iPhoneで盛り上がっている今、「バックデーティング事件」を一度キッチリおさらいしておく必要があるだろう。
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ウォールストリート・ジャーナル(以下WSJ)の昨年3月の報道を皮切りに米企業 200社近くに捜査の手が及んだストックオプションのバックデーティング事件。台風の目は秋からアップルCEOスティーブ・ジョブズ氏の頭上に止まったきりピタリと動かなくなった。関与が浮上しなおかつクビになっていない人は彼1人なのだ。
バックデーティングとは?
「バックデーティング(backdating)」とは、ボーナス代わりに社員に支給するストックオプション(株式購入権)の日付け(デーティング)を過去に遡って(バック)書き換える帳簿操作のこと。実際の付与日より株価のうんと安い日を付与日と偽って行使価格を安値に設定し、譲渡益を水増しする行為を指す。付与日の株価が低ければ低いほど差益は大きくなる、というわけ。
有利な日付けにオプションを交付する行為そのものは違法にならない。なにも疑惑を回避するため株価の高い日をわざわざ選んで支給する必要はないし、たまたま低い日に当たっても幸運を怨む必要はないのだ。現金のプールが底をついた企業では有能な幹部が逃げていかないよう、有利な日にオプションを交付して色をつけたりするが、これも証券取引委員会(SEC)と内国歳入庁(IRS=国税局)に経費として計上し適切な会計処理を踏んでおけば違法にはならない。
ただ問題は意図的な隠蔽工作がなされた場合で、これはコーポレートガバナンスやSOX法の観点からは不正となり、検察側の立件が可能になるとトップの刑事責任にも繋がりかねない。トップをかばうため部下が気を回して内々に帳尻を合わせようとするとかえって始末が悪いので、会社側も慎重な対処が必要となる。
辣腕のCEOが続々と辞任
さて、このバックデーティング事件の規模だけども、これを慣行的に行っていたと疑われる企業はWSJが最初に報じただけで120社を超える。米国司法省とSEC、IRSによる捜査の進展に従い疑惑の対象は195社以上に拡大した(スキャンダルがここまで拡大した理由の一端は、SOX法施行以前の事例にまで遡ったことにあるのだが)。
昨年10月11日(米時間)にはその責任をとってセキュリティ・ソフトウェアの大手マカフィーのCEOと、ネットのニュースサイト、Cnetのシェルビー・ボニー会長兼CEO(共同創業者)が辞任。大手不動産開発KBホームCEOも辞め、国内管理医療2番手ユナイテッドヘルス・グループの快進撃を支えた辣腕ウィリアム・マクガイアCEOも12月に会社を去った。また、ブロケード・コミュニケーションズ・システムズとコンバース・テクノロジー(コービ・アレクサンダー元CEO)では元CEOの刑事告発という最悪の事態となっており、一連のバックデーティングの不祥事で辞任した企業幹部は60余人にのぼる。
特にアメリカ人を唸らせたのはマクガイア会長兼CEOの辞任だ。これだけ会社の発展に貢献した神がかり的な人物が去ったことで、「ジョブズ氏もアンタッチャブルではないな」という暗い観測が広まった。
社内調査報告書は「ジョブズ氏=白」
会計処理に不審な点が発覚したのを受け、アップルでは元副大統領アル・ゴア取締役を座長に立てて社内特別調査委員会を設置した。委員会は6月から延べ2万6500時間の作業を経て、電子文書を含め100万ページの資料を精査し、報告は4回まとめられた。
先月29日にSECに出した報告書では「ジョブズCEO は幹部に支給したオプションの日付けが一部誤って記載された事実を認識しており、有利な日付けを幹部に推奨もしたが、氏自身はこれによる金銭的利益は得ていない」と結論づけ、1997年から2002年の決算で誤記載が確認されたオプション6428口について8400万ドル相当の修正を行うと発表した。
これを受け、昨年暮にマスコミは一斉に「ジョブズ=白」と報じたが、SECがこの社内調査報告と同じ結論に達するかどうかはまだ予断を許さない。司法省も関心を示しているという未確認情報もあり、いずれにせよ結論が出るのはまだ何カ月も先の話になりそうだ。
株主たちが民事で起訴
昨年10月4日、ジョブズCEOは「私の監督下で起こった不祥事について遺憾に思う。アップルの社風にあってはならないことだ」と公式に謝罪したが、「関知どころか、彼こそ中心人物だったのではないか」と言うのは民事訴訟を起こした株主サイドのマーク・モランフィ弁護団代表だ。疑惑発覚直後の昨年7月に別々に訴訟を起こした株主たち11人が先月18日、合同でサンノゼ地裁に民事訴訟を起こしたのだが、「これはもはや“会計上の意味を知らなかった”では済まされない、隠蔽の立証を争うケースだ」と追及の手を緩めていない。
このモランフィ弁護士の法律事務所はiPodのバッテリーの不良品交換を求める裁判も代弁した会社。アップルが専門なのだろうか? SECの捜査には全面協力の立場のアップルもこちらの民事にはコメントを控えている。
おそらく民事では以下のポイントが争点となる。
1. 1997年8月5日、アップルは上級幹部4人にストックオプション200万株以上を付与した。受取人はゲリーノ・デ・ルーカ氏とロバート・カルデローニ氏、フレッド・アンダーソン氏、それにジョナサン・ルービンシュタイン氏(ハードウエア技術部門シニアVP=当時)。その翌6日、ジョブズ氏はボストンで開かれたマックワールド基調講演でマイクロソフトからの大型投資1億5000万ドルを受け入れ技術提携すると発表、市場は“冷戦”終結を好感しアップル株価は2日で48%急騰した。
2. 2000年1月18日同社はジョブズ氏に1000万株のストックオプションを交付したが、記載された交付の日付けは18日より株価が19%低い12日(後に分割)だった。同社の株価はその翌13日から8日間で30%上昇した。この新株予約権は2003年に解約し、以下の3.と合わせ譲渡制限株式に転換した。
3. 取締役会は2001年、ジョブズ氏に750万株の発行決議を行ったとあるが、この会議は実際には招集されていなかった。この議事録捏造を「上司の指示で行ったとされる社内弁護士ウェンディ・ハウェル女史は12月に内々に解雇となった」と伝えられる(ソース:The Recorder )。
4. ジョブズ氏は2006年3月19日アップル株を売却し3億ドルの利益を手にした。これはWSJが米企業に蔓延するバックデーティングの不正慣行について特集を組んだ翌日だった。(まだこの段階ではアップルの疑惑は浮上していなかった。以下のグラフは6月になって同紙が明らかにしたアップル関連部分)。
(社外: 5. 氏が筆頭株主だったピクサー・アニメーション・スタジオ(昨年ディズニーが買収)でも1997年から2004年にかけて不審な動きが確認される。この期間に行われたオプション交付7回のうち5回までが前後数ヶ月で株価が底を打った日に付与されていた。うち4回は会計年度内最低水準。原告サイドがアナリストに試算を頼んでみたところ、こんな偶然が重なる確率は「1億1200万分の1」だったという)
左がアンダーソン氏(後述)、中がジョブズ氏、右が幹部4人のオプション交付日(ソース: Wall Street Journal、米企業120+社の現況)
SECや司法省の元捜査官たちは「幹部に有利な日付けを薦めたということになるとジョブズCEOの身辺も洗う必要が出てくるだろう」という。こうした観測を受け、ジョブズ氏の進退をめぐる報道も活発になってきた、というわけだ。
スケープゴート?
アップルは報告書の中で不正会計処理に関与した人物が2人いると述べたが特定はしていない。情報筋からの話を総合すると、以下の元幹部2人と推測される。
フレッド・アンダーソン氏(Fred Anderson) 62歳
元CFO (最高財務執行責任者)。現eBay取締役兼監査委員会長。1997年ジョブズ氏召還まで倒産寸前だったアップルの屋台骨を支えた手腕が買われ、 CEO交代で旧経営陣を一掃した際にも首が繋がった数少ない幹部の1人。昨年ストックオプション疑惑が発覚してからは本社に何度も足を運んで帳簿関係の内部調査を補佐したが、身辺に矛先が向いたことで昨年9月30日付アップル取締役を辞任。オプション行使で得た譲渡益は7600万ドル(90.5億円)。ナンシー・ハイネン氏(Nancy Heinen) 50歳
元GC (法律顧問)兼取締役会議秘書。NeXTのGC(法律顧問)からアップル上級VP兼GCとしてジョブズ氏に付き従った。不祥事の発覚前の5月に一身上の理由で会社を辞めている。ジョブズ氏に大量のオプション付与を承認した2001年10月19日の取締役会議(実際には召集されていなかった)についても、女史は取締役会秘書としてこの経緯を知っていたはず、というのがアップルの言い分。オプション行使で得た譲渡益は8500万ドル(101.2億円)2氏とも弁護代理人を通して関与は全面否定。捜査では彼らの証言がカギを握ることになりそうだ。
スピーチで株価が暴騰するジョブズの価値
これだけの疑惑を背負っていながら投資家も会社もジョブズ氏擁護に回るのはなぜなのか? それは疑惑の解消よりも、氏を失うダメージの方が大きいからにほかならない。1985年からの株価の推移をチャートで見てみよう。
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