視界いっぱいに広がり、そして……。 でもこうして今、意識がある。見たところ体も無事みたいだ。 そうだ、女の子はどうなったんだろう! 「先生、あの子は? あの女の子は無事ですか?」 「それが……」 先生が僕から視線を外す。
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