昨年を振り返ると、しばらくはないくらい、政治がテレビのワイドショーのネタになった年だった気がする。日本では、舛添要一・前東京都知事が政治資金関連のスキャンダルで失脚したが、一つひとつのスキャンダルがワイドショーに格好のネタを提供した形になった。その後は、当選した小池百合子新知事の勇ましく旧来の都政に斬りこむ姿勢と、それによって発覚した豊洲市場や東京オリンピックの問題点が、やはりワイドショーで連日のように報じられる。
ワイドショーの取り上げ方は“善悪二元論”
アメリカでは、事前の予想を覆して、ドナルド・トランプ氏が大統領選挙を制した。その発言の一つひとつが、やはりワイドショーにうってつけの内容であったようで、かつてないほどアメリカ政治が日本の一般市民に身近になった印象だ。さらにお隣の韓国でも、朴槿恵大統領が親友とされる女性に便宜を図っていたことや、その女性(あるいは大統領本人)と韓国財閥との癒着が、やはりワイドショーにはこれとないネタとなったようで、連日のように報道される。
政治が身近になったことや、一般市民が悪いものには悪い、許せないという感覚を持てることは、もちろん市民社会では望ましいことだろう。ただ、私が気になったのは、この手のワイドショー型の政治の取り上げ方が、どうしても善悪二元論に偏ってしまうことだ。
例えば、舛添氏は完全な悪人のように取り上げられ、目下のところ小池氏は正義の味方になっている。朴槿恵氏にしても、極悪人のイメージとなっている。トランプ氏については、多少の賛否両論があるようだが、やはりいい人(あるいは改革者)なのか、悪い人(とんでもない人)なのかという論じられ方が目立つ気がする。
偏った考え方による「うつ」を予防する認知療法が主流
この20年くらい、最もトレンディになった心の治療法に「認知療法」がある(日本でも2010年から医療保険の対象になった)。人の認知パターンを思考の偏りが生じないように変えていくことで、うつ病や不安障害の治療や予防を行う。そのなかで、最も矯正すべきとされているのが、前述した善悪二元論のような「二分割思考」など、“認知のゆがみ”と言われるものだ。
例えば、将来について「もう今後はいいことなんかない」と決めつけている患者がいたら、「いいことはないかもしれないが、それなりに人との出会いがあるとか、一人くらいは理解者が見つかるなど、悪いことばかりではない可能性もゼロではない」ということを納得させて、将来の決めつけ(認知療法では「占い」と呼ばれる)を矯正していく。これによって、絶望から自殺に至る最悪のパターンを避けられるし、抑鬱(うつ)的な気分が改善していく。あるいは、このような思考パターンの矯正を自力で行えるようになれば、何かで失敗したり、あるいは失恋やリストラを経験しても、「もうダメだ」と将来を悲観的に決めつけるリスクが低減する。それがうつ病の予防になるのだ。
このように人間の認知パターンを変えていくという治療法は、数多くある心の治療法のなかでも、大規模な統計調査で有効と検証された(エビデンスのある)数少ない治療法と認められている。ついでに言うと、メンタルヘルスだけでなく、人間の判断力をより妥当なものにするためにも役立つはずだ。
最も悪いのは“敵か味方か”などの「二分割思考」
この認知療法において、最も良くないとされるのは「二分割思考」という考え方だ。“正義か悪か”、“敵か味方か”という二分割でものを見る思考パターンのことである。この手の思考パターンの持ち主は、友達と思っていた人が自分の批判をしたときに、「友達だからこそ警告してくれた」とは考えず、「味方から敵に変わった」と思ってしまう。
当然気分の落ち込みを招きやすい。とくにまずいとされているのは、それに完全主義が加わった時だ。完全主義者というのは、合格点であっても満点でないと満足できない。さらに二分割思考が加わると、満点でなければ零点と同じということになってしまう。十分合格点をとっても、本人にとっては零点と同じわけだから、落ち込みの原因になってしまうのだ。
また、そんな考え方では、合格点レベルになっても“もっともっと”を求めてしまうから、慢性的に過労に陥りがちになってしまう。相手にも満点を求めてしまうので、長所がある人に一つでもダメな点があると、ダメな奴というレッテルを貼ることにつながりかねない。それが人間関係を狭くしてしまうのだ。
いい人か悪い人、いい仕事か悪い仕事という二択式で考えると、いい人の欠点や悪い人の長所に目が行きにくくなる。このビジネスは素晴らしいと思うと問題点が見えにくくなるし、ダメだと思われる仕事については将来性を切り捨てることにもつながる。
認知療法のカウンセリングでは、患者の話を聞いて、この手の認知のゆがみや不適応思考を見つけると、「つい、いい悪いで判断してしまうのですね」と指摘したりする。少しずつでもそれが矯正されると、思考が柔軟になり、気分が落ち込んだり、不安でパニックになったりしにくくなるのだ。
テレビ番組の二分割思考に注意しよう
さて、もとの話題に戻るが、どうしてもテレビというメディアは、キャッチーであろうとしたり、分かりやすさを求めたり、時間的な制約があるために二分割思考に陥りやすい。それが視聴者の判断に大きな影響を与える。例えば、舛添氏が悪人で、小池氏が善人という二分割思考でものを考えると、舛添氏のいい点が見えなくなるし、逆に小池氏の問題点が見えなくなってしまう(現職なのだから、これはまずいだろう)。
舛添氏は、こういう点では問題はあるが、こういう功績もあるという見方をするほうが、少なくとも認知療法の考えでは妥当だ(私に言わせると、お金の問題より、ほとんどこれが見当たらないことのほうがよほど問題だが)。もちろん、小池氏についても同様だ。小池さんのやることは何でも素晴らしいと思っていると、オリンピックや豊洲以外に都政に山積している問題点が見えなくなる。現実には介護難民のほうが私にははるかに喫緊の課題に見えるが、そういう話になかなかなっていかない。
トランプ氏にしても、不思議なくらい熱狂的な信者のような人と、完全にこきおろす批判者に分かれ、中間の人があまり目立たない気がする。このためにアメリカが二分化したとさえ言われる。社会派監督で知られるオリバー・ストーン氏は、「トランプ氏には問題点も多いが、戦争でものを解決しようとしないのは評価できる」というような発言をして注目された。このようなものの見方ができると、良い点も悪い点も両方とも想定できるという点で、認知科学では認知的成熟度が高いとみなされる。
白黒をつけず、グレーの程度でものを見る
同じものや人の中に良い点と悪い点を認められるようになると、認知的に成熟したと考えられる。二分割思考からの脱却法は、グレーを認めるということである。要するに、「完全な善人、完全な味方はいない」「90%はいいところがあるが10%は悪い」とか、「8割くらいは意見が合うが、2割は違う」というふうに、白黒をつけず、グレーの程度でものを見るのだ。
そうすると同じ悪いことでも程度があるということになる。裁判の量刑をみても分かるように、同じ悪いことにもレベルがあるというのが通常の考え方だ。確かに万引きだって許してはいけないことだが、やはり殺人とはレベルが違う。
舛添氏の報道を見て感じたことだが、確かに都知事として恥ずかしいことは多かったが贈収賄をしたわけではなく、また無駄遣いとされた金額もそれほど大きなものではない(もちろん、庶民感覚からしたら大金だろうが)。2020年の東京オリンピックでは下手をすると兆単位の無駄遣いの可能性があったことと比べると、金額が何桁も違う。
たまたまテレビで生活保護の不正受給の問題を取り上げていた。確かに明らかに税金の無駄遣いになるものだし、4万人以上の人が法律を犯しているのは問題だが、金額の総額は170億円だ。オリンピックで使われる税金と比べると微々たるものとさえ言える。受給者の相談に乗るケースワーカーを増やせなどという話になっていたが、全国でそれをやるコストを考えたら、どちらの方が金がかかるか分からない。
それと比べると、租税回避地(タックスヘイブン)の利用実態を示す「パナマ文書」でリークされただけでも、日本からの租税回避は55兆円とも言われている。テレビで報じられた生活保護の不正受給のケースは子供が3人もいて年収300万円(もあったと報じられていた)とか、もっと年収が低いが生活保護にあてはまらないのにもらっていたというようなケースだ。生活が苦しい人が出来心でごまかす(もちろん犯罪だが)のと、大金持ちがリッチな暮らしをしながら、その何万倍もの脱税をするのでは、白か黒かではどちらも黒だろうが、グレーの程度という点では、後者のほうがはるかに黒に近いと思えるのは私だけではないだろう。
白か黒かではなく、白の人にも黒い部分があり、黒い人にも白い部分があるというものの見方や、白と黒の間に無数のグレーを考えられるものの見方は、少なくともメンタルヘルスにはいいし、認知的にも成熟度が高いと考えられている。
白とみなしたり、黒とみなすのには都合のいい人間が政治の世界をにぎわせているが、それによって、自分が二分割思考に陥ったり、自分のその傾向をより強めたりしないのは、この世の中でサバイバルするために重要な思考法と言えるだろう。
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