メルケル首相はトランプ氏に厳しい態度で臨む(写真:ロイター/アフロ)
メルケル首相はトランプ氏に厳しい態度で臨む(写真:ロイター/アフロ)

 11月9日にドナルド・トランプ氏が米大統領選挙で勝利した時、各国首脳は外交儀礼に基づいて同氏に祝いの言葉を贈った。ドイツのアンゲラ・メルケル首相、そして日本の安倍晋三首相が発表した祝辞は、トランプ氏に対する両国の態度の違いを浮き彫りにした。

 安倍首相が当たり障りのない表面的な祝辞を送ったのに対し、メルケル首相は祝辞の中にトランプ氏に対する「毒矢」を埋め込んだ。

トランプに示した協力の「条件」

 メルケル首相は祝辞の中で、まるで学校の教師が生徒を教え諭すように、ドイツが重んじる価値を並べ上げた。「ドイツにとって、EU以外の国の中で、米国ほど共通の価値によって緊密に結ばれている国はありません。その共通の価値とは、民主主義、自由、権利の尊重、全ての個人の尊厳を重んじることです。人権と尊厳は、出身地、肌の色、宗教、性別、性的な嗜好、政治思想を問うことなく守られなくてはなりません」。

 メルケル首相がこれらの言葉によって、わざわざ「性別、宗教や肌の色、同性愛者か否かで人間を差別してはならない」と指摘したのは、トランプ次期大統領が選挙運動の期間中に、女性、メキシコ人、イスラム教徒、同性愛者を蔑むかのような発言を繰り返してきたことに対する、暗黙の批判である。

 メルケル首相の最も鋭い「毒矢」はその次に飛んできた。それは、「Auf der Basis dieser Werte(これらの価値の前提の下に)」というわずか5つの言葉だった。彼女は、こう言った。「トランプ氏がこれらの価値を我々と共有するならば、私はトランプ氏とともに働く準備があります」。

 つまりメルケル首相は、「トランプ氏がこれまでのヘイト・スピーチで示してきた、女性や外国人、イスラム教徒、同性愛者に対する差別的な態度を改めないのならば、ドイツ政府はトランプ氏と協力する気はない」というメッセージを送ったのだ。同盟国の首相が、次期大統領に「あなたと協力するかどうかは、あなたが一定の条件を満たすかどうかにかかっている」と宣言するのは、極めて異例である。メルケル首相は「あなたとともに働くのを楽しみにしています」という、彼女がこの種の祝辞でしばしば使う言葉も、あえて避けた。

 来年トランプ大統領が誕生した後、日米同盟がどうなるかは、未知数である。それにもかかわらず、安倍首相は祝辞の中で日米同盟を「希望の同盟」と持ち上げた。さらに同首相は、「トランプ次期大統領と緊密に協力し、日米同盟の絆を一層強固にするとともに、アジア太平洋地域の平和と繁栄を確保するために、日米両国で主導的役割を果たしていくことを、心から楽しみにしています」と述べ、トランプ氏と無条件で協力すると宣言している。そこには、メルケル首相が埋め込んだような、トランプ氏のヘイト・スピーチへの批判は込められていない。

 私はメルケル首相の祝辞を聞いて、政治が「言葉の芸術」であること、そして我々日本人とは異なり、歯に衣を着せずに思ったことを言うドイツ人の国民性を強く感じた。ドイツでは、日本よりも個人主義、そして発言の自由が尊重されている。たとえ発言を向ける相手が、世界最強の国の次期大統領であってもだ。

大半のドイツ人はトランプを嫌っている

 トランプ氏を批判したのは、メルケル首相だけではない。ドイツのヨアヒム・ガウック連邦大統領が報道機関に向けて出したコメントにも、トランプ氏に対する懸念が込められていた。米国大統領選挙の投票日つまりトランプ氏が大統領にえらばれた日は、11月9日だった。ガウック大統領はコメントの最初で、この日付がドイツでは特別の意味を持っていることに言及した。

 ドイツで11月9日は、歴史に残る大事件が起きる特異な日と見なされている。1923年のこの日には、ヒトラーがミュンヘンでクーデターを試みた。1938年には、ナチス政権が全国でユダヤ教会を破壊し、多数のユダヤ人を殺害・逮捕した「帝国水晶の夜」事件が起きた。1989年にベルリンの壁が崩壊したのも11月9日だった。つまり、この「特異日」に起きた一連の出来事に、政界のアウトサイダーが大統領として米国で最高権力を握るという「椿事」が加わったのだ。

 ガウック大統領は「米国で大統領選挙が行われている間、世界の多くの人々が不安を感じた」と述べ、彼がトランプ氏の言動について懸念を抱いていることを示唆した。もちろんガウック大統領は、トランプ氏の勝利をナチスの台頭と同列に並べたわけではない。しかし彼のコメントの底に、一抹の疑念が横たわっていることは明らかだ。

 ドイツではトランプ氏の勝利は「想定し得る最悪の事態」と受け止められている。大半のドイツ人は、トランプ氏ではなくヒラリー・クリントン元国務長官が大統領になることを願っていた。彼らにとって、トランプ氏が大統領になることは、隣国フランスで、右派ポピュリスト政党「国民戦線(FN)」のマリーヌ・ルペン党首が大統領になるのと同じことだ。

「ポピュリスト・インターナショナルの急先鋒」

 メルケル政権の閣僚たちによるトランプ批判は、首相や大統領よりもさらに露骨だった。同政権で副首相を務める、ジグマー・ガブリエル経済エネルギー大臣は「トランプ氏の勝利は、我々ドイツ人にとっての警告である。彼は所得格差や社会の分裂に対する人々の失望を利用して票を集めた」と述べ、トランプ氏が取るポピュリスト的な姿勢を批判。

 ガブリエル副首相は、「現在、世界各国の右派ポピュリストたちが強権的政治家のインターナショナル(国際戦線)を形成しつつある」と考えている。このポピュリスト・インターナショナルにはロシアのウラジミール・プーチン大統領、トルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領、フランスのFNのルペン党首などが属している。ガブリエル副首相は「トランプ氏は、このポピュリスト・インターナショナルの先頭に立つ人物だ」と指摘した。

 さらに同副首相は「トランプ氏が属する共和党は、時計の針を、旧態依然とした悪い時代に戻そうとしている。彼らは、女性は台所とベッドにいればよいと考えている。彼らは同性愛者を刑務所に押し込め、労働組合を冷遇しようとしている。口を開いたものは、公の場で攻撃される」と舌鋒鋭く批判した。

 現在ドイツの政界やメディアは、「欧州で拡大しつつある右派ポピュリズム勢力にとって、トランプ氏の勝利が追い風となる」との懸念を高めている。ドイツでも反イスラム、反EUの旗を掲げる右派ポピュリスト政党「ドイツのための選択肢(AfD)」が、州議会選挙で連戦連勝を続けている。その支持率は10%を超えている。旧東ドイツの一部の地域では、有権者の3人に1人がこの党を選んでいる。

 特に大きな不安の種は、西欧諸国との対決姿勢を強めるロシアのプーチン大統領が、トランプ氏に好意的な姿勢を示していることだ。米国大統領選挙の選挙運動の期間中に、暴露ポータル「ウィキリークス」が民主党の電子メール約2万通を公開し、米国の政治関係者に衝撃を与えた。ドイツ政府部内では「ロシアの諜報機関が民主党のサーバーからメールを盗み出し、クリントン候補を不利な立場に陥れるために、ウィキリークスに情報を提供したのではないか」という見方が強まっている。プーチン大統領は、トランプ次期大統領にいち早く祝辞を贈っている。

 来年9月には、ドイツ連邦議会選挙が行われる。メルケル首相は「ロシアがサイバー攻撃によってこの選挙結果を左右しようとする危険がある」と述べている。

同盟関係への亀裂に重大な懸念


 またドイツ政府のフランク・ヴァルター・シュタインマイヤー外務大臣は今年8月、トランプ氏を「ヘイト・スピーチの伝道師(Hassprediger)」と呼んでいた。シュタインマイヤー外相は、トランプ氏が勝利した後「この投票結果は、多くのドイツ人が願っていたものではない。トランプ氏が大統領になることで、多くの事が難しくなるだろう」と強い懸念を表明。

 トランプ氏は、選挙運動の期間中に「米国は友人を必要としない。北大西洋条約機構(NATO)は役に立たない」と発言している。NATOは、米国に率いられて、第二次世界大戦後、ソ連の脅威から西欧を守ってきた軍事同盟である。その同盟を率いる最高司令官となるトランプ氏が、欧州防衛の要であるNATOの必要性を疑問視しているのだ。これは、欧州の安全保障にとって重大な脅威である。シュタインマイヤー外相は、次期大統領のこの言動について、「今後は米国の外交政策について、先を見通すことが難しくなる。国際関係における大きな混乱が起きないことを望む」とコメントした。

 ドイツ国防省のウルズラ・フォン・デア・ライエン大臣も、次期大統領が提唱する防衛政策に対する疑問を隠さなかった。彼女は「トランプ氏はNATO加盟国に対し、『あなたたちは軍事同盟にどのような貢献をしているのか?』と問うてくるだろう。だが我々も米国に対し、『あなたたちは、NATOの将来をどう考えているのか』と問うつもりだ」とコメントしている。

 ドイツでは、トランプ次期政権が同盟国に対し軍事的な貢献を増大するよう求めてくることは不可避という見方が強い。これまでNATOでは、ある加盟国が軍事攻撃を受けた場合、他の加盟国はそれを自国への攻撃と同等と考えて反撃する義務を負った。いわゆる集団的自衛の原則である。だがトランプ氏は選挙運動の期間中に、「米国などNATO加盟国が反撃するのは、攻撃された国がNATOに対して十分な貢献を行っていた場合に限るべきだ」と主張した。

 米国はこれまで他のNATO加盟国に対し、防衛予算を少なくとも国内総生産(GDP)の2%に増やすよう求めてきた。2015年の時点で29あるNATO加盟国のうち、米国(3.33%)を除くと、2%を超えているのはギリシャ(2.38%)、ポーランド(2.23%)、英国(2.09%)、エストニア(2.07%)の4カ国だけだ。ドイツの防衛費の対GDP比率は1.19%であり、米国の要求にはほど遠い。

 政治の経験がゼロで、ビジネスマンであるトランプ氏は、歴代の大統領よりも、安全保障政策の上でコスト・パフォーマンスを重視するだろう。「外国の防衛ただ乗りは御免だ」という態度は、米国の庶民にもわかりやすい。今後米国が、同盟国に防衛支出の拡大を迫る可能性が強い。

ナチス時代への反省が国是


 戦後の西ドイツ、そして今日のドイツ政府は、ナチス・ドイツが1930年代から1945年まで欧州で人種差別や他民族の迫害を繰り返したことに強い反省の意を示している。人間の尊厳を踏みにじったナチスの行為を二度と繰り返してはならないという決意は、ドイツの国是である。

 ドイツの憲法に相当する基本法は、「人間の尊厳は絶対に侵してはならない。政府は、人間の尊厳を守る義務がある」という一文で始まっている。メルケル首相や閣僚たちがトランプ次期大統領に拒否反応を示すのは、トランプ氏が選挙期間中に行った言動に、人種や宗教に基づく差別的な態度を感じ取っているからだ。

 例えばトランプ氏は選挙期間中に、大統領に就任した場合、米国に不法に滞在している約1100万人の外国人を国外退去させる方針を明らかにしていた。この問題について、欧米のメディアはしばしば「deportation(移送)」という言葉を使う。これはナチスがユダヤ人を強制収容所へ移送した事実をも示す言葉であり、ドイツ人やユダヤ人にとっては、戦慄すべきイメージを伴っている。

 もちろんドイツは、超大国である米国を無視することはできない。米国はドイツにとって重要な貿易相手国であり、ドイツは米国に防衛面でも大きく依存している。したがって、ドイツが今後トランプ政権との対話の道を探ることは確実だ(実際、メルケル首相は11月11日にはトランプ氏と初の電話会談を行っている)。しかしドイツ人が、トランプ次期大統領の全ての政策を無条件に受け入れることはない。人権、そして人間の尊厳の擁護は、ドイツにとって越えてはならないレッド・ラインだ。

 ドイツ人は、過去のナチスによる犯罪に対する反省に基づき、この一線だけは譲らないだろう。トランプ氏がメキシコ人、イスラム教徒、同性愛者などに対して差別的な政策を取った場合、ドイツ人たちは、トランプ氏をはっきりと批判するだろう。

 これが、ドイツと同じく米国と同盟関係にある日本政府との、大きな違いだ。私はドイツに26年前から住んでいる一市民として、ドイツ政府が11月9日に見せた毅然たる態度を、誇りに思う。

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