世界的な金融市場の混乱でアベノミクスが大きな試練を迎えている。政府・日銀の対応には手詰まり感がにじむ。政府は経済対策の検討を始めたが、首相官邸からは消費増税先送りも選択肢との声が漏れ始めた。
(写真=AP/アフロ)
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 安倍晋三政権の経済政策「アベノミクス」が世界的な金融市場の動乱に大きく揺さぶられている。円相場は一時1ドル=110円台に急伸。日経平均株価は2月12日、約1年4カ月ぶりに1万5000円を割り込んだ。

 市場関係者だけでなく、安倍首相の周辺も重要な節目として意識していたのが、1ドル=115円、日経平均1万6000円という水準だった。この一線から大きくかい離すると、2014年10月に日銀が実施した追加緩和の効果がほぼ消えてしまうことになるからだ。

広がる疑心暗鬼の連鎖

 だが、市場に広がる疑心暗鬼の連鎖の前にこの「防衛ライン」はあっさり突破されてしまった。

 15日は円高が一服し、株価も急反発したものの、市場は当面、神経質な展開が続く見通しだ。安倍首相の側近は「日本企業の業績は好調だったのに、海外発の要因にここまで揺さぶられるのは想定外だった」と漏らす。

 「株価連動政権」と称されるほど堅調な株価を政権運営の生命線と位置付けてきた安倍首相。急速な円高・株安への反転による政権への打撃に警戒感を強めている。

 まずは、国内の実体経済への波及だ。このまま円高が続けば自動車や電機など輸出企業の業績への影響は避けられそうにない。中国をはじめとする新興国の株安や景気不安もあり、訪日客の消費活動にブレーキが掛かる懸念も広がってきた。

 内閣府が15日発表した2015年10~12月期のGDP(国内総生産)速報値は、物価変動の影響を除く実質の季節調整値で前期比0.4%減、年率換算では1.4%減と、2四半期ぶりでマイナス成長に転じた。

 大企業を中心とする好調な業績を背景に賃上げと設備投資の増加につなげ、日本経済の不振を一時的なものにとどめる。政府は最近まで、こんなシナリオを描いていた。

 だが、海外経済の不透明要因が増し、企業の設備投資計画や、本格化した春闘の賃上げ交渉に冷や水を浴びせた格好だ。株安による資産効果の圧縮も必至で、政権が掲げる「アベノミクスの好循環」に危険信号が点滅している。

 首相官邸は株安がもたらす世論へのマイナス効果も警戒している。

 「景気とは、空気の景色を意味する。世の中の雰囲気に左右されるものだけに、安倍首相も菅義偉官房長官も日本経済の先行きの明るさや底堅さをアピールして、明るい空気を広げるのに腐心してきた」

 菅氏と頻繁に意見交換する間柄の竹中平蔵・慶応義塾大学教授はこう指摘する。

株価下落で空気が変わってしまう

 景気の先行指標ともいえる株価が上昇すれば、景況感が高まり、政権への期待や評価につながる――。「経済最優先」を掲げる安倍首相の政権運営の要諦の1つはここにあるのだ。

 それが、海外発の要因が大きいとはいえ、株安傾向はしばらく続きそうだ。しかも、日銀のマイナス金利政策導入の決定直後に株安が顕著になったことで、「世の中に日銀の失策と受け止められ出している」と政府関係者は話す。

 株安が消費者の心理を冷やし続ければ、景気回復への期待が押し下げられ、消費行動が低下するうえに内閣への批判も誘発しかねない。政権内では夏の参院選を控え、株安が政権に与えるダメージへの懸念が急速に広がっている。

 こうした状況に政府・日銀は焦りを隠さない。麻生太郎財務相は今月26~27日に中国・上海で開く20カ国・地域(G20)財務相・中央銀行総裁会議で「政策協調について検討を進めたい」と明言。為替介入についても「必要に応じて適切に対応していく」と踏み込んだ。

 2011年秋以降封印している「伝家の宝刀」をちらつかせ、市場をけん制したのだ。

 12日には安倍首相と日銀の黒田東彦総裁の会談が急きょセットされた。会談後、黒田氏は金融緩和の必要性について「必要になれば躊躇なく政策を調整する」と強調してみせた。

 だが、最近の市場の混乱は中国経済の減速や欧州発の信用不安など複雑な海外要因が絡み合っており、日本政府や日銀の対応には自ずと限界がある。

 相場の動きが急であれば、政府・日銀は為替介入に踏み切る見通しだが、市場関係者の間では日本が単独で実施しても効果は限定的との見方が出ている。

 焦りを募らす官邸から財務省、経済産業省幹部らに有効策の検討を急ぐよう指示が飛んでいる。だが、両省幹部は異口同音に「為替変動などに日本単独で打つ手は本当に限られている」と嘆く。

政府・日銀に漂う無力感

 政府・日銀は当面、口先介入でしのぐとともに、好調な実体経済を積極的に市場関係者に発信していく構えだ。 

 月末のG20での国際協調メッセージを市場安定への材料と見込むが、各国の利害関係が絡むだけに、説得力のある具体策を打ち出せるのか不透明だ。

 政府・日銀内に手詰まり感が漂う中、与野党内では今後の政治カレンダーを巡る様々な憶測が飛び交っている。

 安倍首相は5月末の主要国首脳会議(伊勢志摩サミット)に向け外交成果を着実に積み上げ、夏の参院選になだれ込む戦略を思い描いてきた。だが、アベノミクスの失速がより鮮明になれば、参院選対策や衆院解散戦略に影響が出るのは必至だ。

 2017年4月に予定される消費税率10%への引き上げの見送りも現実味を帯びてきた。

 「今度は前回のような景気判断はせず、リーマンショック級の世界的な出来事が起こらない限り、我々は予定通り引き上げていく考えだ」。財政健全化への配慮から消費増税についてこう語っていた安倍首相だが、世界的な金融不安の広がりで、引き上げに耐えられるような国内経済の環境整備が進むのか見通せなくなってきた。

 既に官邸からは「株価下落のスピードなどからして、今はリーマンショックに近い状況だ」との声も漏れ始めている。

 石原伸晃経済財政・再生相は現時点で否定するものの、経済の下振れリスクの高まりを受け、政府は2016年度予算案の成立後、早期に参院選に備えた経済対策を取りまとめる方向で検討に着手した。だが、政策期待だけで市場や企業、家計の不安を収められるのかは不透明だ。

 仮に安倍首相が消費増税の見送りに踏み切るなら、夏の参院選に合わせた衆参同日選か、年末または来年初めの衆院解散の可能性が大きくなる。

 「株価が2万円を目指すような上昇トレンドの中で参院選を迎えるのがベストだ」。年初にこうした思惑を親しい関係者に語っていた安倍首相だが、激変する市場環境の前に、こうした理想的な流れは遠のきつつある。

 株価下落が野党に政権批判の材料を提供する点も見逃せない。昨年末、公的年金を運用する年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)の2015年7~9月期の運用成績が7兆8899億円の赤字だったことが話題になったが、年明け以降の株安で運用環境は相当厳しくなっている。民主党幹部は「有権者の関心が高いテーマ。アベノミクスの負の側面が鮮明になった」と話す。

 閣僚や自民党議員の失態が相次ぎ、北朝鮮のミサイル発射など国内外の懸案に追われる安倍政権。攻め手を欠く野党の対応にも救われて高い内閣支持率を維持してきたが、為替や株価の変動がアベノミクスの先行きや今後の政権運営を左右する展開となりそうだ。

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