日本シリーズ第7戦、9回表。不動のエース田中将大がマウンドに上がると、球場の興奮は頂点に達した。目に涙を溜め、祈るようにマウンドを見つめるファンの姿。強まる雨の中、2万8000人を超えるファンがその瞬間を待ちわびていた。田中が巨人・矢野謙次を142キロのスプリットで空振り三振に切って取った瞬間。東北楽天ゴールデンイーグルス(楽天球団)の球団史上初の日本一が決まった。
球団創設9年目の栄冠。1年目38勝だった楽天球団に、昨年、オーナーの三木谷浩史から「優勝」と「黒字」を託されて社長に就任したのが立花陽三だ。
就任1年目にしては、できすぎなのかもしれない。2013年9月26日に、リーグ優勝を果たした時点で立花は「頭が真っ白になった」。
無理もない。監督の星野仙一、オーナー三木谷が次々と胴上げされたあと、球団の正捕手・嶋基宏が立花の元に駆け寄ってきた。嶋に続いたのは、キャプテンの松井稼頭央。ベンチ横の管理人室から、球団社長である立花の手を取り、球場中央に引っ張り出したのだ。
「僕は、いいですよ」と言う立花の言葉を遮るように星野が立花の肩をがしっと抱えた。「いいんだ、おまえもだ」。息子ほど離れた球団社長である立花に、常に脱帽し、敬語で話す星野も、このときばかりは“無礼講”で立花をグラウンド中央に迎え入れた。
監督はもちろん、オーナーが胴上げされることは珍しくない。しかし、球団社長までとなると話は別だ。そんなことを気にもとめず、チームメイトは立花を囲んだ。大学時代までラガーマンとして鳴らした男も、数十人の屈強な男たちに囲まれればあらがえない。立花は、敵地・西武ドームで高々と宙に舞った。
胴上げこそなかったが、2013年11月3日も立花にとって忘れ得ぬ日になったことは言うまでもない。就任1年目にして東北で成し遂げた快挙が、奇しくも、「3・11」を逆にした「11・3」にもたらされたことも、あまりにドラマチックに過ぎる。そしてまた、立花の社長就任も、運命としか言えないものだった。
「あなたたちも4位です」
時計の針を1年半前の春に戻そう。2012年5月半ば、立花は友人数名とともに宮城県女川町を訪れていた。当時の立花の肩書きは、メリルリンチ日本証券・常務執行役員。取引のあった会社社長や証券マンの仲間とともに東北へ足を伸ばした。しかし、「何もできないということを思い知った旅だった」。仲間から募ったお金を寄付し、できる限りのボランティアはした。だが、それ以上の手応えはつかめなかった。
球団社長のオファーは、失意の内にあった立花を待っていたかのように突然やってきた。女川から東京に戻った翌週。それまでも定期的に食事をすることがあった三木谷から、その誘いはもたらされた。「東北で、球団社長やってよ」。お互い酔いも回り、時計の針が23時を回りかけた頃。三木谷がぽろりとこぼした一言を「まさか」と受け流した。しかし、翌日再度三木谷から電話が来る。翌週、今度は当時の球団社長だった島田亨からも連絡が来た。「運命としか思えないタイミング」に、立花は東北行きを決めた。
2012年8月に就任し、シーズンを4位で終えた立花は、100人の球団職員を前にこう言い放った。「チームが4位ということは、あなたたちが4位ということです」。球団事務所のラウンジで、ヒーローインタビューの台に上った立花は、職員に一気にまくしたてた。「12球団中最もハードワークをすれば、必ず1位になれる。ただし、近道はない。選手、球団職員、ファンが尊敬し合い、本気で挑めば絶対に勝てる」。
球団設立当初から楽天野球団に勤める鳥飼健司は、この時のことを「雷に打たれたようだった」と振り返る。目標は優勝と定めて球団を支えてきた8年。しかし、「ここまで真剣に、当たり前のことを当たり前にやろうと言われて心が震えた」。気づけば、目から涙がこぼれていた。
【初割・2カ月無料】お申し込みで…
- 専門記者によるオリジナルコンテンツが読み放題
- 著名経営者や有識者による動画、ウェビナーが見放題
- 日経ビジネス最新号12年分のバックナンバーが読み放題