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  • 【特別対談】〈世間〉に呑み込まれず〈社会〉につながるアプローチを実践していくために|吉田尚記×宇野常寛

    2020-11-04 07:00  

    今日はニッポン放送アナウンサー・吉田尚記さんとPLANETS編集長・宇野常寛の対談の後編をお届けします。新著でしんどくならないオープンな雑談の仕方を展開した吉田さんと、「ひとり遊び」の伝授を通じて閉じた人間関係のネットワークの外側にアクセスする方法を模索する宇野。対照的なアプローチで「世間」に向き合う二人の対話は、「アベンジャーズ」対「なろう系」の対立が象徴する「社会」の分断の問題に及びます。(この対談の前編はこちら)
    「アベンジャーズ」対「なろう系」の対立の先にあるもの
    吉田 ちょっとだけ余談を挟むと、いま「異世界転生もの」がたくさんあるじゃないですか。僕はオタクなんですけど、正直言ってぜんぜん興味が持てなくて、某ラノベ原作アニメのプロデューサーに、なぜあんなにウケているのかと聞いてみたら「ユダヤ教と同じだ」と言われたんです。  つまり、「ここではない、どこか」があり、そこでは君は報われるんだ、という共通の構造は同じまま、シーズンごとに次々と出てくる新しいものをずっと読み続けて生きていく。これは非常に人間にとって古典的な生き方であるという主張をされていて、この人はわかっているなと思いながら話を聞いていたんですよね。
    宇野 僕と吉田さんは同じ70年代生まれだからわかると思うけれど、小中学生のころ、「異世界転生もの」が今ほどではないけれど非常に多くて、漫画やアニメがオタク的なものであればあるほど、リアルな学園生活のハーレムやラブコメを描くよりもSFファンタジーの力が強かったじゃないですか。それぐらい当時のオタク的な想像力は「ここではない、どこか」というものを作っていくものだった。最初のアニメブームの源流ってSFブームにあるので、SFファンの一部がアニメ好きな人たちを「堕落した」とか言って怒っていた時代をギリギリ知っていた世代ですよね。
    吉田 『ヤマト』と『ガンダム』のファンがSFファンとケンカしていたわけですよね。
    宇野 そういう時代から20、30年経って、今「なろう系」を中心にした「異世界転生もの」はほとんどハーレクインみたいな定番ものとして完全に定着している。その一方で、グローバルなエンターテインメント市場には『アベンジャーズ』が代表する現実を抽象化してまとめた写し鏡のようなファンタジーがある。半年ぐらい前に2019年のエンタメを総括した時にも話しましたが、『アベンジャーズ』対「なろう系」という対立が起きているんですよね。  つまり、『アベンジャーズ』シリーズで描かれたように、現代社会の構造はアイアンマンとキャプテン・アメリカの思想的な対立で世の中のいろんなものが説明できるのだけれど、こういう社会批評的なエンタメで表現されているのは基本的にグローバル・エリートのメンタリティで、「持てる者」か「待たざる者」かで言うと「持てる者」で、「非モテ」か「リア充」かと言ったら圧倒的に「リア充」なわけです。この「現実」のプレイヤーである人たちのための物語が『アベンジャーズ』で、それに対して、どれだけ頑張っても何者にもなれず、自分の手で世界に触ることができないと絶望している人たちのための物語が「なろう系」である、と整理したと思うんだけど、そこから時間が経ってちょっと部分修正をしなきゃいけないと思ったわけです。『愛の不時着』って観ました?
    吉田 観てないです。
    宇野 『愛の不時着』って「なろう系」の要素があると思うんですよ。韓国の財閥令嬢なんだけど、私生児だから家族から孤立しているヒロインが、自分で財閥を持つために作ったベンチャー企業を大企業に成長させて、実力で後継者になろうとしている。で、ここはギャグなんだけど、彼女がパラグライダーで北朝鮮に不時着して、そこにいたイケメン北朝鮮将校、しかも天才ピアニストというチート設定の青年に救助されて恋に落ちる、みたいな世界で、前半がほぼ『財閥令嬢の私が北朝鮮に不時着したらイケメン将校に愛された件』、みたいになっていて(笑)。
    吉田 もう完全に「なろう系」ですね。
    宇野 いちいち北朝鮮の暮らしや習俗とかがおもしろおかしく紹介されるし、そこで韓国の現代社会の知識を持っているヒロインがちょっと変わったアプローチで役に立っていくみたいなストーリーなんですよね。
    吉田 めっちゃ「異世界転生」ですね(笑)!
    宇野 ヒロインがグローバルエリート的な設定だし、『アベンジャーズ』的な「持てる者」の物語なんだけど、その一部に「なろう系」的なノウハウが回収されちゃっている気がするわけです。韓国でも「なろう系」がすごく人気で、日本人はトラックにひかれて異世界にワープするけど、韓国は漢江に自殺で飛び込むとワープするらしくて。
    吉田 そうそう、「漢江自殺」が当たり前なんですよね。
    宇野 だから「なろう系」のノウハウがリア充側に回収されちゃっていると思うんだけど、僕は基本的に非モテ側の味方だから、彼らの魂はこれから一体どこに行くんだろうと気になっているんですよね。
    吉田 うーん。リア充側に持っていかれてしまいましたね。
    宇野 換骨奪胎されているわけじゃないですか。
    吉田 ちなみに、「悪役令嬢」の話はご存じですか? 
    宇野 「悪役令嬢」って、転生したら少女漫画の悪役令嬢になってしまったみたいなやつですよね?
    吉田 そうです。ゲームの悪役令嬢に転生してしまったみたいな設定が多いんですけど、最近ラノベ系サイトの検索単語ベスト3は、1位「悪役令嬢」、2位「ざまあ」、3位「婚約破棄」なんですって。
     令嬢、つまりリア充で地位を成し遂げた者は邪悪な者である、という幻想がある。まあ、事実かもしれないですけど。その令嬢の人たちが婚約破棄をされるのを見て溜飲を下げるのが今のラノベの主流になっているんですよ。最近になってアニメでも観測されたんですけど、ラノベ勢はもう3年ぐらい前から圧倒的に悪役令嬢のことばっかり考えている状態なんです。
     「異世界転生」だと、自分がギリギリ投影されていたと思うんですよ。さらにすごいのが、20年前は「なんでもない高校生だった俺」の転生が多かったのが、20年経って「35歳まで生きたけど、今まで人生で何もいいことがなかった会社員」もしくは「ニートの俺」が主人公のものに変わったんです。それが「新文芸」っていうとんでもないタイトルで100万部売れたりとかしていたんですけど、作っている人にすら誰が読んでいるのかわからない。そういうサイレントマジョリティがいて、その人たちが次に手を伸ばしているのが「悪役令嬢」で、自分とは関係がない物語なんです。
    宇野 自分とは関係がないけれど、これまでのフィクションではどうあがいても肯定されなかった存在ってことですか?
    吉田 そこでは、「もう自分はいい、自分の人生に先がないのはわかった。でもせめてうまくいっている人たちがひどい目に遭うのを見たい」という欲望が駆動されているんです。
    宇野 でもそれって、基本的にこの国のワイドショーとか週刊誌とかTwitterがやっている、自分よりも甘い汁を吸ってそうな人たちが転んだタイミングを狙って石を投げて溜飲を下げていることと同じですよね。
    吉田 もうまったく同じです。
    宇野 そういう人たちはいなくならないけど、彼らの影響力を少しでも下げることでしか世の中はよくならないと思うし、そういった人たちに自分の人生を邪魔されないような環境をどれだけ作れるかが勝負だと僕は思っているんです。
    吉田 その人たちが同じ会社にいて30代後半につまずくというのは、まさにその通りだと思っています。そこで、「何が解決策になるのか?」と考えたときに、僕は宇野さんの言う「ひとりあそびの力」みたいな、自分で何かに興味を持って掘り下げられることが大前提だと思うんですよ。ただ、同時にそれを「社会とどうやって接続するか」っていうのも、僕は重要だと思うんですよ。
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  • 【特別対談】〈世間〉で消耗しないコミュニケーションを身につけるために──『会話がしんどい人のための話し方・聞き方の教科書』と『ひとりあそびの教科書』から|吉田尚記×宇野常寛

    2020-11-02 07:00  

    今日はニッポン放送アナウンサー・吉田尚記さんとPLANETS編集長・宇野常寛の対談の前編をお届けします。新著『元コミュ障アナウンサーが考案した 会話がしんどい人のための話し方・聞き方の教科書』で、コミュニケーションを通じて社会へのつながり方を提示している吉田さんと、執筆中の『ひとりあそびの教科書』では、人ではなくモノ・コトに向き合うことを呼びかけている宇野。それぞれの異なるアプローチから、「世間」に溺れずに生き抜く方法を考えます。
    司会者のアプローチごとの効用とは何か
    吉田 どうも、ニッポン放送アナウンサーの吉田尚記です。進行の仕事をしているということで、今日は進行の立場を任されました。では、早速ご紹介したいと思います。本日のゲスト、宇野常寛さんです。
    宇野 本来であれば完全に逆なんですよね。この対談を収録しているのはPLANETS編集部、つまり僕の事務所で、この対談は僕の媒体で公開するわけなので、本来であれば僕が仕切るところなんです。ただ、せっかく進行のプロをお呼びしたし、僕が仕切るのはだるいなと思って押しつけちゃいました。ごめんなさい。
    吉田 仕切るのだるいですか?
    宇野 僕、本当は仕切るのも、司会もできればしたくなくて、自分の好きなことを好きなように喋って帰りたいと日々願って生きてます。
    吉田 そうなんですか。僕はどちらかというとTEDのように一人が「俺の話を聞け〜」みたいに話しているときよりは、対談の方が好きなんです。その場に同時にいることで、本人たちの主張がちょっとずつズレたり、合わさっていく感じってありますよね? あれがすごく好きなので、仕切るというか進行はしたいと思っています。
    宇野 僕、人の話を聞き出すのはけっこう好きなんですよ。
    吉田 よくインタビューしてますもんね。
    宇野 PLANETSが作っているWEBマガジン「遅いインターネット」のコンテンツでも、よく誰かのインタビューを掲載していますが、名前を出さずに僕が聞き手を務めている記事も多いんです。聞き手になることで、単純に自分の興味関心を掘り出して自分の考えも深まるし、上手い質問ができたときに相手の頭の中でも化学変化が起きて思わぬ回答が出てきたりする。そういった会話の醍醐味や面白さは僕もよくわかるんです。だから、一対一に近い状況で僕が質問攻めにするのは好きなんだけれど、お客さんの目を少し意識しながら第三者に向けて何かを演じるようなことにエネルギー使うのはあまり好きじゃなくて。
    吉田 宇野さんもきっと感じていると思うんですけど、世間が考える「普通の一般大衆」っていわゆる一般大衆ではないと思っています。もっと敏感だったり、公正で、教養高いもので、そういうふうに想定しているから、僕は演じているわけではないんです。多分みんなが気になっていることと同じことが気になるので、普通の人間として口を出す。そうすると、お客さんのことを意識しながらいろんな人を進行するのってそんなに辛くないですね。
    宇野 僕は別の方向性の脳の使い方を同時にするのが嫌なんです。つまり、オープンなダイアローグの場でいい結果を出すためにうまくボールを投げて場を整理することと、そこで語られている問題について、プレイヤーとしてしっかりと本質を抉るようなボールを投げることは、それぞれ別の脳の使い方をしていて、その二つを同時に動かさなきゃいけないのが嫌なんです。僕は後者の方に集中したいと思っているから、その場をどうするかということは誰かに預けたい。ただ、自分のメディアでやっているときは自分が胴元でもあるので、大体の場合は前者の方向性を考えないということはできないんだけれど、本当は司会者に預けて僕はプレイヤーに徹したいと思っています。なのでときどき吉田さんにも仕事をお願いしてるわけです。
    吉田 僕は自分で司会者をやっていながら、原理的に司会者っていらないんじゃないかってずっと思ってるんです。でも、今の話だと宇野さんは司会者が必要だと思っているんだなって。
    宇野 まあ、自分が楽したいからですね。やっぱり司会者がいると楽で、僕はカメラが回っているときやお客さんがいる時は相手の顔色を見て話すのではなくて、プレイヤーとしてそこで論じられてる対象そのものについて語りたいわけです。例えば、最近は某ドラマのおかげでメロンパンがあるクラスタ内でやたら重要アイテムになっているらしいんですが、僕らがメロンパンについて真剣に議論するとして、どういうメロンパンが美味しいのか、あるべきメロンパンの形や、メロンパンというカルチャーが生まれた日本のパン文化とは何かといった、メロンパンそのものについて語りたい。ちなみに僕はメロンパンは全然好きじゃなくて、個人的には絶対買わないんですけど。  でも、司会者だったら場の雰囲気をちょっと和気あいあいとしたり、会話が弾むようにするとか、話題そのもの以外の部分にもエネルギー使わなきゃいけないじゃないじゃないですか。そういうことに脳のリソースを割きたくなくて。
    吉田 ただ、司会者が「お前らワイワイしろよ」って命令するのは一番間違っていて、ワイワイできるような組み合わせを考えて、なんとなくそこに配置していくことが一番大切ですよ。
    宇野 これは生き様の問題で、司会をやると「周囲を見てタイミングよく話を振らなくては……」みたいなことを考えないといけないけれど、僕はそこで論じられてる対象そのものに注意力を割きたいと思ってモヤモヤしてしまうので、僕はなるべく自分以外の司会を立てるようにしているんです。
    吉田 そうですね。僕は司会者として呼ばれることもありますが、逆に最近なぜかパネラーの方として呼ばれることも増えてきているんです。
    宇野 僕も昨年末にきゃんち(喜屋武ちあきさん)を司会にたてて吉田さんをパネラーとして呼びましたよね。
    吉田 やりましたね。その時は僕も進行のことは考えてなかったので、気持ちよく話せました。なるほど、できるかどうかではなく気持ちいいかどうか、ということですね。
    宇野 そうした方が、お客さんにいいものを届けるためには最適な配置だと僕は思うわけです。僕は司会をやらざるを得なくなってそれなりに訓練してきたけど、まだ全然下手なので、司会には司会のプロがいるし、自分はプレイヤーに徹した方が満足度の高い良い結果が出せると思っていて、なるべく自分で司会をやらないようにしているんです。
    吉田 宇野さんだから手の内を明かすんですけど、司会者ってすごく恣意的に結論を導けちゃうときがあるんですよ。
    宇野 いろんなタイプの司会者がいますよね。僕が長く仕事した人だと、加藤浩次さんって自分で結論を導くタイプの司会者なんです。それは加藤さん自身がそういうものが好きな人だと思うし、テレビがそういう立ち回りを求めているから。あともう1人、僕がよく仕事をしてきたテレビの司会者では堀潤さんがいますが、彼は自分で結論を導かずに、いろんな人に喋らせることによって結果として地図を提示するんですね。  それぞれが良いか悪いかという話ではなく、加藤的なアプローチが有効な番組・イベントがあれば、堀的なアプローチが有効なものもある。けれど、僕は自分が作るものとしては後者の方が気持ちいいなと思っています。結論がはっきりしているものは個人がその責任において発言すべきものであって、集団の合意として提示すべきものではないんです。
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  • ☆shibuya2nd連動企画☆ 吉田尚記×宇野常寛『空気の読め(読ま)ない男たち』 いま〈世界の全体性〉を記述できるメディアとは――「業界人幻想」のテレビ、「総合芸術」のゲーム、「他人の人生の代理体験」としてのアイドル

    2019-12-18 11:30  

    ニッポン放送アナウンサー・吉田尚記さんと、評論家・PLANETS編集長の宇野常寛が、80年代〜現在に至るまでの「メディア」とそれを取り巻く状況の変遷について語り合いました。12月22日(日)まで、限定で無料公開中です! ※本記事は、2015年9月17日に配信した記事の再配信です/構成:中野慧
    「業界内輪ノリ」がテレビをつまらなくしている
    宇野 前回の対談は松井玲奈の卒業がテーマでしたけど、今回は当代随一のラジオパーソナリティであるよっぴー氏と「テレビ」「ゲーム」「アイドル」をそれぞれの時代に対応したメディアとして語ってみたいと思います。 まず、少し前の話になってしまうけれど7月にフジテレビ系で放送された「27時間テレビ」が面白くないということで炎上していましたよね。僕は個別の具体的な演出がどうとかには一切興味がないし、もっと言えば1秒も見ていない。なので、内容に関してあれこれ言う権利はな
  • いつか、空気を読まないために――吉田尚記『なぜ、この人と話をすると楽になるのか』(PLANETSアーカイブス)

    2018-10-29 07:00  

    今朝のPLANETSアーカイブスは、宇野常寛による『なぜ、この人と話をすると楽になるのか』(吉田尚記)論をお届けします。「空気を読めない」といつも怒られている僕たち(?)に対して、その対処法を解説しベストセラーとなった、よっぴーさんの『なぜ楽』。そこに隠された「一番大きなメッセージ」を読み解いていきます初出:『ダ・ヴィンチ』2015年4月号 ※この記事は2015年4月22日に配信した記事の再配信です。

    ▲吉田尚記『なぜ、この人と話をすると楽になるのか』
     
     ニッポン放送のアナウンサー・吉田尚記と知り合ったのは、一昨年のことだ。僕がニッポン放送の深夜番組(『オールナイトニッポン0』)を担当していたとき同社の偉い人が、僕と気が合いそうな男がいると紹介してくれたのだ。それまで僕と吉田はお互い相手のTwitterのアカウントはフォローしていたが、これといって交流はなかった。向こうがどう思っていたかは知らないが、僕のほうはどこからともなく流れて来た彼のtweetの内容、たしか彼のメディア論というか、ラジオ論のようなものが気になってフォローしたのだと思う。
     その後、僕と吉田はニッポン放送で顔を合わせるたびに雑談を交わすようになった。しかし決定的に仲良くなったのは、彼が僕を彼の主宰する対談イベント「#jz2」に呼んでくれたことだと思う。ここで僕と吉田はメディア論、特にラジオ論とソーシャルメディア論で白熱し、有り体に言って意気投合した。そして気がつけば吉田は僕のメールマガジンやインターネット放送の常連出演者(もちろんアナウンサーとしてではなく、いち「論客」としての登場だ)になり、いまでは月に一度は何らかのかたちで議論している。
     だからほとんど当たり前のように、吉田が二冊目の本を出版することになったとき僕のところにLINEでゲラが送られて来て、そして当たり前のように販促のコメントを僕が書いて、当たり前のように出版記念イベントに出演することになっていた。
     しかし、今回僕が同書『なぜ、この人と話をすると楽になるのか』について取り上げようと思ったのはそれが吉田の本だからではない。この本は同時代の物書きとして、しっかりアンサーしなければならない本だと感じたからだ。
     
     本書の概要を簡易に説明しよう。吉田は同書をどちらかといえばコミュニケーションが苦手な「コミュ障」のための本だと位置づける。吉田はいう。自分は本来まさにその「コミュ障」の典型例であると。しかし自分はうっかりアナウンサーという職業に就いてしまった。そしてその結果、コミュニケーション力を「学習」することになったのだ、と。吉田曰く、同書はコミュニケーションという「ゲーム」の攻略本である。ここでいう「コミュニケーション」とは要するに個人的な会話を通じた社交術のようなものだと思えばいい。
     幼少期から「もっと空気を読め」と言われ続けて、そしていまも何かのきっかけで場違いな食事会に呼ばれてしまうたびに気まずい思いをしながら早く帰りたいなと考え続けている僕にとって、同書は仕事を忘れてページをめくることのできる実践本でもあった。
     たとえば同書で吉田はコミュニケーション力を、「空気を読む」力を、雑談という視点から説明する。いわゆる「コミュニケーション力の低い」「空気の読めない」(僕のような)人間は「雑談」ができない、いや雑談に興味が持てないのだという。僕らのような人間はつい、日常の何気ない会話にまで目的を求めてしまう。自分の知的関心を満たしてくれる視点や、未知の情報を期待してしまう。もしくはそれらを相手に与える達成感を期待してしまう。しかし、それは、間違いだと吉田は言う。吉田は同書で「コミュニケーションの目的はコミュニケーションである」と断言する。そう、いま僕が挙げたようなコミュニケーションの「目的」は実は人間対人間のコミュニケーションではなくとも得られるものだ(人間対モノ、人間対情報、など)。人間同士のコミュニケーションでなければ得られないもの、それは会話が盛り上がることによって得られる高揚感でしかないのだ。
     コミュニケーションは原理的に自己目的化する──この理解は、古くは携帯電話のメール交換、現在においてはLINEなどのアプリケーション上での1対1のコミュニケーションを想定したショートメール交換を想定すれば分かりやすいだろう。こうしたサービス上で繰り広げられるやりとりの何割かは、確実に自己目的化している。「いまから行く」「○○をもってきて」といった目的のあるコミュニケーションと同じくらい、ここでは単に返信してほしい、「既読」をつけてほしいだけのやり取りが交わされているはずだ。ここで人間が求めているのはおそらく「承認」だ。決して積極的な尊敬や愛情ではないだろう。自分の存在をゆるく肯定してくれることの安心感を、ここで人間は求めているのではないか。だからこそ、こうしたコミュニケーションは家族や恋人ではない友人間で行われやすいのではないか。こちらが膨大なコストをかけずとも、小さな承認を返してくれる関係、ローコスト・ローリターンの承認を求める性質を人間は持っているのではないか。
     電子メールはこうしたやりとりとその過程を可視化してくれるわけなのだが、考えてみれば日常会話も同様だ。僕たちは会話のきっかけにほぼ無意識のうちに「今日は暑いね」とか、「こんな朝早くにお疲れさま」とか、他愛もない話題を用いている。もちろん、ここで本当に気温の高さを話題にしたい人間はまずいないだろう。ここで人間は、目の前の相手とこれからささやかな承認を交換して、ローコストに小さく気分よくなりたいというサインを送っているのだ。
     そして、僕のような「コミュ障」の人間にはこれができない。いや、正確にはこれが不快なのだ。特に関心が強いわけでもない人間と、特に関心が強いわけでもない話題をしてまで、小さく気分よくなんかなりたくない。そんな時間があるなら、家に帰って本を読みたい。ずっとそう思って30年以上生きて来たわけだ。(だから僕はいわゆる「飲みの席」というやつが大嫌いで、そのせいでお酒を飲まなくなったようなものだ。)
     しかしそのことで、随分と世の中が生きにくいのもたしかだ。僕が5年しか会社員を続けられず、目処がついた時点でフリーランスに転向してしまったのも、要は自分で能力的な適性がないことを分かっていたからだ。そして僕より3つ年上で、そして会社員をまだ続けている吉田はそんな僕らに、なるべくストレスなく「空気を読む」方法を解説している、というわけだ。
     吉田はいう。「コミュニケーションとは目の前の相手と一緒にゴールを目指す協力型のゲームだ」と。そう、コミュニケーションの目的がコミュニケーションでしかないのなら、そのゴールは「楽しく会話すること」それ自体でしかあり得ない。吉田はコミュニケーションが自己目的化する理由を、そしてコミュニケーションが協力型のゲームであることを解説した上で、「空気を読む」方法を伝授する。たとえば「聞き上手であること」がそれだ。コミュニケーションに「目的」が必要だと思っている僕たちはつい、中身のある会話をしなければと考えて、まずは自分から情報を発信してしまう。しかし、これは協力ゲームとしての会話としては悪手でしかない。特定の目的を強力に設定された情報発信ほど、相手に取って打ち返しにくいものはない。もちろん、相手がその話題をしたくて仕方がないと分かっている場合は違う。しかし、ここで問題となっている社交的な「雑談」では逆だ。ここで一番アンパイな配球は、聞き役に回ることだ。「今日は暑いね」といった類いの発言には、これといった中身はない。しかし、この一手が有効なのはこの種の発言が「これからあなたと楽しく、小さくお互い負担にならない程度に時間を共有したい」というメタメッセージを伴っているからだ。従って吉田はタモリのトーク番組におけるゲストへの定番の質問「髪切った?」こそ「神の一手」だと断言する。相手に(ゆるくポジティブな)関心をもっていることを伝えつつ、決して負担にならない程度のゆるいアンサーを、それもかなりの自由度で求める。これこそが、協力型ゲームとしての会話(コミュニケーション)における定石中の「定石」なのだそうだ。
     僕はこうした吉田の展開するコミュニケーション論に、基本的に同意する。そして実際にこうやって社交的な「会話」のメカニズムを解説されることによって、コミュ障がこの種の中身のない会話を楽しむことができるようになるケースも多いのではないかと思う。ゲームとして捉えることで、本来楽しめない無目的な会話をテクニカルに攻略する=盛り上げることで(別の意味で)楽しめるようになる。そして、そのことが結果的に「コミュ障」の解消につながる。実際、同書で告白されているように吉田自身がそうだったに違いないのだから。僕自身、ああ、高校生か大学生のころにこの本に出会いたかった、という感想をもったことも、ここに告白しておこう。
     
     その上で、僕は思った。この本は、最後の最後で一番大きなメッセージを意図的に書かなかった本だ、と。もちろん、それは否定的な意味ではない。それはむしろ、吉田が書かないことで読者に伝えようとしたメッセージが、この本を強烈に支えていることを意味するのだ。
     
     同書は徹頭徹尾この社会は「空気を読む」という行為で成り立っていて、そしてその社会の成員である僕たちはこの「空気を読む」ことから逃れられないという前提で書いてある。たしかに僕もそう思う。コミュニケーションは原理的に自己目的化するものでしかないと僕も考える。もっと言ってしまえば、自己目的化したコミュニケーション、つまり関係性それ自体にも価値が宿ると僕も考えている。もしかしたら僕のほうが吉田よりも積極的に、美しい存在があるのではなく美しい関係性があるだけだ、と考えている側の人間であるとすら思う。たぶん、僕と吉田の世界に対する理解はほとんど離れていない。しかし、そこから先のアプローチはまったく違う。
     この本で吉田はいわば「どんな箱に行っても空気が読めるようになる」テクニックについて考えている。しかし僕は違う。僕は個人が選べる箱のバリエーションを可能な限り増やすことを考えている。
     たとえば僕は「いじめ」問題に対する処方箋はひとつしかないと思っている。それは「クラス」という箱をなくすこと、「クラス」という箱から逃げやすくすることだ。小学校低学年から授業選択制を導入し、児童には今より早い段階で「与えられた箱の空気を読む」訓練ではなく、「自分に合った箱」を探す訓練を積ませる。もちろん、ここには「自分に合わない箱とは距離を取る」訓練も含まれる。オールドタイプの日本人には、そんなことでは忍耐力のない子どもが増えるだけだと思われるかもしれない。しかし、それは考えが浅い。自分に合った箱を探すため、複数のコミュニティに接続しながら試行錯誤していくためには与えられた箱の空気を読むためのものとはまったく異なる忍耐と柔軟で強靭な知性が必要だ。
     吉田の分析と主張に、僕は完全に同意する。しかし、いやだからこそ僕はできることならば最初から空気なんか読みたくないと思うのだ。コミュニケーションのためのコミュニケーションに時間とエネルギーを使いたくないと思ってしまう。
     
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  • 【対談】吉田尚記×宇野常寛『空気の読め(読ま)ない男たち』 いま〈世界の全体性〉を記述できるメディアとは――「業界人幻想」のテレビ、「総合芸術」のゲーム、「他人の人生の代理体験」としてのアイドル (PLANETSアーカイブス)

    2017-09-04 07:00  

    毎週月曜日は「PLANETSアーカイブス」と題して、過去の人気記事の再配信を行います。 傑作バックナンバーをもう一度読むチャンス! 今回は再配信はPLANETSでは人気のコンビでもある吉田尚記さんと宇野常寛の対談です。メディア論をテーマに、ラジオ、テレビそしてネットを主戦場とする2人が、80年代〜現在に至るまでの「メディア」とそれを取り巻く状況の変遷について語りました。(2015年9月17日に配信した記事の再配信です/構成:中野慧)
    「業界内輪ノリ」がテレビをつまらなくしている
    宇野 前回の対談は松井玲奈の卒業がテーマでしたけど、今回は当代随一のラジオパーソナリティであるよっぴー氏と「テレビ」「ゲーム」「アイドル」をそれぞれの時代に対応したメディアとして語ってみたいと思います。 まず、少し前の話になってしまうけれど7月にフジテレビ系で放送された「27時間テレビ」が面白くないということで炎上していましたよね。僕は個別の具体的な演出がどうとかには一切興味がないし、もっと言えば1秒も見ていない。なので、内容に関してあれこれ言う権利はないし、そもそも関心がない。だけど、ネットでの炎上の仕方も含めたメディア論に関しては言いたいことがたくさんあるわけです。
    このあいだの「27時間テレビ」のキャッチコピーは「本気になれなきゃテレビじゃないじゃん!!」だったわけですが、あれって実は1981年の「楽しくなければテレビじゃない」という、フジテレビが快進撃を始めた80年代当時のコピーのもじりですよね。つまり「上り調子だったあの頃を取り戻そう」というのが大きなテーマになっていて、往年の名プロデューサー・片岡飛鳥さんの総指揮のもとで、起死回生を狙ってやっていたものだったんだけど、結果として「内輪ネタが寒い」ということで炎上してしまった。
    だけどそもそも、今までフジテレビがつくってきた文化って、『笑っていいとも!』から『とんねるずのみなさんのおかげでした』に至るまでずっと「内輪ネタ」だったと思うんですよ。
    吉田 そうですね。フジテレビはまさに「内輪ネタ」発祥の地と言えると思います。
    宇野 その「内輪ネタ」の構造って、要するに「東京テレビ芸能界とその周辺の人たちが楽しそうに騒いでいるのを毎回中継して、視聴者みんながそれを羨ましがる」というものだったと思うんですよ。 少し長いスパンで考えてみると20世紀って、新聞・ラジオ・テレビなどのマスメディアによってかつてないほど大規模な社会の運営が可能になった時代だったわけです。その20世紀の後半になってテレビが登場して80年代に最盛期を迎えた。世界的には1984年のロサンゼルス五輪が「元祖テレビオリンピック」と言われていて、画面を通して世界の最前線と繋がる実感を何億人もの人に与えた象徴的な出来事だった。
    要は80年代には「メディアが社会を作る」という前提が広く共有されていた。だからこそ、「メディアを作っている人たちやメディアの中の人と繋がれる」ということが、人々が世界の中心と繋がることを実感できる回路だったわけです。なかでもフジテレビ的な「内輪ネタ」は、人々が憧れる対象としてすごく強力で、とんねるずのスタッフいじりや『笑っていいとも!』の芸能界内輪トークもすべてそういう機能を果たしていた。『笑っていいとも!』的なだらだらとした「半分楽屋を見せる」内輪トークが、視聴者に「ギョーカイ」の一員であるかのような錯覚をもたらす効果があったわけですよね。 「もしかしたら私たちもあの内輪に入れるかもしれない、入りたい」という「テレビ幻想」ともいうべき願望を人々から引き出すことで、フジテレビは「80年代=テレビの時代」の象徴的な位置に登り詰めていった。
    しかし2015年現在の「テレビ離れ」って、それまで情報環境的に決定されていたテレビの優位がネットの登場によって崩れたことによって引き起こされたわけです。そんな状況下で、80年代当時の手法に回帰するなんて自殺行為にも等しいですよ。
    吉田 僕は、そういうフジテレビ的な手法の限界をわかっていてあえて突っ込んでいったんじゃないかという気がしたんです。「やりきってしまうことでちゃんと終わらせよう」というわけですね。 もう、ここまでの騒ぎに発展してしまった以上は来年も同じようなことはできなくなった。つまりリノベーションを行う前段階の、最後の一手だったんじゃないかと思うんです。
    宇野 うーん、リノベーションのためだったら、最初から「内輪ネタ」テイストをゼロにしたものをやったほうが潔かったんじゃないかと思うんだけれど。
    吉田 それは難しいところで、「過去の手法をちゃんとやりきりました」ということを示さないと視聴者を納得させられないということがあるんじゃないかな、と。
    「フジテレビの時代」だった80年代はもう戻ってこない
    宇野 でも、それって視聴者というよりも作っている側の自意識の問題でしょう。もともとフジテレビ的な手法の特徴のひとつって、「楽屋を半分見せる」ということがあると思うんですよ。つまり半分演出として、テレビの裏側を見せることで親近感を煽るというもの。80年代にはそれこそ糸井重里から秋元康まで、時代を代表するクリエイターたちがこぞってこの手法を採っていて、その中核がフジテレビだったと思う。
    だけど現代って、たとえばうちのインターン生がカフェの店長をやっていたんだけど、彼が尊敬する村上春樹に「村上さんのところ」でカフェ経営について質問したら普通に春樹本人から回答が返ってきたりする時代ですよ。もう、メディアの送り手が繊細なコントロールで半分だけ楽屋をチラ見せする、とか「あえて」内輪のグダグダトークを披露する、とか、そんなテクニックなんか使わなくても、単に本人が少しでもレスを返せばそれで送り手と受け手はつながってしまうし、そのほうがお互い楽しいことも明らかなわけですよね。でも、フジテレビは昔の「楽屋を半分見せる」という手法を何のアップデートもせずにやり続けている。その無意味さに、作り手側があまりにも無自覚なんじゃないか。
    吉田 僕はいままさにフジテレビの「アフロの変」でレギュラーやっているんですけど、ちょうど「27時間テレビ」の週に番組のイベントがあったんです。で、それが抜群に素晴らしかった。ここ最近、すっかりテンプレ化して面白くなくなっていったロックフェスとかよりもはるかにアツい光景が繰り広げられていたんです。
    このイベントがなぜアツかったかというと、他の場所で活躍の機会を与えられていないグループがいて、この人たちに触発されて、そんなに勝負しなくてもいい人たちも「負けていられない」と必死になってガチンコ勝負が展開されていたんですよ。 なかでもベッド・インというユニットがいて、彼女たちは80年代バブルをモチーフに古臭い下ネタを言いながら、なかなかカッコよく演奏するんですよ。彼女たちがバブルをネタにしているのは80年代を嘲笑するためではなく、今もっとも「ダサい」ネタにまっすぐ突っ込んでいくことで時代の突破口を開こうとしているからなんじゃないかと思うんです。他にもバブルをネタにしているパフォーマーでは芸人の平野ノラさんのような人も出てきていますが、彼女たちのパフォーマンスを見ていると、すごく「自由」な気持ちが生まれるんですね。
    要は何か閉塞感を感じているときに、そのコアにまっすぐ突っ込んでいくことがヒントになるんじゃないかと。「27時間テレビ」もそれと同じことに挑戦していて無残に失敗してしまったけれど、いまのフジテレビのなかに僕は確かに変革の萌芽を感じているんです。
    宇野 よっぴーは「破壊のあとの創造」の可能性を見ているわけですよね。半分は同意するけれど、一方で僕は「フジテレビ的手法」への批判はまだ徹底されきっていないと思う。 たとえば僕自身もテレビバラエティに何度か出演しているけど、もうつまらない番組のパターンってのが確固としてあってさ、大体そういう番組って床に座ってカンペをめくっているADが「ガハハ、ガハハ」と大げさに膝を叩いて笑うことで無理やり雰囲気を作っているわけ。
    芸人やMCの司会がすべて「テレビ的」なテンプレになっていて、もうなにもかも予定調和でまったく面白くないんだけど、なんとかしてみんなで面白いふりをして楽しそうな雰囲気だけ無理やり演じてごまかしている。 何度か聞いたことあるんですよ、番組ディレクターに「あなたたちは本当にこういう番組構成で面白いと思っているんですか?」と。そしたら、「テレビ的にはどうしてもああいうかたちになってしまうんですよ……」という答えが判で押したように返ってくるんですよね。テレビバラエティの世界にはそうやって習い性で仕事をしてしまっている人が多すぎるし、そのことはもっと厳しく指摘しないといけないんじゃないか。
    吉田 テレビ番組に出演する芸人さんや司会って、「この人を呼んでおけば安心だろう」というある一定の枠から「誰でもいいから」とブッキングして番組を作ってしまっているのは事実ですよね。
    もし尖った出演者ばかり集めて数字が取れなかったら「なんでもっとわかりやすい有名人を連れてこなかったんだ!」と言われてしまうけど、同じように視聴率が取れないにしても「この人を呼んだのに視聴率取れませんでした」と言い訳をあらかじめ確保しておけば安心できるわけです。怠慢だって言われるのが怖いがゆえに、どうしてもテンプレ的な番組になってしまうんですよね。
    宇野 あらゆるテレビ局やテレビ制作会社は、80年代から90年代の20年で培われたある種のテレビ芸人のMCというか、「イジり芸」というものが非常にローカルなコミュニケーション様式で、それをやればやるほど心が冷え込んでいく日本人がどんどん増えていっていることをちゃんと理解すべきでしょう。ああいった「テレビは内輪ノリで回さなければいけない」という勘違いを正さないかぎり、いまテレビを見ていない人は将来的にも見るようにならないですよ。
    吉田 おっしゃるとおり、「テレビを一生見ない」という人が普通に存在する時代が来たんだと思います。その「テレビを一生見ない人」を増やしたのは自分たちのやり方だったんですよ。「この人を呼んでおけば安心だろう」というタイプの有名な芸人さんを呼ぶにしても、その人のポテンシャルを活かしてまったく別のすごいことができるはずなのに、決してそこに挑戦しようとしないわけです。 基本的にテレビをはじめとしたメディアの本質って、「なくても誰も死なない」「誰もやらなくてもいいことをやっている」というところじゃないですか。だからこそ本当は大胆にもなれるはずなんだけど、多くの人が適当な仕事で済ませてしまっている。それならいっそ幕末期の江戸城無血開城のように、今までの徳川幕府的な古臭い手法をやりきって「ダメでした」ということをちゃんと世間に示した上で、新しいことに挑戦していくしかないのかな、と。僕は、今回の「27時間テレビ」で意図的にああいうことをやった人のなかからすごいものを作る人が出てくる可能性は十分あるんじゃないかと思いますし、そこに期待したいんですけどね。
    宇野 僕がいまのテレビに提言したいことをまとめると3つあって、 (1)「テレビ的」という言葉の使用禁止 (2)芸人的おまかせMC(+ADのガハハ笑い)禁止 (3)内輪ウケ禁止 です。 よっぴーが言うように、芸人的なコミュニケーションにしても、それがあくまでローカルなものであることをわかっていればすごく効果的に使うこともできる。「アメトーーク!」が良い例で、要するに芸人的コミュニケーションが内輪ノリであるという、そのこと自体を戯画的に見せることで外側の視聴者を巻き込むことに成功しているわけですよね。最低限、ああいったかたちでの工夫ぐらいは見せて欲しい。
    〈公共〉を体現しようとしない現代のテレビ業界
    宇野 ただ、それとは別にもうひとつ気になるのが、ここまで僕らが指摘してきたことってあくまで〈手法〉の問題じゃないですか。でも実は〈手法〉ではなく、〈イデオロギー〉の部分でテレビ的価値観はもはや完全敗北してしまっている気がするんです。
    たとえば携帯電話会社のCMって全部辛いじゃないですか。ソフトバンクの「白戸一家」はある種のパイオニアだから許せる部分もあるけど、次々に作られていった続編や亜流になるとイタくて見ていられない。auの桃太郎とかぐや姫シリーズとか、docomoの「ドコモ田家」なんかもああいったテイストに近いですよね。トヨタ・クラウンのたけしさんやキムタクのCMも同じで、見た瞬間に「俺は絶対にトヨタ車には乗らない」と決意させるだけの寒さがある。
    ああいったものって、日本に暮らすすべての人間がテレビ芸能人をリスペクトしているという謎の前提をもとに、それをイジることが粋(いき)であるという東京のクリエイターたちの思い上がりがああいった演出を生んでいるわけですよ。
    テレビが最盛期だった80年代って、高度成長を達成しオイルショックも乗り越え日本経済が絶好調で、その経済的な余裕を背景にして東京のクリエイターや業界人たちが遊び心に溢れた自由な表現を生んでいった時代だったと今では思われている。
    でも、実は日本人のマジョリティはまだ『おしん』(1983~84年放映)に涙していた時代だったわけですよ。そういうマジョリティの泥臭さを一蹴するように、チャラい人たちが楽しそうに仕事をしていた時代だったからこそ「クリエイター幻想」が成立していたに過ぎないでしょう。そういう前提を抜きにして、80年代当時の感覚で2010年代にテレビ番組やCMをつくってしまうことの意味をもう一度問いなおしたほうがいい。
    吉田 テレビの人たちって、広告代理店的なモードが社会から遊離したものであるってことに気づいていないんですよ。宇野さんのいう「チャラい」モードって、要するに「マジにならないでやりすごそうよ」という考え方だと思いますけど、それって本当はすごく気持ちの悪い生理だと思うんですよ。そういう「マジになることを否定する」というのがいまのテレビ業界の「病」のひとつですよね。
    宇野 そもそもテレビ番組って、テレビ局が放送法で特権を与えられている以上は何かしらの〈公共性〉を担保しなければならないはずなんです。しかし彼らがやっていることは自分たちが「世間」をつくっているんだという時代錯誤の思い上がり以上のものじゃない。
    吉田 民放の番組が今みたいになってしまったのって、NHKが体現している〈公共〉のあり方があまりにもパターンとして小さすぎるということもあるかもしれないですね。
    宇野 まあね(苦笑)。
    吉田 「NHKがああいうお堅い感じだから、俺たち民放はチャラチャラして世間のリアルとのバランスを取っているんだ」という反動を生んでいるとも言える。要するにNHKにしても民放にしても、〈公共〉として想定している範囲があまりにも狭すぎるというのが問題なんじゃないかと思っていて、本当はもっと多様な〈公共〉どうしが競争し合う状態が望ましいわけですよね。
    ソーシャルメディアではなく、マスメディアこそが担保すべき公共性とは
    吉田 いま〈公共〉が実現するべき価値ってダイバーシティ(多様性)が一番大きいわけですよね。そしてそのダイバーシティの実現をビジネスモデルとして回していくということがまだ全然できていない。
    宇野 そこで言うと、ヒントはいくつかあると思っていて、テレビが一番面白くて文化的に批判力があった時代って、実は今よりも多様性が確保されていたわけじゃないですか。たとえばテレビ黄金期の深夜番組って、今ほどコンプライアンス(法令遵守)の圧力も厳しくなく、どちらかといえば治外法権的に自由に実験的なことをやることができた場所だったわけですよね。
    吉田 テレビ業界って80年代〜90年代前半ぐらいまで、東大生が入ったら本人も周囲もガッカリするような業界だった。でも今は東大生がテレビ局に就職できたら本人も親も周囲も万々歳でしょう。テレビがそういうふうに社会的にも広く認められるような既得権的な世界になってしまったら、面白いものを生み出すのは難しいですよね。
    宇野 「いま実験的なことをやりたいならネットで勝手にやってればいいじゃん」と言う人もいるだろうけど、僕は必ずしもそうとは言い切れないと思う。やはり、テレビやラジオのような公共の電波を通して、交通事故のように多様なものに出会える回路をきちんと確保しておくことが必要だと思うんですよ。
    少し遡って考えてみると、テレビが日本で普及し始めたのは50年代からだけど、その当時テレビに求められた役割って「バラバラのものをひとつにまとめる」というものだったわけですよね。言い換えると、いまテレビがつまらなくなっているのは、成立期のイデオロギーにどうしても縛られてしまうからだとも言える。
    ここ2、30年で、「バラバラのものをひとつにまとめるのではなく、人々がバラバラなままでも共存できるように社会にダイバーシティ(多様性)を実装していこう」という方向に社会変革のイメージが変わってきたわけだけど、そのときに必要とされる「テレビに必要とされる公共性」って、これまでのテレビのイデオロギーに縛られないもっと多様なものを想定していいはず。 では、そんな時代にテレビは何をすべきか。普通に考えたら多様性という面でテレビは他のメディアにかなわない。じゃあ、何が仕事かというとたとえば、「もっと野菜を食べましょう」とか「過度の喫煙・飲酒は良くないですよ」「リボ払いはやめましょう」とか、「オレオレ詐欺に気をつけましょう」とかそういった〈最低限知っておかないと人生が不利になるようなこと〉の周知だと思うわけです。

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  • 【春の特別再配信】実写版映画公開(勝手に)記念! 宇野常寛×吉田尚記が語り尽くすパトレイバーの到達点と限界

    2017-04-17 07:00  

    「2017年春の特別再配信」と題しまして、「アニメ」をテーマに編集部のおすすめ記事を再配信します。今回は 2014年に上映された実写版映画「機動警察パトレイバー」をめぐる、ニッポン放送アナウンサー吉田尚記さんと、弊誌編集長・宇野常寛の対談です。パトレイバーをこよなく愛する二人が語る、その到達点と限界、そして、いまパトレイバーに宿る可能性とは――!?(構成:三溝次郎/本記事は2014年4月17日に配信した記事の再配信です) 宇野常寛が出演したニコニコ公式生放送、【「攻殻」実写版公開】今こそ語ろう、「押井守」と「GHOST IN THE SHELL」の視聴はこちらから。延長戦 はPLANETSチャンネルで!(延長戦のタイムシフトは2017年4月18日(火)23:59まで)

    10年以上ぶりの新作となる実写版『THE NEXT GENERATION パトレイバー』も公開され、話題沸騰中の「機動警察パトレイバー」。劇場版第二作『機動警察パトレイバー 2 the Movie』を人生でもっとも愛する映画の三本のひとつに掲げる批評家・宇野常寛が、またしても(勝手に) 実写版映画の公開を記念して対談を行います。
    今回の相手は、宇野をして「自分の数倍パトレイバーを愛している男」と言わしめるニッポン放送アナウンサー・吉田尚記さん。パトレイバーを愛しすぎた男二人が語り倒す、その到達点と限界。そして現代日本に必要とされる“パトレイバー”とは……?

    ▲THE NEXT GENERATION パトレイバー/第1章 [Blu-ray]
    ファースト・インプレッション~二人のパトレイバー体験
    宇野 よっぴーのパトレイバー初体験は?
    吉田 初体験は、たぶん初期OVAシリーズの1巻なんですよ。当時いた中高一貫校で、アニメーション研究会の人たちが上映会をやっていたのですが、たまに『トップをねらえ!』や「パトレイバー」をみたいなマイナー作品をやっているときがあって、そこによく通っていたんです。
    そこで、たまたま初期OVAがまだ最後まで出切ってない時期に観ました。そのときから、パトレイバーは僕にとって人生で一番面白い作品です。もうどっぷりハマって、現在に至るまで飽きない。中学生くらいの頃って、そういうことがあるじゃないですか。
    初めて企業ドラマや産業ドラマのような作品を観たのが、パトレイバーだったんです。現代社会と地続きにある大人の物語を、初めて自分でチョイスしたのだと思います。
    僕は、『機動戦士ガンダム』を子どもの頃に浴びるように見ている世代なんです。でも、ガンダムは、自分でチョイスして観たものではない。そりゃ街に行けばガンダムの駄菓子はいっぱい売ってるし、ガンプラはおもちゃ屋に山のように積んであるし、チャンネルをひねるとしょっちゅう再放送をやってる。でも、そういうものとしてあるだけで、やはり僕らからするとガンダムはチョイスしたものではなかったんです。
    しかも大抵は、中学高校になったときに、みんな一回アニメを卒業するじゃないですか。そのときに、卒業した子に「幼稚だよ」と言われても、卒業していない子の側だった僕が「いや、全然幼稚じゃないじゃん」と返せるコンテンツだったんですよ。
    宇野 僕の場合は、最初に触れたのは、たぶんTV版ですね。小5か小6のときで、最初に観たのは第2話だったんですよ。第二小隊が召集されて配置決めのために模擬戦をやる話で、遊馬が野明にわざと負けてやったり、野明と香貫花が無駄に対抗意識を燃やして決勝戦で張り合ったりするんですよね。そんな若者の微妙な人間関係を後藤隊長が「これからどうしようかな」と見ている。そういう雰囲気が今までのアニメになかった感じがして、引き込まれていったのが最初ですね。だから当時は、なんとなくリアルで大人っぽいドラマとして興味をもったんですよ。当時のテレビドラマはトレンディドラマの全盛期だったので、ああいうのは薄っぺらいしあまりリアルには思えないんですよ。むしろ僕はパトレイバーの、あのぱっとしない第二小隊の面々のぱっとしない日常のほうにリアリティを感じていた。
    それから2、3年経って中学生になったとき、初めて自分でビデオレンタルの会員証を作った際に、最初に借りたのがパトレイバーの劇場版(劇場版第1作の『機動警察パトレイバー the Movie』)なんですよね。レンタルショップで、「え、パトレイバーの映画なんてあるんだ」と感動するんですよ。当時はOSという言葉もよく知らなかったのだけど、レイバーがみんな同じプログラムを使うようになったとき、そこにウィルスが仕込んであると大変なことになるというのは、なんとかわかるわけです。そういう世界観って、バブルの頃の田舎の中学生には衝撃なんですよね。TV版の方は人間ドラマとして面白いというくらいだったのが、映画版で世界観にぐっと興味がいくわけです。
    吉田 僕は「NEW OVAシリーズ」は、1話から10話までをVHSで持っていて、11話から16話までをLDで持ってるんですよ。この辺が自分の映像体験を物語るなあ、と思います(笑)。
    宇野 物語ってますね(笑)。
    吉田 当時、1話から16話まで揃えると貰えるグッズの中に、篠原重工のノベルティの電卓があったんですよ。このノベルティシリーズは種類が結構たくさんあって、その中にカードラジオとかもあったんですね。当時のグッズって、いいところで下敷きとかフィギュアですから(笑)、そこに篠原重工の電卓がきた瞬間に衝撃を受けるわけですよ。
    しかも、よく見ると“昭和七十何年度創立 何十周年記念”とか書いてあって、それを学校で使っているのを見た友達が「ねえ、これ間違ってない?」と言うのを見て、少しニヤリとしたりする(笑)。そういう、「自分たちだけがわかっている」という感覚が当時ありました。現在では主流になっている、現実とフィクションの境い目を縫っていくようなことを一番始めにやった作品だと思うんです。
    僕はその後、SFとかも好きになるわけですが、多くのSFのように社会批判だとは気付かせないんですよね。ロボットの魅力みたいな素朴なところで子どもを引き入れて、最終的に「一番やばいのは押井守だろ?」というところまで連れて行ってしまう感じも、パトレイバーの凄いところでした。
    宇野 僕も、まさにそのルートですね。最初はキャラクタードラマとして好きだったのが、世界観の方に魅せられていってしまい、最終的には押井信者になっていく。


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  • イケダハヤト×石川涼×馬場正尊×宇野常寛×吉田尚記 東京再発見――いま、いちばんおもしろい街決定戦(前編) ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.752 ☆

    2016-12-13 18:10  
    ※今朝公開された本記事において、メールでの配信が行われておりませんでした。ご購読者の皆様には心よりお詫び申し上げます。今後、同様のことがないよう、編集部一同再発防止に務めてまいります。
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    イケダハヤト×石川涼×馬場正尊×宇野常寛×吉田尚記東京再発見――いま、いちばんおもしろい街決定戦(前編)
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2016.12.13 vol.752
    http://wakusei2nd.com


    今朝のメルマガは、2016年7月1日に渋谷ヒカリエで行われたイベント「東京再発見ーーいま、いちばんおもしろい街決定戦」(Hikarie +PLANETS 渋谷セカンドステージ vol.12)の内容を再構成してお届けします。2020年のオリンピックを控えた「東京」という街に、私たちは何を期待すべきなのかーー。ゲストに「VANQUISH」石川涼さん、不動産サイト「東京R不動産」を運営する馬場正尊さん、「まだ東京で消耗してるの?」でお馴染み、ブロガーのイケダハヤトさん、司会はニッポン放送アナウンサーの吉田尚記さんという豪華メンバーでお届けします。
    ▼プロフィール

    イケダハヤト(いけだ・はやと) 
    1986年神奈川県生まれ。2009年に早稲田大学政治経済学部を卒業後、半導体メーカー大手に就職。11ヶ月でベンチャー企業に転職し、ソーシャルメディア活用のコンサルタントとして大企業のウェブマーケティングのサポートを手掛ける。2011年からフリーランスとして独立。現在はプロブロガーとして活動している。2014年6月から高知県に移住。著書に「年収150万円でぼくらは自由に生きていく(星海社)」「武器としての書く技術(中経出版)」「新世代努力論(朝日新聞出版)」などがある。

    石川涼(いしかわ・りょう)
    1975年神奈川生まれ。静岡育ち。
    2004年よりVANQUISHをスタート。
    a Piece of cake!!!
    http://vanquish.jp/
    http://instagram.com/vanquishceo

    馬場正尊(ばば・まさたか)
    1968年佐賀県生まれ。1994年早稲田大学大学院建築学科修了。博報堂で博覧会やショールームの企画などに従事。その後、早稲田大学博士課程に復学。雑誌『A』の編集長を経て、2003年OpenA Ltd.を設立。建築設計、都市計画、執筆などを行う。同時期に「東京R不動産」を始める。2008年より東北芸術工科大学准教授、2016年より同大学教授。建築の近作として「観月橋団地(2012)、「道頓堀角座」(2013)、「佐賀県柳町歴史地区再生」(2015)など。近著は『PUBLIC DESIGN 新しい公共空間のつくりかた』(学芸出版,2015)、『エリアリノベーション 変化の構造とローカライズ』(学芸出版,2016)。

    【司会】吉田尚記(よしだ・ひさのり)
    1975年12月12日東京・銀座生まれ。ニッポン放送アナウンサー。2012年、『ミュ~コミ+プラス』(毎週月~木曜24時00分~24時58分)のパーソナリティとして、第49回ギャラクシー賞DJパーソナリティ賞受賞。「マンガ大賞」発起人。著書『なぜ、この人と話をすると楽になるのか』(太田出版)が累計13万部を超えるベストセラーに。マンガ、アニメ、アイドル、落語やSNSに関してのオーソリティとして各方面で幅広く活動し、年間100本近くのアニメイベントの司会を担当している。自身がアイコンとなったカルチャー情報サイト「yoppy」も展開中。
    ◎構成:高橋ミレイ
    イベントの動画はこちら。

    ■「東京」という都市にいかにして関わってきたか
    吉田 今日は司会進行をさせていただきます。ニッポン放送の吉田と申します。よろしくお願いします。では、今日の主催者たる宇野常寛さんにまずお話をしていただいてから、各登壇者の方の言葉をいただきたいと思います。
    宇野 皆さんこんばんは。評論家の宇野です。今日は東京についてもう1回考えてみたいと思ってこの集まりを開催しました。2020年の東京オリンピックが4年後に迫っているんですけど、はっきり言って嫌な予感しかしないわけですよね。例えば新国立競技場の問題もみっともないし、エンブレムのパクり問題もあった。こんなに予算かけてやる価値あるのかという話ばっかりじゃないですか。その上、誘致のときの賄賂疑惑まで出てきて、あわや返上かって話になっている。
    でも、よほどのことがない限り2020年ってやってきますよね。東京に住んでいる僕らは4年後のオリンピックに向けて街がガラッと変わる直撃を受けるわけですよ。そのなかで、この街に住んで暮らしている僕らが東京という街をどう再発見していったらいいのか。どう面白く楽しく、そして快適にクリエイティブに暮らしていったらいいのかっていうビジョンを持つタイミングなのかなと思っています。よろしくお願いします。
    吉田 次はお兄系ファッションをリードし続けているブランドVANQUISHの代表、石川涼さんです。よろしくお願いいたします。
    石川 よろしくお願いしまーす。
    吉田 VANQUISHについて少し説明していただけますか?
    石川 VANQUISHは2004年から始めたブランドです。今年109 MEN’Sが10周年を迎えましたが、そこをふくめて全国に10店舗くらいと海外にも店舗があります。僕は今年で41歳になりますが、20歳のときに上京してから20年ぐらい東京で暮らしています。
    吉田 東京に来るまでは、どんな住み替えをなさっていらしたんでしょうか?
    石川 神奈川で生まれたんですけども、幼稚園のときに引越しをして富士山の麓で20歳まで過ごしました。
    吉田 ありがとうございます。続きまして、不動産メディア、東京R不動産を運営するオープン・エーの代表馬場正尊さんです。
    馬場 こんにちはー。よろしくお願いします。俺だけ圧倒的に年上でアウェイな感じが……。47歳なんですけど。
    吉田 これまで、どんな住所遍歴をたどってきましたか?
    馬場 僕は九州の佐賀の伊万里市の商店街の煙草屋で生まれて、小さい頃はそこで育ちました。父親の都合で西九州、佐世保や福岡久留米とかをうろうろしていたので、九州から出たことがなかったんです。大学で初めて東京に出てきましたね。
    吉田 そこから20年前後ずっと東京にお住まいになっていらっしゃると。最初から不動産サービスをやってらっしゃったのですか?
    馬場 いや、僕の専門は建築の設計なんですよ。今でも収入のほとんどはオープン・エーっていう設計事務所の収入ですね。13年前にふとした理由があって、改造できそうな味があるボロ物件を自分で借りようと思ったら、探すすべがなくて探せない。だから自分で調べて、自由に改装できる古い物件ばかりを集めたブログを書き始めたんです。すると、「それを借りられないか?」ってメールがくるようになったので、東京R不動産っていう不動産仲介サイトを気まぐれに作ったら、どんどん皆が使ってくれて今に至ります。

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  • 【対談】吉田尚記×宇野常寛 すべてのコンテンツは宗教である ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.664 ☆

    2016-08-11 07:00  
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    【対談】吉田尚記×宇野常寛すべてのコンテンツは宗教である
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2016.8.11 vol.664
    http://wakusei2nd.com


    今朝は吉田尚記さんと宇野常寛の対談をお届けします。「コンテンツ」の本質を伝統的な「宗教」になぞらえて読み解く吉田さんと宇野の議論は、オタクの歳の取り方から、「他者の物語」への共感能力の衰退、さらには物語を生成する二次創作的な環境の問題にまで広がります。運営型コンテンツ全盛の今、物語系コンテンツの想像力の在処を探ります。
    ▼プロフィール
    吉田尚記(よしだ・ひさのり)
    1975年12月12日東京・銀座生まれ。ニッポン放送アナウンサー。2012年、『ミュ〜コミ+プラス』(毎週月〜木曜24時00分〜24時53分)のパーソナリティとして、第49回ギャラクシー賞DJパーソナリティ賞受賞。「マンガ大賞」発起人。著書『なぜ、この人と話をすると楽になるのか』(太田出版)が累計13万部を超えるベストセラーに。マンガ、アニメ、アイドル、落語やSNSに関してのオーソリティとして各方面で幅広く活動し、年間100本近くのアニメイベントの司会を担当している。自身がアイコンとなったカルチャー情報サイト「yoppy」も展開中。現在、新型のラジオ「Hint」を開発し、 https://camp-fire.jp/projects/view/8696 で9/20までクラウドファンディング続行中。
    なお、コミックマーケット90は8/14(日)東地区ポ-45b『練馬産業大学落語研究会』で出展。
    ◎構成:有田シュン
    ■ コンテンツを「宗教」として考える
    宇野 今日は、アナウンサーの吉田尚記さんをお招きして、これからの物語の可能性、というテーマで議論してみたいと思います。いまエンターテインメントというか、物語と人間の関係は大きく変化している。それは一番わかり易いところで言うと社会の情報化の結果ですね。誰もが自分の物語を発信することができるようになった時代、あるいは現実に存在するおもしろいことを検索して知るコストがどんどんゼロに近づくことによる、虚構の機能の変化という問題に僕らはぶつかっている。
     こうした問題について、一度ふたりでじっくり話してみたい、というか吉田さんの考えを聞いてみたい、というのが今日の趣旨です。
    吉田 最近、僕がずっと考えてるのは、「コンテンツは宗教である」ということです。本格的に宗教を信奉・研究されている方がいらっしゃるのを承知のうえで、そう考えると納得できることが非常に多いことに気づきました。
     僕は90年代に、篠原涼子が所属していた『東京パフォーマンスドール』というアイドルグループの追っかけをやっていました。いわば20年来のアイドルオタクです。と同時に、アニメやゲームや漫画好きのオタクでもあります。世の中にはいろいろなオタクがいますが、この両方を併発している人は少数派なんですね。でも、僕はどちらも大好きなんです。このような複数のジャンルのオタクを続けていると、それぞれの共通点や、どんなに人気が出ても天下を取れないものがあるということも、だんだんわかってきます。その中の一つが「グラビアアイドル」です。
     なぜか。「歌」がないからです。AKB48やももいろクローバーZは武道館をいっぱいにできるけど、グラビアアイドルにはできない。歌には商品性を超えて人間の心を動かす根源的な力があるんだと思います。
     その昔、文化人類学者が南の島に蓄音機を持ち込んで、体系的な音楽文化を持たない現地の人たちに西欧の音楽を聴かせるという実験がありました。そのときの写真を見ると、悲しい音楽を聴かせたときはものすごく悲しそうな顔をしていて、楽しい音楽を聴かせたときはものすごい笑顔になっている。知識や文脈と問わず、根源的な感情を揺さぶる力が、どうやら音楽には備わっているらしい。さらには、太古においては言語よりも先に歌があったという説もあります。僕は、歌で表現された感情を因数分解したものが言葉になったのではないかと思う。だから歌は、ただの言葉になった瞬間に根源的な領域から離陸してしまうんです。
     面白いことに、熱狂や興奮の伴うところには、必ず歌がついてきます。映画でもドラマでもアニメでも、当たり前のように主題歌を作りますし、スポーツにも応援歌があります。それくらいに根源的なのが歌です。
     そして今日の文化においても、歌にしか分かりやすい熱狂はないと思います。天下を取るアイドルは必ず「歌」を持っている。それに対して、グラビアアイドルは基本的に歌いません。
     そして、歌は宗教の重要な構成要素の一つでもあります。例えばキリスト教なら聖歌がある。イスラム教にはコーランがある。仏教にはお経がある。三蔵法師が天竺まで命がけでお経を取りに行ったのが象徴的ですよね。自分の好きなアーティストのライブがインドでしか行われないとなれば、必ず行く奴が出てくる。三蔵法師のモチベーションはそれだったんだと思います。
     今よりもはるかに情報量が少なかった時代に「仏陀」という物語がドンと提示される。「面白い!」と思った瞬間にガチオタになる。手に入る経典をすべて読み尽くす。聖地巡礼もする。そして最後には「インドに行っとく?」となる。行ったら行ったで、向こうにある法典を母国語でも読めるように手動でリッピングする。何年もかけて修行して帰国する。そりゃヒーローになるよね。「あいつはすごい!」と歴史に名が残る。今まで宗教的情熱だと思われていたのが、実はコンテンツに対する熱だったとすると、殉教者や信心に厚い偉人のエピソードはすべて腑に落ちる。
     『枕草子』には、清少納言が法事を楽しみにしている話がありますが、これも法事をコンサートやDJイベントと考えれば、全然おかしくない。コンテンツのない暮らしの中で、坊主というMCが来てお経を上げるわけです。『枕草子』には「今日のお坊さんはお経が下手で萎えるわ」という感想が書かれているんだけど、これって完全にバンギャのブログですよね。当時、宗教がコンテンツとしてどのように消費されていたのかよくわかります。
     歌のほかにもうひとつ、アイドルと宗教の共通点があります。それはコンサートです。コンサートをやらないとアイドルは天下を取れません。これはミサや集会に近いものだと思っています。その場合、お経は歌となります。写真集などの本は聖典ですね。
     さらに大事なのが、毎日仏前で読経する「御勤め」です。宗教は必ずこういった自宅での日課を課しています。これについては最近ゲームの登場によるパラダイムシフトがありました。そうです、ゲームは御勤めなんです。AKBには恋愛ゲームがあるけど、あまり上手くいってませんよね。なぜなら音ゲーではないからです。御勤めはお経をあげるのが基本で、『ラブライブ!』が成功したのは、その辺が上手くできているからです。一番最初に御勤めとしてのゲームを生み出したのは『THE IDOLM@STER』です。アイマスのゲームをやっているうちに「この歌を聴きたい」と思い始める。コンサートというミサが始まり、ノベライズやコミカライズによって聖典が発売される。そして、キャラクターはいわば教祖です。そしてその声を当てている声優さんたちは、巫女に近い。
     このようにコンテンツは、宗教になぞらえて解釈すると、腑に落ちるものが少なくありません。特に運営が存在するタイプのコンテンツは、宗教的な形式に上手くはまっているかどうかで、完成度をチェックできると思います。

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  • 吉田尚記×宇野常寛『新しい地図の見つけ方』最終回 地図を描くルール(毎週金曜配信「宇野常寛の対話と講義録」)☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.625 ☆

    2016-06-24 07:00  
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    吉田尚記×宇野常寛『新しい地図の見つけ方』最終回 地図を描くルール(毎週金曜配信「宇野常寛の対話と講義録」)
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2016.6.24 vol.625
    http://wakusei2nd.com


    本日は、吉田尚記さんと宇野常寛の対談『新しい地図の見つけ方』の最終回をお届けします。究極の娯楽は人を助けることであり、アイドルオタクにはその感覚があるのではないかと話す吉田さん。インターネットの発達により情報の供給が過剰になったことで「推す」という回路が壊れかけている現在に、「新しい地図」を描くための方法を語り合いました。(初出:「ダ・ヴィンチ」2016年5月号(KADOKAWA/メディアファクトリー))
    毎週金曜配信中! 「宇野常寛の対話と講義録」配信記事一覧はこちらのリンクから。
    ▼対談者プロフィール
    吉田尚記(よしだ・ひさのり)
    1975年12月12日東京・銀座生まれ。ニッポン放送アナウンサー。2012年、『ミュ〜コミ+プラス』(毎週月〜木曜24時00分〜24時53分)のパーソナリティとして、第49回ギャラクシー賞DJパーソナリティ賞受賞。「マンガ大賞」発起人。著書『なぜ、この人と話をすると楽になるのか』(太田出版)が累計12万部を超えるベストセラーに。マンガ、アニメ、アイドル、落語やSNSに関してのオーソリティとして各方面で幅広く活動し、年間100本近くのアニメイベントの司会を担当している。自身がアイコンとなったカルチャー情報サイト「yoppy」も展開中(http://www.yoppy.tokyo/)。
    ◎取材・文:臺代裕夢
    前回:吉田尚記×宇野常寛『新しい地図の見つけ方』第5回 新時代の衣食住
    吉田 予防医学研究者の石川善樹さんとお話をさせていただいたとき、「世界でいちばん楽しいのは誰だ」っていう話題が出たんです。脳内の、楽しいときに活性化する部分が、どのぐらい活発になっているのかをMRIで測定できるんですが、最高値を叩きだしたのがチベットの禅僧だそうです。そのとき彼が想像していたのは、「すごく報われない人がいて、それを助けている自分」なんですって。人間が気持ちよくなるエンターテインメントの究極が、人を助けることだっていうのは、夢がありますよね。人間は根源的に、群れ生物だと思うんです。そう考えると、群れをポジティブな方向に導く行動に、いちばん気持ちいい部分が埋め込まれていても不思議はないなと。僕と宇野さんに共通するものでいうと、アイドルオタクにはちょっとその感覚がある気がします。
    宇野 よっぴー(吉田さん)が昔言ってたよね。「うちの娘とアイドルではアイドルのほうが面白い」って(笑)。あれはけっこう本質を突いていると思っていて、自分の家族とか友人を大切にするというのはある意味当たり前のことで、すごく正しいんだけど面白くはない。自分とまったく関係ない人間の人生を応援するからこそ、そこに面白さが発生する。古い話になってしまうけど、2012年に小林よしのりさんたちと『AKB48白熱論争』(幻冬舎刊)という本を出して、その帯に「人はみな、誰かを推すために生きている」と書かれたのね。これは対談中に僕が口にした言葉なんだけど、キャッチコピー的に良いことを言おうとしたわけではなくて、もともと社会は誰かを推すことによって成り立ってきたと思っているの。例えば宗教的な権威であるこの人を推そうとかね。士族社会とか部族社会のようなものからステップアップするためには、推すことの快楽が不可欠なんだよ。だけど残念ながら最近は、その「推す」という回路が壊れかけている。インターネットの発達によって情報の供給が過剰になりすぎて、逆に自分のことしか考えられなくなっている人が多くなっている気がする。

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  • 渋谷ヒカリエで、イケダハヤト×石川涼×馬場正尊×宇野常寛×吉田尚記が東京再開発の未来を考えるトークショー開催!☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 号外 ☆

    2016-06-20 15:00  

    渋谷ヒカリエで、イケダハヤト×石川涼×馬場正尊×宇野常寛×吉田尚記が東京再開発の未来を考えるトークショー開催!
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2016.6.20 号外
    http://wakusei2nd.com


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    今回は、東京の街にゆかりの深い、
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    1人目は、ゼロ年代のギャル男・お兄系ブームをリードしたファッションブ